ジョット – 世界史用語集

「ジョット」とは、13世紀末から14世紀前半にかけてイタリアで活躍した画家ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)のことです。フィレンツェを中心に活動し、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂(いわゆるアレーナ礼拝堂)の壁画装飾などで知られます。彼は、それまで中世ヨーロッパの美術を支配してきたビザンツ風の平面的で象徴的な聖人像から大きく離れ、立体感のある身体表現や、感情豊かな人間の姿を描き出しました。そのため、しばしば「ルネサンス絵画の先駆者」あるいは「近代絵画の父」と呼ばれます。

ジョット以前の西ヨーロッパ絵画では、金色の背景に浮かぶような聖人像や、厳格で変化の少ない顔立ちが主流でした。絵の目的は「聖なる教えを象徴的に示すこと」であり、現実の光や空間をどのように見えるかという問題は、あまり重視されていませんでした。これに対してジョットは、「現実世界の人びとのように重さを持ち、空間の中に立つ身体」「悲しみや喜びを表情や仕草で表す人物」を描こうと試みました。その結果、彼の作品からは、鑑賞者と同じ世界を生きる人びとが、喜び、嘆き、驚き、沈黙するといった、感情豊かなドラマが伝わってきます。

もちろん、ジョットの作品は、のちのルネサンス絵画のような完全な遠近法や自然主義に到達しているわけではありません。それでも、中世末の宗教画において「人間の身体と感情」をこれほどまでに正面から扱ったことは大きな革新であり、後世の画家たちに決定的な影響を与えました。以下では、ジョットの生涯の概略と、代表作スクロヴェーニ礼拝堂壁画を中心とする制作活動、そして彼が世界史上どのような意味を持つのかについて、順に見ていきます。

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ジョットの生涯と時代背景

ジョット・ディ・ボンドーネは、おおよそ1266年ごろ、フィレンツェ近郊の村に生まれたと考えられています。正確な生年については史料によって異なりますが、13世紀後半のトスカナ地方で育ったことは確かです。伝説では、羊飼いの少年だったジョットが、岩に羊の絵を描いているのを、有名な画家チマブーエが見つけ、その才能に驚いて弟子にした、と語られます。どこまで事実かは不明ですが、「自然をよく観察し、ありのままに描く才能を持つ少年」として人びとの記憶に残ったことは、彼の作風を象徴するエピソードにもなっています。

少年時代から青年期にかけて、ジョットは当時のフィレンツェ画壇の第一人者であったチマブーエに弟子入りし、教会や修道院のための聖母子像やフレスコ画制作に携わったと考えられています。チマブーエ自身も、それまでの典型的なビザンツ風様式から、人物の表情や身体感覚を少しずつ豊かにする方向へ歩み出そうとしていましたが、その傾向を一気に推し進めたのが弟子ジョットでした。

13〜14世紀のイタリアは、商業と金融の発展によって都市が繁栄していた一方、教皇権と皇帝権の対立(教皇党と皇帝党の争い)や、都市内部の派閥抗争が絶えない時代でもありました。フィレンツェでは、銀行業で財を成した市民階層が政治的にも力を増し、教会や公共施設への寄進を通じて「信仰と富」を示そうとしていました。こうした中で、教会堂・礼拝堂の壁を彩るフレスコ画は、信仰教育の手段であると同時に、都市や一族の威信を示す重要なメディアになっていきます。

ジョットは、フィレンツェだけでなく、パドヴァ、アッシジ、ローマ、ナポリなど各地で制作活動を行いました。なかでも、聖フランチェスコの生涯を描いたとされるアッシジのサン・フランチェスコ聖堂上堂のフレスコ群や、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画は、彼の代表作として高く評価されています。また、フィレンツェの市政にも関わり、市の宗教施設や公共建築の装飾を任されるなど、「都市の公式画家」としての位置づけを得ていきました。

彼の死は1337年ごろとされます。フィレンツェでは市民の尊敬を集め、死後も長く「偉大な画家」として記憶されました。詩人ダンテや後代の作家ヴァザーリなど、多くの文人がジョットを称賛し、「絵画芸術を中世的な形式から解放し、新しい時代への橋渡しをした人物」と位置づけました。

作風の革新―立体感・空間・感情表現

ジョットの革新を理解するためには、彼の前に主流だったビザンツ風の宗教画と比べてみると分かりやすいです。ビザンツ風の聖母子像や聖人像では、金色の背景に正面向きの人物が描かれ、身体は細長く、衣のひだは規則的な線で表現されることが多くありました。顔の表情は厳粛で変化が少なく、観る者に「超越的な神の世界」を思わせることが目的でした。

これに対してジョットは、まず人物の身体に「重さ」と「 volume(量感)」を与えました。彼の描く人物は、肩や胸、腹、脚の形が丸みを帯びており、衣の下に「骨格と肉」があることを感じさせます。衣のひだも、単に線でなぞるのではなく、光と影を用いて起伏を表し、布の厚みや重さが伝わるように工夫されています。人物は足元にしっかりと立ち、地面との接点が意識されているため、画面の中で「空中に浮いている」という印象が弱まり、現実の空間に近い感覚が生まれています。

また、ジョットは背景や建物の描き方にも工夫をこらしました。完全な線遠近法が確立されるのは15世紀のブルネレスキやマザッチョ以降ですが、ジョットの作品にも、舞台装置のように建物を斜めから見せたり、人物の位置関係を重なりによって示したりする試みが見られます。その結果、画面の中に「前後の奥行き」や「場面の空気」が感じられるようになり、物語性が一層強まりました。

さらに重要なのが、感情表現です。ジョットは、聖書の場面や聖人伝の場面を描く際、人物たちを「抽象的な象徴」としてではなく、「喜びや悲しみ、驚きや恐れを抱く人間」として描こうとしました。例えば、キリストの受難や十字架降架の場面では、聖母マリアや弟子たちが涙ながらにキリストの身体にすがりつき、悲嘆にくれる姿が描かれます。その表情やジェスチャーは、観る者が共感できるような自然さを持っており、「同じ人間としての感情」が画面を通じて伝わってきます。

人物同士の視線の交錯や手の動き、身体の傾きなども、感情や関係性を表現する重要な手段として用いられました。これにより、ジョットのフレスコ画は、単なる「場面の説明図」ではなく、「ドラマとしての物語」を伝える力を持つようになります。こうした点で、彼は絵画を「ストーリーテリングの媒体」として再発見したとも言えるでしょう。

スクロヴェーニ礼拝堂(アレーナ礼拝堂)の壁画

ジョットの代表作としてもっとも有名なのが、北イタリアの都市パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画装飾です。この礼拝堂は、富裕な銀行家エンリコ・スクロヴェーニによって建てられた私的な礼拝空間で、ジョットはその内壁一面を、聖母マリアとキリストの生涯物語で埋め尽くしました。制作時期はおおよそ1303〜1305年ごろとされます。

礼拝堂内部は、天井から壁面までびっしりとフレスコ画で覆われています。天井には星空と天使が描かれ、側壁には上から順に、ヨアキムとアンナ(マリアの両親)の物語、聖母マリアの物語、キリストの生涯、そして最後の審判が展開されます。見る者は礼拝堂に入って壁画を見上げながら、旧約的な予示からキリストの誕生・活動・受難・復活、そして世界の終末までを、視覚的にたどることができる構成になっています。

この壁画群の中でも、とくに有名な場面として「ユダの接吻」「哀悼(ピエタ)」「東方三博士の礼拝」などが挙げられます。「ユダの接吻」では、裏切り者ユダがキリストに接吻する瞬間が捉えられ、二人の顔が画面中央で接近して緊張感の高い構図が作られています。兵士たちの持つたいまつの光、押し寄せる人びとの群れ、闇夜の青い空などが組み合わさって、裏切りと逮捕の劇的な空気を見事に演出しています。

「哀悼」の場面では、十字架から降ろされたキリストの遺体を囲んで、聖母や弟子たちが泣き悲しむ姿が描かれます。画面左下に集まった人物たちは、身体を曲げてキリストに手を伸ばしたり、顔を覆って泣いたりしています。その表情は一人ひとり異なり、悲しみの受け止め方にも個人差があることが伝わってきます。背景の岩山の斜線や、上空を舞う天使たちの身振りも、場面の感情を強調する要素として機能しています。

スクロヴェーニ礼拝堂壁画のもう一つの特徴は、色彩と光の扱いです。ジョットは、青や赤、オーカーなどの限られた色彩を組み合わせながら、場面ごとの雰囲気に応じて微妙なニュアンスを付けています。背景の青と人物の衣の色の対比、光の当たる面と影になる面の塗り分けによって、画面に奥行きと静かな感情が生まれています。礼拝堂全体を通して見ると、一つひとつの場面が独立しつつも、全体として大きな物語の流れを形作っており、空間と時間を統合した「巨大な絵巻物」のような印象を与えます。

スクロヴェーニ礼拝堂は、単に「有名な名作」というだけでなく、ジョットの絵画思想――人間の感情、空間の構成、物語性――がもっとも凝縮された現場として重要です。世界史や美術史で「ジョットの代表作」として名前が挙がるのは、こうした理由からです。

建築と後世への影響―ルネサンスへの橋渡し

ジョットは画家であると同時に、建築にも関わった人物として知られます。フィレンツェの大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に隣接する鐘楼(いわゆるジョットの鐘楼)は、彼が設計に携わったと伝えられており、ゴシック様式と初期ルネサンス様式の要素を併せ持つ建築として評価されています。実際の完成までには彼の死後も長い時間がかかりましたが、「画家が都市の象徴的建築のデザインにも関わる」という点で、ルネサンス的人文主義者の先駆けとも見ることができます。

ジョットの死後、イタリアではペストの流行や政治的混乱が続き、一時的に文化活動が停滞しましたが、やがて15世紀になるとフィレンツェを中心に本格的なルネサンスが開花します。マザッチョ、フラ・アンジェリコ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどの画家たちは、遠近法や解剖学、光の表現をさらに発展させ、「自然と人間」を中心に据えた絵画を作り上げました。その際、ジョットの「立体感のある人物」「感情を持つ人間像」は、重要な先行例として意識されていたと考えられます。

16世紀の画家・建築家ヴァザーリは、美術家列伝の中でジョットを高く評価し、「ジョットは芸術を長い眠りから呼び覚ました」といった趣旨の言葉を残しました。これは、中世の象徴的・形式的な絵画表現から、ルネサンスの自然主義的・人間中心的な表現へ向かう転換点にジョットが位置している、という見方をよく表しています。もちろん、現代の研究では「中世=暗黒・停滞」式の単純なイメージは再考されていますが、それでもジョットの革新性は疑いようがありません。

また、ジョットの作品は、単に「技術的な進歩」という点だけでなく、「宗教と人間性の関係をどう描くか」という点でも重要です。彼の聖書場面は、神の威光を示すだけでなく、そこに関わる人びとの心の動きを細やかに描き出しており、「信仰を持つ人間のドラマ」として理解することができます。この視点は、のちの宗教画にも受け継がれ、バロックやロマン主義の表現にも通じていきます。

世界史の授業や試験では、「ジョット=ルネサンス絵画の先駆者」「スクロヴェーニ礼拝堂の壁画」というキーワードで触れられることが多いですが、その背後には、都市の繁栄と宗教、感情豊かな人間像、空間表現の模索といった、多くの要素が絡み合っています。ジョットという名前を見かけたときには、金色の平らな聖人像から、一歩現実に近づいた重みのある人物表現へと絵画が動き出した、その「揺れ」と「期待」の時代をあわせて思い浮かべてみると、理解がぐっと深まります。