ジャイナ教 – 世界史用語集

ジャイナ教は、古代インドに起源を持つ出家禁欲伝統の一つで、仏教と同時代の「シramana(遊行者)」運動から形成された宗教です。中心理念は徹底した非暴力(アヒンサー)であり、言葉・行為・心における一切の害意を抑えることを最高の徳とみなします。宇宙の根本原理として創造神を想定せず、世界は永遠で、諸存在の魂(ジーヴァ)が業(カルマ)によって束縛され輪廻すると説きます。救済はカルマの付着を止め(サマラ)、既存のカルマを焼尽する(ニルジャラー)修行によって達成され、最終的に魂は解脱(モークシャ)に至るとされます。伝統によれば、歴史時代のジャイナ教は二十四人の覚者ティールタンカラの系譜に導かれ、最後のマハーヴィーラ(前6世紀頃)が現行の教義と戒律を整えました。社会的には商人層を中心に広く支持され、グジャラートやラージャスターン、カルナータカなどに壮麗な寺院と学術伝統を築きました。概要として、ジャイナ教は「非暴力・禁欲・多面的真理」を柱に、人間の行為責任と倫理的自律を徹底して追求する宗教だと理解していただければ十分です。

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起源と世界観——創造神不在の永遠宇宙と二十四の覚者

ジャイナ教はヴェーダ的供犠を相対化するシramana運動の中で成立し、仏教やアージーヴィカと並ぶ思想潮流を形成しました。伝承では、アディナータ(初祖)から始まる二十四のティールタンカラが時代ごとに出現し、人々を輪廻の大河から渡す「渡し場(ティールタ)」を築いたとされます。最後のティールタンカラであるマハーヴィーラは、同時代の釈迦と相互に認識しつつも、より厳格な禁欲と非暴力の体系を打ち立て、出家集団と在家信徒の二層構造を明確にしました。

宇宙論では、世界(ローカ)は始まりも終わりもなく、垂直方向に天界・人間界・地獄界が重層する三界構造を持つとされます。宇宙は自らの法則にもとづき運行し、超越的創造者は想定されません。存在は大きく魂(ジーヴァ)と非魂(アジーヴァ)に分かれ、後者は物質(プドガラ)、時間、空間、運動と休止の媒体などから構成されます。カルマは道徳的比喩ではなく、微細な物質が魂に付着して性質と運命を規定するという実在論的に理解され、行為・情念・認識の状態によって吸着量が変化すると説かれます。解脱とは、このカルマ物質の流入を止め、既存の付着を燃尽して、魂が本来の純粋な知と至福を回復することです。

思想的特色として、多面的真理(アネーカーンタヴァーダ)が挙げられます。現実は多側面であり、単一視点からの断定は部分的にしか真を含まないとされます。これを言語化する論理が「シヤードヴァーダ(条件付き命題)」で、「…の観点からは成立する」と留保を付して言明する作法が発達しました。これは不寛容な独断を戒め、争論の非暴力化にも資する知的エチケットとして理解されます。言説の節度を倫理と結ぶ点に、ジャイナ的理性主義の独自性が見られます。

戒律と修行——非暴力・不妄語・不盗・禁欲・不所取

出家者の基本戒は五つで、非暴力(アヒンサー)、不妄語(サティヤ)、不盗(アステーヤ)、禁欲(ブラフマチャリヤ)、不所取(アパリグラハ)からなります。在家信徒も同趣旨の戒を緩やかに受持し、日常生活に適用します。アヒンサーは最も重視され、動物や人間のみならず、微細な生命に至るまで害を避ける努力が求められます。出家者が口元に布を当てて微生物を吸い込まないようにしたり、地面の生き物を傷つけないよう箒で掃くのはよく知られた実践です。食生活では厳格な菜食が原則で、根菜や蜂蜜の摂取、夜間の飲食などは生命を損なう可能性や見えない被害の観点から避けられます。

修行は、カルマの流入を止める抑制(サンヴァラ)と、既存のカルマを焼尽する苦行(タパス)を組み合わせます。瞑想(ディヤーナ)、懺悔と内省(プラティクルマナ)、平等観に立つ坐法(サマヤイク)などの内面的修習に加え、断食や節食、沈黙、徒歩巡礼などの外的修行が実践されます。最終段階で生涯の食を断つサンテーラ(サレーカナー)という自発的絶食は、議論を呼ぶものの、執着を断ち静かに死を迎える修行として伝統的に尊ばれてきました。ここでも暴力の否定と自他に対する慈しみが、個人の最期のあり方にまで一貫して貫かれています。

教団は大きくディグハンバラ派(空衣派)とシュヴェータンバラ派(白衣派)に分かれます。前者は出家者の衣服所有を厳しく退け、修行の徹底を強調します。女性の解脱可能性をめぐっては、ディグハンバラ派が否定的であるのに対し、シュヴェータンバラ派は肯定的で、正典の伝承にも違いが見られます。両派はいずれも非暴力と禁欲を共有しつつ、生活規範や学統、儀礼様式に独自の発展を遂げました。

教団史と社会——商人都市の後援、学知の伝統、聖地の形成

マウリヤ朝期には、アショーカ王が仏教保護で知られますが、寛容政策のもとでジャイナ教も活動の場を得ました。その後、中世から近世にかけて、グジャラートやラージャスターンの交易都市で商人ギルドの後援を受け、壮麗な寺院建築と写本文化が花開きます。マーブル彫刻で知られるマウント・アブのデルワーラ寺院群は、細密な装飾と空間構成でジャイナ美術の粋を示し、巡礼者の信仰を集めました。南インドではカルナータカのシュラヴァナベラゴラに立つ巨像ゴーマテーシュワラ(バーフバリ像)が有名で、十二年ごとに聖なる沐浴儀礼(マハーマストカービシェーカ)が行われます。

学術面では、ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』が教理体系の古典をなすほか、ハリーバドラ、ヤショーヴィジャヤ、そして文法学者ヘーマチャンドラらが論理学・文学・文法・政治学にわたり豊かな著作を残しました。経典伝承はシュヴェータンバラ派のアーガマ(アルダーマガディー語やプラークリット系言語)を中心に伝えられ、写本には鮮やかな彩色挿絵が施されることも多く、宗教と視覚芸術の融合が見られます。学僧たちは仏教やヒンドゥー諸派との論争を通じて自説を洗練し、非暴力の精神を保持しながら論理の厳密さを鍛え上げました。

社会経済との関係では、非暴力の倫理が狩猟や屠殺を避ける生業選択を促し、商業・金融・職人業の発展を支えました。誠実・不妄語の戒は信用を生み、広域商業ネットワークの構築に有利に働いたと指摘されます。ジャイナ共同体は教育・医療・公共事業に寄付を行い、都市の福祉インフラの形成にも寄与しました。植民地期にはディアスポラが広がり、東アフリカやイギリス、北米にもコミュニティが成立し、近代教育と企業活動を通じて宗教アイデンティティの保持と社会貢献を両立させています。

思想的影響と現代——非暴力倫理、環境感受性、多元主義

ジャイナのアヒンサーは、宗教内部にとどまらず広くインド思想と政治文化に影響を与えました。近代ではマハートマ・ガンディーが非暴力抵抗の理論を練る際、幼少期から接したジャイナ共同体の倫理と師からの教えに強い感化を受けたことが知られます。ジャイナの非暴力は、単に害を与えない消極的禁制ではなく、慈悲と自己抑制、言葉の慎み、消費の節度、寛容な対話を総合する積極的倫理として再評価されています。アネーカーンタヴァーダは現代の多文化社会における共生の理論資源としても注目され、異なる価値観の調停や民主的討議の作法に示唆を与えます。

環境倫理の観点では、生命への畏敬と節度ある消費、廃棄の抑制、季節と生態に配慮した食の戒めなどが、持続可能性の思想と響き合います。ジャイナの菜食主義は、動物福祉のみならず、水や土壌、炭素フットプリントに配慮する生活文化の核として実践され、都市部でも料理法の工夫やサプライチェーンの見直しを通じて新しい展開を見せています。現代テクノロジーとの接続では、虚妄語・悪口・離間を戒める教えが、SNS時代のコミュニケーション倫理の規範として参照され、オンライン空間での「言葉の非暴力」を促す議論も広がっています。

女性の修行と解脱をめぐる議論は、伝統と変化の力学を映します。歴史的に立場の差異があったものの、現代では教育機会の拡大や国際ネットワークの形成によって、女性出家者の学術活動や社会奉仕が活発化しています。教団内外の対話は、非暴力と多元主義の理念を用いて、伝統の尊重と平等の実現の両立を試みています。

最後に、ジャイナ教の特色を改めてまとめると、第一に徹底した非暴力と禁欲による行為責任の自覚、第二に創造神不在の永遠宇宙における理性的実在論、第三に多面的真理による知的寛容です。これらは相互に補強し合い、厳格な個人修行と社会的倫理の双方を支える枠組みを形成しています。壮麗な寺院や精緻な写本の美、商人都市の公共精神、そして日々の食卓に至るまで、ジャイナ教は「害を減じ、執着を手放し、対話を重んじる」文化を多層的に育んできました。その歩みは、宗教が人間の欲望と暴力にどう向き合い、どのような共同体と知の技法を作り出せるかを、今もなお静かに問いかけています。