カナート – 世界史用語集

カナート(qanāt/カレーズ・ファラジなど各地で異称)は、乾燥・半乾燥地域で地下水を地表へ無動力で導水するための地下トンネル型灌漑施設を指す言葉です。山麓の帯水層に水平に掘り進んだ緩勾配の導水坑道と、施工・換気・維持管理のために垂直の竪穴(通風・点検井)を一定間隔で連ねる構造が基本で、末端は集水池や水路につながり、農地・都市・キャラバンサライ・庭園へ重力流だけで安定的に水を供給します。河川が季節的で洪水と渇水の差が激しい地域、あるいは地表の蒸発損失が大きい環境で、地下に「陰の川」を造るという発想がカナートの核心です。機械動力や燃料を必要とせず、蒸発を抑え、濁水や洪水のリスクを避けられるという利点から、古代イランを起点に西アジア・中央アジア・北アフリカ・地中海・南アジア・中国西域にまで広く普及しました。以下では、用語の意味と仕組み、歴史的展開、社会・経済・法と環境への影響、そして近代以降の変容と保存の動向について、要点を整理して説明します。

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構造と技術――「地下の川」をつくる工学

カナートの基本構成は、(1) 山麓の扇状地内部で帯水層に接する母井(母坑)の掘削、(2) 地表へ向かって数キロから十数キロ、場合によっては数十キロに及ぶ導水坑道の掘進、(3) 施工と維持のために20~40m間隔(地質や勾配により変化)で開けられる多数の竪穴(点検井)、(4) 末端の開口部(出口)と水配分のための分水施設、という四点に整理できます。導水坑道の勾配はきわめて緩やかで、一般に0.1%前後からそれ以下に設計され、帯水層の水位を損なわずに地表へ湧出させます。勾配が急すぎると侵食や崩落、緩すぎると停滞・堆砂を招くため、測量と試掘は最重要工程でした。

施工は上流の母井と下流の出口の双方から同時に行われることが多く、地表からは竪穴を連続的に掘り降ろして、各井の底で横に掘り進め、隣の井からの掘進と貫通(ブレイクスルー)させる方法が一般的でした。竪穴の土砂は地表に円錐状のズリ山として積まれ、これが砂漠に点々と並ぶ独特の景観を作ります。坑壁は地山が安定していれば素掘りのまま、崩落の恐れがある場合は焼成レンガや石で巻立てを施します。通気は竪穴が担い、ガスの滞留や湿気を抜き、作業員の安全を確保しました。

配水は、出口で一旦貯水池(シャバラ)や水時計小屋に集め、そこから用水路へ配分します。水利権はしばしば時間単位(時計灌漑)で区分され、夜間・昼間の持ち時間が村落や家族ごとに割り当てられました。導水量は季節変動するため、上流部の取水窓口を調整したり、堆砂の浚渫や補修を定期的に行ったりする必要があります。維持管理の技術体系は、測量・地質判断・用水配分・労役動員・記録の五つの柱から構成され、世襲の技術者集団(カナート掘り=モカニなど)が知識を継承しました。

カナートの工学的メリットは、(a) 蒸発損失の最小化、(b) 洪水・土砂流出の回避、(c) エネルギー非依存、(d) 水質の安定(砂礫層を通過した自然濾過)、にあります。他方、(e) 初期投資と熟練労働の大きさ、(f) 地震や地盤沈下による崩落のリスク、(g) 地下水位低下に対する脆弱性、という限界も抱えます。地下水の過剰揚水(ポンプ)や上流での帯水層搾水が進むと、末端まで水が届かなくなり、カナートは枯渇してしまいます。

歴史的展開――古代イランからオアシス世界、地中海へ

カナートの起源は古代イラン高原に求められることが多く、アケメネス朝の時代には国家的保護のもとで各地に普及したとされます。山麓扇状地と内陸盆地が連続する地形、季節河川と蒸発の厳しい気候、長距離交易の中継都市が点在する地理、これらが技術の受容を後押ししました。王権は用水路と耕地の拡大を奨励し、課税対象の増加と都市の安定を目指しました。考古学・文献学の双方で、カナートに関する古い痕跡と規範の存在が確認され、制度としての成熟が早期から進んでいたことがうかがわれます。

ササン朝やイスラーム期に入ると、カナートはさらに西アジア全域へ広がります。行政文書や法学(フィクフ)は水利権と保守義務、損害賠償のルールを整備し、ワクフ(宗教寄進)によってカナートの維持が資金的に支えられる例もありました。イラン・ホラーサーン・中央アジアのオアシス都市(ニシャプール、ブハラ、サマルカンドなど)は、城壁外に連なる耕地と庭園をカナートで潤し、綿・果樹・野菜・飼料作物の組み合わせで都市経済を支えました。

西へはメソポタミア、シリア、アラビア半島、エジプト、北アフリカのマグリブへと伝播し、地中海世界ではファラジ(falaj)(オマーン)、フォガラ(foggara)(サハラ・トゥアト)、ハットゥァーラ/ガレアス(マルタ)、ガレリア(スペインの一部)などの名で呼ばれました。アンダルスではラテン系の水法(ウスス法)と結びつき、ムスリム期・レコンキスタ後も水分配の慣行が継承され、灌漑農法と都市園芸の発展に寄与しました。東へはアフガニスタンのカレーズ、パキスタンやインド西部のクイーンカハーン、中国西域のカレーズ(新疆トルファン)へと広がり、シルクロードのオアシス群が地下水ネットワークで結ばれました。日本語文献で「地下水路」「暗渠灌漑」と呼ばれる事例の多くも、この系譜に属します。

都市文化においては、ペルシア式庭園(パルダイス)の水景、ハマム(公衆浴場)、サバーティ(夏の冷風道)やバードギール(風の塔)など、気候適応型の建築技術と結びつきました。イランのヤズドやカシャーンなどでは、カナート水を使った氷室(ヤフチャール)や貯氷技術が発達し、砂漠都市の冷蔵・食品保存の基盤となりました。水は宗教的象徴でもあり、泉・庭園・清めの儀礼は都市の共同体アイデンティティを形づくりました。

社会経済・法制度・環境――水をめぐる共同体の作法

カナートは単なる設備ではなく、社会制度の核でした。第一に、水利権の配分と記録が綿密に整えられ、村落・家族・寺院・キャラバンサライなど、利用者の時間割が水時計や日影時計、標尺によって管理されました。水番(ミーラーブ、アミーン・アル=マーン)と呼ばれる職が設けられ、配水の公平と紛争調停が職務でした。第二に、保守労務は義務(コルヴェー)と報酬の混合で動員され、井戸さらい・巻立て補修・堆砂除去が季節労働として共同実施されました。第三に、財産権としてのカナート—井戸一本、持ち時間何分—が売買・相続・寄進の対象となり、都市・農村の資産市場を形成しました。

法と宗教は、水の正義と持続性を支えました。イスラーム法は上流の権利と下流の権利、古来からの既得権と新規開発の競合、汚染や妨害行為の禁止などを論じ、判例は地域差を踏まえながら調整を図りました。在来の慣習法も、生態と歴史に根ざした実効ルールを持ち、両者が折衷される場面が頻繁にありました。宗教的寄進(ワクフ)によるカナートの保全は、公共善と信仰倫理の接点となり、学校・浴場・貧者施療へ水を保障する装置として機能しました。

経済面では、カナートが農業の作付け選択に決定的影響を与えました。重力灌漑の定常流は、小麦・大麦・豆類・綿・果樹(ブドウ・ナツメヤシ・ザクロ・ピスタチオ)などの複合に適し、とくに果樹園・庭園文化は都市の美と富の象徴となりました。畜力と組み合わせた揚水(サキーアなど)や貯水池の併用により、日中のピーク需要にも対応しました。交易では、オアシスの水供給が隊商の行程を規定し、キャラバンサライの立地選択を左右しました。

環境面の視点からは、カナートは地下水の持続可能な利用としてしばしば評価されます。帯水層の自然涵養(山地の降雪・降雨)が続く限り、揚水量は自動的に制限され、地下水位の急落を避けやすいからです。他方で、近代に入り上流域での深井戸ポンプが普及すると、カナートの水頭差が失われ、末端まで水が届かなくなる事態が発生しました。都市拡大による不透水舗装の増大、汚染、地震・道路工事による竪穴の破損も、機能低下を引き起こしました。持続性は制度・空間計画とセットで守られるべきものであることが、歴史的経験から明らかです。

近代以降の変容と保存――技術の更新と文化遺産としての価値

20世紀以降、モーター揚水と電化の波は、カナートの存続に大きな影響を与えました。短期的にはポンプの効率が勝り、個別農家が迅速に水を得られるため、共同体ベースのカナート維持は採算が合わなくなりました。結果として多くのカナートが放棄・埋没し、砂漠や扇状地の地表には竪穴跡が危険な空洞として残りました。他方で、都市の歴史地区や庭園では、カナートが文化景観の中核として再評価され、観光資源・教育資源としての価値が認識されるようになります。世界遺産や無形文化遺産の文脈で、伝統的水管理システムの保存・継承が議論され、測量・補修・水利権台帳のデジタル化など、現代技術との連携も進みました。

工学的にも、カナートの理念は再利用可能です。地下水位低下の厳しい地域では、雨季に人工涵養(リチャージ)を行い、浸透池・逆カナート(帯水層へ水を戻す坑)を設けて循環を回復させる試みが行われています。都市部では、地中温度の安定を利用してパッシブ冷却や地中熱交換と組み合わせ、エネルギー負荷の低減を図る設計も提案されています。伝統技術の原理—重力流、蒸発抑制、地下空間の活用—は、気候変動と水ストレスが高まる現代においても有効な示唆を与えます。

社会制度の面では、個別ポンプと共同体水利の調停が課題です。地下水の共用資源性に鑑み、揚水規制、メーター管理、料金設計、季節ごとの取水枠、涵養投資のコスト分担など、ガバナンスの再設計が求められます。水番制度や水裁判(コミュニティ裁定)の再生、女性・移住労働者の参加、技術者育成の制度化など、伝統と包摂的ガバナンスの結合が鍵となります。教育・観光と結びつけた「見える化」は、若い世代の関心を呼び戻し、技能の継承と資金循環を助けます。

総じてカナートは、乾燥世界の人びとが自然条件に対して築いた「知のインフラ」でした。地下に川を走らせ、時間で水を分け、共同体で守るというシステムは、技術・制度・文化を束ねる総合技術です。上流・下流、都市・農村、宗教・世俗の境界に橋を架け、オアシスの生存と繁栄を支えました。現代の水危機とエネルギー転換の時代にあって、カナートは過去の遺物ではなく、持続可能な水管理を考えるための「原理の宝庫」でもあります。歴史を学び、現場の知と科学技術を結び直すことで、地下の静かな川は、未来社会のレジリエンスを支える力へと再び息を吹き返すのです。