首位権 – 世界史用語集

首位権(しゅいけん、英:primacy)は、キリスト教世界においてある人物・座(司教座)が他の同格者に対して優越的な地位と権能を持つとされる教会法上・神学上の概念です。最も重要なのはローマ司教(教皇)の首位権で、これは使徒ペトロの継承者として普遍教会に対する特別な責務と権限を有するという理解に基づきます。首位権は、単なる名誉上の「第一人者(primus inter pares)」から、管轄権(jurisdictio)と教導権(magisterium)を伴う「首位の管轄」へと歴史の中で含意が拡張されました。ローマ帝政期の都市位階、古代教会の慣行、普遍公会議の諸決定、中世の教皇権の伸長、近代のガリカニスムやコンシリウム(公会議主義)との対立、近現代の公会議(とくに第1・第2バチカン公会議)を通じて、その内容は繰り返し定義・修正されてきました。本稿では、起源と根拠、古代から中世の展開、近代の論争と確定、東方正教会やプロテスタントとの相違点、現代エキュメニズムにおける論点を、用語と歴史の双方からわかりやすく整理します。

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起源と神学的根拠――ペトロの首位とローマの優越

首位権の神学的根拠として最も頻繁に引用されるのは、新約聖書マタイ福音書16章18–19節の「あなたはペトロ(岩)である。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる……天国の鍵をあなたに授ける」という句です。古代からこのテキストは「ペトロ個人」「ペトロの信仰告白」「キリストご自身」という三通りに中心を置く解釈が並存してきましたが、ローマの伝統ではペトロ個人とその後継(ローマ司教)に特別の役割が付与される読みが優勢でした。ローマにおけるペトロとパウロの殉教の記憶、ローマ都市の政治的権威、使徒座(sedes apostolica)という観念が重なり、「ローマ座は信仰の基準である」とする慣行が形成されます。

教会法史の面では、ニカイア公会議(325)・コンスタンティノポリス公会議(381)・カルケドン公会議(451)などの規定が重要です。これらは主に座の序列・管轄区域を定め、ローマ・コンスタンティノポリス・アレクサンドリア・アンティオキア・エルサレムの五大総主教座(いわゆる五大総主教制=ペンタルキア)を承認しました。ただし、ローマの首位は「古いローマの名誉」に基づくと説明され、当初は管轄権よりも名誉序列の側面が強かったと理解されています。他方で、レオ1世(大教皇、在位440–461)の書簡や『トメス』は、ローマ座の裁治権に踏み込む議論を展開し、異端審理や教義確定におけるローマの承認の重みが増していきました。

古代末~初期中世にかけて、ローマ司教は帝都の移転(ローマ→コンスタンティノポリス)による政治的空白やゲルマン王国の台頭の中で、都市行政・貧民救済・仲裁を担い、実務的権威を強めます。ゲラシウス1世(在位492–496)の「二剣論(sacerdotiumとregnum)」は、教会と世俗権力の関係を理論化し、後世の教皇権拡張の理論的基盤となりました。こうしてローマの首位権は、教義の守護・裁判の上訴・司教叙任の承認など、制度的領域に徐々に浸透していきます。

中世における首位権の拡張――叙任権闘争から教皇至上へ

11–12世紀の叙任権闘争は、首位権の意味を決定的に拡大しました。グレゴリウス7世(在位1073–1085)の『教皇訓令(Dictatus papae)』は、教皇が普遍教会に対して最高の裁治権を持ち、皇帝を廃位し得るとまで主張しました。ここで首位権は、単なる「名誉上の第一」から、法的・政治的な「管轄を伴う第一」へと性格を変えます。カノッサ事件に象徴される皇帝権との抗争、ラテラン公会議群(1123、1139、1179、1215)の改革令、修道運動の浄化は、ローマの中央集権化と教皇廷(クーリア)の司法・財政機能の整備を促しました。

13–14世紀には、教皇庁は教義紛争と各地の教会統治に積極的に介入し、教皇勅書『ウナム・サンクタム(1302)』は、救いに関わる教会の一性と教皇への服従を強く打ち出しました。アヴィニョン教皇庁(1309–1377)と西方教会大分裂(大分裂:1378–1417)は、むしろローマの首位を揺るがし、公会議主義(コンスタンツ公会議〔1414–1418〕、バーゼル公会議〔1431–1449〕)が台頭します。公会議主義は「普遍公会議こそ教会最上の権威」と唱え、教皇は公会議に従属すると主張しましたが、実際には教皇権と妥協しつつ終息しました。結果として、首位権は教皇の上位性を維持しながらも、教会全体の合議性(コレギアリタス)の要請と並立する、緊張を孕んだ形で持続します。

地域教会の抵抗も無視できません。フランスのガリカニスム(王権と国教会の自立を唱える潮流)、神聖ローマ帝国の帝国教会制、イングランドの王政による統制などは、首位権の波及を抑制しました。宗教改革(16世紀)はそもそも首位権の神学的根拠と教皇制度自体を批判し、プロテスタント諸派は教皇の首位権を受け入れませんでした。他方、トリエント公会議(1545–1563)はカトリック内部の規律を刷新し、司教・修道会・教皇の関係を再調整して反宗教改革を推進します。

近代の確定点――第1・第2バチカン公会議、不可謬とコレギアリタス

19世紀、民族国家の形成と世俗化が進む中で、ローマ教皇の首位権は再定式化されます。とくに第1バチカン公会議(1869–1870)は憲章『Pastor aeternus(永遠の牧者)』によって、(1)教皇の首位の管轄権(universal ordinary jurisdiction)と、(2)信仰と道徳に関する教義を ex cathedra(司教座から)定義する際の不可謬性(papal infallibility)を教義として定めました。これは首位権の最も明確な法的神学的定式化です。ただし不可謬の行使要件は厳格で、日常のあらゆる発言が不可謬とされるわけではありません。

20世紀の第2バチカン公会議(1962–1965)は、教会論を刷新し、司教団のコレギアリタス(共同性)を強調しました。『教会憲章(Lumen gentium)』は、教皇の首位権を確認しつつ、世界の司教団が教皇と共に全教会の最高・完全な権威を持つと定義し、首位(primatus)と合議(collegialitas)の調和を目指します。結果として、首位権は「単独の超集権」から「首位における一致の奉仕(ministerium unitatis)」へと神学的ニュアンスが移動し、司教協議会・シノドスといった制度が整備されました。

現代の教令は、首位権を「教会の一致・信仰の純保・使徒性の保障」に関わる奉仕と捉え、行政機構(ローマ教皇庁)の改革、地方教会の自律との均衡、世界教会の文化多様性の尊重を課題に据えています。不可謬の教義と日常的教導(普通・普遍の教導職)の関係、司教任命・典礼規範・教会法の改正権限など、実務面での首位権の及び方は現在も継続的に調整されています。

東方教会・プロテスタントとの相違点と対話――「名誉の首位」から一致の模索へ

東方正教会は、古代からの五大総主教制と「第一位(primus inter pares)」の原理に立ち、ローマ教皇の普遍管轄権と不可謬を認めません。コンスタンティノポリス総主教を名誉上の第一としつつ、各自の教会(自教会)が自律(オートケファリー)を保持する構造が基本です。1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノポリス占領や、1054年の相互破門に象徴される歴史的軋轢も相まって、首位権理解の差は大きいまま残りました。

しかし20世紀後半以降、エキュメニカルな対話は進展し、2007年のラヴェンナ文書(カトリック・正教会国際合同委員会)は、教会が地方・広域・普遍という三層で構成され、それぞれに首位(プロトス)が存在するという枠組みを共有しうると確認しました。最大の相違は、普遍的レベルでの首位の具体的権限(名誉のみか、管轄を伴うか)にあります。カトリック側は「首位は名誉にとどまらず実効的奉仕である」とし、正教側は「普遍レベルでは名誉の首位のみを認める」とするのが一般的です。

プロテスタント諸教会は、教皇首位権を原理的に否定し、聖書の至上性と各教会の自律、あるいは会議制・監督制・長老制といった多様な統治形態を採用しています。他方、ルター派・聖公会・改革派などの一部は、歴史的主教制や象徴的首位(名誉職)を持つ場合もあり、近年は教会一致の枠組みで「奉仕としての首位」の可能性を探る議論があります。ローマ・カトリック教会内部でも、教皇ヨハネ・パウロ2世の回勅『Ut unum sint(彼らが一つとなるために、1995)』は、首位の形を他教会と対話の中で再考することを提案しました。

概念の射程と具体――首位権が及ぶ領域、用語の違い、現代的課題

首位権の具体的な作用領域は、(1)教義の保持・解釈の最終審(教導職)、(2)司教叙任・教会法制定・典礼規範承認などの統治(裁治権)、(3)分裂時の一致回復・仲裁(調停機能)に大別できます。歴史的には、個々の案件(教区境界の調整、信徒団体の承認、修道会の監督、大学・神学校の認可、婚姻無効審理の上訴など)を通じて、首位権が「統治の細部」に浸透してきました。他方、地方教会の自律と文化適応(インカルチュレーション)を損なわない配慮も求められ、司教協議会の権能とローマの関係は今なお調整過程にあります。

用語上の注意として、首位権(primacy)は至上権や専制(supremacy)とは区別され、また「宗主権(suzerainty)」のような国際関係論の語とも別概念です。中世文献で見られる「使徒座への上訴権」「パラディウム(信仰の保証)」といった表現は、首位権の抽象的・法的側面を強調する際に用いられました。東方教会文脈では、名誉首位(timiotēs)という語が重視され、座次・儀礼・召集権などの範囲に限定されます。

現代的課題としては、(a)世界的危機(戦争・難民・環境)に対する教会の発言と調停における首位の役割、(b)デジタル時代の教導(偽情報・神学的混乱への対応)、(c)教会内のガバナンス(透明性・説明責任・スキャンダル対応)での首位権の使い方などが挙げられます。首位権は「力」ではなく「奉仕」であるという自己規定が、どこまで実務に貫徹されるかは、今後の教会史の評価点となるでしょう。

まとめ――一致のための「第一」という思想

首位権は、教会の一致と信仰の保全を支えるために「第一の座」を設けるという思想です。その歩みは、名誉の首位から管轄の首位へ、絶対化から合議との調和へと揺れ動きながら、世界史の宗教と政治の相関の中で何度も再定義されてきました。ローマのペトロの座に集中する教皇首位権は、古代の都市秩序と使徒伝承に根を持ち、中世の制度形成を経て、近代公会議で精緻に定義され、現代のエキュメニカル対話の焦点でもあります。首位権を学ぶことは、権威と合議、中心と周縁、伝統と更新という普遍のテーマを、具体的な史料と制度の歴史に即して考える手がかりを与えてくれるのです。