五経大全 – 世界史用語集

「五経大全(ごきょうたいぜん)」は、明代前期に国家が主導して整えた五経(『易』『書』『詩』『礼』『春秋』)の標準的解釈集で、永楽朝を中心に胡広(ここう)らが主筆となって編纂された大型叢書です。目的は端的で、国家が採用する“正しい読み方”を定めて教育・科挙・行政文書の共通語にすることでした。解釈の取捨は宋以降の程朱学(朱子学)を基調としつつ、漢唐以来の古注(鄭玄・王弼・杜預・孔穎達『五経正義』など)も参照して構成されます。本文は原文→諸家注釈の抄出→語義・典例の整理という順で並び、学習者が教室や試験の現場で即座に使えるよう、章句ごとに論点を見出し化した“類編(トピック編集)”の手法をとりました。五経大全は、同時期に整えられた『四書大全』『性理大全』と並ぶ「大全三部作」の一角であり、明清期を通じて広く流布し、五経の読まれ方を長く規定しました。

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成り立ちと編纂背景――永楽朝の国家プロジェクトとして

五経大全の編纂は、永楽帝(在位1402〜1424)の学術・文化政策の一環として進められました。永楽朝は『永楽大典』に象徴されるように、知の集成と再配分を国家規模で行うことを目指し、官学の整備と科挙の再編を急ぎました。前代元末・明初の戦乱を経て、地方ごとに解釈が分かれ、家塾に伝わる“家注”も雑多であったため、中央は学説の基準化を欲したのです。そこで翰林院・国子監・礼部の学者から編纂班が組まれ、胡広(1369–1418)を中心に、楊士奇・金幼孜ら重臣が監修、大学士層が分担執筆しました。完成期は永楽末〜宣徳初にまたがり、以後も増補・改訂を受けながら印行されます。

同時代に編まれた『四書大全』『性理大全』と合わせると、政治理念・教育カリキュラム・日常規範を一括して規格化する構想が浮かび上がります。特に五経は礼制・外交・法制とも密接に関わるため、統一的な注釈を公定化する意義は大きく、国家はこれを「教化(教導)と取締」の両面で用いました。大全は単なる学術書ではなく、官僚制の運営に資する実務手引きでもあったのです。

構成と編集方法――類編・集注・凡例の三拍子

五経大全の編成は、おおむね次のような特徴を持ちます。第一に、章句順の集注です。各経の原文の下に、歴代注家の言を抄出し、互いの異同を整理します。とくに朱子学の枠組みが強く、朱熹・程頤・程顥の見解が骨格となり、古注(鄭玄・王弼・杜預)や唐の『五経正義』は必要に応じて補助線として使われます。第二に、類編(トピック化)です。単に注を並べるだけでなく、「義理(倫理・哲理)」「考証(語義・音訓・制度)」「事例(歴史的運用)」といった観点で見出しを設け、同一テーマの議論を横断的に束ねます。第三に、凡例の明示です。各書には編纂方針・引用原則・取捨基準を述べる凡例が立てられ、どの学説を正とし、どのように異説を扱うかが冒頭で宣言されます。

編集上の方法は、実用性に重きが置かれました。語句の訓詁・音義は、受験答案や奏議・制詔の文体に直結するため簡明に整理され、礼制・法制に関わる箇所では、古来の制度名と明代実務の対応が示されることもあります。『詩』では国風・雅・頌の詩篇ごとに主旨・用例・比興の解を掲げ、『礼』では冠婚葬祭・郷飲酒礼・学校制度などを、条目立てして参照しやすくしました。『春秋』では左伝中心の叙事を前提としつつ、公羊・穀梁の義例を補助的に引き、称謂(用語)から政治判断を導く「微言大義」の読み筋を定着させます。

機能と影響――科挙・学校・出版を横断する“標準器”

五経大全の社会的機能は、何よりも科挙の実務書としての役割にありました。明代の明経科・進士科において、答案作成の際の語彙・典拠・論法は大全の記述に拠るのが安全策で、地方学校(府学・県学)でも授業用テキストとして用いられました。これにより、地域差の大きかった五経解釈は収斂し、書きぶり・用語・引用パターンに全国的な標準が成立します。官僚が奏疏・制誥・礼文を起草する場面でも、大全の語法が〈正しい言い回し〉の倉庫として参照されました。

第二に、出版文化への波及です。五経大全は活字化・木版本の隆盛と相まって、明代を通じて多数の版本が出回りました。地方の書肆は試験需要を当て込んで小型本・袖珍本を出し、注の要を抜き出した「節要」「抄略」も普及します。清代前期も引き続き読まれましたが、康雍乾期の学術風潮(考証学の興隆)とともに、大全の抄撮的・規範的性格は批判の対象となり、より原典に遡る校勘と制度的裏付けが重視されるようになります。

第三に、礼制・外交の参照枠です。『礼』『書』の該当箇所は、朝廷儀礼・冠婚葬祭・外交文書の作法を整える際の根拠としてもしばしば引かれました。明律・大明会典などの成文化された規範と、古典の語りを大全が橋渡しする格好で、伝統の権威と言語運用の便宜が両立されました。

評価と変容――清代考証学の批判、近代以降の位置づけ

大全は国家標準としての有用性ゆえに広く読まれましたが、同時に幾つかの問題点も指摘されてきました。第一に、抄出編集の限界です。複数の注家の言を切り貼りする方法は、全体の文脈や学説の内的緊張を弱め、朱子学的枠組みへ均質化してしまう傾向があります。第二に、教条化の危険です。科挙の答案作法に直結するため、異説の紹介や批判的議論は控えめになり、受験者は〈正答を言い当てる〉訓練に偏りがちでした。第三に、史料批判の不足です。『尚書』古文篇の真偽、『礼記』諸篇の出自、『春秋』三伝の関係など、清代考証学が本格的に再検討した論点について、大全は十分な検証を施していません。

清代の考証学者(戴震・阮元・阮蔚宗・閻若璩ら)は、音韻学・文字学・金石学・制度史を動員して、五経本文と古注の校勘・真偽判定に取り組み、大全の取捨にしばしば修正を加えました。とはいえ、大全は〈どう教え、どう書くか〉の実務テンプレートとしての価値を失わず、地方教育や士人の日常読書に深く浸透し続けます。近代に入り科挙が廃止されると、大全の地位は相対化しましたが、出版史・教育史・受験文化の研究にとって不可欠の史料です。

五経正義・四書大全・性理大全との比較――「正義=古注統合」「大全=運用マニュアル」

唐の『五経正義』が、漢魏六朝の古注を統合し、経→注→疏の三層で本文解釈の〈判例集〉を作ったのに対し、明代の『五経大全』は、宋以降の理気論(程朱学)を骨格に据えた実用的総覧です。言い換えれば、正義は〈古注学の大成〉、大全は〈明代官学の運用マニュアル〉という違いがあります。同時期の『四書大全』は科挙で一層重視された四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の標準注で、簡潔な章句解釈を整えました。『性理大全』は朱子学の基本概念(理・気・性・情)を事典的に配列し、道徳哲学の用語集として機能します。三者は相補的で、五経大全は礼制・歴史・制度に強く、四書大全は答案作法と倫理指導に強く、性理大全は概念枠組みの提供に強い、という住み分けがありました。

典籍の構造と実例――各経の扱いの特徴

『易』では、卦爻の辞を朱子の『周易本義』の枠組みで読み、王弼の義理易を踏まえつつも、占筮技法よりも〈時中・剛柔の釣り合い〉といった処世規範を前面化します。十翼(彖・象・繋辞など)の関係も整理し、試験答案が「卦象の比喩→人事への適用」という段取りで書けるように導きます。

『書』では、詔命・誥誓の文体分析が重視されます。敬天・保民・慎罰といった統治語彙の使い方、君臣の役割分担、天命と民意の接合点を、明代の政治倫理に接続して解説します。古文尚書篇については、伝承のまま採録しつつも、章句の解に偏り、出自の真偽判断は後代ほど厳密ではありません。

『詩』では、比・興・賦の修辞を答案で使い分ける手引きが整えられ、国風の社会情景と雅頌の王朝礼楽を一本の伝統として読ませます。地名・人物・植物・楽律の注がコンパクトに配され、用例引きの便を図ります。

『礼』では、冠婚葬祭・朝儀・学校制度など、直接実務に関わる項目が条目整理され、古今対照で参照できます。服制・服喪の等差、郷飲酒礼の手順、学校の課程や官職の位次など、章句の彼方にある制度運用の枠が、簡略図のように示されます。

『春秋』では、左伝の叙事に沿って会盟・戦役・外交儀礼の経緯を押さえ、称謂(「弑」「克」「伐」など)の選択に込められた評価を固定化します。これは試験文で「用語一字で是非を断ずる」作法を支え、政治判断の語彙訓練として機能しました。

版本と伝播――明清の刻本、叢書収録、周辺地域への拡がり

五経大全は明代の内府刻・監本を嚆矢に、地方の書肆からも多くの重刻が出ました。清代には『四庫全書』類の叢書に収められ、学宮・書院の蔵書目録でも定番に位置します。朝鮮王朝では官刻や私刻を通じて広く読み継がれ、日本にも室町末〜江戸前期に渡来し、寛永・元禄期には和刻も行われました。日本の藩校・私塾では、朱子学教材の補助として四書中心の教授を支え、礼制研究や有職故実の参照にも用いられます。ヴェトナムでも科挙制度の下で参照され、地域ごとの礼俗と古典の接合を媒介しました。

まとめ――国家が規格化した「読み」の長い影

五経大全は、国家が古典の“正しい読み”を規格化し、教育・試験・行政の共通基盤として流通させたプロダクトでした。その編集は、学説の豊かさを削る危険と引き換えに、全国規模での意思疎通・統治実務の効率化をもたらしました。清代の考証学的再編、近代以降の学制転換を経ても、五経大全が形作った章句主義・答案作法・礼文の語彙は長く社会に残響し、東アジアの古典受容の風景を大きく染めています。五経を学ぶ上で、大全は“現場の読み”を知るための手がかりであり、同時に、古典解釈がどのように制度化され、いかに批判され、いかに持続したかを確かめるための鏡でもあります。