アフガニスタン攻撃(米軍) – 世界史用語集

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アフガニスタン攻撃の歴史的背景

アフガニスタン攻撃(米軍)とは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件(9.11)を直接の契機として、アメリカ合衆国およびその同盟国がアフガニスタンに対して軍事行動を開始したことを指します。この攻撃は、アルカーイダをかくまっていたタリバン政権を標的とし、テロの温床を取り除くことを目的に行われました。

9.11事件はニューヨークの世界貿易センタービルやワシントンD.C.の国防総省を標的とした未曾有の大規模テロであり、約3000人もの死者を出しました。この事件を受け、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは「対テロ戦争(War on Terror)」を宣言し、テロ組織を支援する国家に対しても徹底的に報復する姿勢を示しました。その最初の標的がアフガニスタンのタリバン政権だったのです。

タリバンは1990年代半ばからアフガニスタンの大部分を支配しており、厳格なイスラム法の施行と国際社会からの孤立を特徴としていました。特にアルカーイダの指導者オサマ・ビン=ラディンを庇護したことが、米国との決定的な対立を引き起こしました。

アフガニスタン攻撃の展開と軍事作戦

アメリカ軍のアフガニスタン攻撃は2001年10月7日に開始されました。作戦名は「不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)」と呼ばれ、主に空爆と特殊部隊の展開によって進められました。米軍は同盟国であるイギリス軍やNATO諸国の支援を得て、短期間でタリバン政権を崩壊させました。

当初の軍事作戦は成功したかのように見え、2001年末には首都カブールを含む主要都市がタリバンの支配から解放されました。暫定政権が樹立され、2004年にはカルザイ大統領のもとで正式な政権が誕生します。しかし、タリバンは完全に壊滅したわけではなく、農村部や山岳地帯に潜伏してゲリラ戦を展開し続けました。

その後、アメリカはアルカーイダの指導者を追い詰めることに注力し、2011年にはオサマ・ビン=ラディンをパキスタンで殺害することに成功しました。しかし、タリバンの抵抗は弱まることなく続き、アフガニスタン全土の安定は容易には達成されませんでした。

国際社会とアフガニスタン戦争の長期化

アフガニスタン攻撃は短期間の戦争で終わると予想されていましたが、結果的に20年にわたる長期戦争へと発展しました。アメリカはNATOを通じて多国籍軍を派遣し、治安維持と国家建設を目指しました。しかし、現地の複雑な民族構造、部族社会、宗教的要因が絡み合い、中央政府の統治は十分に行き渡りませんでした。

また、戦争による民間人被害が拡大し、アメリカの介入に対する不満や反感が増大しました。さらにパキスタンの国境地帯を拠点としたタリバンの再興もあり、米軍やNATO軍は泥沼のようなゲリラ戦に直面しました。こうした状況は、アフガニスタンを「帝国の墓場」と呼ばれる所以を改めて浮き彫りにしました。

2009年にはオバマ大統領が兵力増強(いわゆる「サージ」)を行い、一時的にタリバンの勢力を抑えることに成功しましたが、長期的な安定にはつながりませんでした。米国内では戦費の拡大と兵士の犠牲に対する批判が強まり、撤退論が次第に高まっていきました。

撤退とアフガニスタン攻撃の歴史的意義

2021年8月、アメリカはついにアフガニスタンからの完全撤退を決定しました。バイデン大統領は「無限に続く戦争を終わらせる」と表明し、20年に及んだアフガニスタン戦争に幕を下ろしました。しかし、撤退後すぐにタリバンが急速に勢力を拡大し、わずか数週間でカブールを掌握して再び政権を樹立しました。これにより、アメリカの20年間の努力が根本的に問われる結果となりました。

アフガニスタン攻撃は、テロとの戦いにおける最初の大規模軍事行動であり、21世紀初頭の国際政治に決定的な影響を与えました。一方で、その長期化と失敗は、軍事力だけでは国家建設やテロ根絶が不可能であることを示す歴史的教訓ともなりました。

また、この戦争は国際法や人道的観点からも多くの議論を呼び、先制攻撃の正当性、国家主権の侵害、難民問題、民間人犠牲といった問題を浮き彫りにしました。結果として、アフガニスタン攻撃はアメリカの国際的威信に傷をつけると同時に、世界秩序の在り方を問い直す契機ともなったのです。

総じて、アフガニスタン攻撃は単なる軍事作戦にとどまらず、冷戦後のアメリカの覇権、テロ対策、国際政治のパラダイムを大きく変えた歴史的事件として記憶されています。