イマームのモスク – 世界史用語集

「イマームのモスク」は一般名のように見えますが、世界史・美術史の文脈で多くの場合、サファヴィー朝の都イスファハーンの中心広場(ナーグシェ・ジャハーン広場/現在のイマーム広場)南側に立つ大モスク、すなわち旧称「王のモスク(シャー・モスク)」、革命後の正式名「イマーム・モスク(マスジェド・エ・イマーム)」を指します。17世紀前半にシャー・アッバース1世の事業として着工され、青を基調とする壮麗なタイル装飾、四イーワーン式中庭、二重殻の大ドーム、詩的な書道装飾で知られます。入口は広場の軸線に堂々と向きますが、礼拝空間はメッカ(キブラ)へ正確に向けられるよう巧みに屈折して配置され、都市景観と宗教規範を同時に満たす設計がとられています。装飾はサファヴィー朝の新技法「七彩(ハフト・ランギ)タイル」と伝統的なモザイク・ファイアンスの併用で、幾何学・植物文様・クルアーン銘文の一体化が見事です。さらに、音響が計算されたドーム下の反響点、マドラサ(神学校)を抱き込む学術機能、ワクフ(寄進)による運営など、宗教・学知・都市経済が結ばれた「総合芸術」として理解されます。本稿では、(1)歴史的背景と建設、(2)平面・空間構成と都市への開き方、(3)装飾・技法・音響、(4)運営・機能・保存の四つの切り口でわかりやすく整理します。なお、テヘラン旧市街の大バザールにある旧シャー・モスク(現イマーム・モスク)など、同名のモスクがイラン各地にありますが、以下ではとくにイスファハーンの「イマーム・モスク」を念頭に説明します。

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歴史的背景と建設――サファヴィー朝の国家像と都市計画の中心

16世紀末から17世紀前半にかけて、サファヴィー朝は都をタブリーズやカズヴィーンからイスファハーンへと定め、シャー・アッバース1世(在位1588–1629)のもとで都市改造を進めました。現在「イマーム広場」と呼ばれる巨大な長方形広場(ナーグシェ・ジャハーン=「世界の図」)を核に、王宮群(アーリー・ガープー宮)、宮廷行事のポロ競技場、王族礼拝の「シェイフ・ロトフォッラ・モスク」、そして公共の大礼拝を担う「イマーム・モスク」が一本の軸で結ばれます。広場は政治(王宮)、宗教(モスク)、経済(バザール)が正面どうしで向き合う「国家の舞台」であり、ここに建つ大モスクは王朝の正統性とシーア派国家としての自己像を視覚化する役割を負いました。

建設は1611年頃に始まり、主要部はアッバース1世の治世末までに完成し、装飾・補完は17世紀半ばにかけて続いたとされます。史料は、建築の統括に「ウスタード・アリー・アクバル・イスファハーニー(Ustad ʿAlī Akbar Isfahānī)」が当たり、銘文・書の監督に名高い書家アリー・レザー・アッバースィー(ʿAlī Reżā ʿAbbāsī)が関わったことを伝えます。寄進状(ワクフ文書)には、バザールの店舗・キャラバンサライ・農地・水利などの収益をモスクの維持・学び・慈善に充てる仕組みが記され、宗教施設が都市経済の循環の中心に位置づけられていたことがわかります。

このモスクは「王のモスク(シャー・モスク)」として建てられ、1979年のイラン革命後、革命指導者(イマーム)への敬意から「イマーム・モスク」へ改称されました。広場自体も「イマーム広場」となり、1980年代以降はユネスコの世界遺産(「イスファハーンの王(イマーム)広場」)として保護対象に含まれています。名称の変遷は、宗教・政治・記憶の層が重なるイラン近現代史の一断面でもあります。

平面と空間構成――四イーワーン式中庭、屈折する軸線、二重殻ドーム

イマーム・モスクは、イラン型モスクの標準形である「四イーワーン式」の構成を高水準で実現しています。高く深いアーチ付き空間(イーワーン)が中庭の四辺の中央に据えられ、それぞれが周囲の礼拝室・回廊・学房に連絡します。南側のイーワーンの奥に主礼拝室(メフラーブを備えるキブラ・イーワーン=本堂)が置かれ、巨大な二重殻ドームがこれを覆います。東西の辺には小規模なマドラサ(神学校)と礼拝空間が付設され、宗教教育と日常の礼拝が不可分に運営されました。

都市との関係で特筆すべきは「軸線のずれ」を調停する玄関空間の設計です。広場の長軸に対してモスクの正門(壮麗なピシュターク=前面門塔)は正対し、都市景観の秩序を守りますが、メッカの方向(キブラ)は広場の軸と角度が異なるため、そのまま奥へ進むと礼拝方向が狂ってしまいます。設計者は、正門背後の前室・屈曲回廊を二段階に折り曲げ、参詣者が自然な流れでキブラに正対する主中庭へ導かれるようにしました。都市軸と宗教軸の両立という課題に対するこの「犬走り状の屈折」は、イスファハーンの都市計画における名人芸と評されます。

主礼拝室を覆うドームは、外殻と内殻の二重構造で、視覚と音響の両面で効果を発揮します。外殻は遠望に映える大スケールの輪郭を作り、内殻は礼拝空間に適した高さ・曲率を与えます。ドラム(ドームを支える円筒部)から立ち上がるムカルナス(鍾乳石飾り)や尖頭アーチが荷重を巧みに分散し、四半円筒の連鎖で外周の廊下と結ばれます。正面のミナレット(尖塔)は正門の両脇とキブラ・イーワーンの両脇に立ち、視覚的な対となって全体のシンメトリーを強調します。

平面の読み方として、(1)広場の都市的門、(2)屈曲回廊、(3)光に満ちた中庭、(4)陰翳の深い本堂、という「明暗のグラデーション」が意識されます。砂漠の明光から一歩ずつ陰影の濃い空間へ、そして再び天窓からの柔らかな光へ――歩行とともに視覚・聴覚が調律され、礼拝の集中へと導かれる設計です。光は建築素材(タイルの光沢、漆喰の白)と組み合わさり、精神的なリズムを作り出します。

装飾・技法・音響――七彩タイルとモザイク、書道と文様、反響するドーム

イマーム・モスクの美の中心は、表裏を覆うタイル装飾です。サファヴィー朝で広く用いられた「七彩(ハフト・ランギ)」技法は、複数色を一枚のタイルに焼き付けることで、大画面の連続文様を迅速に施工できる利点があります。初期イスラーム期からのモザイク・ファイアンス(小片を組み合わせる緻密な技法)も併用され、門冠(ティモール)やメフラーブ周りなど、視線の集まる箇所には密度の高い仕事が配されます。青(コバルト)とトルコ青、白、黄、黒、緑の配色は、空の青・光の反射・影の深さを計算して選ばれ、近寄るほどに筆致と釉の厚みが生きてきます。

文様は、幾何学(星形・多角形の組み合わせ)、アラベスク(唐草・花弁)、クルアーン銘文と書家の落款が三位一体で展開されます。銘文帯は単なる装飾ではなく、章句が空間の性格を決めます。入口やイーワーンの縁には威厳あるスルス体、回廊や控えの壁にはナスフ体や小ぶりのクーフィー体が用いられ、視線の高さ・距離に合わせた書風が選ばれます。アリー・レザー・アッバースィーの端正な筆致は、建築を「読む」体験を与え、信仰の言葉を空間に刻印します。

ムカルナス(鍾乳石飾り)は、三次元のパターンで光を砕き、陰影の粒で天井を柔らかく見せます。イーワーンの天蓋、ドーム基部、門冠の隅など、荷重の節目・視線の焦点に置かれ、構造と装飾が二重に機能します。タイルの継ぎ目、目地の控え、漆喰下地の曲面づくりなど、職人の「見えない仕事」が全体の品格を支えています。

音響もまた設計の一部です。主礼拝室の床中央付近には、手を打つと幾重にも反響が返る「響きの点」があり、説教や詠唱の明瞭度を高める効果が指摘されます。二重殻ドームの曲率と壁面のタイルの反射率、柱間のリズムが、音の残響時間を礼拝・朗誦に適した長さに整えます。視覚だけでなく聴覚が宗教体験を引き上げる――この総合性が、イラン・イスラーム建築の醍醐味です。

運営・社会機能・保存――ワクフと学び、広場と経済、近現代の修復

イマーム・モスクは、日々の礼拝と金曜礼拝の舞台であると同時に、学びの場・司法の場・慈善の拠点でもありました。東西の付属マドラサには学房と小さな中庭があり、法学・ハディース・詠唱が教えられ、旅の学者・学生が往来しました。ワクフ(宗教寄進)は、店舗賃料・農地収益・水利使用料などの形でモスク運営を支え、貧者への施し・巡礼者への宿援助・清掃や灯火の費用に充てられました。都市の大モスクは、宗教・教育・福祉を束ねる「自治の装置」だったのです。

広場との関係では、王の閲兵や祝祭、競技、商業が日常的に行われ、モスクの正門前は人の波が絶えませんでした。バザールからの動線は、商いと礼拝を自然につなぎ、時間帯によって人の流れが反転します。シェイフ・ロトフォッラ・モスクが王族・女性に特化した「私的」性格を持つのに対し、イマーム・モスクは「公共の礼拝」を担う場であり、都市全体のリズムを司りました。

近代以降、地震や地盤沈下、風雨によるタイルの劣化、過去の補修材の影響など、保存上の課題が繰り返し浮上しました。20世紀後半からは、イラン国内の文化遺産機関と国際的な保存チームが、記録撮影・図面化・タイルの釉薬分析・目地の更新・構造補強(ドームのリング補強やミナレットの傾斜矯正)を段階的に実施しています。観光と礼拝の両立を図るため、参観ルートや時間帯の調整、照明の色温度管理、靴脱ぎ・礼拝区分の明示など、運用面の工夫も続けられています。

同名の「イマーム・モスク」はテヘラン旧市街の大バザールにも存在し、こちらはカージャール朝の増改築を経た大礼拝堂として知られます。イスファハーンとテヘランの両者は、都市組織との関係・装飾語彙・時代層が異なり、比較することでイラン・イスラーム建築の地域性と時代変化が見えてきます。名称だけでなく、どの都市のどのモスクを指すかを文脈で確認することが大切です。

イマーム・モスクを歩くと、都市と宗教、政治と美が結ばれた時代の感覚が立ち上がります。広場から門へ、屈曲回廊を抜け、中庭の光を浴び、ドーム下で声が重なる――この一連の体験は、単なる鑑賞を越えて、空間が人を導き、共同体を形作る力を教えてくれます。タイルのひと欠け、書の一画、目地の一本に至るまで、人の手と時間が織り込まれていることを感じ取れるでしょう。宗教施設であると同時に都市の記憶装置でもあるこの建築は、今もなお生きた場として呼吸を続けています。