『資本論』 – 世界史用語集

『資本論』(独題:Das Kapital)は、カール・マルクスが資本主義経済の構造と運動法則を批判的に解明しようとした理論的著作です。狭い意味ではマルクス自身が生前に刊行した第1巻(1867年)を指しますが、一般にはフリードリヒ・エンゲルスの編集によって刊行された第2巻(1885年)・第3巻(1894年)を含む三巻本全体を指します。マルクスは、商品交換から出発して価値形態を分析し、利潤の源泉を「剰余価値」として捉え、資本の蓄積・競争・恐慌・地代・利子にいたるまで、資本主義の〈自己増殖する価値〉の運動を連関的に描き出しました。本書は政治の綱領書というより、経済学批判の方法論と歴史的考察を統合した理論的研究であり、20世紀の思想・社会科学・労働運動に計り知れない影響を与えました。以下では、構成と方法、主要概念、第1〜3巻の要点、成立事情と受容、そして典型的な誤解の整理をわかりやすく解説します。

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構成と方法:経済学批判としての書物

『資本論』は、当時の古典派経済学(スミス、リカードら)が提出した価値・分配・地代・利子の理論を、歴史的・社会的規定性の下で批判的に再構成しようとする試みです。マルクスは「弁証法的」方法を用い、社会的な諸関係が表面では価格や利潤として現れつつ、その背後に人々の労働と生産関係があることを、抽象から具体、単純から複雑へと段階的に明らかにします。分析の出発点が「商品」であるのは、資本主義社会では生産物がまず商品として現れ、価値関係が市場価格という形で可視化されるからです。

本書は三巻構成が想定され、第1巻は「資本の生産過程」、第2巻は「資本の流通過程」、第3巻は「資本主義的生産の総過程」を主題とします。第1巻では剰余価値の生成が中心、第2巻では資本が産業資本として〈貨幣資本―生産資本―商品資本〉の三態を循環する様式、第3巻ではこの運動が利潤率・競争・信用・地代といった社会的諸形態に転化する様相が扱われます。これに先立つ導入部として『経済学批判要綱』『政治経済学批判』などの草稿群があり、エンゲルスは残された膨大な草稿を編纂して後続巻を公刊しました。

方法論上の特徴は、第一に「歴史的特殊性の強調」です。賃金労働に基づく資本主義は人類普遍の自然状態ではなく、特定の歴史条件と権力関係の下で成立・発展した社会形態だとされます。第二に「外観と本質の差異」の分析です。企業会計や市場価格に現れる利潤・利子・地代は、それぞれ独立に生まれるのではなく、生産過程で創出された剰余価値の分配形態にすぎません。第三に「再生産の視点」です。単年度の均衡ではなく、資本が蓄積と拡大再生産を通じて社会全体をどう変形するかを重視します。

主要概念:商品と価値、剰余価値、蓄積と恐慌

商品・価値・貨幣:商品は使用価値(役に立つ性質)と価値(交換を可能にする社会的関係)の二重性を持ちます。価値は個々の具体的労働の差異を捨象した「抽象的人間労働」の社会的に必要な労働時間で規定されるとされ、価値関係の一般的等価形態として貨幣が成立します。価値形態の分析は、価格が自然属性ではなく社会的関係の表現だと示す意図を持ち、これが有名な「商品フェティシズム(物神性)」—人の関係が物の関係に見える—の議論につながります。

剰余価値(資本の自己増殖):資本は貨幣 M から出発し、商品 C(労働力と生産手段)を購入し、生産を経て再び貨幣 M’ に回帰します(M―C…P…C’―M’)。M’>M となる差額が利潤であり、その源泉は労働力商品の特殊性にあります。労働力の価値(生活資料の価値)と、実際の労働が新たに生み出す価値の差が剰余価値として資本に帰属する、というのがマルクスの核心命題です。剰余価値の獲得方法には、労働日を延長する絶対的剰余価値と、技術革新・能率化によって必要労働時間を短縮する相対的剰余価値が区別されます。

蓄積と相対的過剰人口:資本は獲得した剰余価値の一部を再投資して規模を拡大し、機械化と分業を通じて生産力を高めます。この過程で労働者は生産手段から疎外され、常に一部の労働力が余剰化する「相対的過剰人口(産業予備軍)」が生じ、賃金水準や労働条件の交渉力に影響を与えます。蓄積は富の集中と中央集権化(大企業化)を促し、競争は技術革新を加速しつつ、周期的な不均衡と恐慌を誘発します。

利潤率の傾向的低下と転化形態:第3巻では、資本の技術構成が高度化して不変資本(機械・原料)比率が上がると、労働から生まれる剰余価値に対する総資本比が小さくなり、平均利潤率は低下傾向を持つ—という命題が論じられます。ただし技術革新や搾取率の上昇、資本の廉価化、対外貿易などが反作用として働くため、単線的に下降するわけではありません。市場では競争を通じて「生産価格」が形成され、部門ごとの価値から乖離する「価値の生産価格への転化」が進みます。利潤・利子・地代は剰余価値の分有形態であり、銀行資本や商業資本は産業資本の運動に依存しつつ独自の表現形態を取ります。

地代理論:土地が私有であることから生じる地代は、農業部門の個別的生産条件の差から生じる差額地代(I・II)と、独占的地代に区分されます。これにより、地価・都市形成・農業投資の配分が説明され、土地市場が資本主義の再生産に与える影響が位置づけられます。

各巻の要点と論理の流れ:生産→流通→総過程

第1巻(資本の生産過程)は、商品・貨幣から出発し、労働力の商品化を鍵に資本の自己増殖メカニズムを解明します。工場制の協業・分業・機械制大工業の分析、労働日・工場法・労働者の健康と教育の章は、統計・議会報告・工場監督官報告などの実証に支えられ、理論と社会記述が緊密に結びついています。最後の「本源的蓄積」では、囲い込み(エンクロージャ)や植民地化、財政・信用の発展といった歴史的暴力が、自由な賃労働者と資本の対立を生む前提となったことが描かれます。

第2巻(資本の流通過程)は、資本の三態—貨幣資本・生産資本・商品資本—の循環と回転、単純再生産と拡大再生産の図式(部門 I:生産手段、部門 II:消費手段)を提示します。ここでは、個別資本の運動だけでなく、社会全体が均衡的に再生産される条件、在庫・回転期間・信用の役割が吟味され、危機の可能性が構造的に内在することが示されます。流通時間は剰余価値を生まず、しかし資本の回転を通じて年利潤率に大きな影響を与えるため、交通・通信・金融の発展が資本の自己増殖を加速させる論理が提示されます。

第3巻(資本主義的生産の総過程)は、利潤率の平均化、価値から生産価格への転化、利子生み資本と信用、株式、商業利潤、地代、世界市場と恐慌、と段を追って、表面に現れる諸カテゴリーの「見かけの自立」を解体します。信用は個別資本の限界を超えて拡大を可能にしますが、その分だけ過剰投資と連鎖的破綻の危険も増します。世界市場は技術と需要を結びつける成長の舞台であると同時に、恐慌の一般的可能性を現実化させる装置でもあります。

成立事情・テキストの層・受容の広がり

『資本論』は単一の完結原稿ではなく、草稿・改稿・抜粋・ノートの集積から成ります。マルクス生前に刊行されたのは第1版(1867年)とその後の改訂(第2版)で、フランス語版(ラヴァスール訳)の過程でマルクス自身が追加・修正した箇所もあります。第2・3巻は、マルクス没後にエンゲルスが草稿(1861–63草稿、1864–65草稿ほか)をもとに編纂・章立て・文言調整を施して刊行しました。そのため、叙述の密度や用語の整合、証明の厳密性にばらつきがあり、20世紀末以降は草稿の学術版(MEGA:マルクス・エンゲルス全集史料版)を参照してテキストの層位を吟味する研究が進みました。

受容史では、19世紀末の社会民主主義運動、20世紀の革命運動と計画経済、戦後の西側マルクス主義・批判理論・分析的マルクス主義、開発論・依存論・世界システム論など、多様な解釈が現れました。ソ連・東欧での教科書化は理論の硬直化をもたらした一方、西欧や日本ではテキスト批判や価値形態論の精緻化、危機論・国家論との接続が進みました。労働運動やフェミニズム、脱植民地論は、労働再生産・ケア労働・家父長制・植民地支配の問題を『資本論』の枠組みと交差させる新しい議論を生みました。

日本では、明治期に部分的翻訳が紹介され、大正期以降に本格的な講座派—労農派論争を経て、戦後は全集・講座・注解書が広まりました。1960–70年代の学生運動・労働運動の文脈で広く読まれ、21世紀には金融危機や格差拡大を背景に再読の機運が生じています。経済学だけでなく、社会学・人類学・文化研究・地理学・法学・歴史学の諸領域で、価値・空間・国家・法形態・帝国主義などの問題群に理論資源を提供し続けています。

誤解の整理:規範書ではなく分析書、労働価値説の射程、価値と価格の関係

第一に、『資本論』は「革命のマニュアル」ではありません。確かに政治的意図は背景にありますが、テキストの大部分は膨大な統計・史料・経済学的推論からなる分析書であり、規範的スローガン集ではありません。第1巻の末尾の政治的高揚(本源的蓄積や歴史的傾向)の章句だけを抜き出して全体を理解するのは危険です。

第二に、労働価値説は「価格の完全予言式」ではありません。マルクスは、価値が価格にそのまま等しいとは主張せず、競争による平均利潤率の成立と、生産価格への転化を丁寧に記述しました。これは価値論が不要だという意味ではなく、価格という表面現象の背後で、労働時間が社会的にどのように配分されているのかを捉える理論的座標を提示する試みです。

第三に、「利潤=搾取の証明だから非現実的」という批判も短絡的です。マルクスが示したのは、賃労働と資本の交換が対等に見えながら、労働過程の内部で価値増殖が生じるという構造的命題であり、これは今日のプラットフォーム経済・多国籍企業・グローバル・サプライチェーンの分析にも応用可能です。労働の多様化(ケア、知識、感情労働)にどう拡張するかは研究の論点であり、理論の死ではありません。

第四に、「恐慌は国家介入で消える」という楽観に対して、マルクスは信用・投機・過少消費・利潤率低下など複数のメカニズムが絡む周期性を描きました。政策は波を緩和できますが、資本主義の競争と蓄積がもたらす不均衡の可能性自体を消し去ることは難しい、という洞察は依然として重みを持ちます。

現代的射程:デジタル資本、グローバル生産網、環境危機

今日の資本主義は、データ・無形資産・プラットフォーム支配が中心となり、価値創出の場は生産現場に限られず、サプライチェーン全体とユーザー行動データの収集・分析へ広がっています。この状況で『資本論』が与えるヒントは、第一に「外観と本質の区別」を保つこと—多層の価格形成やアルゴリズムによるマージンの分配の背後に、時間配分・労働・資源制約という基底があること。第二に「再生産の視点」—プラットフォームと下請け・フリーランス・家庭内労働の連関を一つの社会的再生産として見ること。第三に「国際的分業」—価値の移転、グローバル生産網における不均等交換や環境負荷の外部化を計測すること、です。

環境危機に関しては、資本蓄積が外部不経済を内面化できない制度的限界、資源の有限性、自然の再生産速度の制約が、気候危機・生物多様性損失として現れています。炭素価格付けや規制は市場のルールを変える試みですが、利潤動機と社会的必要の緊張は続きます。『資本論』の視角は、エネルギー・資源の物質代謝(メタボリズム)という観点から、成長と環境の両立をめぐる議論に批判的基盤を提供します。

総じて、『資本論』は「読み終えられる書」ではなく、繰り返し参照される「理論的地図」です。商品から出発して剰余価値・蓄積・競争・信用・地代へと至る論理の筋道を押さえることで、異なる時代・地域の資本主義を比較し、経験的データと往復させながら現実を読み解く力が養われます。難解さゆえに敬遠されがちですが、核心は少数の概念と運動の連関にあります。それを把握すれば、歴史のなかで本書が占める位置と、今日なお発する思考の刺激が見えてくるはずです。