クルド人は、西アジアの山岳帯(トルコ南東部、イラク北部、イラン西部・北西部、シリア北・北東部、アルメニア南部など)を中心に居住するイラン系言語を話す人々の総称です。しばしば「国家なき最大の民族」と呼ばれますが、その像は単純ではありません。部族・宗派・言語方言の多様性が重なり、帝国の周縁と国民国家の境界にまたがって生きてきた歴史が、地域ごとの政治経験を大きく分けてきました。オスマンとサファヴィーの狭間での自律、列強の分割と国境確定、20世紀の同化政策と反乱、冷戦後の自治・準国家的体制の形成、対テロ戦と国際連携、ディアスポラの拡大など、論点は広いです。本項では、起源・言語・宗教と分布、歴史の長い流れ、現代政治(トルコ・イラク・シリア・イラン別)の整理、文化・社会・ディアスポラという観点から、クルド人を過不足なく理解できるように解説します。
起源・言語・宗教・分布:イラン系言語と山岳の地政
クルド人の起源は、古代メディア人に結びつける伝承が流布しますが、学術的には、イラン系諸集団が古代~中世にかけてコーカサス南縁からザグロス山脈・トーラス山脈に広く定着し、遊牧・半農半牧・山間農耕を営む諸部族・諸共同体の集合として形成されたとみるのが妥当です。言語はインド=ヨーロッパ語族イラン語派に属し、主に北クルド語(クルマンジー)、中部クルド語(ソラニー)が広く、ほかにゾザ系(ザザキ/ディミリ)やゴラニ(アワラーニー)などが近縁の位置を占めます。文字は地域によりアラビア文字改良体(ソラニー圏)やラテン文字(トルコ・シリアのクルマンジー圏)が用いられ、ソ連継承地域ではキリル文字史もあります。
宗教は大半がスンナ派イスラーム(シャーフィイー学派が優越)ですが、アレヴィー(アレヴィ派)やヤズィーディー(ヤズィディズム)、シーア派クルド、スーフィー教団(ナクシュバンディー、カーディリー等)の強い影響を受けた地域も多く、宗派の多様性が社会構造と政治動員の様式に影響してきました。部族(アシュイレット)と都市住民、農牧と商工の分化、教育水準とディアスポラ経験の差など、内部の異質性は大きい点に留意が必要です。人口は推計で3,000万~4,000万人。最大居住国はトルコ、次いでイラン・イラク・シリアで、ディアスポラはドイツ、フランス、スウェーデン、オランダ、ロシア、アルメニア、レバノンなどに広がります。
歴史の概観:帝国の縁辺から、国民国家と少数者の時代へ
中世~近世のクルドは、ビザンツとイスラーム世界、のちのオスマン帝国とサファヴィー朝の境界にまたがる山岳勢力として、しばしば半自律のベイリク(小領)や首長国を営みました。サラーフッディーン(サラディン)が率いたアイユーブ朝(12~13世紀)はクルド系の出自で知られますが、広域帝国の中で「クルド性」が国家統治の唯一の根拠となったわけではありません。オスマン—サファヴィー間の長期抗争(16~17世紀)では、国境地帯の緩衝としてクルドの首長が活用され、自治や特権を条件に徴税・軍役を担いました。
19世紀、近代国家の中央集権化が進むと、部族自律への圧力が強まり、シェイフ・ウバイドゥッラー(1880年代)の蜂起などが起こります。第一次世界大戦とオスマン崩壊は、クルドの将来に決定的な影響を及ぼしました。セーヴル条約(1920)はクルドの自治・独立の可能性を含む条項を持ちましたが、トルコ独立戦争の勝利とローザンヌ条約(1923)により、トルコ共和国・イラク(英委任統治)・シリア(仏委任統治)・イランに分割・編入され、国境を越える一体的政治単位の形成は阻まれます。以後、各国の国民統合政策(言語・教育・行政・軍事)に対して、同化・抵抗・協働の多様な対応が生まれました。
トルコ共和国では、1920~30年代にジュムフリエト体制への反乱(シェイク・サイード蜂起、アララト反乱、デールスィム〔デルシム〕事件)などが鎮圧され、言語・地名・文化表象の抑圧が続きました。イランでは、パフラヴィー朝の中央集権化の中で部族の武装解除が進み、第二次大戦中の権力空白を突いてマハーバード共和国(1946)が短期間存在しますが、ソ連撤退後に崩壊します。イラクでは、王政期からクルド民族運動が台頭し、バルザーニー家を中心とする蜂起と政府との取引が繰り返され、バアス党期には苛烈な弾圧(アンファール作戦、1988年ハラブジャ化学兵器攻撃)を被りました。シリアでも、国籍剥奪や土地政策などによる周縁化が課題化します。
現代政治:トルコ・イラク・シリア・イランの四つの位相
【トルコ】1984年、クルディスタン労働者党(PKK)が武装闘争を本格化すると、トルコ南東で長期の内紛が始まりました。国家非常事態(OHAL)体制、村守備隊、越境作戦、都市部での衝突などが続き、双方に多数の犠牲者が出ます。2000年代にはEU加盟交渉の文脈で文化権・言語政策の限定的緩和が試みられ、2013年には停戦・和平プロセスが始まりましたが、2015年以降に破綻し、再び強硬化が進みました。政治面では、地方政党から発展したHDP(後継の左派・クルド系連合)が議会に影響力を持つ一方、治安・司法の締め付けも強まり、自治体長の更迭・代執行など中央—地方の緊張が続いています。
【イラク】1991年の湾岸戦争後、北部で飛行禁止空域が設定され、事実上の自治が始まりました。2005年憲法でクルディスタン地域政府(KRG)の自治が公式化され、アルビールを中心に議会・政府・治安(ペシュメルガ)・司法を備える準国家的体制が成立します。2014年のIS台頭に対して、KRGは国際連合・欧米・地域諸国と連携して前線を担い、難民・国内避難民を受け入れました。2017年には独立住民投票を強行し、多数の賛成を得たものの、中央政府との対立が激化し、キルクークなど係争地の支配を喪失する逆風も経験しました。現在は石油輸出・予算配分・治安権限・係争地の共有統治など、バグダードとの交渉が政治の軸です。内部ではKDPとPUKの二大勢力の協調と競合、部族・企業・ディアスポラとのネットワークが政治・経済の意思決定に影響します。
【シリア】2011年以降の内戦の中で、PYD(民主統一党)とその軍事組織YPG/YPJが、北・北東部の「ロジャヴァ」と呼ばれる地域で自治行政(のちにシリア民主評議会/SDFの政治枠)を整備しました。ISとの戦闘で国際的支援を受け、地方評議会、ジェンダー平等規範、コミューン型行政、クルド語教育、アラブ・アッシリア系との協治などを掲げる社会モデルを試みています。他方、トルコは国境地帯への安全保障上の懸念から越境軍事行動を実施し、米露・ダマスカスとの多層的な駆け引きが続きます。自治体制の持続性は、国際関係と資源・治安のバランスに大きく依存しています。
【イラン】クルド系の政治組織(KDPI、コマラなど)は、王制末期からイスラム革命後にかけて自治・権利を求めて活動し、武力衝突も経験しました。2000年代以降は散発的衝突と政治活動の両面で揺れ、越境拠点やディアスポラが重要性を増します。2022年には、イラン北西部の若いクルド系女性マフサ(ジーナ)・アミニの死亡が全国的抗議の引き金となり、クルド地域は抗議と治安部隊の衝突の焦点の一つになりました。イランのクルドは、国境を越えるネットワークと国内政治の制約の間で、慎重な活動を強いられています。
文化・社会・経済・ディアスポラ:多声の共同体
クルド文化は、山岳の生活と市場都市の文化が交差して発展しました。口承詩と歌謡(デンベジ/dengbêj)、二弦楽器テンブールやズルナ・ダフの合奏、円舞ハライン(ゴヴェンド)、春分の祝祭ネウロズ(ニューロズ)は、地域を越えるレパートリーです。衣装は色彩豊かで、女性のスパンコールや頭飾り、男性のシャルワール(幅のあるズボン)と腰帯が象徴的です。婚姻・葬送・仲裁の慣行には、部族・宗派・村落の規範が影響します。都市化と教育の拡大は、家庭規範やジェンダー役割を変容させ、とりわけ近年は女性の政治参加や武装組織への参画(YPJ等)が国内外の注目を浴びました。もっとも、ジェンダー平等の達成度は地域差が大きく、保守と改革の緊張が続いています。
経済は、イラク・クルディスタンでは石油・ガスと建設・小売・観光が牽引し、インフラと教育投資が続きます。農牧・畜産・果樹(ザクロ、ぶどう、イチジクなど)、中小工業、越境貿易は各地の基盤ですが、国境・関税・治安・水資源の制約に敏感です。トルコ・イランの山岳辺境では、季節移牧と越境商い(合法・非合法の灰色地帯を含む)が生活に不可欠であり、取り締まり・密輸・安全保障が住民の脆弱性を高める側面もあります。
ディアスポラは、ドイツ・フランス・オランダ・スウェーデンなどに大規模に存在し、労働市場・中小企業・文化産業・メディアを介して本国と往復します。欧州の公共圏では、人権・文化権・治安をめぐる議論の主体ともなり、トルコ・シリア情勢と国内政治の波及を受けます。アルメニアやジョージア、レバノンなど、歴史的に移住の古い地域では、ヤズィーディー共同体やアルメニア=クルド関係の歴史が今日の共存にも影響しています。
宗教少数派ヤズィーディーは、天使マラク・タウースへの崇敬や転生観などを特色とする霊性伝統を保持し、2014年以降のISによる迫害は国際社会に深い衝撃を与えました。ヤズィーディーの救援・帰還・証言は、ジェノサイド認定や国際司法の課題と直結しています。アレヴィーやスーフィー教団の儀礼は、詩歌・音楽・共同食(ジェム)を通じて共同体の結束を支え、宗派間の緊張を緩和する文化的緩衝材にもなってきました。
まとめ:境界に住まい、境界を編む
クルド人の歴史は、境界に住まう共同体が、帝国—国民国家—国際秩序の各段階で自らの居場所を編み直してきた過程でした。言語・宗派・部族の多様性は、しばしば政治的分断の要因にもなりましたが、同時に適応の柔軟性と文化創造の源でもありました。国境を越えるネットワークと、各国の国内政治に組み込まれる現実の両方を見据えること—この二重視点が、クルドを理解する鍵です。現在も、自治と主権、治安と権利、資源と環境、伝統と変容のバランスが問われています。山の稜線のように鋭く、谷の川筋のように粘り強い—クルドの時間は、その重層性ゆえに単線的な物語に収まりません。地域ごとの事情を丁寧に読み分けながら、全体像の中に位置づける視力が求められます。

