言語の使用 – 世界史用語集

「言語の使用」とは、人々が社会・政治・経済・宗教・文化の諸活動において、どの言語を、どの場面で、どのような規範や力関係に従って話し・書き・記録し・教育し・統治してきたかを指す広い概念です。言語は単なる意思疎通の道具ではなく、身分や地域、宗教や国家アイデンティティを可視化し、支配や抵抗の回路として機能してきました。帝国はしばしば行政と軍事の効率のために共通語を整備し、商人は交易のためのリンガ・フランカを磨き、宗教は経典の言語と儀礼の言語を分有し、民衆は日常語で歌や物語を紡ぎました。歴史を通観すると、言語使用は常に多層で可変的であり、複数言語が役割分担(高位語/低位語、口語/文語、都市語/辺境語)をしながら共存してきたことが分かります。以下では、(1)言語使用の基本枠組み、(2)帝国と国家の言語政策、(3)宗教・交易とリンガ・フランカ、(4)近現代の標準化・国語化・権利という四つの視点から整理します。

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言語使用の基本枠組み:多言語状況・ディグロシア・文字と媒体

歴史社会の多くは多言語状況でした。都市と農村、宮廷と市場、宗教儀礼と家庭談話、法廷と歌謡では、選ばれる言語や文体が異なるのが普通でした。古代メソポタミアでは、シュメル語の宗教・学術的地位と、アッカド語の行政・通用的地位が並立し、碑文や粘土板に両言語が併記されました。古代エジプトでもヒエログリフ・ヒエラティック・デモティックの文体差が実務の分野に対応しました。こうした役割分担は、同一言語内でも生じ、典礼・学芸・法の「高変種」と、日常の「低変種」が共存するディグロシア(diglossia)として観察されます。

文字と媒体の選択は、言語使用の射程を決定づけます。アルファベットや音節文字、表語文字の採択は、行政記録や学術伝承の速度・正確さ・普及範囲に影響しました。紙と印刷術の普及は、書き言葉の標準化と読者共同体の形成を促し、宗教改革や民族運動の基盤を支えました。碑文・巻物・写本・活字・新聞・ラジオ・テレビ・デジタル媒体は、それぞれ言語の権威と到達範囲を変え、口承文化と書記文化の関係を編み替えました。

権力との関係も重要です。言語は税の徴収、法の公布、軍令の伝達に不可欠で、統治者は通訳・書記・学校・寺院・印刷所を通じて言語空間を管理しました。他方、民衆は歌・諺・戯曲・落書き・手紙で権力を揶揄し、地下出版や方言文学で公的言説の外側に声を作りました。言語使用は、上からの強制と下からの創造のせめぎ合いとして理解されます。

帝国・国家とことば:公用語・標準語・同化と多言語統治

帝国は広域統治のために共通言語を必要としました。アケメネス朝はアラム語を実務の通用語として用い、勅令や帳簿を広域で共有しました。ヘレニズム期のコイネー・ギリシア語、ローマ帝国のラテン語は、法・軍事・商業の標準となり、地方語に影響を与えました。イスラーム帝国ではアラビア語が宗教と学術の中心言語となる一方、ペルシア語が行政・文学の高位語として東方で広く使用され、トルコ語系の宮廷語と複合しました。東アジアでは、古典中国語(文言)が朝貢圏の公文語となり、朝鮮・日本・ベトナムの知識人は漢文の素養を共有しました。

中世のヨーロッパでは、ラテン語が教会・学問の共通語でしたが、各地で俗語(ヴァナキュラー)が台頭します。ダンテは『神曲』をトスカナ語で書き、ルターは聖書をドイツ語に訳して広範な読者を得ました。印刷術は綴りや語彙の標準化を進め、国語の輪郭を整えました。近世以降、国民国家の形成は学校・徴兵・官僚制を通じて標準語を普及させ、方言や少数言語を圧迫することが多くなります。フランスの言語政策、イタリアのトスカナ化、イギリスの「標準英語」の規範化、スペイン語・ポルトガル語の海外拡張は、その典型例です。

ただし、全てが同化ではありません。オーストリア=ハンガリー帝国は多言語議会と官僚制を試み、インドでは英領期に英語が行政・高等教育の言語となる一方、独立後は多数の公用語を認め州境を言語線に沿って引き直しました。カナダの英仏二言語、スイスの四言語、EUの多言語主義は、複数言語の共存を制度化する試みです。ソビエト連邦のコレニザーツィヤ(現地化)政策と後期のロシア語優位、トルコ共和国のトルコ語改革、中国の白話運動と普通話普及、日本の国語教育と方言の再評価などは、標準化と言語多様性の緊張を象徴します。

植民地主義は、言語のヒエラルキーを世界規模で強化しました。植民地行政は宗主国語を上位に置き、教育と法を通じてエリート層を形成しました。独立後、多くの地域で旧宗主国語(英・仏・葡・西)は高等教育・外交・全国統合の実用語として残り、在来言語は地域行政や文化の領域で復権を模索します。アフリカではスワヒリ語やハウサ語、アジアではヒンディー語・インドネシア語・マレー語が広域通用語として機能し、英語やフランス語と役割分担をしています。

宗教・交易・移民の言語:経典語・巡礼・リンガ・フランカの編成

宗教は言語使用を強く規定しました。仏教はサンスクリットとプラークリット、パーリ語を通じて教義を伝え、東アジアでは漢訳が宗教言語として定着しました。ユダヤ教のヘブライ語とアラム語、キリスト教のギリシア語・ラテン語・スラヴ語(キリル化)、イスラームのアラビア語は、祈りと学問の共同体を言語で結束させました。巡礼路と修道院・寺院・マドラサは、読み書きと言語習得の拠点であり、標準的文体を蓄積する「書き言葉のインフラ」でした。

交易はリンガ・フランカを生みます。地中海ではギリシア語と後にイタリア商人の言語、インド洋ではアラビア語・ペルシア語・スワヒリ語・マレー語が、東アジアの海域では福建系の閩南語や港市のピジンが、跨地域のネットワークを結びました。ユーラシアの陸路では、テュルク語群やモンゴル語が「宿駅語」として使われ、契約や関税、為替の用語が各地に広がりました。こうした言語は、語彙と表現に商業実務の痕跡(度量衡、価格、信用、航海術)を刻みました。

移民とディアスポラは、多言語使用の新しい場を作ります。ユダヤ人のラディーノ語・イディッシュ語、華人の南方方言ネットワーク、インド系移民の英語・ヒンディー語・タミル語の併用、アラブ系移民のアラビア語と受入国語の併用、南北アメリカのスペイン語・ポルトガル語・先住民語の接触など、家庭・商店・教会・学校の間でコードスイッチングが日常化しました。都市の言語景観(看板・放送・行政文書の多言語表示)は、その縮図です。

一方で、言語接触はクレオールやピジンの形成を促し、新しいアイデンティティの旗となりました。ハイチ・クレオール、パプア諸地域のトク・ピシン、アフロ・ルシタニア世界のクレオール群などがその例で、音韻・語彙・文法の混交と、社会的自尊の回復が並行して進みました。

近現代の展開:標準化・教育・権利、そしてデジタル時代の多言語

近代国家は学校制度を介して言語を普及させます。教科書・教員養成・国語試験は、単一の標準語の威信を高め、方言・少数言語の地位を相対化しました。識字率の上昇は政治参加と経済発展を促した一方、文化の均質化や言語多様性の喪失を招くこともありました。言語の保護は20世紀後半に国際的課題となり、言語権・バイリンガル教育・少数言語メディアの整備が進められました。地名・人名・司法・医療・行政サービスにおける多言語対応は、移民社会の統合に不可欠な基盤です。

標準化と国語化の運動は、文字改革や語彙政策と結びつきます。トルコ語のラテン化、ベトナム語のクオック・グーの普及、中国の白話運動と簡体字、日本の仮名と音訓・当用漢字の整備、ロシア革命後の諸民族語表記のラテン化・キリル化などは、教育と印刷・放送の技術条件に合わせて「読み書きのコスト」を下げる政策でした。他方、これらは旧来の書記伝統や宗教教育の地位を揺さぶり、世代間の文化継承に新しい断層を生みました。

グローバル化は、英語を中心とする国際通用語の圧倒的拡張をもたらしました。科学・航空・IT・金融の専門語は英語を回路とし、第二・第三の通用語としてフランス語・スペイン語・アラビア語・中国語・ロシア語が機能しています。大学院教育や学術出版の英語化は、研究の共有を促進する一方、地域言語での高等教育・公共議論の層を薄くする副作用も指摘されます。観光・国際会議・外食産業では、ピクトグラムとシンプル英語、機械翻訳が多言語対応の実務を変えました。

デジタル技術は、言語使用の景観を劇的に変えました。ソーシャルメディアは口語・方言・若者語を可視化し、絵文字・GIF・ミームが「非文字的言語」へと接続します。自動翻訳と音声合成は、跨言語コミュニケーションの障壁を下げる一方、コーパスに偏在する言語の優位を拡大しかねません。ユニコードの整備は多言語表記の基盤を提供しましたが、フォントや入力法、検索の最適化はなお言語間の非対称を残します。希少言語のデジタル保存(コーパス化、記録、教育アプリ)は、新しい文化保全の方法として注目されています。

現代の言語政策は、「単一の国語」か「多言語共存」かという二択ではなく、領域別の役割分担へ向かいます。たとえば、行政・司法は標準語中心、初等教育は母語を活用、高等教育・国際経済は英語や国際語を併用、文化・芸術は方言・少数言語を尊重、といった設計が各地で模索されています。言語の使用は、権利(言語権・表現の自由)と能力(リテラシー・メディア接触)を組み合わせた制度デザインの課題になっているのです。