旧人 – 世界史用語集

旧人(きゅうじん)とは、旧石器時代の人類進化を表す日本語史教材上の区分で、原人(げんじん)と新人(しんじん)の中間に位置づけられる人類集団を指す呼称です。おおむね中期更新世から後期更新世前葉(約40万~5万年前ごろ)にかけての「古い型の現生人類に近い人びと」や、ヨーロッパ・西アジアのネアンデルタール人などが典型例とされます。現代の学術用語では「アーキック・ヒト(Archaic Homo)」「ホモ・ハイデルベルゲンシス」「ネアンデルタール人」「初期現生人類」など、より細分化された名称が用いられるため、「旧人」は便宜的・教育的な総称だと理解しておくのが安全です。要するに〈原人より脳が大きく身体も頑丈で、石器技術と社会性が発達したが、形態・文化は現代人とはなお異なる人びと〉を指す言い方です。

以下では、用語の位置づけと学説史、身体的特徴と生活、石器文化と心性の手がかり、現代人との関係(交雑・絶滅)と地域差という観点から、誤解の多い「旧人」という語を、現在の知見となるべく齟齬なく説明します。

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用語の位置づけと学説史――学校用語としての「旧人」と現代分類の関係

日本の歴史教育では長らく、「猿人→原人→旧人→新人」という四段階で人類進化を説明してきました。これは20世紀半ばの化石発見状況と研究史を背景に広まった簡略図式で、原人にジャワ原人・北京原人(ホモ・エレクトス)、旧人にネアンデルタール人、そして新人にクロマニョン(初期現生人類)を対応させるのが一般的でした。この図式の利点は、学習者に大まかな流れを伝えやすい点にありますが、近年の発見(アフリカ・ユーラシアでの化石・遺伝子・道具類)によって、実際の系譜ははるかに複雑であることが明らかになりました。

現代の人類学・古生物学では、「旧人」に一律の学名が当てられるわけではありません。アフリカやヨーロッパの中期更新世のヒトは、Homo heidelbergensis(ハイデルベルク人)やHomo rhodesiensis(ローデシア人)などに分類されることが多く、ヨーロッパ~西アジアの後期更新世にはHomo neanderthalensis(ネアンデルタール人)が広がりました。東ユーラシアにはデニソワ人(遺伝子と一部骨片で知られる)という集団が存在し、サハラ以南アフリカでは現生人類(Homo sapiens)の成立と拡散が進みます。こうした諸集団を、日本語の「旧人」に機械的にまとめると、時代も形態も幅が広すぎるため、学術的には注意が必要です。

実務上は、教科書や入門書では「旧人=ネアンデルタール人を代表とする、原人ののちの古い人類」と理解し、具体的な化石名・地名・年代を添えて説明するのが妥当です。ネアンデルタール人以外の中期更新世のアーキック・ヒト(例えばハイデルベルク人)を含めるかどうかは文脈次第で、試験や読書では定義を確認する癖をつけると混乱を避けられます。

身体と生活――頑丈な体格、発達した脳、寒冷地適応、集団生活

「旧人」の典型として語られるネアンデルタール人の身体は、現生人類よりもやや低身長で、胸郭が厚く、四肢が太く短い頑健な体格が特徴です。これは寒冷地での体熱保持に有利とされ、鼻腔の大きさや顔面の突出も呼吸・加温との関連が指摘されています。脳容量は平均で現生人類と同等かやや大きく(個体差あり)、感覚・運動・社会的認知を支える基盤は十分に備えていました。ただし、頭骨形態(後頭部の膨らみ、顎の形、オトガイの弱さ)などで、現生人類と区別されます。

生活面では、狩猟採集が基本で、大型草食獣(馬・バイソン・トナカイ・サイ・マンモスなど)や森林・草原の中小動物を、地形を利用した共同狩猟で仕留めました。洞窟や岩陰を主な住まいとし、季節的に移動しながら、火の使用と動物皮の加工、骨角器の限定的利用、木道具の併用などが行われました。住居の痕跡としては、洞窟内の炉跡、石器製作の作業場、獲物の解体場所の分化など、空間の機能分けが観察されます。長期滞在地では、食料の持ち帰り・分配、子育て・病者介護の痕跡が見つかることもあり、集団内の協力体制の存在を示唆します。

骨に癒合痕の残る重傷者が高齢まで生き延びた例(西アジアのシャニダール洞窟など)は、仲間による看護や食事の世話があった可能性を物語ります。歯の磨耗やエナメル質の線条、骨の筋付着部の発達は、日常の道具使用や口を第三の手として使う癖を示すことがあり、生活の実際を推測する材料になります。衣服や履物は有機物のため直接残りにくいものの、縫合に使われたとみられる骨器や、皮なめし・着衣の必要を暗示する寒冷期の遺跡配置から、体温維持の工夫が推定されます。

石器文化と心性――ルヴァロワ技法、ムステリアン文化、埋葬と象徴

旧人の石器文化の代表は、ヨーロッパ・西アジアのムステリアン(ムステール文化)です。技術的な要点は、ルヴァロワ技法に象徴される中核石(コア)の準備と管理です。石核に計画的な打面と稜線を整え、狙い通りの形の剥片(フレーク)を剝がして素材を得る方法で、そこからスクレイパー(削器)、ポイント(尖頭器)、ノッチ、デンティキュレート、刃部の再加工(リタッチ)など、多様な機能の道具が作られました。これは「偶然に割る」段階を超えた、設計性の高い生産であり、石材の選択・運搬・再利用に関する知識が前提となっています。

道具の組み合わせとして、木槍に石の尖頭器を装着し、近接突き刺しの狩猟が重視されたと考えられます。投槍器や弓矢の確実な証拠は後の時期(現生人類の上石器文化)に多いものの、近年は飛翔体用の突端摩耗痕や微細破損分析から、投射武器の萌芽的使用を示す知見も報告されています。動物の骨・角・歯を利用した道具は限定的ですが、接着剤としての樹脂(松脂)とオーカー(顔料)の混合や、熱処理による石材改質など、高度な工程管理を示す例もあります。

心性と象徴行動については、議論が続いています。ネアンデルタール人の遺跡からは、埋葬とみられる例が複数知られ、遺骸の丁重な取り扱い、墓坑の整備、時に副葬と解釈される素材配置が観察されます(ただし自然要因との識別は容易ではありません)。赤色顔料(赤鉄鉱=オーカー)の使用や、猛禽の爪・貝殻に穿孔を施した装飾品らしき品も報告され、身体装飾・象徴的行為の可能性が強まっています。洞窟の奥深くに石筒状の構造物を組んだ事例や、抽象的な刻線、羽毛の利用痕など、感性の豊かさを示唆する見解もありますが、資料の点数・保存条件・年代の確実性が議論の鍵です。

発声能力をめぐっては、イスラエルのケバラ洞窟から出た舌骨(舌骨=ヒョウ骨)の形態が現生人類に近いこと、耳小骨の構造がヒトの言語周波数帯に適応的であること、FOXP2遺伝子の派生型が共有されることなどから、ある程度の音声言語が可能だったとする仮説が有力です。ただし、言語の複雑さや語彙・統語論のレベルは化石からは直接は分からず、人口規模・集団交流網・技術の革新速度など複合指標から推し量るしかありません。

現代人との関係――交雑・代謝適応・絶滅要因、そして地域差

遺伝学は、「旧人」と現生人類の関係に画期的な光を当てました。2000年代末以降の古代DNA研究により、ユーラシアの現代人のゲノムには、数パーセント規模でネアンデルタール由来の配列が混入していることが示されました。東南アジア・オセアニアの人々には、デニソワ人由来と考えられる配列が比較的多く含まれ、高地適応(チベットのEPAS1変異)や免疫関連遺伝子、脂質代謝・皮膚・毛髪・睡眠リズムなどで機能的影響が示唆される例もあります。つまり、旧人と新人は完全な交代ではなく、接触と交雑を通じた「絡み合いの歴史」を共有しているのです。

では、なぜネアンデルタール人など多くの旧人集団は消えたのか。単一の決定因を特定することは困難ですが、(1)気候変動による生態系の急変(更新世後期の寒暖振幅)、(2)人口規模の小ささと遺伝的浮動、(3)現生人類の拡散による資源競合・疾病波及・技術拡散の速度差、(4)社会ネットワークの密度や交易圏の広がりの違い、などが重なったと考えられます。現生人類は、長距離の道具・情報の移転、象徴的交換(装飾品・儀礼)のネットワークをより広域に築き、人口密度の優位を持ちやすかった可能性があります。旧人も高度な適応力を示しましたが、複合的圧力の下で、地域ごとに姿を消していきました。

地域差について留意すべき点は、いわゆる「旧人」の代表格はユーラシア西部(ヨーロッパ~西アジア・中央アジア)に偏って知られていることです。東アジアでは、ネアンデルタール化石の確実な出土は限られ、デニソワ系統や他のアーキック・ヒトの存在が遺伝学で補われています。日本列島について言えば、更新世後期の確実な人骨は新人(現生人類)に属し、いわゆる「旧人」に分類される化石は確認されていません(沖縄の山下町第一洞人、港川人、静岡の浜北人などはいずれも現生人類の早い段階の資料と理解されます)。

最後に用語の注意です。「旧人」は現代の国際学術用語ではなく、教科書や歴史叙述の便宜上のカテゴリーにすぎません。学術的な議論では、具体的な学名(ネアンデルタール人、ハイデルベルク人など)や、地層・年代・石器文化の名称(ムステリアンなど)で説明するのが望ましいです。試験や文章で「旧人」と書くときは、何を指すかを一言補って用いると、誤解が減ります。

総じて、「旧人」という言葉は、人類史の中期に現れた多様な〈古いタイプのヒト〉を大づかみに示す日本語の便宜カテゴリーです。実際の歴史は、複数の系統が広い大陸で出会い、別れ、交雑し、ときに消え、ときに遺伝子や技術のかたちで痕跡を残す、網目状のプロセスでした。石片に刻まれた微細な打痕、骨に残る傷痕、洞窟の灰の層、DNAの配列――それらをつなぎ合わせることで、私たちは「旧人」の暮らしと心に少しずつ近づいています。大枠をつかむには、ネアンデルタール人を中心に、石器技術・生活痕・埋葬と象徴・遺伝的交雑という四つの柱を押さえ、地域と年代ごとの差を意識することが肝心です。そうすれば、「旧人」という語が指し示す曖昧さを越えて、更新世人類の豊かな実像が立ち上がってくるはずです。