アルスター – 世界史用語集

アルスター(Ulster)は、アイルランド島を伝統的に九つの州(プロヴィンス)に分ける区分の一つで、北部一帯を指す歴史地理概念です。現在の政治単位である「北アイルランド(Northern Ireland)」としばしば同義に用いられますが、厳密には一致しません。アルスターは九県(アントリム、アーマー、ダウン、デリー/ロンドンデリー、タイロン、ファーマナ、モナハン、カバン、ドニゴール)からなり、このうち六県が英国の構成地域「北アイルランド」を構成し、残る三県(モナハン・カバン・ドニゴール)はアイルランド共和国に属します。歴史を語るときには、地理的アルスターと政治的北アイルランドを区別して理解することが大切です。

アルスターは、ケルト的伝承と中世修道文化、近世の植民と宗派配置、近代の自治論争と分割、20世紀後半の暴力と和平といった多層の歴史が重なった地域です。古代王国ウライドに連なる武勲譚「アルスター物語」に象徴される文化的記憶と、17世紀の「アルスター植民(プランテーション)」に由来する人口・宗派構成の特質が、近現代政治の対立軸を形づくりました。産業革命期のベルファストは造船・リネンで繁栄し、20世紀末には「動乱(ザ・トラブルズ)」と呼ばれる長期紛争の舞台となります。今日のアルスターは、聖金曜日合意(1998)を土台に権力分有の自治を進めながら、国境・アイデンティティ・言語・記憶に関わる課題に取り組んでいます。

以下では、用語と地理、古代〜中世の背景、近世の転換、近現代の政治史、「動乱」と和平、そして現代の社会文化と論点という順に整理し、名称の使い分けや年号の要所に注意しながら、アルスターという歴史空間の輪郭を描きます。

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用語と地理・古代〜中世の背景:ウライドの地、聖パトリックとアーマー

地理的アルスターは、北に大西洋、東に北海峡(ノース海峡)を臨み、西はドニゴールの山地、南はミースやウェストミース方面へ続く丘陵に囲まれます。ローハーンやバン川、ロッホ・ネイ(アイルランド最大の湖)などが内陸交通を支え、海峡を挟んでスコットランドと近接することが、のちの移住と交易の前提を形作りました。主要都市はベルファスト(アントリム/ダウン境界の港湾都市)、デリー/ロンドンデリー、ニューリー、アーマー、ダウンパトリック、レターケニーなどです。

古代・中世において、アルスターはゲール系の王国群が並立する舞台でした。とりわけウライド(Ulaid)や、のちに台頭するオニール家のティロン(タイロン)・ティルコネル(ドニゴール)といった王国が勢力を競い、英雄ク・フーリンを中心とする「アルスター物語(Ulster Cycle)」がこの地域の戦士的理想を彩りました。キリスト教化の過程では、聖パトリックの活動と結びつくアーマーが司教座として重要性を持ち、修道院・学僧のネットワークが形成されました。ヴァイキングの沿岸襲来と港湾拠点の形成、ノルマン人の12世紀以降の侵入と定着は、アルスターの政治地図を段階的に刷新します。

近世の転換:九年戦争、伯爵たちの逃亡、アルスター植民と宗派配置

16世紀末、ゲール貴族とイングランド王権の対立は九年戦争(1594–1603)として激化しました。ティロン伯ヒュー・オニール、ティルコネル伯ヒュー・ローらが連合して抵抗しましたが、1602年のキンセールの戦い以後に劣勢となり、1607年に「伯爵たちの逃亡(Flight of the Earls)」が起こります。ゲールの支配層が大挙して大陸へ去ったことは、アルスターの権力構造に決定的な空白を生みました。

この空白に対し、イングランド(のちブリテン)王権はアルスター植民(Plantation of Ulster)を推進し、イングランドや低地スコットランドからのプロテスタント入植者を計画的に導入しました。とくにロンドンの都市同業組合が関与したデリーの再建は「ロンドンデリー」の名に刻まれ、農地の再分配・城塞都市の建設・自治構造の整備は、宗派・言語・慣習の差異を鋭く可視化しました。1641年にはカトリック側の反乱が発生し、ギリギリの攻防と報復の連鎖が両陣営の不信を固着させます。17世紀末のウィリアマイト戦争では、1689年のデリー包囲戦・1690年のボイン川の戦いが象徴的事件となり、プロテスタント共同体の結束神話(アプレンティス・ボーイズやオレンジ主義)が整えられました。こうしてアルスターは、アイルランド島内で最も強固なプロテスタント多数地域としての性格を確立します。

近現代の政治:ホーム・ルールから分割、北アイルランド成立まで

19世紀後半、アイルランド自治(ホーム・ルール)をめぐる政治が激動するなかで、アルスターのプロテスタント系商工業者・農民・聖職者は強いユニオニズム(大不列顛との連合維持)を形成しました。1912年のアルスター誓約(Ulster Covenant)には数十万人が署名し、親衛的武装組織アルスター義勇軍(UVF)が結成されます。第一次世界大戦では第36(アルスター)師団が西部戦線で甚大な犠牲を払い、共同体の記憶に刻まれました。

1916年のイースター蜂起、1919–21年の独立戦争を経て、英愛交渉のなかでアイルランドの分割が決まり、1920年のアイルランド統治法により北アイルランド(六県)と南アイルランドの二重自治が規定されます。1921年の英愛条約で自由国(のちの共和国)が成立し、北アイルランドは連合王国残留を選択しました。以後、ベルファストを首都とする自治政府(ストーモント体制)が成立しますが、選挙制度・住宅・雇用・治安の領域でカトリック系住民に不利な制度・運用が継続し、社会的な隔たりが固定化しました。経済面ではベルファストの造船(ハーランド&ウルフ)やリネン工業が地域を牽引しましたが、戦後の構造不況は失業と政治不満を増幅させます。

「動乱(ザ・トラブルズ)」と和平:公民権運動から聖金曜日合意へ

1960年代末、住宅配分・選挙区割り・警察行動の不均衡に対する公民権運動が高まり、これに対する過剰警備と暴力が局地的衝突を拡大させました。1969年には英軍が治安介入し、自治政府の統治能力に疑義が突きつけられます。共和派では暫定IRA、忠誠派ではUVFUDAなどの民兵組織がテロと報復を繰り返し、1972年の血の日曜日(デリーでのデモに対する銃撃事件)を契機にロンドン直轄統治へ移行しました。政治解決の試みとしては、1973年のサニングデール協定(権力分有とアイルランド間評議会)がありましたが、ストライキ等で頓挫します。

1985年の英愛協定でアイルランド政府の関与が制度化され、1990年代には停戦と交渉の環境が整います。1998年の聖金曜日(ベルファスト)合意は、(1)超党派の権力分有政府、(2)北南閣僚会議・英愛評議会という越境協力機構、(3)警察改革・武装解除・囚人釈放などの漸進措置、(4)憲法的地位は住民多数の同意でのみ変更可能とする「同意の原則」——を柱として、暴力の終息に道を開きました。2006年のセント・アンドルーズ合意などを経て、2007年以降シン・フェインと民主統一党(DUP)による連立が実現し、2010年代には治安・司法権限の移譲も進みました。もっとも、言語政策・記憶・旗・文化行事、さらに近年では英EU離脱(ブレグジット)に伴う国境規制と通商取り決めをめぐる対立が断続的に政治の停滞を生んでいます。

社会・文化と今日の論点:言語・宗派・産業、名称の注意と学習の要点

アルスターの社会文化は、二つの言語圏と宗派伝統の重なりによって特徴づけられます。ゲール語(アイルランド語)には独自のアルスター方言があり、詩や音楽(フィドル、ハープ)、スポーツ(ゲーリック・ゲームズ)が地域アイデンティティを担います。他方で、スコットランド低地由来のアルスター・スコッツ(Ulster-Scots)は英語系方言と文化の柱であり、詩・舞曲・オレンジ協会の行進文化などに見られます。宗派は歴史的にプロテスタント(英国国教会・長老派・メソジスト)とカトリックが分布し、学校や居住地の分節化が長く存続しましたが、若年層での越境交流や統合教育の試みも進んでいます。

産業では、19〜20世紀のリネンと造船の伝統に加え、現代では医療機器・IT・映像産業・観光が伸びています。ベルファストやデリーの和平後の再生は、壁画・博物館・歴史遺産といった「記憶の観光」にも支えられています。農村では乳業・畜産・漁業が重要で、国境地域ではEU資金や越境協力プログラムの効果が大きく、ブレグジット後の通商枠組みは生活に直結する関心事となっています。

用語上の注意として、①アルスター(九県)北アイルランド(六県)は重なるが同一ではないこと、②「デリー/ロンドンデリー」の呼称の差は政治的・文化的文脈を帯びること、③「プロテスタント=ユニオニスト」「カトリック=ナショナリスト」という単純図式では捉えられない内部の多様性があること、④「動乱」の語は1960年代末〜1998年を便宜的に区切る学術的慣用であること、を挙げておきます。

学習の要点は、(a)17世紀の転換三点セット——九年戦争/伯爵たちの逃亡/アルスター植民、(b)19〜20世紀初頭のホーム・ルール論争とアルスター誓約、(c)1920–21年の分割と北アイルランドの成立、(d)1960年代末以降の公民権運動〜動乱〜聖金曜日合意、(e)言語・宗派・産業・国境の現代的論点、を年号と地名で結ぶことです。これにより、アルスターを「宗派対立の地域」という固定観念から解放し、地政・社会・文化が交錯する動的な歴史空間として理解できるはずです。