祆教 – 世界史用語集

祆教(けんきょう、Zoroastrianism/アヴェスター語ではマズダヤスナ=「マズダー崇拝」)は、古代イランに成立した預言者ザラスシュトラ(ギリシア語形ゾロアスター)の教えに由来する宗教です。善なる至高神アフラ・マズダーを中心に、宇宙規模の善悪二元の葛藤、個人の倫理責任、火と清浄の重視、終末と救済の希望を柱とします。アケメネス朝・ササン朝期を通じてイラン世界の精神的基盤となり、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの終末論や天使観、悪魔観に影響を与えました。中央アジアを経て中国にも伝わり、唐代には「祆教(けんきょう)」として外来宗教の一つに数えられ、ソグド人の共同体と結びついて都市交易の宗教的支えともなりました。現在はイランやインド(パールシー)を中心に少数派として存続し、ナウルーズ(春分の新年)や「善思・善言・善行」の倫理標語で知られています。以下では、起源と教義、聖典と儀礼、歴史的展開と対外影響、東方伝播と中国での受容、近現代の動向を整理します。

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起源と教義:ザラスシュトラの改革、善悪二元と倫理責任

伝承上、ザラスシュトラはイラン高原の牧畜社会に生まれ、従来の多神的祭祀を批判して、至高神アフラ・マズダーへの専心と倫理的内面化を説いたとされます。年代には諸説ありますが、前2千年紀末から前6世紀のいずれかに位置づけられます。彼の詩篇「ガーサー」はアヴェスターの最古層で、神に選ばれた者=人間の自由な選択を強調し、世界は善(アシャ=真理・秩序)と悪(ドルジ=虚偽・混沌)の闘争の場だと説きます。中心教義は、①善なるアフラ・マズダー(「知恵の主」)への崇敬、②悪の破壊的原理アンラ・マンユ(アフラ・マズダーに敵対する破壊霊)との対立、③六つのアメシャ・スプンタ(善なる不死の霊:善思・真理・徳性・王権・全創造・不死性などの擬人化)や多数のヤザタ(崇拝される存在)による秩序の支援、④人間の倫理選択と行為の責任、⑤終末における総決算(最後の審判)です。

倫理のモットーは「善き思い・善き言葉・善き行い(アヴェスター語でフマタ・フフタ・フヴァルシュタ)」です。汚穢(とくに腐敗する死体や不浄物)を忌避して清浄を保つこと、火・水・土・風を汚さないこと、契約を守り、嘘をつかず、共同体に有益であることが重視されました。宇宙論では、創造から終末までをおよそ一万二千年の区分で捉える伝統がササン朝以降の文献に整理され、最後に救済者サオシヤンスが現れて死者は復活し、溶けた金属の河で浄化され、世界は刷新(フラショケレティ)されると説かれます。死後、魂はチンヴァト橋(判別の橋)を渡り、行為に応じて楽園・中間・地獄に赴くという想像力も広く共有されました。

聖典・司祭・儀礼:アヴェスターとパフラヴィー文献、火殿と清浄の実践

聖典アヴェスターは、最古層の「ガーサー」(ザラスシュトラ自身による詩篇)を核に、「ヤスナ」(献祭儀礼の朗唱文)、「ヴィスプ・ラト」(補助祈祷)、「ヤシュト」(各神格への讃歌)、「ヴェンディーダード」(清浄法・禁忌・法規)などで構成されます。ササン朝期には経典の編集・注釈が進み、イラン中部の中世イラン語(パフラヴィー語)で書かれた『デーンカルド』『ブンダヒシュン』などが神学と宇宙誌を体系化しました。

司祭階層は古来「マギ(magu)」に遡り、後世のモーベド(祭司)、ダストゥール(高位祭司)らが祭祀と法規の運用を担います。儀礼の中心は「ヤスナ(献供)」で、聖火の前でアヴェスターを詠唱し、神酒ハオマを調合・奉献します。火は神格化された対象ではなく、真理の光・神の智慧の象徴であり、火そのものの清浄を保持するために、火殿(アタシュ・ベーラーム=最高級の火、アダラーン、ダードガーの三段階)では厳格な管理が行われます。信徒は白い綿の下着スードレ(清浄の衣)と、腰紐クシュティ(72本の糸=聖句の象徴)を着け、日に数度の祈りのたびに結び直して誓いを新たにします。

埋葬習俗では、古代から「清浄の保持」が徹底され、死体という不浄を土や火や水に触れさせないため、鳥葬(ダフマ=「沈黙の塔」)に載せて自然還元する方式が広がりました。地域によっては土葬・火葬へ転じた時代や、国家法の制約下で改変された例もありますが、基本には四元素の汚染回避という理念があります。食と動物倫理にも関心が払われ、動物の無益な殺害や害獣の区別、不浄物の扱いなど、日常規範が細かく定められました。

歴史的展開:アケメネス朝からササン朝、イスラーム期の変容とディアスポラ

アケメネス朝の王はしばしばアフラ・マズダーへの信仰を銘文に掲げ、王権の正統化に用いました。ダレイオスとクセルクセスの碑文には、嘘(ドラウガ)を憎み真理(アルタ/アシャ)を称揚する語りがあり、行幸・治水・道路網の整備は秩序の維持として描かれます。もっとも、この時期は王が多民族帝国の統治上、在地の神々や祭祀を併存させる寛容政策を採り、厳格な一神教というより「マズダー崇拝を中心とする多神的世界」の色彩が濃厚でした。

ササン朝(3~7世紀)は祆教を国家宗教として制度化し、祭司階層の組織化、神学の整序、法の整備、暦の統一を進めました。王権は火殿の後援者として自らの神聖性を演出し、シンボルとして翼ある円盤(しばしば「ファラヴァハル」と呼ばれる守護霊の紋章)や王の戴冠儀礼が確立します。他方で、内部には時間を神格化して世界を決するというズルワーン主義などの異説も生まれ、正統派との緊張が走りました。対外的には、ローマ帝国・ビザンツとの抗争の中で、国境地帯のキリスト教徒・ユダヤ教徒・マニ教徒の扱いがしばしば政治化され、時に迫害・時に容認という揺らぎを見せます。

7世紀半ばのイスラーム征服は、祆教共同体の歴史に大転機をもたらしました。ジズヤを支払う被保護民(ズィンミー)として教団は存続を許されたものの、土地税と改宗圧力、アラビア語—ペルシア語の行政変化、法の優位の転換により、信徒は徐々に減少します。こうした中、イラン南岸からインド西岸(グジャラート)へ移住した祆教徒が「パールシー(ペルシアの人)」と呼ばれ、交易と工業で台頭しました。彼らは『サンジャーン伝承(Qissa-i Sanjan)』に祖先の航海と受け入れの物語を残し、英領期のインドで慈善事業・教育・企業経営を通じて大きな社会的影響力を持ちます。イラン本土でも、近代に入って立憲運動や文化復興の中で祆教は民族遺産として再評価され、火殿の保護や祭祀の近代化が進みました。

隣接宗教への影響:天使・悪魔・終末、倫理標語の波及

祆教の影響は、ユダヤ教後期文書の中に天使階層や悪魔、終末の審判、死者の復活、世界刷新の観念として見いだされます。捕囚帰還後のユダヤ共同体はペルシア帝国の庇護下で再建され、祭司制度・律法中心の生活とともに、宇宙的善悪の戦いの表象を豊かにしました。キリスト教では最終審判や復活、天使の軍勢、悪の首領との対決が展開され、イスラームにも天使ジブリール、最後の審判、橋(シラート)などのモチーフが見られます。もちろん、これらは直接的継承というより、イラン—メソポタミア—レバントの文化的接触圏における相互影響の結果と捉えるのが適切です。

倫理標語「善思・善言・善行」は、近代以降の合理主義や教育言説とも響き合い、宗教間対話のスローガンとして受容されました。火を神としてではなく「真理の光」として敬う姿勢、自然諸元素の汚染回避、契約を重んじる法意識は、商業倫理にも適合し、パールシーの企業家精神の背景として語られます。

東方への伝播と中国での受容:「祆教」とソグド人、唐の都市宗教

シルクロードの担い手であるソグド人は、交易とともに祆教を東方へ伝えました。北朝・隋唐期、中国では祆教が「祆(けん)」「胡天」「火祆」と呼ばれ、長安・洛陽・敦煌・高昌・亀茲などに祆祠(火殿)が建てられました。唐王朝は外来宗教に比較的寛容で、「三夷教」や「九流」の一つとして祆教を保護・統制し、儀礼は主に胡人(ソグド人・パルティア人など)の共同体内で営まれました。壁画や墓誌には、火壇・祭司・神酒・翼ある紋章など祆教的意匠が描かれ、葬儀や祖先祭祀の折衷も見られます。

祆教は唐中期の会昌の廃仏(845)に連座して一時的な打撃を受け、のち多くはイスラームや漢地宗教に吸収されましたが、用語や意匠、祭祀の断片は散発的に残りました。「祆」という字は「天(てん)」の偏と同源的に理解され、火・光・天の神格を表す漢字文化圏での受容の工夫の一例です。宋以降になると、祆教は歴史上の「外来宗教」として文献に現れる程度となります。

暦と祭礼・象徴と美術:ナウルーズ、ファラヴァハル、火と幾何学

祆教徒は古来、太陽暦に基づく祭礼を重んじ、春分の新年ナウルーズ(ノウルーズ)を盛大に祝います。年末のハムスパスマイディヤ祭では先祖の霊を迎え、清掃と灯火で家を整えます。祭壇には七種の「善きもの(七つのS=セブ・サイン)」(芽生え、パン、果実、香草、酢、ガラス、コインなど地域差あり)が置かれ、再生と繁栄の象徴を共有します。

象徴図像では、翼を持つ円盤に人の上半身が重なる「ファラヴァハル」が広く用いられます。これは個人の守護霊(フラヴァシ)の象徴とされ、王権や共同体のアイデンティティにも重ねられました。火殿の建築は通常、外から内部の火が直接見えないよう、中庭と複数の廊を介して聖域を守る構成になり、内部には真鍮・銅の火鉢と幾何学的装飾、火の煤を避ける換気が工夫されます。写本装飾や金工には星・翼・火炎・ロゼットなどの意匠が反復し、光と秩序の美学が視覚化されます。

近現代:共同体の縮小と再生、ディアスポラのネットワーク

近代に入り、国家形成の進展、移民、都市化、宗教政策の変化により、祆教共同体は数的には縮小しましたが、教育水準の高さと社会貢献で存在感を保ちました。インドのパールシーは造船・綿工業・銀行・慈善で地域社会を牽引し、大学・病院・劇場などの施設に寄付を行いました。イラン本土でも、近代化と立憲運動の中で宗教的寛容が議論され、火殿の修復や文化財の保護が進みました。20世紀以降、北米・欧州・中東・東南アジアへの移住が増え、ディアスポラは国際的な宗教会議や青年ネットワーク、デジタル情報発信を通じて教義と習俗の継承を模索しています。

教義面では、混合婚・改宗の可否、伝統儀礼の厳格度、女性司祭の是非など、共同体内部で議論が続いています。各地の評議会は地域の法制度と折り合いを付けながら、伝統の維持と開放のバランスを探っています。衣食住や葬送の実践も、環境規制や衛生法、都市住宅事情に適応する形で変容し、たとえばダフマの代替として、棺内の防腐・衛生措置を整えた土葬・石棺葬などが選ばれる例が増えています。

学術的論点:二元論の性格、年代論、比較宗教史での位置

祆教はしばしば「二元論の宗教」と要約されますが、その内実には幅があります。最古層のガーサーでは道徳的二元(選択の自由に基づく善悪)が前面に出るのに対し、後代文献では宇宙論的二元(アンラ・マンユの実体性)が強調される傾向があります。ズルワーン主義はさらに時間の原理を導入し、正統派との差異を生みました。こうした多層性を踏まえると、祆教は固定的教義よりも、長い歴史の中での「編集」と「再解釈」の連鎖として理解するのが適切です。

年代論については、ザラスシュトラの実年代、アヴェスターの編纂段階、パフラヴィー文献の成立背景など、言語学・考古学・文献学の知見が交差します。比較宗教史においては、祆教がユダヤ—キリスト教—イスラームと相互参照しつつ、古代メソポタミアの神話やインド・イラン共通遺産(アーリヤ系神話)と絡み合っていることが重視されます。

まとめ:光と秩序を希求する古代イランの遺産

祆教は、火と光、真理と秩序を重んじる古代イランの精神世界を今日に伝える宗教です。善悪の選択を各人の責任として引き受け、社会全体の清浄と契約の信頼を守ることを求める教えは、帝国統治の理念から個人の日常まで深く浸透しました。シルクロードの往還を通じて中国に祆祠が建ち、ユダヤ—キリスト教—イスラームの終末論に響きを与え、近代のパールシーが都市の近代化に寄与したように、祆教は常に他者と接触する場で自らを再編してきました。少数派となった現在も、ナウルーズの火や「善思・善言・善行」の誓いは、光と秩序の倫理を静かに語り続けています。祆教を学ぶことは、宗教がいかにして倫理・国家・交易・芸術と結びつき、時代ごとに再解釈されるかを理解する鍵となるのです。