イマーム(imām)は、もともと「前に立つ人」を意味するアラビア語で、宗教的には礼拝の先導者、社会的には共同体(ウママ)の指導者・模範を指す言葉です。もっとも幅広い日常の用法では、モスクで礼拝を主導する人のことを指しますが、思想史・政治史の文脈では、スンナ派での「共同体の長(広義のイマーム=カリフ)」、シーア派での血統と神学的資質を備えた「正統の指導者(イマーム)」という、重みの異なる概念を含みます。さらに、法学やハディース学の大家を「○○学派のイマーム」「ハディースのイマーム」と敬称する慣例もあります。つまりイマームは、礼拝の実務から国家・教義の設計に至るまで、イスラーム世界の多層的な現実を束ねるキーワードなのです。以下では、語義と基本機能、スンナ派の枠組み、シーア派の教説、歴史的展開と現代の用法の四点から、整理して解説します。
語義と基本機能――「前に立つ」人、礼拝と共同体の接点
イマームの語源は、「前」を意味するアラビア語の語根(ʾ-m-m)にあり、隊列の先頭に立って人々を導く人を指します。単数はimām、複数はaʾimma(アインマ)です。もっとも基本的な場面は礼拝(サラート)で、会衆はイマームの動作と詠唱に同調して一体となり、並び方や動作の開始・終了はイマームに同期します。『礼拝のイマーマ(先導)』を扱う各法学派の規定には、イマームの条件(教理とクルアーンの読誦に通じていること、清浄さ、成人であること、声量や整斉の配慮など)が列挙されます。混合の会衆では男性が先導するのを原則とする解釈が広く採られてきましたが、女性のみの会衆で女性がイマームを務める可否など、時代・地域で見解の幅も存在します。
金曜礼拝(ジュムア)では、イマーム(あるいはハティーブ=説教者)が説教(フートバ)を行い、共同体の規範や時事を語ります。歴史的に、フートバで支配者の名を唱えることは主権の承認を可視化する政治儀礼で、貨幣鋳造と並ぶ「統治の印」として機能しました。ここに、礼拝の実務と政治の正統性が交差するイマーム像が表れます。
宗教教育や法学では、学派の祖や学問の大家に対し「イマーム」の敬称を用います(例:イマーム・アブー・ハニーファ、イマーム・マリク、イマーム・シャーフィイー、イマーム・アフマド、またハディースのイマーム・ブハーリー等)。この場合のイマームは職位ではなく、「模範・師匠」の意味合いが強い称号です。スーフィーの世界でも、教団の指導者や道の達人に対して敬称として用いられます。
スンナ派の枠組み――礼拝の先導から共同体の長へ
スンナ派の歴史では、イマームという語は広義では共同体の政治的・宗教的指導者(カリフ)を指す用語として用いられてきました。古典の政治思想書(マーワルディー『統治綱要(アフカーム・スルターニーヤ)』など)は、共同体に一人のイマーム(長)を置く必要を論じ、その選出を「アフル・ハッル・ワル=アクド(選任権者)」の誓約(バイア)によると整理します。イマームの資格としては、知識と能力、正義性、十分な判断力、共同体の防衛と法の執行を担えることなどが挙げられ、血統要件は必須視されません。ここでのイマームは、カリフという語とほぼ重なり、宗教儀礼面では金曜礼拝のフートバでその名が読み上げられることで「在位」が可視化されます。
礼拝実務としてのイマームは、各地のモスクに常置される職務(イマーム兼ハティーブ)として整備され、都市の中心モスク(ジャーミ)では有力学者が任じられました。地方の小礼拝所では、字義どおり「前に立てる者」が臨時に務めることも一般的でした。オスマン帝国では、各区画モスクにイマーム職が配置され、婚姻・葬送・近隣の調停など日常の宗教実務を担いました。エジプトでは、アズハルの「大イマーム(シャイフ・アル=アズハル)」が宗教教育と法的意見(ファトワー)に関する象徴的権威をもっていますが、これは「組織の長」に対する栄誉称で、シーア派のイマーム観とは性格を異にします。
神学上の観点から見ると、スンナ派ではイマーム(カリフ)の正統性は選任と共同体の秩序維持に基礎があり、人格の「無謬性(イスマ)」を要件とはしません。誤りは諫言や補佐で是正されるべきものとされ、極端な暴政の場合を除き、反乱より秩序維持が優先されるという現実主義が重んじられてきました。終末論的な「マフディー」期待はスンナ派にもありますが、現行の政治的イマーム職とは切り離された、未来の正しき導き手という位置づけが一般的です。
このようにスンナ派では、イマームは(1)礼拝の先導者、(2)学問の模範、(3)政治的共同体の長、という三つのスケールで使い分けられ、それぞれの層で具体の制度と慣習が形成されてきました。
シーア派の教説――血統・指定・無謬性、そして「臨在する導き」
シーア派においてイマームは、根源的に「預言者ムハンマドの家(アフル・アル=バイト)」の系譜に属し、神意による指定(ナス)を受け、知と徳において共同体を誤りなく導く指導者を意味します。ここではイマームは単なる政治職ではなく、啓示の外延である知と法の守り手であり、外面的法(ザーヒル)と内面的真理(バーティン)を橋渡しする存在とされます。
十二イマーム派(イマーミー/トゥエルヴァー)は、アリーを第一イマームとし、ハサン、フサインに続く十二代のイマームを継承表で確定しています。第十二イマームは幼少で隠れ、やがて再臨する「マフディー」であると信じられます(小隠遁期・大隠遁期の区別)。可視のイマームが不在の時代には、法学者(ウスール派のマルジャ・タクリード)が信仰実践と法判断の具体を指し示し、近代イランでは「法学者の統治(ウィラーヤト・アル=ファキーフ)」という政治理論が国家制度に結びつけられました。「イマーム・ホメイニー」の呼称は、宗教的・革命的敬称として用いられたもので、神学上の十二イマームと同格の教義的地位を意味するわけではありません。
イスマーイール派は、第七イマームをイスマーイールに定め、以降は「現前する生きたイマーム」の連続を強調します。ファーティマ朝(10–12世紀)はカリフ兼イマームを称し、政治・宗教の二重権威を示しました。現代のニザール派ではアーガー・ハーンが生きたイマームとされ、教育・福祉・文化事業を通じて共同体を組織しています。ここでのイマームは、単なる象徴ではなく、時代に応じた解釈権(タウィール)を行使する「意味の案内人」です。
ザイド派は、イエメンなどで展開し、預言者家(フサイン系)から知と勇を備え蜂起してベイアを受けた者をイマームと認める立場で、無謬性を厳格に要件化しない点で十二イマーム派・イスマーイール派と異なります。イエメンの歴史では、ザイド派のイマーム制(イマーマ)が長期にわたって政治体制の骨格を形成し、近代に入って共和制へと移行しました。
このようにシーア派のイマームは、(1)血統(アフル・アル=バイト)、(2)指定(ナス)、(3)特別の知と徳、(4)場合により無謬性、という要素で定義され、政治と神学の双方にまたがる厚みを持ちます。終末論では、十二イマーム派が第十二イマーム=マフディーを待望するのに対し、イスマーイール派は現前のイマームが持続的に導くという現在進行形の時間感覚を強調します。
歴史的展開と地域の事例――オマーンのイバード派、マグリブの運動、現代の用法
イバード派(オマーンなど)は、早期イスラームの潮流の一つに連なり、敬虔と公正を備えた者を選挙でイマームに選び、能力を失えば退け得るという理念を持ちます。オマーン史の「イマーム制」は、沿岸の王(スルタン)と内陸のイマームが拮抗する二重構造として現れ、20世紀半ばまで政治的現実であり続けました。ここでのイマームは、部族連合の合意と宗教的規範の執行を担う、選挙制の宗教政治指導者です。
マグリブでは、12世紀のムワッヒド運動が創始者イブン・トゥマルトを「マフディー/イマーム」と位置づけ、タウヒード純化の名のもとに政治革新を進めました。ファーティマ朝のように「イマーム=カリフ」を称して広域帝国を築いた例もあれば、サアド朝・アラウィー朝のようにシャリーフ(預言者家の血統)を政治的正統性の核に据えた王朝もあります。西アフリカでは18–19世紀にジハード指導者が「アルマーミー(イマーム)」を称する国家(フータ・ジャロンなど)を樹立し、法と改革を掲げましたが、地域社会の多様な実情と緊張を抱えました。
オスマン帝国以降のスンナ派世界では、「イマーム」は主としてモスクの役職名・敬称として定着し、国家の長はスルタン/王/大統領と呼ばれます。一方、シーア派地域では、イマーム概念が法学・政治思想の根で生き続け、宗教指導層の権威構造(マルジャ・タクリード)や国家理論(ウィラーヤト・アル=ファキーフ)と結びつきました。エジプトではアズハルの長に「大イマーム」の敬称が用いられ、宗教教育と社会的指針の象徴的拠点となっています。
現代のメディアや日常語では、各国の著名説教師や学者、地域のモスクの常任先導者を「イマーム」と呼ぶのが一般的です。聖地では「二聖モスクのイマーム(メッカのマスジド・アル=ハラーム、メディナの預言者のモスク)」が大規模礼拝を先導し、礼拝の中継や録音を通じて世界に声が届きます。ディアスポラのモスクでは、イマームが宗教教育・結婚・葬送・相談・地域連携など多面的な役割を担い、「宗教者であり社会ワーカー」という顔を合わせ持つことが少なくありません。
また、言語の外延として、ペルシア語やトルコ語、南アジア諸語でも「イマーム」は礼拝先導者や著名宗教者の称として広く流通し、碑文・墓碑・文書に見えます。貨幣やフートバに君主の名が刻まれた時代の痕跡は今も史料に残り、統治と礼拝の接合点としてのイマーム像を物語ります。
総じて、イマームという語は単一の定義に還元できません。礼拝のリーダー、学問の模範、宗教政治の正統の担い手、地域社会の相談役――語の射程は広く、時代と地域の文脈で意味の重みが入れ替わります。イスラーム世界を理解するうえで重要なのは、スンナ派とシーア派の概念差を見極めつつ、日常の礼拝実務から国家理念まで、同じ語が異なるレベルで機能していることを押さえることです。その立体的な用法こそが、イマームという言葉の歴史的厚みをなしています。

