イラク – 世界史用語集

イラクは、チグリス・ユーフラテス両河がつくる肥沃な平原に位置し、古代メソポタミア文明の舞台からイスラームの都バグダードの黄金時代、オスマン帝国の統治、20世紀の国家建設と戦争、21世紀の秩序再編に至るまで、世界史の重要局面が重なった地域です。アラブ人(主にシーア派とスンナ派)、クルド人、トルクメン、アッシリア系キリスト教徒、ヤズディーなど多様な人々が暮らし、石油資源と河川水の配分、宗派・民族関係、周辺諸国との力学が、政治と日常の両方を形づくってきました。イラクを理解する要点は、(1)地理と社会の土台、(2)古代から中世にかけての蓄積、(3)近現代国家の形成と変動、(4)2003年以降の統治再編と課題、の四つを立体的に見ることです。以下では、できるだけ平易に全体像をたどります。

まず地理環境です。北の山地と中部の平原、南の湿地と湾岸という三つの顔があり、農耕・牧畜・交易のリズムが交差します。両大河は春の融雪で増水し、古代から灌漑を通じて都市文明を支えましたが、同時に治水・塩害・流路変化というリスクも抱えます。現代では上流域のダム建設や気候変動が流量に影響し、水と電力をめぐる政治課題が強まっています。首都バグダードは中部の扇状地に立ち、北のモースル、南のバスラが三角点となって国土の骨格を成しています。

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地理・社会の基礎――河川と都市、資源と人びと

イラクの国土は、北のクルディスタン地域の山岳(ザグロス山脈)、中部の沖積平原、南部の湿地(アフワール)とデルタ地帯に大別できます。山岳部は降水が比較的多く、小麦や果樹、畜牛が盛んです。平原は灌漑農業の核心で、古来から麦・デーツ(なつめやし)・綿作などが営まれ、都市の連鎖が発展しました。湿地は独特の生態系と舟運文化を育み、「湿地のアラブ(マアダーン)」の葦の家屋や水上生活が象徴的です。バスラ周辺はシャット・アル=アラブ川の河口に開け、湾岸交易と油田輸出の窓口として重要です。

人口面では、アラブ系が多数を占め、宗派ではシーア派が人口の過半、スンナ派が重要な少数派を成します。北部・北東部にはクルド人が集中し、クルド語(主にソラニー、一部にクルマンジー)が公用語の一つとして用いられます。トルクメンやアッシリア系キリスト教徒(アラム語系の言語を保持)、ヤズディー、マンデアンなど少数派も点在し、地域ごとに言語・宗教・慣習が重層化しています。ナジャフとカルバラーはシーア派の聖地、サマッラーやモースル周辺はイスラームとキリスト教の遺産が重なる土地柄です。

経済の柱は石油・天然ガスで、北部のキルクーク、中南部のルメイラなど巨大油田が国家歳入を支えます。他方で資源依存は産業多様化を遅らせ、価格変動や輸出インフラの脆弱性、政治の分配争いを招きがちです。農業の再建、水資源管理、電力網の安定、物流回廊の整備は、長期的な課題として繰り返し浮上しています。若年人口が厚い一方で雇用創出が追いつかず、公共部門への依存と民間の脆弱さが労働市場のボトルネックになっています。

古代メソポタミアからイスラームの都へ――都市・書記・帝国の交替

イラクの地は、シュメール人が都市国家群を築いた紀元前4千年紀末から、アッカド帝国、ウル第三王朝、古バビロニア、アッシリア、新バビロニアへと覇権が移り変わった「都市文明の実験場」でした。楔形文字の発明、法典(ハンムラビ法典)の編纂、天文暦法や数学の発達、神殿経済と行政書記の技法は、後の文明に大きな影響を与えます。都市は神殿と宮殿、市壁と運河で構成され、農産物と手工業品、遠隔交易の物資が循環する結節点でした。

前1千年紀にはアッシリアがニネヴェやアッシュールを拠点に帝国を築き、碑文やレリーフに征服の記憶を刻みました。新バビロニアはイシュタル門やジッグラトに象徴される都市景観を整えますが、やがてアケメネス朝、セレウコス朝、パルティア、サーサーン朝と、イラン高原側の帝国の支配に組み込まれていきます。サーサーン朝末期の混乱ののち、7世紀のイスラームの拡大で転機が訪れ、アラブ・イスラームの世界の中枢へと位置づけが変わりました。

アッバース朝は8世紀末、円形都市バグダードを建設し、知の翻訳・学術の庇護で黄金時代を創出します。ギリシア哲学やサーバ教徒の天文学、ペルシアの行政術、インドの数学がアラビア語に翻訳され、「知恵の館」を中心に学問が体系化されました。紙の普及と書記文化の拡大は、商業・法・宗教知識の流通を加速します。やがて地方勢力の台頭やモンゴルの侵攻で政治的には衰退しますが、バグダードの文化的蓄積は長く地域の基盤であり続けました。

中世後期から近世にかけて、イラクはイルハン国、ティムール朝を経て、16世紀以降はオスマン帝国とサファヴィー朝の境界地帯となります。17世紀から19世紀にかけては、バグダード・モースル・バスラの三州を中心とするオスマンの地方統治が続き、商隊路と河川交通、朝貢と徴税の回路が維持されました。バスラはインド洋と地中海世界の縁に位置し、胡椒・織物・コーヒーが行き交う多港市として栄えます。

近代国家の形成――英委任統治から王政、共和政、バアス体制へ

第一次世界大戦後、オスマン帝国の解体に伴い、イラクは国際連盟の下でイギリスの委任統治領となりました。1921年にはハーシム家のファイサルが国王に擁立され、部族・都市エリート・宗教勢力を調停しながら国家の枠組みが整えられます。1932年の独立後も、王政は英との関係と国内の均衡の間で舵取りを続けますが、1958年の革命で王政は倒れ、共和政へ移行しました。

1960年代は政変が相次ぎ、最終的にバアス党が権力を握って国家主導の近代化を推進します。石油国有化により歳入が飛躍すると、教育や保健、インフラが拡充される一方、政治的抑圧と治安機構の強化も進みました。1979年には権力の集中がさらに強まり、対外的緊張の高まりの中で1980年代のイラン・イラク戦争に突入します。長期戦は人的・財政的に莫大な負担をもたらし、社会の militarization と債務の累積を招きました。

1990年には隣国クウェートへの侵攻が国際的反発と多国籍軍の軍事行動(湾岸戦争)を呼び、停戦後の制裁と査察の長期化で経済と社会基盤が疲弊します。医療・水道・電力の劣化、専門人材の流出、貧困と非公式経済の拡大が、1990年代を通じて深刻化しました。国内では北部のクルド地域が飛行禁止区域の下で事実上の自治を広げ、後の連邦制の前段となります。

2003年以降の再編――占領・移行・連邦化、宗派対立とISの台頭、現在の課題

2003年、米英を中心とする連合軍の侵攻によりバアス体制は崩壊し、暫定統治と移行プロセスが始まりました。旧体制の解体(軍・官僚の排除)は治安と行政に空白を生み、武装勢力の拡散と犯罪の横行、宗派間の対立激化を招きます。選挙と憲法制定を経て、2005年に連邦制を採る新憲法が成立し、アラビア語とクルド語の二言語体制、地方分権の枠組み、イスラームを法の源泉とする規定、市民の基本権などが明文化されました。北部のクルディスタン地域は独自の議会・政府・治安組織を持つ連邦の一構成体として地位を確立します。

2006年前後には宗派暴力が最悪の局面に達し、地域共同体の分断と混住地の分離が進みました。治安部隊の再建、部族の自警組織(いわゆる覚醒評議会)との協働、都市の壁やチェックポイントなど物理的管理の導入を通じて、徐々に暴力は沈静化しますが、国家の統治能力と公共サービスの提供は長らく不安定さを抱えました。汚職や縁故主義、公共部門への過剰依存は、資源国家に見られがちな制度的課題としてたびたび批判の的になります。

2014年、シリア内戦の波及と国内の不満を背景に、いわゆる「イスラーム国(IS)」がモースルなど北・西部の広い領域を制圧し、国家存立の危機が生じました。イラク軍、クルドのペシュメルガ、各地の部隊、国際的な空爆支援が組み合わさり、2017年までに主要都市は奪還されますが、戦闘とテロの爪痕は深く、帰還・復興・和解は長期の課題となりました。ヤズディーなど少数派への残虐行為は国際社会に衝撃を与え、保護と司法的追及の枠組みづくりが進みます。

安全保障の面では、正規軍・警察に加えて、対IS戦で形成された準軍事組織(一般に「人民動員隊」)の位置づけと統制が論点となっています。国家の指揮命令系統と地域の自衛・政治勢力の関係をどう調整するかは、主権と治安のバランスに関わる難題です。クルディスタン地域と中央政府の間では、石油収益の配分、領有の曖昧な地域(キルクークなど)の扱い、治安協力の枠組みが協議と対立を繰り返しつつ調整されています。

経済再建では、油価の変動に左右されない財政運営、送電網の整備と天然ガスの随伴ガス回収、上下水道と医療の更新、教育・職業訓練による若者雇用の拡大が焦点です。国際回廊(トルコ・イラン・ヨルダン・湾岸方面)を結ぶ鉄道・道路の近代化、港湾と自由貿易区域の整備は、物流国家としての潜在力を引き出します。文化遺産の保護と観光の再興――バビロン、ウル、ニネヴェ、サーマッラーの大ミナレット、バグダードの歴史街区――も、ソフトパワーと地域経済の両面で意味を持ちます。

社会文化の側面では、アラビア語とクルド語のバイリンガル空間、アラム語系の典礼言語を保持する共同体、イスラームの宗派儀礼(とくにアルバイーン巡礼に見られる大量動員)、古典音楽マカームや詩の口誦伝統、料理(マスグーフ、キブベ、デーツ)など、多様性が生活に刻まれています。戦争と制裁、移住で diaspora が増え、ロンドン、デトロイト、ヨーロッパ諸都市などに活発なコミュニティが形成され、送金・専門知の逆流・文化事業を通じて本国と結びついています。

環境と水の課題は、21世紀のイラクを規定する重要要素です。上流国のダムと気候変動で流量が減り、塩害や砂嵐、湿地の乾燥化が農業と健康に影響します。湿地の再生プロジェクトや地下水管理、都市の緑化、再生可能エネルギーの導入は進みつつありますが、長期的計画と地域協力が不可欠です。水の配分交渉は外交課題であり、工学・法・政治をまたぐ総合的な取り組みが求められています。

政治制度は議院内閣制・連邦制を採用し、多党制のもとで連立政権が常態です。選挙は比例系を基礎にし、地域・宗派・民族の代表が議会に集まります。市民運動や若者のデモは汚職・失業・公共サービスをめぐって周期的に起こり、選挙制度改革や行政の透明化を押し上げる力となっています。地方自治の強化、司法の独立、治安部門の文民統制は、民主的統治の土台としてなお継続的な課題です。

教育・文化の復興では、大学の再建、研究ネットワークの国際連携、図書館・博物館の修復、文筆・映画・演劇の新しい波が芽生えています。略奪や破壊で傷ついた遺物の返還・保存と、デジタル技術による記録化、地域に根ざした博物館教育は、アイデンティティの再構築に寄与します。多言語・多宗教社会での教科書・メディア表現のあり方も議論され、多様性と共通市民性のバランスを模索する試みが続いています。

総体として、イラクは「過去の遺産の重み」と「現在の再建の手触り」が同居する場所です。世界最古級の都市文明の記憶と、近現代の激しい衝突・再編の記憶が層をなし、そこに若い人口と豊かな資源、地理的結節性というポテンシャルが積み重なっています。河川と油田、聖地と廃墟、都会と湿地――多様な風景のあいだで、統治・経済・社会のバランスをどう整えるかが、これからのイラクを考える鍵になります。