イブン・バットゥータ(Ibn Baṭṭūṭa, 1304–1368/69頃)は、モロッコのタンジール生まれの旅行家・法学者で、イスラーム世界の広大なネットワークを歩いて記録に残した人物として知られます。彼の旅は1325年の初巡礼(ハッジ)出発に始まり、アフリカ北岸からエジプト・シリア・イラク・イラン、さらにアナトリアや中央アジア、インドのデリー・スルターン朝、モルディブ・スリランカ・ベンガル、スマトラ、そして中国の港市に至るまで、約30年に及んで展開しました。帰国後はアンダルス(グラナダ)と西アフリカ(マリ帝国)へも赴き、最終的にマリーン朝の宮廷で旅行記『リフラ(遊歴)』を口述しました。この記録は、同時代の海陸交通、都市の制度、宗教実践、法と商業、旅の安全保障の実情などを生々しく伝える一級史料です。他方で、伝聞の補筆や誇張、記憶違いとみられる箇所も含まれ、〈臨場感に富む観察〉と〈資料としての検証〉を両輪で読むことが求められます。
生涯と旅の全体像――タンジール出発から『リフラ』口述まで
1304年、マグリブの港町タンジールに生まれたイブン・バットゥータは、マリキ法学を修めた若きウラマー志望者でした。1325年、21歳でメッカ巡礼を志して単身出発します。ナイル河谷を遡上し、カイロを経て紅海側のアイラ(アカバ)やヤンブーからヒジャーズへ向かう道を選び、1326年にメッカに到着して最初のハッジを果たしました。
巡礼後、彼は帰国せず旅を重ねます。イラク・イランの聖地と学術都市(バグダード、ナジャフ、シーラーズ、イスファハーン)を訪ね、さらに南アラビア(アデン)から東アフリカのスワヒリ海岸(モガディシュ、キルワ)へ航海しました。港市のモスクや市場、言語と通貨、奴隷取引や象牙・金の流通などの描写は、インド洋世界の結節点としての東アフリカを活写しています。
1330年前後にはふたたびメッカでの長期滞在をはさみ、アナトリアの諸侯領(ベイリク)を巡って中央アジアへ渡ります。黒海北岸からヴォルガ下流のサライやホラズム、ブハラ、サマルカンドなど、モンゴル系政権(ジョチ・ウルス)とイラン高原の都市文化圏を横断し、やがてインドのデリー・スルターン朝へ到達しました(1333/34年頃)。
デリーでは、スルタン・ムハンマド・ビン・トゥグルクの庇護のもと、マリキ派出身の法学者としてカーディー(判事)的職務に就き、宮廷の恩給を受けます。しかし専制的で変転の激しい同君の政治に翻弄され、恩寵と失脚の波にのまれました。1342年頃、彼は中国派遣の使節団の一員として出立するはずでしたが、インド西岸のマラバール海域での難破や反乱に巻き込まれ、計画は頓挫します。
この挫折の後、彼は進路を海へ切り替え、モルディブで長期滞在・婚姻・司法職を経験しました。島嶼社会の婚姻規範やイスラーム化の度合い、女性の装いと権利、離婚の慣行、魚と椰子と真珠に基づく経済などの記述は、『リフラ』の中でも特に具体的です。続いてスリランカで聖なる山(アダムズ・ピーク)に登拝し、ベンガルやチャガタイ系の境域に触れ、ジャワ海域の島嶼世界やスマトラのイスラーム支配者と接触しました。
中国については、彼が福建や広東の港市(泉州/広州)に達したことは多くの研究者が認めますが、杭州や大都(元の都)まで踏破したかについては議論があります。彼自身は「カンバリク(汗八里)」到達を記しますが、記述の細部に齟齬があるため、沿岸部までとする見解も有力です。いずれにせよ、彼の中国描写はムスリム商人のネットワーク、港市の税関と宿舎、紙幣や市場倫理など、異文化接触の実相を伝えます。
1349年、長旅ののちモロッコに帰還した彼は、すぐにアンダルスのグラナダ(ナスル朝)を訪れ、イスラーム最後のイベリア政権の宮廷文化に触れました。さらに1352–54年にはサハラ縦断で西アフリカへ向かい、塩の鉱山タグハーザ、ワラタ(ワラタ)、ニジェール川流域を経巡し、マリ帝国のマンサ・スライマーンの宮廷へ至ります。首都ニアニ(諸説あり)や廷臣・商人・グリオ(語り部)の描写、金と奴隷の長距離交易の点描は、サハラ以南の社会とイスラームの広がりを伝える重要な証言です。
最終的にフェズへ戻った彼は、マリーン朝スルタン・アブー・イナーンの命で、書記・詩人のイブン・ジュザイーに旅の記憶を口述し、1356年頃までに『リフラ』(正式題『諸都市の驚異・旅の奇観を愛する者への贈り物』)として編纂させました。その後まもなく、彼は1368/69年頃に没したと伝えられます。
旅の舞台と観察の焦点――都市、制度、信仰、海陸交通のクロスロード
イブン・バットゥータの記録は、単なる道中記ではなく、「都市の百科全書」として読むことができます。彼が繰り返し観察したのは、(1)モスク・マドラサ・ハーンカ(スーフィーの宿舎)といった宗教教育施設、(2)法と裁判の運用、(3)市場の税・度量衡・貨幣、(4)旅人保護の制度(ラバト、カーン、宿駅)、(5)巡礼・祭礼・聖者崇敬の風景です。ミスル(大都市)とバラド(地方都市)、ハーラ(街区)という階層を区別し、官職や役務の名称を記録する姿勢は、制度史の資料としての価値を高めています。
インド洋世界の描写では、モンスーン風を利用する季節航海、ダウ船(アラブ式帆船)と中国式ジャンクの違い、港市の税関(ディーワーン)と代理人(カフィール)、ムスリム商人の保護ネットワーク(兄弟団・行旅互助)といった具体が現れます。マラバールやグジャラートの胡椒・綿布・宝石交易、アデンやホルムズの関税制度、泉州の多言語商館など、交易の地理が立体的に見えてきます。
宗教実践の面では、彼は正統派法学の枠から各地の慣習を評価し、逸脱と見た事例(酒宴、女性の露出、墓廟の華美など)には批判を加えます。同時に、スーフィー聖者や宿坊をしばしば称え、托鉢の規律や霊験談を記します。敬虔と逸脱の境目に置かれた生身の社会が、彼の筆で生き生きと立ち上がります。
政治・軍事に関しては、モンゴル系政権の宮廷儀礼、チンギス家の婚姻政策、デリーの専制と官僚機構、マリ帝国の王権と財政、地方長官(アミール)や警吏(シャーヒナ)などの役割が描かれます。これは、イスラーム法学者の視点から見た「秩序の仕組み」の連続的比較でもあります。女性や奴隷、非ムスリム(ジンミー)の扱いに関する記述は、時に偏見を含みつつも、当時の社会規範を読み解く手がかりを提供します。
自然と災厄の記述も見逃せません。疫病や飢饉、暴風と難破、砂漠横断の水利、象やサイ、ワニといった動物相、香料植物や薬草、真珠採りの危険などが、旅のリスクと知の拡張を同時に物語ります。とりわけサハラ縦断では、塩鉱山の強烈な描写、隊商の編成、夜間の星と風の読解、砂嵐の生存術など、環境史の資料としても重要です。
『リフラ』という書物――口述の成立、文体と情報源、史料としての信頼性
『リフラ』は、著者自筆ではなく、口述を文人イブン・ジュザイーが文学的アラビア語の散文(サジュウの韻律を部分的に用いる)で整えた作品です。章々の冒頭にコーランやハディースを配し、詩句と逸話を散りばめ、地名・官職名・距離・日数を盛り込む構成は、当時の地理書・旅行記の伝統に則っています。他の書からの引用や現地学者の話を採録した箇所もあり、〈自らの体験〉〈同時代の伝聞〉〈古典の引用〉が層をなしています。
この成り立ちゆえに、研究者は二つの読み方を併用します。一つは、具体的・反復的に観察される「彼自身の足で見た」記述(宿駅の間隔、関税、衣食住、儀礼、法廷実務)を高く評価する読み方です。もう一つは、行程や年代の齟齬、あり得ない距離移動、他書からの借用に由来する定型表現、都市伝説的逸話などを批判的に点検する読み方です。例えば中国内陸到達や東アフリカの一部描写には議論があり、マリ帝国での地名比定にも異説が併走します。
とはいえ、『リフラ』の価値は、無謬の地理辞典であることにではなく、14世紀のイスラーム圏とその周縁に生きる都市と人間の姿を、同時代の言語で厚みをもって伝えている点にあります。宗教的統一(アラビア語・イスラーム法)と地域多様性(言語・装束・食文化・通貨)の共存、巡礼と商業の結節、学者・商人・職人・奴隷の移動の多層性――それらが、個人の視界に沿って立体化されます。
比較と影響――マルコ・ポーロとの対照、後世への波紋、現代の意義
よく比較されるのが、13世紀末に東方記を口述したマルコ・ポーロです。両者はともに口述・編集の産物で、驚異譚と実務情報が混在する点で共通しますが、視点と目的に違いがあります。ポーロがモンゴル帝国の皇帝権とユーラシア横断交易の構造を強調するのに対し、イブン・バットゥータはイスラーム法学者として、礼拝・司法・教育・巡礼といった「共同体の制度」を軸に世界を描きます。彼の旅は、ムスリムの義務であるハッジが核にあり、そこで培われた言語・儀礼・法の共有基盤が移動を可能にしていたことを示しています。
『リフラ』は、イスラーム世界内部では古くから引用されましたが、近代以降に批判校訂と翻訳が進み、地理学・歴史学・言語学・民俗学の多方面で参照されるようになりました。とりわけマリ帝国やスワヒリ海岸、モルディブの社会史、中国港市のムスリム居留地史の研究では、彼の叙述が不可欠の手がかりです。観光・文化事業でも彼の名は象徴化され、モロッコ各地やアラブ諸国で博物館・記念像・道路名などに用いられています。
現代の読者にとって、イブン・バットゥータは「グローバル化以前のグローバルな人間」の好例です。彼は一人の法学徒に過ぎませんでしたが、アラビア語とイスラームの規範を携えて、裁判所・モスク・港市のネットワークへ容易に接続できました。この〈共通規範と多様性の交錯〉という体験は、宗教や法が国境を越える公共性を持ち得ること、同時に地域の具体に触れて折り合いをつける柔軟さが不可欠であることを教えてくれます。『リフラ』を読むことは、14世紀の世界を覗き込むだけでなく、私たち自身の移動・越境の意味を考える鏡にもなります。

