アズハル学院 – 世界史用語集

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アズハル学院の創設と起源

アズハル学院(al-Azhar)は、イスラーム世界において最も古い高等教育機関の一つであり、現在もエジプトのカイロに存続するイスラーム学の最高学府です。その創設は10世紀後半に遡ります。ファーティマ朝のカリフ、ムイッズの命を受け、建国直後の首都カイロに「アズハル・モスク」が建てられたのが始まりです(970年頃)。

「アズハル(al-Azhar)」という名は「最も輝ける」「もっとも光り輝く」という意味を持ち、預言者ムハンマドの娘ファーティマ(「花のごとき者」=アル=ザフラー)にちなんで名付けられました。当初はイスマーイール派(シーア派)の教義を広めるために設立された宗教教育機関でしたが、後の時代にはスンナ派の学問の中心として発展していきます。

教育内容と学問体系

アズハル学院は、イスラーム世界の教育と知識の中心として、宗教と学問の双方を教授する場となりました。

  • 神学・法学:クルアーン解釈学(タフスィール)、ハディース学、イスラーム法学(フィクフ)、神学(カラーム)などが主要な学問でした。
  • 言語学:アラビア語文法、修辞学、詩学など、クルアーン理解の基盤となる学問が重視されました。
  • 自然科学:一時期には天文学、数学、医学といった実学も教授され、学問的総合性を有していました。

教育方法は、モスクの柱のもとで師匠と学生が集まり、口頭による講義・討論を行うというものでした。この形態は「ハラカ(学習集会)」と呼ばれ、イスラーム教育の伝統的スタイルとして今日まで受け継がれています。

スンナ派世界の学問的中心へ

アズハル学院は創設当初、ファーティマ朝の支配下にあったため、シーア派の色彩を帯びていました。しかし12世紀にアイユーブ朝のサラーフッディーン(サラディン)がエジプトを制圧すると、スンナ派への転換が進みました。その後、アズハル学院はスンナ派イスラームの中心的学問機関へと変貌を遂げました。

中世期から近世にかけて、アズハル学院はイスラーム世界各地から学生を受け入れ、エジプトのみならずアラブ・アフリカ・アジアのイスラーム社会に強い影響を与えました。卒業した学者や法学者は各地で司法・教育・宗教指導にあたり、アズハルの学問的権威は広範に及びました。

近代以降の改革と現代の役割

19世紀、エジプトがオスマン帝国の支配から脱し、近代化を進める中で、アズハル学院も大きな変革を経験しました。特にムハンマド・アリー朝時代以降、西洋式の教育機関が導入されると、アズハルも改革を余儀なくされました。

20世紀にはカリキュラムが近代化され、イスラーム学以外に自然科学や社会科学も導入されました。また、1961年にはアズハル大学として公式に再編され、エジプト国家の高等教育制度に組み込まれることとなりました。現在のアズハル大学は、神学部門と並行して医学、工学、農学など多様な学部を有し、イスラーム世界有数の総合大学として存続しています。

今日、アズハルはスンナ派の精神的権威として機能し、イスラーム法解釈や宗教的指導に大きな影響を持っています。極端主義に対抗する温和な解釈を提示するなど、現代のイスラーム社会における重要な役割を果たしています。

まとめ

アズハル学院は、10世紀にファーティマ朝によって創設され、イスラーム世界最古級の高等教育機関として発展しました。当初はシーア派の拠点でありながら、後にはスンナ派の学問的中心として、世界各地のイスラーム社会に影響を与えました。

近代以降は教育内容を刷新し、今日では神学と科学を併せ持つ総合大学として存続しています。その歴史的意義は、単なる教育機関にとどまらず、イスラーム世界における知識と信仰の権威の象徴として理解されるべきものです。