ウンマとは、イスラームにおいて「信仰によって結ばれた共同体」を意味する語で、国境や血縁、民族を超えてアッラーの唯一神信仰とムハンマドの預言を共有する人びとの総体を指します。ウンマという観念は、単に宗教的集団を示す名称ではなく、倫理・法・政治・文化を横断する枠組みとして、初期イスラーム以来の歴史を貫いてきました。預言者ムハンマドの時代にマディーナで形成された共同体の運営原理、礼拝や断食、喜捨といった規範の実践、学者(ウラマー)の解釈と裁定、巡礼(ハッジ)や祝祭による連帯の体感、帝国期の支配秩序、そして近現代における国民国家・民族主義・グローバル化との緊張と調整など、さまざまな局面で「誰がウンマに属し、どう関わるのか」が問われ続けてきました。以下では、定義と起源、歴史的展開、法と実践、近現代の再解釈と課題を整理し、最後にしばしば混同される古代メソポタミアの都市ウンマとの違いにも触れます。
語の定義と起源—マディーナ共同体の経験
「ウンマ(umma)」はアラビア語で「共同体・民族」を意味する一般語で、イスラーム文脈では啓典の民(とくにムスリム)からなる信仰共同体を指して特化して用いられます。語根は「母」を表す語とも関係づけられ、養育・包摂のニュアンスを含むとされます。クルアーンには「あなたがたは人々のために取り出された最善の共同体(ウンマ)である」(3:110)等の表現が見え、信仰・善行・相互の勧善懲悪が共同体の資格を構成することが説かれます。したがって、ウンマは血統や部族ではなく、神への服従(イスラーム)という共通実践によって成立する「規範共同体」です。
歴史的には、ムハンマドがメッカからマディーナへ移住(ヒジュラ)した後、移住者(ムハージルーン)と在地の援助者(アンサール)、さらにユダヤ部族や多宗教集団を含む都市住民のあいだで、紛争調停と相互防衛の原則を定めた政治文書(慣例的に「マディーナ憲章」と呼ばれる)が作成されました。そこでは、信仰共同体が部族関係を超えて相互扶助に立つこと、各宗教集団の内部自律を認めつつ都市秩序を守ることが確認され、ウンマの運営に関する初期の実践が形になりました。以後、礼拝・喜捨・断食・巡礼の義務(いわゆる五柱)を共有し、法的・倫理的責務を分かち合うことが、ウンマの具体的な日常を形づくります。
歴史的展開—正統カリフから帝国、地域社会へ
ムハンマド死後、共同体の政治的指導者(カリフ)を誰が、いかに選ぶかは大きな議題となりました。アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの「正統カリフ」期には、共同体の統合と拡大の中で、法と慣行の整備が進みます。やがてウマイヤ朝・アッバース朝の帝国期に入ると、ウンマは多民族・多言語の広域に拡張され、アラビア語の行政言語化、イスラーム法(シャリーア)の学派形成、学者(ウラマー)や判事(カーディー)の役割確立を通じて、規範と統治の両面で制度化が進みました。ウンマは単一の国家と一致するものではなく、むしろ諸国家・諸都市の横断面として、宗教実践・法的助言・教育・福祉(ワクフ)を媒介に連帯を保つ枠組みでした。
地域レベルでは、都市の大モスクを中心に礼拝・説教・教育が行われ、祝祭(イード)や金曜礼拝の共同体性、断食月の共同経験、巡礼のネットワークが、ウンマの身体感覚を育てました。学問・交通・交易の回廊が整うにつれ、注釈書と教科書、説法の語り口、宗教的詩歌や祝祭の形式も広域的に共有され、ウンマは「共通文化圏」としての性格を強めます。他方、神学・法学・政治思想の差異、スンナ派・シーア派の分岐、地域の慣行(ウルフ)との折衝など、内部の多様性もまたウンマの常態でした。
中世末から近世にかけ、オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国といった大王朝が広域のムスリム社会を統合していく一方で、地方都市・商人ギルド・宗教教団(スーフィー・タリーカ)が、生活世界の単位としてウンマを支えました。巡礼路(ダルブ・アル=ハッジ)やマドラサのネットワークが広域に張り巡らされ、都市ごとに判事・説教師・ムフティーが法的助言を与えることで、ウンマの「規範の循環」が成立します。ウンマは帝国中心の政治体に還元されず、むしろ知識・儀礼・福祉の自律的な制度群によって持続してきました。
法・倫理・実践—ウンマを運営する仕組み
ウンマは抽象理念ではなく、具体的な制度と実践によって保たれます。第一に、イスラーム法(シャリーア)とその運用である法学(フィクフ)の体系です。クルアーンとハディース、法学者の合意(イジュマー)、類推(キヤース)などによって日常行為・取引・婚姻・相続・刑罰・礼拝が規範化され、ムフティーの法的見解(ファトワー)と裁判官の判決が具体的紛争を調停します。これにより、共同体内の行為が「判断可能」な秩序へと置かれます。
第二に、福祉と教育の制度です。義務的喜捨(ザカート)や自発的喜捨(サダカ)、宗教寄進(ワクフ)は、貧者や旅人、教育・医療・インフラの支援に充てられ、都市社会の安全網を形成してきました。モスクとマドラサは礼拝と学びの二重の機能を持ち、学者が説教と授業を通じて倫理・教理・実務法を伝えます。こうした制度は、国家に吸収された時期もあれば、私的寄進と地域ネットワークで自立的に運営された時期もあり、ウンマの柔軟性を支えました。
第三に、儀礼と時間の共有です。ラマダーン月の断食と夜の礼拝、二つのイード(断食明けの祭と巡礼の祭)、金曜礼拝、巡礼(ハッジとウムラ)は、地域差をまたいで同時性をもたらし、離れた共同体を心理的に結びつけます。聖地巡礼は、地理的に離れたムスリムの相互認識を育み、法学・説教・商業のネットワークを更新する場でもありました。
近現代の再解釈—国民国家、パン=イスラーム、ディアスポラ
19世紀以降、帝国の衰退と植民地化、民族主義と国民国家の登場は、ウンマ観念に大きな再編を迫りました。オスマン帝国のスルタン=カリフ制は、欧州列強の圧力と民族運動の高まりの中で求心力を失い、第一次世界大戦後に帝国が崩壊すると、ムスリム社会は国境線で区切られました。これに対して、ジャマールッディーン・アフガーニーらが唱えたパン=イスラーム主義は、宗教的連帯を軸とした政治的覚醒を促し、教育・出版・慈善の国境を越えるネットワークが生まれます。同時に、地域や民族のナショナリズム—アラブ、トルコ、イラン、南アジアなど—がそれぞれの国家建設を進め、ウンマと国民の二重のアイデンティティが日常化しました。
20世紀後半には、移民の増加とディアスポラの拡大が、ウンマに新しい地理を与えました。ヨーロッパ、北米、湾岸諸国などでムスリム人口が増え、モスク・学校・ハラール市場・メディアが形成され、イスラーム少数者法(フィクフ・アル=アカッリーヤート)の議論が進みます。ハラール認証、イスラーム金融、少数派の礼拝空間、宗教教育の位置づけ、差別と包摂の課題など、世俗的法制度との調整が新しい実践課題として浮上しました。インターネットの普及は、説教師や学者のメッセージを瞬時に共有し、オンラインのファトワー、講義動画、慈善のクラウドファンディングが、ウンマのネットワークをリアルタイム化しました。
一方で、政治運動や過激主義の一部が「ウンマの名」を語って暴力に訴える事例も現れ、ウンマ概念の公共的イメージに影を落としました。多くの学者・宗教指導者は、暴力の否定と市民的共存の原則を強調し、国家法と宗教規範の協調、異教徒・宗派間の対話、社会福祉と教育に根ざす公共的イスラームを説いています。現代のウンマは、単一の政治体ではなく、法と倫理、教育と相互扶助、メディアと移動のネットワークが重なる「重層共同体」として理解するのが妥当です。
多元性と境界—誰がウンマに属するのか
ウンマの境界は、信仰告白(シャハーダ)と実践の共有によって定義されますが、歴史的現実はより複雑です。スンナ派・シーア派、イバード派、法学学派の違い、民族・言語・地域文化の差は、ウンマ内部の多様性を生みます。学説上、基本教義を否定しない限り当人をムスリムと見なす立場が主流であり、異端視(タクフィール)によって政治的対立を正当化する態度は、伝統的法学でも慎重に扱われてきました。近代の少数者状況では、ユダヤ教徒・キリスト教徒・ヒンドゥー教徒・仏教徒など他宗教との共存実務—婚姻、相続、企業、学校、医療—が、ウンマの倫理的成熟を測る場ともなっています。
また、ウンマは男性中心ではありません。初期イスラームから女性の学者・伝承者(ムハッディサ)、慈善活動の担い手、教育者が存在し、近現代では女性の宗教教育、社会活動、公共圏への参加が拡大しています。ジェンダーと宗教実践の関係は地域や学派で差があり、議論は続きますが、ウンマの担い手の多様化は歴史的事実です。
用語の注意—古代都市ウンマ(Umma)との区別
歴史用語としての「ウンマ」は、古代メソポタミアの都市国家「ウンマ」(英字表記 Umma、現・イラク中部のテル・ジョフハ)と発音が同じため、しばしば混同されます。後者は前3千年紀にラガシュと境界紛争を繰り返した都市国家で、楔形文字文書や境界石碑で知られる存在です。イスラームの「ウンマ(umma)」はアラビア語の信仰共同体概念であり、語源・時代・内容がまったく異なります。文脈に応じて、前者は「(シュメールの)都市ウンマ」、後者は「イスラームの共同体ウンマ」と明示するのが望ましいです。
総じて、ウンマは「神への服従を軸とした倫理的・実践的共同体」であり、国家や民族と重なる部分もあれば、超えていく部分もあります。マディーナの出発点から帝国・都市・地域社会を経て、現代の国民国家・ディアスポラ・デジタル空間にいたるまで、ウンマはその都度、新しい形で構想され直されてきました。抽象理想としてではなく、礼拝・学習・法・相互扶助・対話の具体的積み重ねによって維持される枠組みとして捉えるとき、ウンマの歴史的ダイナミクスが立体的に見えてきます。

