『コモン・センス』(『常識』) – 世界史用語集

『コモン・センス』(Common Sense, 1776年)は、イギリス出身の急進的筆者トマス・ペインが北米植民地で匿名出版した小冊子で、独立戦争初期の世論を一気に「和解」から「独立」へと押し上げたことで知られる政治文書です。全体は四部構成で、(1)政府と社会の原理、(2)王政と世襲制の批判、(3)タイミング論を含む独立の必然、(4)共和国の設計と対外関係—から成り、聖書の援用、日常語と比喩、数理の試算を巧みに織り交ぜて主張を展開しました。発行直後から爆発的に読まれ、酒場や教会、部隊の集会で回し読みや朗読が行われ、数十万部が流通したと推定されます。ジェファソンら独立派の論点と重なり合いながらも、ペインは「島が大陸を支配する不条理」「和解は二度とない」「アメリカは人類の避難所(asylum)になり得る」といった鮮烈なフレーズで、普通の人びとにわかる言葉で独立を説きました。本稿では、背景、内容と論法、出版・流通と反響、反論と論争、後世への影響という観点から、わかりやすく整理して解説します。

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成立の背景――戦争初期のゆらぎと匿名パンフレットの戦略

1775年のレキシントン=コンコードの銃声で英本国と北米の緊張は決定的になりましたが、植民地社会の中には「権利の回復を条件に宥和を模索する」穏健派も強く、第二回大陸会議も独立宣言に直ちには踏み切りませんでした。ペインは、英本国の印刷・政治文化で鍛えられた小冊子(パンフレット)の技法を武器に、匿名で大胆な主張を投げ込みます。匿名は内容の急進性—王政と世襲の全面否定—ゆえの安全策であると同時に、「身分や肩書に頼らず、常識と理屈で読者を説得する」という姿勢表明でもありました。

ペインは永住者として北米社会に移ったばかりでしたが、職工・徴税吏・作家としての経験から、労働者・移民・宗派多様な住民に届く語り口を心得ていました。彼は理神論的な観念—人間の理性と自然権への信頼—を背景に、旧大陸の王権神授説と特権的身分秩序を徹底的に批判し、「この新大陸にふさわしい政治」を明快に提示します。出版を後押ししたのは独立派の書肆(ロバート・ベル)らで、価格を低く抑え、再版を重ね、挿入広告や事例で読者の裾野を広げました。

内容と論法――社会と政府、王政批判、独立の必然、共和国の設計

社会と政府の区別。ペインは冒頭で「社会は人間の必要から生まれる善、政府は人間の悪徳を抑えるための必要悪」であると区別します。政府は〈安全〉のために契約によって設けられる道具にすぎず、正統性は同意に由来します。これにより、王権・議会という既存の権威を「自然」ではなく「合意」の結果として相対化します。

王政・世襲制の否定。彼は旧約聖書のサムエル記を引き、イスラエルが王を求めたときの神の警告を引用して、王制が神意に適わないと論じます。世襲制は能力と徳に反し、〈人の出生が人の支配権の根拠になる〉という不条理を広めるだけだと断じます。イギリス憲法を「王・上院・下院の均衡」として称揚する議論に対しても、均衡は見せかけで、王権が最終的に優越する仕掛けだと見抜きます。

独立のタイミング論。「和解の季節は過ぎた」として、武力衝突と抑圧の累積が信頼を壊した以上、和解論は現実逃避にすぎないと批判します。島が大陸を支配するのは自然法則に反し、地理・人口・資源・商業の観点から、アメリカは自立すべきだとします。彼は艦隊建設の費用、貿易黒字、信用の形成などを簡潔な算術で示し、「今なら間に合う」感覚を読者に与えました。

共和国・代表制の提示。ペインは、各州が代議人を選び、定期的に交代する単純な枠組みの連合共和国を提案します。彼は〈権力の集中と腐敗〉を避けるために、憲法—政府権力の上位に置かれる基本法—の必要を説き、後の憲法制定の理念的下敷きを提供しました。また、宗教の自由、移民の受け入れ、商業の振興をセットで語り、〈人類の避難所〉という大陸的な使命感を訴えます。

言語と修辞。彼の文体は、ラテン語句や法律言葉を避け、日常語と具体例、聖書の比喩、航海や家計のたとえ話を多用します。「王はただの人」「常識(コモン・センス)に照らせば明らか」という枠組みで、専門家の権威を回避し、読者の判断力を呼び起こすのが特徴です。

出版・流通と反響――爆発的拡散、朗読と討議、政治の速度を変える

小冊子は1776年1月10日に匿名で刊行され、短期間に増刷が重なりました。価格は手が届きやすく、都市の書店だけでなく、酒場、宿屋、教会、軍営、農村の集会で朗読され、文盲の人々にも内容が共有されました。印刷文化の成熟と、宗派・民族をまたぐ北米社会の公共圏が、パンフレットの即効性を支えました。

政治的反響は即時的でした。多くの地方会議や町会が独立を支持する決議を相次いで採択し、各植民地議会の独立志向に背を押しました。大陸会議でも、バージニアやマサチューセッツなどの代表が独立決議に傾き、7月の独立宣言採択へと大勢が固まっていきます。軍隊では、ワシントン将軍が『コモン・センス』の一節を兵士に読ませ、士気の鼓舞に用いたと伝えられます。

読者層の広がりは、内容の「急進性」と「実務性」のバランスに由来しました。王政否定は過激でしたが、共和国構想と経済の算盤は具体的で、商人・職人・農民それぞれにメリットが見えるように工夫されていました。移民や宗教的少数派にとっても、「旧大陸の抑圧から自由な新社会」という約束は魅力的に響きました。

反論と論争――ロイヤリストの批判、穏健派の懸念、宗教的読み替え

急進的な主張は当然ながら反発も招きました。王党派(ロイヤリスト)は、イギリス海軍の保護や商業特権を失うリスク、戦争の惨禍、秩序崩壊の危険を強調し、独立は軽率な賭けだと批判しました。ドイツ系やスコットランド系の保守的指導者は、宗主国との法的絆を断つことの神学的・法思想的含意—誓約の破棄—にも異議を唱えました。

穏健派の中には、「権利の回復」と「帝国再編」を目指す案—自治の拡大と議会での代表権—をなお模索する声があり、ペインの二項対立(和解か、独立か)は粗すぎるという批判もありました。ペインの聖書引用に対して、聖職者の一部は別の章句を引き、権威への服従や秩序維持の重要性を説く説教を行いました。

論争はパンフレット戦を通じて続き、反ペインの『プレイン・トゥルース』などの小冊子が出回りました。これらは経済的自立の困難、外交上の孤立、国内分裂の危険を挙げ、独立に慎重な論陣を張りました。とはいえ、1776年春から夏にかけての政治の速度は、もはや「中間策」を追い越して進み、『コモン・センス』はその加速の象徴となりました。

後世への影響――共和主義の語彙、パンフレット文化、ペインの軌跡

『コモン・センス』が残したものは三つあります。第一に、〈共和主義の語彙〉です。政府と社会の区別、同意に基づく正統性、世襲否定、代表制の回転、憲法の至上性—これらの語彙は独立宣言や各州憲法、のちの合衆国憲法前文の表現に浸透しました。第二に、〈パンフレット文化〉の自覚です。難解な学術書ではなく、通俗的で実務的な小冊子が政治を動かし得るという確信は、フランス革命前後の欧州や19世紀の改革運動にまで広がります。第三に、〈ペイン自身の軌跡〉です。彼はのちに『人間の権利』でフランス革命を擁護し、〈王と特権〉に対する一貫した急進主義を貫きました。晩年には宗教批判を含む『理性の時代』で物議を醸し、アメリカでは敬遠もされましたが、20世紀以降、民主主義と人権の源流として再評価が進みました。

翻訳と受容の面では、独立直後から各地で抄訳・再版が行われ、19世紀以降も教育・市民講座・メディアで繰り返し参照されました。日本語でも「常識」「コモン・センス」として紹介され、明治期の自由民権運動や戦後の民主主義教育で引用されることがありました。もっとも、原文の修辞—宗教的文脈、17–18世紀英語の比喩、独立前後の具体的争点—を踏まえると、単純なスローガン化では伝わらない厚みがあることに注意が必要です。

総じて、『コモン・センス』は、一握りの指導者の覚書ではなく、無数の読者の「判断力」に話しかけた書物でした。抽象理論を押しつけるのではなく、生活感覚と倫理、信仰と言葉、計算と比喩を束ねて、政治的決断の「いま・ここ」を描き出した点が、時代を超える魅力です。独立という結果の是非やコストについては議論が尽きませんが、民衆が政治の主人公になり得るという確信—それ自体が、ペインの小冊子が世界史にもたらした最大の衝撃だったのです。