幾何原本 – 世界史用語集

「幾何原本(きかげんぽん)」は、古代ギリシアの数学者ユークリッド(Euclid)がまとめた『原論(Elements)』、およびそれを近世以降に各地で翻訳・普及した書物群の総称として使われる用語です。特に東アジアでは、明代中国で利瑪竇(マテオ・リッチ)と徐光啓が1607年に刊行した漢訳本の題名が「幾何原本」であったため、この呼称が定着しました。内容は点・線・面・角といった基本概念を出発点に、公理と定義にもとづく厳密な証明の鎖で幾何学の体系を築いたもので、古代から19世紀に至るまで数学教育の中心教材でした。ユークリッド的な公理主義と論証の作法は、数学のみならず「論理的に考える」とは何かを示す古典でもあります。本稿では、編纂の背景と資料、構成と方法、各時代・地域への伝播、非ユークリッド幾何の登場までを、できるだけ平易に整理して解説します。

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成立と資料—アレクサンドリアの学問世界と『原論』

ユークリッドは紀元前3世紀初頭、プトレマイオス朝の学術都市アレクサンドリアで活動したと伝えられます。『幾何原本』は彼自身の創作だけでなく、タレス、ピタゴラス派、エウドクソス、テアイテトスら先行の成果を取捨し、定義・公理・命題の体系へ再編集したものです。現存する本文は後代の写本伝承を経たもので、注釈家テオン(アレクサンドリアのテオン)による校訂系統、古注(プロクロスやヘルメイオスら)を伴う伝統が知られています。古典期ギリシア語からコイネー、のちにはアラビア語・ラテン語へと翻訳され、写本は中世の大学とメダレス(学院)で読み継がれました。

『原論』は全13巻(のちに14・15巻を付加する版もあります)から成り、I〜IV巻が平面幾何の基礎、V巻がエウドクソス流の比の理論、VI巻が相似、VII〜IX巻が整数論(素数・最大公約数・算術平均—幾何平均など)、X巻が無理量の理論、XI〜XIII巻が立体幾何(多面体)を扱います。とりわけI巻は、定義・公準・共通概念を掲げたのち、作図と証明の最小道具だけで命題へ進む「入口」にあたり、のちの時代の教科書はここを重点的に学びました。

構成と方法—定義・公理・公準、作図と証明の枠組み

『幾何原本』の革新は、世界をどう見るかではなく、「どう証明するか」を体系化した点にあります。ユークリッドはまず、〈点とは部分を持たないもの〉〈線とは幅を持たない長さ〉〈直線とは均しく置かれた線〉といった定義を置き、つづいて二群の前提を提示します。第一が〈公準(postulates)〉で、直線を任意に引ける、有限直線を延長できる、任意の中心・半径で円を描ける、直角は互いに等しい、そして有名な〈平行線公準〉—一本の直線が二直線と交わるとき、内角の和が二直角より小さければ二直線は小さい側で交わる—です。第二が〈共通概念(common notions)〉で、〈同じものに等しいものは互いに等しい〉〈等しいものに等しいものを加えれば結果も等しい〉〈全体は部分より大きい〉など、広く量に関する一般原理です。

証明の運転は一定の型を持ちます。命題は〈主張〉と〈作図〉〈証明〉で構成され、必要最小限の道具—定規(目盛りなし)とコンパス—で作図し、共通概念と、すでに証明済みの命題だけを用いて結論へ進みます。I巻の最初の命題I.1は「与えられた有限直線上に正三角形を作る」で、二つの円の交点を用いて正三角形を構成し、I.5(二等辺三角形の底角は等しい、通称「ロバの橋」)は角の合同と対辺の性質を導く代表例です。I.47はピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の平方は他の二辺の平方の和に等しい)で、図形分割と合同の連鎖で証明されます。V巻の比の理論は無理量を含む大きさの比を「内在的定義」で扱い、実数論のない時代に連続量を厳密化する工夫でした。XI〜XIII巻では立体角・平行六面体の体積関係、そして正多面体(プラトン立体)の分類(五種類しかない)に到達します。

方法上のもう一つの要は〈還元と背理法〉です。多くの命題は、仮に反対が成り立つとすれば矛盾が生じる、という論証(背理法)で確定されます。これにより、作図不可能性(例えば任意角の三等分の一般解は定規とコンパスではできないこと—この厳密な証明は19世紀に代数化されますが—)へとつながる問題意識が育ちました。ユークリッド的論証は、前提→推論→結論という段取りを明示し、図形の見かけや「当たり前」に頼らない態度を養います。

受容と伝播—アラビア語・ラテン語・活版印刷、そして教育の古典へ

古代末〜中世、ギリシア語原典はアレクサンドリア系の注釈とともにアラビア語へ翻訳され、バグダードの「知恵の館」を中心に研究されました。ナイリージー(アル=ナイリージー)らの注釈は、比・無理量・作図の技法に長い影を落とします。12世紀にはアデラード・オブ・バースらがラテン語訳を行い、やがて大学の算術・幾何カリキュラムの中心教材となりました。印刷術の発明は普及を決定的に加速し、1482年ヴェネツィアのラトドルト版は木版図を備えた最初期の印刷『原論』として知られます。16世紀にはコマンドィーノ、クラヴィウスらが注釈と校訂を施し、精密な図とページ組みで「読む幾何」を整えました。19〜20世紀の標準版としてはヒース(T. L. Heath)による校訂と英訳が著名で、原典批判と注解の集成として今も参照されます。

教育史の観点では、『原論』は近代初期から19世紀末にかけて、欧州・アメリカの学校で論理教育の柱でした。定理を暗記するのではなく、命題・補題・図の対応と推論の順序をたどる訓練は、論証力を鍛える標準法でした。測量・航海・建築・砲術の実学とも結びつき、幾何の素養は技術者・文人の共通言語となりました。19世紀後半、非ユークリッド幾何や集合論が興ると、ユークリッド体系の前提と限界が意識化され、20世紀には公理系の見直し(ヒルベルトの『幾何学基礎』など)が進みますが、なお基礎教養としての価値は揺らぎませんでした。

東アジアへの伝来—漢訳『幾何原本』(1607)とその波紋

東アジアで「幾何原本」という語が特に重要なのは、1607年、イエズス会士利瑪竇(マテオ・リッチ)と中国の学者・実務家である徐光啓が、ローマ版『Elements』の第一〜六巻の要部を合訳し、北京で刊行した漢訳本の表題が『幾何原本』だったことに由来します。これは直訳ではなく、幾何学の「原(もとい)」=原理書という意味を込めた命名でした。訳文は、欧式の定義・命題・証明の形式を漢文に移植する試みであり、〈点曰無体、線曰無厚〉のように簡潔に核心を言い表す語彙を作り出しました。図の配置と文の対応、命題番号の付け方、定規・圓規(コンパス)の操作など、新しい学術文体を提示したことも画期的でした。

この漢訳は、暦法改良・測量・築城・機械術など実用の場で強い関心を呼び、徐光啓はさらに代数学・三角法・測地の導入に尽力します。清代には梅文鼎・李銓などが和訳・増補・注釈を進め、19世紀には西学東漸の潮とともに、幾何学・解析学の教材が次々と中国語で整備されました。日本でも、江戸後期から蘭学・漢訳を通じて『幾何原本』の語と内容が知られ、明治以降の数学教育(幾何=図形)の基礎概念の多くが、この系譜の語彙と接続します。東アジアにおける科学技術語の形成史において『幾何原本』が果たした役割は小さくありません。

平行線公準と19世紀—非ユークリッド幾何への扉

『原論』の中で最も議論を呼んだのが第五公準、いわゆる〈平行線公準〉です。これは他の公準に比べて複雑で、長らく「より自明な原理から証明できないか」と試みられました。18世紀まで多くの数学者が証明を試みましたが、19世紀前半、ガウス、ロバチェフスキー、ボヤイは独立に「第五公準を否定した世界」を公理的に構成できることを示し、双曲幾何(平行が無数に存在)や楕円幾何(平行が存在しない)を打ち立てました。これにより、幾何学は唯一の空間学ではなく、「前提次第で複数の一貫した体系があり得る」ことが明らかになり、数学の〈公理主義〉が本格的に自覚されます。リーマンはさらに計量を一般化した曲面幾何を展開し、20世紀の一般相対性理論の数学的基礎となりました。

こうした流れの中で、ユークリッド幾何そのものも厳密化が進みます。ヒルベルトは『幾何学基礎(1899)』で、点・直線・平面・間・合同・平行などの関係を30余の公理で明確に定め、ユークリッドの暗黙の前提(例えば連続性や実数の性質)を洗い出しました。現代数学では、ユークリッド幾何は「実数体上の二・三次元アフィン/ユークリッド空間の幾何」として位置づけられ、解析幾何や線形代数、群論(ユークリッド群)と結びついて再解釈されています。

具体的命題と用語—『原論』が生み出した言語

『幾何原本』は、ただ結果を集めた書ではなく、数学語の「作法」を生みました。例えば、定義(ὁρισμοί)・公準(αἰτήματα)・共通概念(κοιναὶ ἔννοιαι)、命題(προτάσεις)、証明(ἀπόδειξις)といった区分、作図(κατασκευὴ)という手順、補題・系(コロラリー)という位置づけは、今日の数学論文にも通じる構造です。整数論では、最大公約数を求めるユークリッドの互除法(VII巻・命題1〜2)が基本算法として定着しました。平面幾何の語でも、等角・等辺・相似・内角・外角、円周角と中心角、接線・割線といった概念体系が整然と並びます。こうした語彙は、漢訳『幾何原本』の工夫—点・線・面・角、斜辺・股、圓・弧・弦・切線など—を通じて東アジアの学術日本語・中国語に根づきました。

命題の例をもう少し挙げます。I.31「与えられた点を通り、与えられた直線に平行な直線を引く」は作図の典型で、平行四辺形の性質と結びつき、面積計算へ進みます。VI巻では相似を用いて「高さが等しい三角形の面積比は底辺の比に等しい」など比例法を展開し、算術と幾何の橋渡しを行います。XIII巻は五正多面体(正四・六・八・十二・二十面体)の構成と固有比(黄金比など)を扱い、古代の宇宙観・哲学とも響き合いました。

近代以降の改編と評価—教育、印刷文化、図と可視化の工夫

近代の編集者は、原文の順序を尊重しつつも学習用に配慮した工夫を加えました。ページ上に図を本文と同じ視野に置く版面設計、色分けや記号で対応点・対応角を示す図式、誤植を避ける図版組版の技術は、『原論』が「図とテキストが一体化した学術書」であることを意識した伝統の産物です。19世紀の教育改革では、暗記的口述を脱し、作図実習・問題演習・口頭試問(ヴィヴァ)を組み合わせる方法が広まり、ただ読むだけでなく〈自分で証明する〉訓練が重視されました。20世紀後半、新数学運動やコンピュータの導入によりカリキュラムは多様化しますが、図形の言語と厳密な推論を学ぶ入口として、『原論』のエッセンスは今なお活きています。

一方で、歴史学の視点からは『原論』は固定不変の「原点」ではなく、注釈・翻訳・編集の重層によって生き延びてきた〈動く古典〉だと理解されます。テオン系と非テオン系の本文差、アラビア語注解に由来する挿入、ルネサンスの校訂方針、図版文化の地域差など、各時代の読者が自分たちの言語と道具で『原論』を作り直してきました。東アジアの『幾何原本』という命名自体も、その創造的受容の一例です。

総じて、『幾何原本』は、世界を測るための技術書であると同時に、「前提を明示し、筋道を立てて結論に至る」という思考の教科書でした。点と線から多面体まで、単純な道具だけで驚くほど豊かな世界を構築する—その過程を追体験すること自体が、時代と地域を越えて読者を惹きつけてきた理由だといえます。東西の翻訳と注釈の歴史は、その魅力が文化を横断して共有されうることを示す生きた証拠でもあります。