グルジア人 – 世界史用語集

グルジア人(現在の自称はサカルトヴェロの人=ジョージア人)は、南コーカサスに居住するカルトヴェリ語族(ジョージア語系)を話す人びとで、古代から現代に至るまで、山岳と海・草原の結節点に独自の社会と文化を育んできた民族です。自称は「カルトヴェリ(Kartveli)」、国名は「サカルトヴェロ(Sakartvelo)」で、国際言語ではGeorgia、かつての日本語慣用では「グルジア」、現在の公的表記は「ジョージア」です。彼らは東方正教会系(ジョージア正教会)を精神的支柱としつつ、古代コルキス・イベリア(カルトリ)王国、中世のバグラティオニ朝の統合と黄金期、オスマン・イラン勢力との狭間での生存戦略、ロシア帝国編入・ソ連期を経た独立と再建という長い履歴を持ちます。ジョージア語の固有文字、石造聖堂の交差円蓋、三声ポリフォニー、クヴェヴリ(甕)醸造のワイン、スプラ(饗宴)とタマダ(司会)に象徴される歓待の規範など、地域的に特異で豊穣な文化が集合しており、コーカサスの回廊に位置する地理が、人・物・思想の往来を通じて創造性を刺激してきました。本項では、起源と言語・宗教、歴史の長い流れ、文化と社会の特徴、ディアスポラと現代の課題という観点から、グルジア人(ジョージア人)の全体像をわかりやすく整理します。

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起源・言語・宗教:カルトヴェリ語族とジョージア正教会

グルジア人の核は、印欧語やテュルク語とは別の系統に属するカルトヴェリ語族の話者で構成されます。中心言語のジョージア語(カルトゥリ/Kartuli)のほか、メグレル語(サメグレロ)、ラズ語(黒海沿岸)、スヴァン語(大コーカサス山脈の高地)などの近縁言語が共存し、歴史的には多言語状況の中で方言連続体を形づくってきました。文学と公的領域ではジョージア語が主ですが、家庭や地域共同体ではメグレル語やスヴァン語の語りが生き続け、物語・歌・祭礼のレパートリーを支えています。

文字体系は固有のアルファベットで、古体のアソムタヴルリ(円みを帯びた大文字)、修道院写本に多いヌスフリ(小型・聖俗文書向け)、現行のムヘドルリ(世俗的筆写・印刷に適した書体)の三様式が歴史的に使用されてきました。これらは書記文化と宗教儀礼、王権文書の伝統を可視化し、書芸術(カリグラフィー)と写本装飾の洗練を生みました。文字の造形と言葉への敬意は、教育とアイデンティティの中核に位置づいています。

宗教面では、4世紀前半にキリスト教が受容され、ジョージア正教会が自前の司教制・典礼・聖像文化を整えました。正教会の自立(自主管轄=自頭権)は時代により上下しますが、中世の聖地巡礼・写本制作・僧院建設は、王権と教会の協力を映し出します。山岳の僧院は教育・救貧・外交の拠点となり、修道士がギリシア語・シリア語・アルメニア語などの知識を導入して、神学と世俗学の翻訳を進めました。イスラームやユダヤ教、アルメニア使徒教会と隣接・共存する環境は、宗教的多様性への実践的知恵を育てています。

歴史の流れ:古代コルキスとイベリアから、中世の黄金期、帝国のはざまへ

古代ギリシア人の伝承に登場するコルキス(黒海東岸)と、内陸のイベリア(カルトリ)は、鉄器・金採取・葡萄栽培・交易に支えられ、アケメネス朝やヘレニズム世界・ローマ帝国と接点を持ちました。地名・王名・聖人伝は、地中海とイラン世界の接触を映し、古い王統の伝承は政治正統性の資源として用いられます。7世紀以降は、サーサーン朝・ビザンツ・アラブの競合の舞台となり、地方貴族(エリストアヴィ)が割拠しつつ、教会組織と在地勢力の調整で秩序を保ちました。

10~12世紀、バグラティオニ朝のもとで統合が進み、ダヴィド建設王(ダヴィト4世)やタマーラ女王(12世紀末~13世紀初頭)の治世に「黄金期」を迎えます。クタイシのバグラティ聖堂、ムツヘタのスヴェティツホヴェリ大聖堂、ジュヴァリ聖堂、ゲラティ修道院などの石造建築と壁画、学芸院の活動は、この時代の豊饒を象徴します。詩人ショタ・ルスタヴェリの『豹皮の騎士』は、王権・友情・愛・旅を主題にした民族叙事詩として、後世の文学と倫理観に巨大な影響を与えました。

モンゴルの進入後は地域分裂が深まり、14~18世紀は、オスマン帝国とイラン(サファヴィー朝・カジャール朝)の圧力のもと、カルトリ・カヘティ・イメレティなど諸王国・公国が生存を図ります。軍事動員と人身収奪の脅威が続いた一方、ペルシア文化の装飾・宮廷儀礼、オスマン海商の技術、アルメニア商人の交易網などが流入し、文化は相互影響を受けながら変容しました。18世紀末、東部王国はロシア帝国に保護を求め、1801年にバグラティオニ朝東部領(カルトリ=カヘティ)は併合され、19世紀にかけて西部も編入されます。

帝政ロシア下では、山岳の自治や在地貴族の特権は徐々に再編され、軍役・土地制度・税制・教育が帝国標準へ整えられました。他方で、国民的再生運動(イルイヤ)や語学・民族誌の近代的学知が芽生え、都市の印刷・新聞・劇場が公共圏の核となります。1918年には短命ながらジョージア民主共和国が樹立され、1921年に赤軍が侵入してソヴィエト化が進み、1936年にジョージア・ソビエト社会主義共和国となりました。ソ連期は工業化・都市化・教育の拡充が進む一方、政治統制と文化の規格化も経験します。ジョージア出身者としてはスターリンやベリヤの名が知られますが、これらは「ジョージア性」を単純に表すものではなく、帝国的権力構造の一部として位置づけて理解する必要があります。1991年の独立後は、政治・経済の再編に取り組み、文化遺産の保全と市場経済・観光の振興を通じて国際社会との接続を深めています。

文化と社会:文字・聖堂・ポリフォニー、ワインと饗宴、都市と山の倫理

グルジア人文化の核には、言葉・信仰・音楽・食が強く結びついています。石造聖堂建築は、十字型平面と交差円蓋、外壁の幾何学・植物文様、内陣のフレスコに特色があり、山腹や川の合流点を見下ろすように建てられて、信仰と地勢が一体化した景観を作り出します。聖像画(イコン)はビザンツ様式と在地の顔貌表現が溶け合い、巡礼路は修道院・集落・市場を結ぶ社会の大動脈でした。

音楽では、三声のポリフォニーが広く知られます。旋律・持続低音・対旋律が絡み合う歌は、地域によって旋法・装飾・掛け声が異なり、農作業・婚礼・葬送・戦い・巡礼など生活の局面に寄り添います。合唱の訓練は共同体の規律と美意識を育み、しばしば宗教歌と世俗歌が連続して歌われます。伝統舞踊は、剣術や山岳の身体性を取り入れた力強い所作が特徴で、男女の役割と緊張感の演出が舞台化されています。

食文化は、コーカサスの地形と市場の動脈を映します。パンとチーズの層がとろけるハチャプリ、肉汁たっぷりのヒンカリ(小籠包に似た餃子)、くるみとスパイスのソース(サツィヴィやバザリ)、茄子・香草・ザクロを使った前菜、クルミと葡萄の菓子チュルチヘラなど、素朴さと香り高さが共存します。食卓の中心にはワインが置かれ、土中に埋めた大甕クヴェヴリで醸す伝統的技法が継承されます。琥珀色のスキンコンタクト(いわゆるオレンジワイン)は世界的にも注目を集め、家族経営から近代ワイナリーまで多様な形態で生産が行われています。

饗宴スプラは、タマダ(祝辞の司会)がトーストを重ね、神・祖先・客・友情・平和・子らの未来などに順次杯を捧げる儀礼で、言葉と食・音楽が統合されます。スプラは単なる飲食ではなく、社会の規範を再確認し、客人を共同体に迎え入れる演出です。歓待の倫理は、危険な峠や交易路での相互扶助から生まれたものでもあり、山岳社会の生存技法が都市でも形を変えて続いています。

都市と山の関係も文化の鍵です。トビリシは硫黄温泉と峡谷の地形に根ざす首都で、路地・バルコニー・木造と石造の混在、装飾格子の影と光が、イラン・ロシア・アルメニア・ヨーロッパの意匠を折衷しています。黒海沿岸のバトゥミは茶・柑橘・近代港湾の結節点で、古典から現代建築までが混在します。山岳のスヴァネティには塔屋(コシキ)の立ち並ぶ集落があり、外敵と雪崩から人を守る防衛と共同体の象徴を兼ねました。このように、地形は建築と居住の形を規定し、文化景観の核を成します。

ディアスポラと現代:名称・多民族共存・教育・経済の課題

グルジア人は歴史的に移住と交易に長け、ロシア帝国期・ソ連期・独立後を通じて、ロシア・トルコ・欧州・北米・中東にディアスポラを形成しました。商業・学術・芸術・スポーツを通じて本国と往来し、送金・投資・文化交流で国内の近代化に寄与します。国内にもアルメニア人・アゼルバイジャン人・アッシリア人・ヤズィディなど多様な少数民族が居住し、市場・学校・宗教施設の隣接が日常の共存を支えます。言語政策は、ジョージア語の共通語としての地位を保ちながら、少数言語教育や地域放送で多言語性を担保する方向で試行錯誤が続きます。

名称について補足します。日本語では長らく「グルジア(人)」の表記が一般的でしたが、近年は当該国の要請も踏まえて「ジョージア(人)」が公的標準として広まりました。とはいえ、歴史用語としての「グルジア人」は、旧来の文献や文脈を読む際に有効で、現代の自称・公称(カルトヴェリ/サカルトヴェロ、ジョージア/ジョージア人)と併記するのが実務的です。用語の選択は政治的配慮と学術的正確性の両立が求められます。

教育・経済の面では、山地と谷の交通・通信インフラ、観光と文化産業の持続可能性、農業(葡萄・果樹・畜産)と中小製造業の連携、IT・クリエイティブ産業の育成が論点です。高等教育は欧州との単位互換や留学の回路を強め、考古・建築・音楽・言語といった人文学の強みを観光・都市再生に生かす動きが見られます。近代史の痛点や地域紛争の記憶に対しては、文化遺産の保護・記憶の継承・対話の場づくりが社会統合の鍵となります。

最後に、文化遺産の国際的評価に触れます。ジョージアの三声ポリフォニーやクヴェヴリ醸造は無形文化遺産として高く評価され、ムツヘタの歴史的建造物群、ゲラティ修道院、上スヴァネティの集落群などは世界遺産に登録されています。これらは単なる観光資源ではなく、文字・信仰・音楽・食・建築が結びついた生活世界そのものの可視化です。グルジア人の自己像は、山と海、東と西、古典と現代の交差点に立つ「橋」のメタファーで語られがちですが、その比喩は地域の歴史経験に裏打ちされています。

総じて、グルジア人(ジョージア人)は、地理の厳しさと豊かさを創造力に変えてきた民族です。言葉と文字、聖堂と歌、ワインと饗宴、都市と山岳の倫理—それらを束ねることで、彼らは幾度もの外圧と内なる変容をしなやかに乗り越えてきました。コーカサスという「通り道」であり「隘路」でもある環境は、彼らに開放と防衛、歓待と誇りの両義を教え続けています。今日の課題に向き合う基礎体力は、長い時間のなかで培われた文化の厚みにあります。その厚みを読み解くことが、グルジア人という用語の背後にある世界を理解する最短の道なのです。