自由主義経済学 – 世界史用語集

自由主義経済学(じゆうしゅぎけいざいがく)とは、個人や企業の経済活動をできるだけ自由に任せ、市場の働き(需要と供給の関係)にゆだねることが、社会全体の富や効率を最大にすると考える経済思想・理論のことです。国家は最低限のルールづくりや治安維持にとどめ、価格・生産量・投資の判断には過度に口出しすべきでない、と主張する立場です。「見えざる手」「自由放任(レッセ=フェール)」というキーワードで説明されることが多いです。

この自由主義経済学は、18〜19世紀にイギリスを中心に発展した古典派経済学(アダム=スミス、リカード、マルサスなど)の理論に基づいています。当時のヨーロッパでは、国家が貿易を厳しく管理し、独占特権や重い関税で商工業をコントロールする「重商主義」が主流でした。これに対して自由主義経済学は、「国家があれこれ介入するよりも、自由な競争に任せた方が、結果として富は増え、資源も効率的に配分される」と批判し、関税引き下げ・自由貿易・規制緩和などを訴えました。

簡単に言えば、自由主義経済学とは「市場は基本的に自律的にうまく働く」「国家はできるだけ小さく、ルール作りと治安維持に専念すべきだ」という考え方にもとづく経済理論です。世界史では、産業革命期のイギリス、穀物法の廃止、金本位制や自由貿易体制、さらには20世紀の新自由主義に至るまで、自由主義経済学の発想が国際経済や各国の政策に大きな影響を与えました。一方で、恐慌や不況、貧富の差の拡大などを経験するなかで、「自由に任せるだけでは問題が多い」とする批判や修正も生まれ、ケインズ経済学や福祉国家政策へとつながっていきます。

以下では、まず自由主義経済学の基本的なイメージと特徴を確認し、その歴史的な成立過程、理論の中身(市場メカニズム・自由放任・国際貿易論)を整理したうえで、その限界と批判、そして20世紀以降の新自由主義との関係について、もう少し詳しく解説していきます。

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自由主義経済学とは何か:基本イメージと特徴

自由主義経済学の根本にあるのは、「人々は自分の利益を求めて行動するが、その個々の利己的な行動が、市場を通じて結果的に社会全体の利益につながる」という発想です。アダム=スミスが『国富論』で語った「見えざる手」という表現はその象徴です。パン屋や靴屋は、「人々を幸福にするため」ではなく「自分の暮らしのため」に働いていますが、互いに競争することで価格は適切な水準に落ち着き、消費者も必要なものを手に入れることができる、というイメージです。

この考え方から、自由主義経済学は次のような特徴を持ちます。第一に、「市場価格は需要と供給の関係によって自然に決まるべきだ」と考えます。価格は商品やサービスの「希少性」と「人々の欲求」を反映するシグナルであり、価格メカニズムを通じて資源は最も価値の高い用途に振り向けられます。第二に、「政府の介入は最小限に抑えるべきだ」と主張します。最低限の治安維持・契約の強制・貨幣の安定といった基盤は必要ですが、賃金や価格を細かく決めたり、特定産業を守るための過度な保護を行ったりすると、市場のシグナルがゆがめられ、非効率が生じると考えます。

第三に、個人の所有権と契約の自由を重視します。人びとが自分の財産を自由に使い、他人と自由に契約や取引を結べることが、投資や技術革新の原動力になると考えるからです。これにより、人々は将来の利益を見込んでリスクを取る意欲を持ち、経済全体の成長が促されるとされました。こうした考え方は、政治的自由主義・法の支配とも強く結びついています。

世界史の文脈で言えば、自由主義経済学は「絶対王政と重商主義への批判」「近代市民社会と資本主義の理論的裏付け」として登場し、産業革命の進展とともに、イギリスを中心に世界経済のルールを作る側の思想となっていきました。自由貿易による世界市場の拡大や、金本位制といった国際金融制度は、自由主義経済学の発想に支えられています。

歴史的成立:重商主義批判から古典派経済学へ

自由主義経済学が歴史の舞台に登場する前、ヨーロッパの多くの国で支配的だったのは「重商主義」と呼ばれる経済政策でした。重商主義のもとでは、国家が貿易や産業を積極的に管理・保護し、金銀の蓄積や輸出の増大を目指しました。関税や輸入制限、特権的な商人ギルドの保護、国家が授ける独占権などが特徴で、「国家の富=王の富」を増やすことが優先されました。

しかし18世紀に入ると、ヨーロッパとくにイギリスでは、商工業・農業・金融などの分野で新しい階層(市民・資本家)が台頭し、「過度な規制や独占特権が、かえって経済の発展を妨げているのではないか」という不満が高まります。この時期に、フランスの「重農主義(フィジオクラシー)」やイギリスの経済思想家たちが、自然な経済秩序や市場の自発的な調整能力を強調するようになります。

その集大成が、1776年に刊行されたアダム=スミスの『諸国民の富(国富論)』でした。スミスは、重商主義が重視する金銀の蓄積ではなく、「国民の労働がどれだけ生産的に用いられているか」が国の富の源泉だと論じました。そして、分業による生産性の向上、競争による効率化、自由な取引による資源配分の改善といったメカニズムを理論的に説明しました。国家は「夜警国家」として、治安維持・司法・インフラ整備など最低限の役割にとどまり、経済活動には基本的に介入すべきでないと主張しました。

スミスの後、19世紀前半にはリカードやマルサスといった古典派経済学者が登場し、自由主義経済学の理論はさらに精緻化されました。リカードは、比較優位説によって「たとえ一方の国があらゆる商品で生産性が高くても、各国が得意な分野に特化して貿易すれば互いに利益を得られる」と論じ、自由貿易を強く擁護しました。この考え方は、穀物法廃止運動(イギリスの穀物輸入制限を撤廃しようとする運動)の理論的支柱となり、1846年の穀物法廃止とイギリス自由貿易体制の確立につながります。

こうして、自由主義経済学は「古典派経済学」として一つの学問体系を形成し、19世紀のイギリスを中心に「世界の工場」としての経済覇権を支える思想的基盤となりました。イギリスが低関税・自由貿易・金本位制を採用し、各国に同様の制度を広めようとした背景には、自国の産業競争力への自信とともに、「自由な市場が世界全体を豊かにする」という自由主義経済学の信念がありました。

自由主義経済学の理論:市場メカニズムと自由放任

自由主義経済学を支える理論をもう少し具体的に見ると、いくつかの重要な柱があります。まず第一に、市場メカニズムの重視です。古典派経済学では、価格は需要と供給の均衡点で決まり、その価格が生産や消費の判断を導くと考えます。もしある商品が不足していれば価格が上昇し、それを見た生産者は生産を増やし、新たな企業も参入します。逆に供給過剰なら価格が下がり、生産は縮小し、非効率な企業は退出します。このように、市場は自動的に調整機能を持っているとされました。

第二に、自由放任(レッセ=フェール)の原則があります。これは、「やらせておけばよい」という意味合いで、政府が価格統制や生産制限、貿易規制などを行うと、市場の調整機能を妨げてしまうという考え方です。特定の産業を保護する高関税や補助金は、一時的にはその産業を守るかもしれませんが、長期的には競争力を弱め、国全体の資源配分をゆがめると批判されました。

第三に、国際貿易に関する自由主義的な見方があります。リカードの比較優位説に基づけば、各国は自国が相対的に得意な産業に特化し、不得意なものは輸入した方が、世界全体の生産量は増え、互いに利益を得ることができます。したがって、自給自足や輸入制限を目指す保護主義は非効率であり、関税を低く抑えた自由貿易こそが望ましいとされました。

第四に、古典派の賃金・利潤・地代に関する理論があります。例えば、マルサスやリカードは、人口の増加と食糧供給の制約から「生活賃金」に収束する傾向、土地の肥沃度の違いから生じる「地代」、資本蓄積と利潤率の長期的な低下傾向などを議論しました。これらの議論は、自由主義経済学が必ずしも「楽観主義」だけではなく、資本主義の内在的な制約や不安定性も意識していたことを示します。

とはいえ、古典派自由主義経済学の基本姿勢は、「市場の自律性への信頼」と「政府の役割の限定」にありました。失業や不況が生じても、それは一時的な現象であり、賃金や利子率が調整されれば、再び完全雇用に近い状態に戻ると考えられていました。この前提が、後に20世紀の大恐慌を経て、大きく見直されることになります。

自由主義経済学への批判と修正:ケインズ、福祉国家、新自由主義

自由主義経済学は19世紀の長いあいだ主流でしたが、20世紀に入るとその限界が次第に明らかになります。特に1929年に始まる世界恐慌は、失業と企業倒産が連鎖的に拡大し、「市場に任せておけば自然に均衡する」という古典派の前提を揺るがしました。価格や賃金が下がっても需要が回復せず、長期の不況が続いたことで、「政府が積極的に有効需要を創り出すべきだ」という新しい考え方が登場します。

その代表がケインズ経済学です。ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』で、「市場メカニズムだけでは完全雇用が達成されないことがある」と論じ、政府支出の拡大や金融政策による景気刺激を提唱しました。これは、自由主義経済学の「政府は基本的に口出ししない方がよい」という立場に対する大きな修正でした。第二次世界大戦後、多くの先進国で、ケインズ的な需要管理政策と社会保障制度を組み合わせた「福祉国家」が作られ、これを理論的に支えるのは古典派ではなく「修正された自由主義」でした。

しかし、1970年代になると、インフレと失業が同時に進行するスタグフレーションが起こり、ケインズ政策への批判が高まります。この時期に再び注目されたのが、自由主義経済学の伝統を引き継ぎつつ発展させた「新古典派経済学」や「マネタリズム」、そして政策面での「新自由主義」です。フリードマンらのマネタリストは、インフレの主な原因を過度な通貨供給に求め、中央銀行による安定したルールにもとづく金融政策を重視しました。

新自由主義的な政策は、レーガン政権のアメリカやサッチャー政権のイギリスなどで実践され、規制緩和・民営化・市場競争の促進・小さな政府を掲げました。これは、一種の「自由主義経済学への回帰」とも言えますが、19世紀の古典派と異なり、グローバルな資本移動や多国籍企業の活動、金融市場の巨大化を背景にしていました。そのため、新自由主義は「自由主義経済学の現代版」と見なされる一方で、格差拡大や金融危機の原因として批判されることも多くなりました。

このように、自由主義経済学は歴史の中で何度も批判・修正を受けながら、形を変えて生き続けてきました。純粋な「自由放任」は現代ではほとんど支持されていませんが、「市場メカニズムの活用」「過度な国家介入への警戒」「所有権と契約の自由の尊重」といった自由主義経済学の基本原理は、多くの国の経済政策・国際経済秩序の前提として今もなお強い影響力を持っています。

世界史の学習で自由主義経済学という用語に出会ったときには、単に「国家が経済にあまり口出ししない考え方」と覚えるだけでなく、重商主義批判から古典派の成立、19世紀の自由貿易体制、20世紀のケインズ革命と新自由主義の登場といった長い流れの中で、その意味と役割がどう変わってきたのかを意識してみるとよいです。そうすることで、「市場と国家の役割分担」をめぐる議論が、現在も続く大きなテーマであることが見えてくるはずです。