自由主義(じゆうしゅぎ)とは、個人の自由と権利を社会や政治の中心的な価値として尊重しようとする考え方・思想の総称です。ここで言う「自由」とは、好き勝手にふるまうことではなく、「他人の自由を侵害しない範囲で、自分の人生を自分で選び、考えや信仰、仕事や生活のあり方を自ら決められること」を意味します。国家や権力は、そうした個人の自由を守り、むやみに干渉しないように制限されるべきだ、というのが自由主義の基本的な発想です。
世界史の中で自由主義がはっきりした形で登場するのは、17〜19世紀のヨーロッパです。絶対王政のもとで強い王権に支配されていた社会に対して、「王の権力にも限界がある」「法の下の平等や言論・信教の自由が尊重されるべきだ」と主張する思想として生まれました。ジョン=ロックに代表される社会契約論、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に見られる「自由・平等・所有権」の思想、議会政治や立憲主義の発展などが、その具体的な形です。
19世紀になると、自由主義は「政治上の自由」だけでなく、「経済活動の自由」(自由放任主義・市場経済)とも結びつき、「政府はできるだけ経済に口出しせず、個人や企業の自由な取引に任せるべきだ」という考えが広まりました。他方で、工業化の進展にともなう貧富の差の拡大や労働者の生活悪化に直面して、「自由を認めるだけでは不十分で、一定の社会保障や労働保護が必要だ」と考える「修正された自由主義」「社会自由主義」も登場します。
現代では、「自由主義」と一口に言っても、政治的自由を重視するリベラルな立場から、市場の自由を最優先する経済的自由主義、少数者の権利保障を強調する人権志向の自由主義など、さまざまなバリエーションがあります。また、自由主義は民主主義・資本主義と深く結びつきつつも、ナショナリズムや社会主義、保守主義など他の思想とのあいだで緊張や折り合いを持ちながら展開してきました。以下では、自由主義の基本的な考え方、その歴史的な展開、経済・社会との関係、現代における多様な自由主義の姿について、順を追って見ていきます。
自由主義の基本的な考え方
自由主義の中心にあるのは「個人」という発想です。自由主義は、人間をまず「国家や共同体の部品」ではなく、「自分で考え、自分の人生を選ぶ主体」としてとらえます。そのため、自由主義の議論では、しばしば次のような価値が重視されます。すなわち、良心や信仰の自由、言論・出版・集会の自由、職業選択や居住・移動の自由、所有権(財産権)の保障、法の下の平等などです。
こうした自由を守るために、自由主義は「権力への警戒」を出発点とします。人間が権力を持つと、必ずしも善良にふるまうとは限らず、しばしば自分の利益のために他人を抑圧します。そこで、自由主義は「権力は限定され、法律によって縛られなければならない」と考えます。これが立憲主義の考え方です。憲法によって政府の権限をはっきり定め、その範囲を超えて市民の自由を侵してはならない、という枠組みを作ろうとするのです。
また、自由主義は「権力の分立」も重視します。立法・行政・司法の権限を分けて互いに牽制し合うことで、一つの機関や人物に権力が集中するのを防ごうとします。モンテスキューの三権分立論は、その代表例です。こうした制度的工夫は、個人の自由を守るための安全装置として理解されます。
さらに、自由主義は「多様な価値観が共存する社会」を前提にします。人びとはそれぞれ違った宗教や人生観、生活様式を持っており、「唯一の正しい生き方」を国家が押しつけるべきではない、と考えます。そのため、自由主義は「寛容」の価値を強く訴えます。自分と違う考え方や信仰があっても、それが他人に暴力をふるったり、基本的な権利を奪ったりしない限り、認め合って共に生きるべきだという態度です。
ただし、自由主義のいう「自由」は、無制限ではありません。他人の生命・身体・財産・自由を侵害する行為(暴力・詐欺・奴隷化など)は、法律によって制限されるべきだと考えます。「あなたの自由は、他人の自由を侵害しないところまで」という線引きが重要であり、その具体的な基準をめぐって自由主義者の間でも議論が続いてきました。
自由主義の歴史的な登場と展開
自由主義の思想的な源流は、17世紀以降のヨーロッパにさかのぼります。絶対王政のもとで国王が強大な権力を握り、宗教対立や課税をめぐる不満が高まる中で、「王の権力にも限界があり、人民の権利がある」と主張する思想が生まれました。その代表がイギリスの思想家ジョン=ロックです。
ロックは、人間はもともと「自然状態」において生命・自由・所有権といった自然権を持っていると考えました。人びとはこれらの権利をより安全に守るために「社会契約」を結び、政府をつくります。したがって、政府の役割は自然権を保護することであり、それを侵す政府は人民によって変えられてよい、という発想です。この考え方は、のちのアメリカ独立革命やフランス革命に大きな影響を与えました。
18世紀末のアメリカ独立宣言(1776年)は、「すべての人間は平等に造られ、創造主によって生命・自由・幸福追求の権利を与えられている」と述べ、政府はこれらの権利を守るために存在すると主張しました。フランス人権宣言(1789年)もまた、「自由・所有権・安全・圧政への抵抗」を自然権として掲げました。これらの宣言は、身分制社会と絶対王政を批判し、「市民」としての個人を政治の主人公に据え直そうとした点で、自由主義思想の象徴的な文書です。
19世紀に入ると、自由主義はヨーロッパ各地で「政治改革を求める運動」と結びつきます。選挙権の拡大、議会の権限強化、憲法の制定や改正、言論・結社の自由の保障などを求める運動は、「自由主義者(リベラル)」の運動と呼ばれました。特に1848年の「諸国民の春」と呼ばれる一連の革命では、自由主義者たちが各地で立憲政治や市民の権利を求めて立ち上がりました。
同時に、自由主義は「民族自決」や「国民国家の形成」とも結びつきます。イタリアやドイツなど、分裂していた地域で統一国家をつくろうとする運動は、しばしば自由主義者と結びついていました。彼らは、「自由な市民が、自らの国民国家をつくり、その中で立憲政治を行う」という理想を掲げたのです。ただし、こうした国民統合の発想は、ときに少数民族や周辺地域への同化圧力として働き、自由主義の「寛容」とのあいだで矛盾や緊張も生み出しました。
経済的自由主義とその修正
自由主義は政治だけでなく、経済の領域でも大きな影響を持ちました。18〜19世紀の産業革命期には、「人びとが自由に売買し、企業が自由に投資・生産できる市場経済こそが、社会全体を豊かにする」という考えが強まりました。アダム=スミスの『国富論』に象徴されるような経済的自由主義(ラッセ=フェール=自由放任主義)は、「市場には見えざる手が働いており、政府が過度に介入しない方がうまくいく」という信念を持っていました。
この経済的自由主義のもとで、所有権の保障、契約の自由、移動や職業選択の自由などが重視され、封建的な身分やギルドの規制は徐々に廃止されていきました。企業家や資本家は、規制の少ない環境で新しい技術や事業に挑戦し、産業と都市は急速に発展しました。自由州を基盤とするアメリカ北部の社会も、「自由な労働市場」と「個人の自助」を強調する自由主義的文化を特徴としていました。
しかし、経済的自由主義は同時に、大きな問題も生み出しました。労働時間の長さや低賃金、労働災害、児童労働など、労働者の生活は過酷なものになりがちでした。また、景気の変動や不況の影響を直接的に受けるのも、生活基盤の弱い人びとでした。市場の競争は、効率の良い企業を伸ばす一方で、弱い立場の人びとを容赦なく切り捨てる面もあったのです。
こうした現実に対して、19世紀末から20世紀にかけて、「自由を守るためには、むしろ一定の社会保障や労働保護が必要だ」という考え方が登場します。単に国家の干渉を減らすだけでなく、「貧困や無知から人びとを守らなければ、自由を形式的に持っていても実際には活用できない」という見方です。これが、いわゆる「社会自由主義」「修正資本主義」「福祉国家的自由主義」の発想です。
たとえば、最低賃金制度や労働時間の上限、失業保険や年金、教育の無償化などは、「個人の自由な生き方を支える条件整備」として説明されました。この立場からすれば、「国家による一定の介入や再分配」は、自由主義と矛盾するのではなく、「実質的な自由」を保障するための手段ということになります。ここで、古典的な「小さな政府」を理想とする自由主義と、福祉や平等を重視する自由主義のあいだに、さまざまなバリエーションと論争が生まれていきました。
現代における多様な自由主義
現代において「自由主義」と言われるとき、その中身は一枚岩ではありません。政治の文脈では、しばしば「人権・少数者の権利・表現の自由を重視する立場」を指して「リベラル」と呼ぶことがあります。ここでは、性別・人種・宗教・性的指向などにかかわらず、人びとの基本的人権が守られること、多数派の価値観が少数派に一方的に押しつけられないことが重視されます。
一方で、経済の文脈では「市場の自由」「規制緩和」「民営化」などを重視する立場が「(新)自由主義」と呼ばれることがあります。これは、国家の経済介入を減らし、企業活動や競争を促進することで成長を目指す考え方です。ただし、「新自由主義」という言葉はしばしば批判的な意味合いで使われ、「格差拡大や弱者切り捨てを招く」として問題視されることも多くなっています。
また、保守主義や民族主義と自由主義の関係も、国や時代によって異なります。ある国では、「個人の自由と市場経済を重んじる保守」が「経済的自由主義」と結びつき、別の国では、「伝統的な価値観や共同体を守る保守」が、自由主義的な個人主義と対立することもあります。自由主義は、単独で存在するというより、いつも他の思想や社会状況との関係の中で、その意味を変化させてきました。
自由主義に対する批判も、多方面から出されています。社会主義やマルクス主義の立場からは、「自由主義は形式的な法の平等をうたう一方で、資本家と労働者の経済的不平等を温存する」と批判されました。また、コミュニタリアン(共同体主義)の立場からは、「自由主義は個人をあまりに重視しすぎ、共同体の価値や連帯を軽視している」と指摘されました。さらに、ポストコロニアルの視点からは、「自由主義の名のもとに、西欧が他地域に介入や支配を正当化してきた面がある」と批判されることもあります。
他方で、20世紀の全体主義(ファシズムやスターリン主義など)を経験したのち、多くの社会で「個人の自由と権利を守ること」は、たとえ限界や問題点があっても、避けて通れない価値として再確認されました。言論の自由や法の支配、人身の安全といった自由主義的な原理は、国際人権規約や各国の憲法の中にも広く組み込まれています。
このように、自由主義は歴史の中で形を変えながら、現代世界の基本的な政治・法制度の背後にあり続けています。同時に、その解釈や具体化の仕方をめぐっては、今なお激しい議論が続いています。自由主義という用語を学ぶときには、「個人の自由を守る」というシンプルな原理だけでなく、その原理をどう制度化し、経済・社会の現実とどう折り合わせていくのかという、長い試行錯誤の歴史も合わせて意識しておくことが大切です。

