進化論 – 世界史用語集

進化論とは、「生物の種類ははじめから固定されたものではなく、非常に長い時間をかけて少しずつ変化してきた」という考え方を指します。私たちが現在見ている多様な生き物は、互いにまったく無関係にバラバラに生まれたのではなく、共通の祖先から枝分かれしながら姿を変えてきたのだ、という見方です。人間も例外ではなく、他の動物と同じく長い進化の歴史の中に位置づけられる、と考える点が大きな特徴です。

進化が起こる仕組みについてはさまざまな説明がありますが、とくに有名なのは19世紀のイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンが唱えた「自然選択説」です。かれは、生物には個体差があり、その中で環境によりよく適応したものが生き残りやすく子孫を残しやすいことから、適応的な特徴をもつ集団が長い時間の中で増えていくと考えました。この「自然選択」が積み重なることによって、新しい種が生まれ、多様な生物世界が形づくられていくというのがダーウィン的な進化論の骨格です。

進化論は単に生物学の一説にとどまらず、人間観や社会観にも大きな影響を与えました。「人間も自然の一部である」「生物は変化しうる存在である」という見方は、それまでの固定的な世界観を揺さぶりました。一方で、進化の考え方を無理に社会や民族、人種の優劣に当てはめた「社会ダーウィニズム」のような誤用も生まれ、帝国主義や人種差別を正当化する論理に使われたこともあります。

現代の生物学では、ダーウィンの時代には知られていなかった遺伝子やDNAの知識が加わり、「突然変異」と「自然選択」を柱とする進化の仕組みがより具体的に理解されるようになりました。また、化石や比較解剖学、分子生物学の成果によって、さまざまな生物が共通祖先から枝分かれしてきたことを示す証拠が積み重ねられています。進化論は、科学としての内容と、社会的・思想的な受け止められ方の両面から見ると、世界史の中でも重要なトピックの一つと言えます。

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進化論とは何か:基本的な考え方

進化論の根本にあるのは、「生物の世界は時間とともに変化してきた」という視点です。古くは、多くの文化や宗教で「世界は一定の形で創造され、その後はあまり変わらない」という発想が支配的でした。これに対して進化論は、生き物の形や種類、分布が過去から現在にいたるまでダイナミックに変化してきたのだと考えます。現在の生物の姿は、その長い変化の歴史の一時点にすぎないのだ、というわけです。

ここでいう「進化」は、「より高級なものへと一方的に進歩する」という意味ではありません。日常語では「進化=高度化・発展」というイメージがありますが、生物学的な進化はあくまで「世代を重ねる中で集団の特徴が変化し、環境への適応の仕方が変わる」という中立的な概念です。環境が変われば、以前は有利だった特徴が不利になることもありますし、「単純な構造」のほうが適している環境もあります。ですから、進化に「優劣」や「高低」の価値判断を直接持ち込むことは、本来の考え方からは外れてしまいます。

進化論が前提とする重要なポイントをいくつか挙げると、第一に「生物は増えようとするが、環境の資源には限りがあり、すべての個体が生き残れるわけではない」ということです。第二に、「同じ種の中でも個体には差があり、その一部は環境によりよく適応している」という事実があります。第三に、「生き残りやすい個体がより多くの子孫を残すことで、その特徴が集団全体に広がっていく」ことです。この三つが組み合わさることで、進化論がいうところの「自然選択」が働きます。

また、進化論では、生物の関係を「系統樹」として考えることが一般的です。一本の大きな木の幹から枝が分かれ、その枝からさらに細かい枝が伸びていくように、共通の祖先から新しい種が次々と分岐していくとイメージされます。人間もまた、霊長類の仲間として他の動物と共通の祖先を持っているとされます。この「共通祖先からの分岐」という考え方は、種を固定的な箱としてではなく、歴史的なつながりをもつ系統の一部としてとらえる視点を与えました。

進化論は、観察・比較・仮説・検証といった科学的手続きによって組み立てられます。たとえば、島ごとに少しずつくちばしの形が違う鳥を観察して「なぜそうなっているのか」を考えたり、化石の層序を調べて「どの順番で生物が現れてきたのか」を推定したりします。こうした具体的なデータに基づきながら、「生物は時間とともに変化してきたのだ」という全体像が形づくられていきました。

ダーウィンと自然選択説の登場

進化という発想そのものはダーウィン以前にも存在していましたが、それを科学的な枠組みとして説得力ある形にまとめたのがチャールズ・ダーウィンでした。かれはイギリスの自然科学者で、若いころ、測量船ビーグル号の航海に参加し、南米やガラパゴス諸島など各地の生物を観察しました。この経験が、のちの進化論の着想に大きな影響を与えたとされています。

ダーウィンはガラパゴス諸島で、島ごとに少しずつ形の違うフィンチ(小鳥)やカメなどを観察しました。これらの動物は、似たような基本構造を持ちながら、島の環境に応じてくちばしの形や甲羅の形などが変化しているように見えました。もし神が種を一つ一つ別々に創ったのなら、なぜこんなふうに「似ているのに少しずつ違う」動物が、地理的に近い地域にまとまって分布しているのか、疑問が生じます。

ダーウィンは長年の観察と読書、思索を重ねた末、1859年に『種の起源』を出版しました。この本の中でかれは、自然界の「生存競争」と「自然選択」という概念を中心に据えて、生物の進化を説明しようとしました。すべての生物は多くの子を産もうとするが、資源には限りがあり、多くは成長する前に死んでしまう。生き残る個体には、わずかながら有利な特徴がある。その有利な特徴を持つ個体が子孫を残すことで、その特徴が集団に広がっていく――といった筋道です。

ダーウィンの進化論は、それまでの「種の不変性」を前提とする世界観にとって大きな挑戦でした。なかでも、「人間も他の生物と同じ進化のプロセスの一部である」と考える点は、聖書的な創造観と衝突しうる内容でした。そのため、19世紀後半のヨーロッパ社会では、進化論をめぐって激しい議論が巻き起こります。教会関係者の中には強く反発する人びともいれば、進化論と信仰を両立させようとする神学者もいました。

同時に、進化論は自然科学の内部でもさまざまな議論を生みました。ダーウィンは、変異がどのように生じるのか、そのメカニズムについては十分な説明を持っていませんでした。また、進化のスピードや、化石記録における「飛び」のように見える変化など、多くの問いが残されていました。それでも、『種の起源』が示した「自然選択を通じた進化」という枠組みは、生物学における中心的な理論として受け入れられていきます。

ダーウィンの理論は、アルフレッド・ウォレスという別の自然探検家による考えと同時期に提出されました。ウォレスも東南アジアやオセアニアでの観察から自然選択の発想に到達しており、ダーウィンとほぼ同じころに論文を送っています。この「二重発見」は、進化論が当時の自然観察の積み重ねの中から必然的に現れてきたことを示すものとしてよく知られています。

進化論の発展と現代の理解

ダーウィンの時代には、遺伝の仕組みはまだよくわかっていませんでした。メンデルによる遺伝の法則が再発見されるのは20世紀初頭であり、DNAの構造が解明されるのはさらに後のことです。20世紀に入ると、遺伝学とダーウィンの自然選択説を結びつける試みが進み、「合成理論(総合説)」と呼ばれる現代的な進化論の枠組みが形成されました。

現代の進化論では、まず遺伝子レベルで「突然変異」が偶然に生じることが前提とされます。DNAのコピーの際のエラーや外部からの刺激によって、子に伝わる遺伝情報にわずかな変化が起こります。多くの変異は中立的か有害ですが、ごく一部には環境にとって有利に働くものがあります。そのような変異をもった個体が生き残りやすく、子孫を多く残すと、その遺伝子が集団の中で増えていきます。この「変異」と「自然選択」の組み合わせが、現代進化論の基礎です。

さらに、遺伝的浮動(ドリフト)や、集団の分断、遺伝子の流入・流出などの要因も、進化のプロセスに組み込まれています。小さな集団が地理的に孤立すると、偶然の要素によって遺伝子頻度が大きく変化し、新しい種への分化が起こりやすくなります。また、プレートテクトニクスによる大陸移動や気候変動などの環境要因も、生物進化の方向性に大きな影響を与えてきました。

証拠の面でも、19世紀から21世紀にかけて大きな進展がありました。化石記録の蓄積によって、古生代から新生代にいたる生物の変化の流れがより詳細に明らかになり、中間的な特徴をもつ生物(いわゆる「ミッシングリンク」に相当すると考えられるもの)も多数見つかっています。クジラの祖先とされる陸上哺乳類の化石や、恐竜と鳥類をつなぐ特徴をもつ化石などは、その代表例です。

分子生物学の発展によって、DNAの塩基配列を比較することで、生物間の類縁関係を定量的に推定できるようになりました。たとえば、人間とチンパンジーのDNAを比較すると、その大部分が共通していることがわかります。これは、両者が比較的近い時期まで共通の祖先を持っていたことを示す証拠と解釈されます。このような分子レベルの証拠は、進化論の妥当性を強く支えるものとなりました。

現代の進化生物学では、「適応」だけでなく、「偶然」や「歴史的な制約」も重視されます。ある形質が存在するのは、それが現在の環境で最も完全な形だからというより、「過去の進化の積み重ねの結果として、たまたまそうなっている」という側面も大きいと考えられます。また、同じような環境で似た形質が独立に進化する「収斂進化」や、一つの変化が複数の影響をもたらす「多面発現」など、進化のパターンの多様性も明らかになっています。

このように、進化論はダーウィンの時代から内容を大きく豊かにしながら発展してきました。基本的な枠組み――生物は変化する、共通祖先から分岐する、自然選択などのメカニズムが働く――は維持されつつ、その具体的な仕組みや細部は新しい発見によって更新され続けています。

世界史の中の進化論:社会思想への影響と誤用

進化論は、生物学の枠をこえて、世界史や社会思想にも大きな影響を与えました。19世紀後半のヨーロッパでは、産業革命や帝国主義の進展と重なり合うなかで、進化論が人間社会の理解にも応用されるようになります。とくに、ハーバート・スペンサーらが唱えた「社会ダーウィニズム」は、「自然界で強いものが生き残るのだから、人間社会でも競争に勝った者が支配するのは当然だ」という考え方を広めました。

社会ダーウィニズムは、貧困層や植民地の人びとに対する冷酷な態度を正当化する論理として利用されました。「劣った民族」や「遅れた文明」は、進化の競争に負けた結果なのだから支配されても仕方がない、という発想です。こうした考え方は、帝国主義や人種主義と結びつき、植民地支配や侵略戦争のイデオロギー的な支えの一つとなりました。ここでは、生物学的な進化の考え方が、価値判断を伴った社会理論にねじ曲げられている点が問題です。

また、一部の思想家や政治運動は、「人種の改良」や「優生学」の名のもとに、進化論を根拠に人の生殖をコントロールしようとしました。20世紀前半には、優生政策として障害者や特定の集団に対する強制不妊手術が行われたり、極端な場合にはナチス・ドイツによるホロコーストのような大量虐殺が「劣等人種排除」という歪んだ進化観念と結びつけられたりしました。これらは進化論の科学的内容とは別物であり、むしろ科学の名を借りた差別と暴力のイデオロギーでした。

宗教との関係も、世界史の中で重要なテーマです。進化論が登場した当初、キリスト教世界では創造論との対立が注目されましたが、その後、多くの宗教者や神学者は、進化を神の創造の方法の一つとして理解しようとするなど、さまざまな調停の試みを行ってきました。現在では、多くの宗教団体が進化論を科学的説明として受け入れつつ、信仰との関係づけをそれぞれの形で行っています。一方で、依然として進化論に反対し、学校教育から排除しようとする動きも一部には存在します。

進化論は、文学や芸術の世界にも影響を与えました。人間を特別な存在ではなく自然の一部として描こうとするリアリズム、環境と生存競争をテーマとする作品、文明の興亡を「適応と変化」の観点から描き直そうとする試みなど、さまざまな形で進化の思想が取り入れられました。また、SF作品の中では、進化や変異、未来の人類像などが繰り返し扱われています。

このように、進化論は科学的理論であると同時に、人間や社会をどう見るかという大きな問いとかかわってきました。その影響は肯定的な面と否定的な面の両方を持ち、時代や地域によってさまざまな受容のされ方をしてきました。進化論を理解することは、生物の歴史を知ることだけでなく、近代以降の世界がどのような考え方のもとで動いてきたのかを考える手がかりにもなります。