「行(こう/háng)」は、中国の都市で商人や手工業者が作った同業者組織を指す言葉です。おおむね商人の結社を「行」、職人の結社を「作(さく)」と呼び分けるのが一般的で、北宋から清にかけて都市経済が発達するなかで大きな役割を果たしました。行は価格や取引の慣行を調整し、計量の統一、信用仲介、税の分担、治安・相互扶助まで担いました。官庁は行を通じて徴税・検査・統制を行い、ときには行の代表を介して公共工事や軍需調達を依頼しました。近世後期には広州の「十三行(公行)」のような特権商人団体も生まれ、外国貿易の独占と国家財政を支える装置ともなりました。以下では、用語と成立背景、宋・元期の展開、明清期の制度化と都市社会、そしてヨーロッパのギルドとの比較と近代への転換を整理します。
用語と成立背景:行と作、牙人・会館との関係
「行」は同業者の横断的ネットワークを意味し、とりわけ売買・流通に関わる商人の結社を指すことが多いです。これに対して、製造部門に重心をおく手工業者の同業団体は「作」と呼ばれ、染織・陶磁・金工・印刷などの職能ごとに組織されました。両者は都市の市場空間で隣り合い、しばしば連携しましたが、価格の取り決め(行規)、技能の秘伝・徒弟制度(作規)といった重点の違いがありました。
行の成立には、都市の拡大と市場の常設化、遠隔地交易の発達が背景にあります。唐末から五代、そして宋にかけて、開封・杭州・成都・広州などでは常設市場や夜市が広がり、商業税の徴収・計量検査・治安維持といった公共機能が必要になりました。行は、同業者の利害を調整し、官庁(市舶司・榷場・提挙司など)と市場のあいだで窓口となる役割を担いました。
関連する存在として「牙人(がじん)」「牙行(がこう)」がいます。牙人は仲買人・口銭商のことで、大口の売買において商品の鑑定・評価・代金回収を仲介しました。彼らは行に属しつつ独自の免許(牙帖)を持つ場合が多く、商取引の信用と履行を支えるキーパーソンでした。また、異郷の商人が居住・取引の拠点にした「会館」「公所」も重要です。会館は同郷・同業の宿泊・倉庫・祠堂・裁判の機能を備え、行や作と重なり合いながら都市社会の自治基盤を形成しました。
宋・元の展開:都市経済の『回路』をつくる
北宋期、紙幣(交子・会子)の流通や塩・茶・酒などの専売制度、海運・河川運輸の整備により、都市は巨大な消費・分配の場となりました。行は、特定の商品を扱う商人のグループとして発展し、行首(ぎょうしゅ/行の指導者)や行老などの役職を置き、官と連絡を取って税・検査・治安を分担しました。布・絹・絵画・書籍・薬材・金銀細工・香料・紙墨・陶磁など、商品の多様化に応じて行は細分化され、都市の街区は商品別の「里(〜里)」や「巷(〜巷)」として知られるようになります。
南宋期の臨安(杭州)では、行・作が都市コミュニティの骨格となり、職住が混在する細街路に店舖・工房・倉庫・会館が密集しました。市舶司を通じた海外交易(紅海・ペルシア湾・東南アジア・南シナ海)では、輸出入品の検査・関税・翻訳・貨幣交換を行が支え、外国商人と中国側の間で仲介を担いました。これにより、行は単なる同業者の寄り合いを超え、市場ルールと国際接触の運用者になりました。
元代には、モンゴル帝国の広域支配のもとで陸上と海上の大動脈が再編されます。ここで注意したいのは、「行」という言葉の多義性です。元の中央・地方行政で用いられた「行中書省(行省)」の「行」は〈臨時に出張して執務する〉意で、同業者組織の行とは由来が異なります。とはいえ、商業面では依然として行・作・牙行が大都市の経済を支え、紙幣(交鈔)・税制・国際交易の下で取引の手続と信用の仲介を継続しました。イスラーム商人や色目人の参入が増えるなかで、言語・度量衡・法慣行の調整を行が担ったことは重要です。
明清期の制度化と都市社会:統制・特権・公共性
明代には、行・作を通じた官の統制が強まりました。物価高騰や供給不足が起きると、府県は行の頭取を呼び出して価格・供給量・倉出し時期の指示を与え、違反には罰金・営業停止の処分が科されました。祭礼・治安・消防・道路維持などの都市公共事業には、行・作・会館が寄付と人足の動員で参加し、〈公共性〉と〈私益〉が交錯する空間を形づくりました。行は、徒弟の修行年限・相場表・信用状(印契)・取引証文の様式を定め、日々の紛争(未払い・欠陥・偽造)を内部の調停で処理しました。
清代には、都市と商品市場の拡大にともない、行の機能は一層多様化します。江南の絹糸・布・綿花、福建・広東の茶・砂糖、山西の金融(票号)や塩商のネットワークなど、地域特化した行が広域の流通を結びました。なかでも著名なのが、広州の「十三行(公行)」です。清朝は対外貿易を広州一港に限定し、外国商人(とくに18世紀以降のイギリス東インド会社)との取引を、指定商人団体である公行に独占させました。公行は関税・通訳・検査・滞在管理の責任を負い、外国側の債務を連帯保証し、国家の対外収入を事実上支える装置になりました。ここでは、〈国家の統制〉と〈商人団体の特権〉が結びつき、巨大利益とリスクが集中しました。
清末、自由貿易圧力の高まりと条約港の開港により、行の独占は徐々に解体されます。外国領事裁判権・関税自主権の喪失は、行を介した国家の交易管理を弱め、近代的会社法・商業登記・銀行制度が導入されると、旧来の行規は再編を迫られました。それでも、都市社会の相互扶助・教育・慈善・治安などの公共機能は会館・行会に引き継がれ、地方自治の基盤の一部として生き続けました。
都市の内部社会において、行は職能と同郷の二重の紐帯を織り上げました。異郷出身者にとって会館は居場所であり、行は仕事の入口でした。婚姻や葬送、祭礼や芝居の興行、義倉や施粥といった慈善活動は、行会・会館が主催し、都市のコミュニティを維持しました。女性や未成年の就労、徒弟の保護、不払い・暴力の抑制といった労働問題も、まずは行の内部規律が対応しました。国家の法廷は最後の手段であり、日常の紛争は「顔(メンツ)」を重んじる調停で決着するのが通例でした。
比較と近代への転換:ヨーロッパのギルド、イスラーム商人団体との相違
ヨーロッパの中世都市にもギルド(商人ギルド・同職組合)がありましたが、中国の行・作とはいくつかの違いがあります。第一に、〈官との距離〉です。ヨーロッパのギルドは都市共同体(コムーネ)の自治と結びつき、市壁内の政治参加を主張する傾向が強かったのに対し、中国の行は官の統制と徴税を受けつつ、その枠内で営業の安定と交渉力を確保する現実主義が色濃いです。第二に、〈司法の位相〉です。ヨーロッパでは都市法廷やギルド裁判が発達し、権利章典・特許状を盾に中央権力と渡り合いましたが、中国では日常紛争は行の調停に委ね、最終的には官府の裁断に従う構造でした。
イスラーム世界の商人団体(カールヴァンサライを中心とする隊商ネットワーク、スークの行会)と比べると、信用の担保方法と宗教の関与が対照的です。イスラーム商人は宗教法(シャリーア)とワクフ(信託)を背景に契約と慈善を結びつけ、裁判もカーディー法廷で行われました。中国の行は、宗教的規範よりも慣行法(行規)と官の行政裁量に依拠し、祠堂や行会所は宗教儀礼を持ちながらも、法的根拠は行政に求める傾向が強かったのです。
近代に入ると、会社形態(合名・合資・株式会社)、銀行・為替手形、商法・破産法といった制度の普及により、行の機能は法制度に吸収されていきます。価格カルテルや営業独占は反トラスト的な観点から問題視され、徒弟制・資格制限は職業教育・労働法へと再編されました。とはいえ、地場産業の同業組合・商工会議所・同郷会・業界団体といった組織は、今日まで〈行〉的な機能—業界標準の策定、ロビー活動、相互扶助、信用情報の共有—を担い続けています。
最後に、用語上の注意を付します。「行」は行政用語や軍制用語にも現れます。元・明の「行省」、清末の「行台」、また日本語の「行政府」の「行」は意味が異なります。本項で扱った〈行=同業者組織〉は、都市経済と社会の中間団体であり、国家と市場の境界面を運営した歴史的なプレーヤーでした。この違いを押さえることで、史料読解や用語整理がぐっと明瞭になります。
総じて、行は中国の都市経済を支えた「見えざる手」と「見える窓口」を兼ねる存在でした。価格・計量・信用・税・治安・慈善—これらの機能を束ね、官と市民生活の間に立って調停したことが、千年近くに及ぶ都市の繁栄を可能にしたのです。広州十三行のような巨大行から、小さな職能別の行まで、その姿は多様でしたが、「同業者が連帯し、公共と私益を両立させる」ための知恵という点で共通していました。行を手がかりに史料を読み解くと、中国都市のダイナミズムと国家の統治技法が立体的に見えてきます。

