修正主義とは、もともと「それまで一般的だった理論や方針を、現実に合わせて組み替えようとする立場」を指す言葉です。世界史でとくに重要なのは、19世紀末から20世紀初めのドイツの社会主義運動の中で、「マルクスの理論を穏健に修正し、革命ではなく議会や改革を重視しよう」と主張した潮流をさして使われる用法です。このとき修正主義を唱えた代表的な人物がエドゥアルト・ベルンシュタインであり、彼に反対した側がこの言葉をやや否定的なレッテルとして広めました。
一方で、「修正主義」という言葉は、それ以外の文脈でも用いられます。たとえば、第一次世界大戦後に結ばれたヴェルサイユ条約などの国際秩序を「不公平だ」とみなして変更を求めた国々を「修正主義国」と呼ぶことがあります。また、歴史研究や社会の議論の中で、従来の通説を大きく書きかえようとする立場を「修正主義的」と呼ぶこともあります。現代日本語では、ときに「歴史修正主義」のように、過去の加害や責任を軽く見せようとする姿勢を批判的に指す際にも使われます。
このように、修正主義という用語は文脈によって意味合いが変わりますが、世界史の授業や教科書で単に「修正主義」と出てきたときは、多くの場合、「マルクス主義の内部から現れた、革命論の穏健化・再解釈の潮流」を指していると理解しておくとよいです。そのうえで、なぜそのような修正が必要だと考えられたのか、そして何が問題視されたのかをたどると、近代ヨーロッパの社会運動や政治のダイナミズムが見えやすくなります。
修正主義という言葉の意味と用法
まず、「修正主義」という言葉そのものの意味を整理しておきます。日本語で「修正」といえば、間違いを直したり、古くなった部分を改めたりするニュアンスがあります。したがって、広い意味では「これまでの理論や路線の一部を見直し、現実に合わせて調整しようとする立場」を修正主義と呼ぶことができます。それ自体は必ずしも否定的な言葉ではなく、学問や政治の世界では、状況の変化に応じて考え方を更新することはむしろ日常的な営みです。
しかし、世界史で問題になる修正主義は、多くの場合、「それまでの正統派からの批判を受けている立場」という、ややネガティブなニュアンスを含みます。とくにマルクス主義の世界では、正統派が自分たちの理論を「正しいマルクス主義」と見なし、それを穏健に変えたり弱めたりしようとする動きを「修正主義」と名づけて批判してきました。このため、「修正主義者」と言われることは、多くの場面で「原則を曲げて現状に妥協する裏切り者」といった非難を含んでいたのです。
こうした使い方は、20世紀の社会主義国や共産主義運動の中でも広がりました。たとえば、ソ連や中国の指導部は、自分たちと路線が異なる他国の共産党や国内の反対派を、「修正主義」「現代修正主義」と呼んで攻撃することがよくありました。このときの修正主義は、「革命の精神をゆるめ、資本主義や西側諸国との妥協を許容する危険な傾向」という意味合いで使われています。
一方、国際関係の分野では、「修正主義国」という言葉が別の意味で用いられます。ここでの修正主義は、国際的な現状(現状体制)に不満を持ち、それを改めようとする国をさす概念です。第一次世界大戦後のドイツやイタリア、日本などは、ヴェルサイユ体制の下で不利な立場に置かれていると感じ、国境線や植民地分配の「修正」を求めました。このため、彼らはしばしば「修正主義国」と呼ばれ、現状維持を望むイギリス・フランスなどと対立する構図をつくりました。
さらに、歴史学や社会の議論の中では、「歴史修正主義」という言い方も見られます。これは、本来は「従来の歴史解釈を見直し、新しい資料や視点から再検討する試み」を指しうる言葉ですが、現代ではしばしば「不都合な過去や加害の歴史を軽く見せたり否定したりする立場」を批判的に指す意味で使われることが多いです。このように、「修正主義」という語には、中立的な意味と批判的な意味が混在しており、文脈に注意して読み取る必要があります。
マルクス主義修正主義の成立背景
世界史で中心的に扱われる修正主義は、19世紀末のドイツ社会民主党(SPD)を舞台とした「マルクス主義修正主義」です。その背景には、ヨーロッパの工業化の進展と労働運動の成長、そしてマルクスの予測と現実とのずれがありました。マルクスは資本主義の矛盾が深まり、資本家と労働者の対立が激化した末に、革命的な転覆が起こると考えました。しかし、19世紀後半のドイツやイギリスでは、事情はそれほど単純ではありませんでした。
たしかに工業化にともなう労働者の貧困や過酷な労働条件は深刻でしたが、同時に、労働運動の組織化や労働者政党の議会進出が進み、賃金や労働条件が少しずつ改善される場面も増えていきました。ドイツでは、ビスマルクが社会保険制度を導入するなど、労働者層の不満をなだめる政策もとられました。また、選挙制度の拡大により、労働者政党は議会で大きな議席を得るようになります。こうした変化は、「資本主義はすぐにも崩壊し、革命が近い」という単純な図式とは少し違う現実を示していました。
ドイツ社会民主党は、マルクス主義を基本としながらも、合法的な選挙や議会活動を通じた改革を重視する政党として成長しました。綱領の上では、社会主義社会の実現や私有財産制度の克服を掲げつつ、実際の政治行動としては、労働時間の短縮や賃金の改善、社会保障の充実など、具体的な改革要求を積み重ねていきました。このような「理論上は革命、実務上は改革」という二重構造のなかで、マルクス主義の解釈をどう整理するかが大きな課題として浮かび上がってきたのです。
そのなかで現れたのが、エドゥアルト・ベルンシュタインの修正主義でした。ベルンシュタインは、長く亡命先のロンドンで活動し、イギリスの議会制民主主義や労働運動の現実を間近に観察していました。彼は、資本主義がマルクスの予測とは異なり、ある程度は調整・改革されうること、労働者階級の生活水準も一部で向上していることに注目します。こうした現実を前にして、マルクスの理論をそのまま維持するのではなく、経験にもとづいて修正する必要があると考えたのです。
ベルンシュタインの問題提起は、「革命か、それとも民主主義的改革か」「資本主義を一気に打倒するのか、それとも徐々に乗り越えていくのか」という、社会主義運動にとって根本的な問いを突きつけるものでした。彼の主張は、ドイツ社会民主党内部だけでなく、第二インターナショナル全体を巻き込む大論争へと発展していきます。
ベルンシュタインの修正主義とその論争
ベルンシュタインの修正主義の核心は、大きく言えば「資本主義の崩壊は必然ではない」「革命だけが社会主義への道ではない」という二点にまとめることができます。彼は、株式企業や銀行の発達、労働組合運動や議会制民主主義の広がりなどを踏まえ、資本主義が以前よりも柔軟で調整可能なシステムになっていると考えました。マルクスが予測したような「少数の巨大資本家と多数の極貧労働者」という単純な二分化は進まず、中間層の存在も無視できないと指摘します。
この現実認識にもとづき、ベルンシュタインは、「社会主義の目標」を完全に捨てるわけではないものの、「革命的崩壊の予言」や「資本主義の必然的終焉」といった要素を弱め、「民主主義の拡大」「議会を通じた漸進的改革」「協同組合や労働組合の活動」を重視する路線を提唱しました。彼の有名な言葉として、「最終目標は私にとって無であり、運動こそがすべてである」といった趣旨の表現が知られています。これは、遠くにある理想よりも、今ここで達成できる具体的な改革を重視する姿勢をよく表しています。
これに対して、カール・カウツキーやローザ・ルクセンブルクなど、当時の「正統派」マルクス主義者は、ベルンシュタインを激しく批判しました。彼らにとって、ベルンシュタインの修正主義は、資本主義の本質的な矛盾を見えにくくし、労働者階級の革命的意識を弱める危険な立場だと映ったからです。ルクセンブルクは「社会改革か革命か」という論文で、改革の積み重ねだけでは資本主義の枠組みを根本的に変えることはできず、いずれは権力そのものを転換する革命が必要だと主張しました。
ドイツ社会民主党内部では、1903年の党大会などで、ベルンシュタイン的な修正主義は公式には否定され、「党綱領の革命的内容を維持する」という方針が再確認されました。しかし、実際の政治実務のレベルでは、議会での協調や漸進的改革が続けられ、党の多くの指導者は、理論上の「革命」と、現実の「改良主義」のあいだで揺れ動きながら活動を続けました。このギャップが、のちに第一次世界大戦への対応や、社会民主主義と共産主義の分裂にも影響を与えていきます。
こうしてベルンシュタインの修正主義は、単なる理論上の一意見をこえて、20世紀の左翼運動全体にとっての「分かれ道」となりました。革命を最重視し、資本主義との妥協を拒む立場は、レーニンらが率いるボリシェヴィキや、のちの共産党へとつながっていきます。一方、議会制民主主義や福祉国家の枠組みのなかで社会改革を進めようとする立場は、ヨーロッパ型の社会民主主義政党へと発展していきました。修正主義をどう評価するかは立場によって大きく異なりますが、その論争が20世紀政治の基本構図を形づくる一因となったことは確かです。
その後の修正主義と現代における用語の広がり
ベルンシュタイン以来、「修正主義」という言葉は、主にマルクス主義の内部で、正統派からの批判語として使われ続けました。20世紀のソ連では、スターリン路線に批判的な立場や、西側との平和共存・市場要素の導入に前向きな立場がしばしば「修正主義」と非難されました。冷戦期には、中国がソ連を「現代修正主義」と呼び、自国の路線の正統性を主張する場面もありました。この場合の修正主義は、「革命の原則を捨て、資本主義や帝国主義に迎合する裏切りの思想」という非常に強い否定的意味を持っています。
しかし、歴史をふり返ると、こうした「修正主義」的と名づけられた動きの中にも、現実に即した柔軟な対応や、暴力的な路線からの距離の取り方が含まれていたことも事実です。そのため、今日の歴史研究では、単にレッテルとしての「修正主義」という言葉にとらわれず、それぞれの時代背景や社会状況を踏まえて評価しなおそうとする試みも行われています。
一方、国際政治の分野では、「修正主義国」という概念が今も使われています。これは、国際社会の「現状(ステータス・クオ)」を受け入れ、それを維持しようとする国を「現状維持国」と呼ぶのに対し、国境線や同盟関係、勢力圏などの見直しを求める国を「修正主義国」と呼ぶ区別です。第一次世界大戦後のドイツやイタリア、日本は、ヴェルサイユ体制や列強による植民地分割に不満を抱き、それを武力や外交を通じて変えようとしたため、修正主義国とされました。この用語は、国際秩序の安定と変動を理解するうえでの一つの視角を提供します。
また、現代日本語でよく話題になる「歴史修正主義」は、より政治的でセンシティブな言葉として用いられています。広い意味では、歴史研究において、従来の通説を批判的に見直し、新しい資料に基づいて解釈を更新することも「修正主義的」と言えます。しかし、日常的な政治・社会の議論では、過去の戦争責任や人権侵害などを軽視したり、否定したりする傾向を批判する際に、「歴史修正主義」と呼ぶことが多いです。この場合、「勝手な書き換え」「不都合な事実の隠蔽」といった否定的ニュアンスが強く前面に出ています。
このように、「修正主義」という用語は、19世紀末のマルクス主義内部の論争に由来しつつも、その後、国際政治や歴史認識の問題など、さまざまな場面で使われるようになりました。世界史でこの言葉に出会ったときには、まず「どの文脈で」「誰が誰に向かって」使っているのかを意識することが大切です。とくに、マルクス主義の修正主義を扱う場面では、ベルンシュタインが何を現実として見て、どの部分をどのように修正しようとしたのか、そしてそれに対して正統派がなぜ危機感を抱いたのかを押さえておくと、用語の背景がぐっと理解しやすくなります。

