紅軍(こうぐん)は、一般に中国共産党が1920年代末から1930年代にかけて組織した革命軍「中国工農紅軍(のちの中国人民解放軍の前身)」を指します。都市から農村へ、軍から民へという逆方向の動員を軸に、農村根拠地を築きながら国民党政権と長い内戦を戦い、やがて抗日戦争期には八路軍・新四軍として日中戦争の主要な地上勢力の一つとなりました。紅軍は単なる軍事組織ではなく、政治教育や土地政策、群衆動員を一体化させた「人民戦争」の運用モデルを提示し、20世紀の革命と戦争の形式を大きく変えました。本稿では、成立の背景、組織と戦略、長征の実像、抗日戦争期の改編と人民解放軍への連続、そして用語上の注意と評価を、わかりやすく整理します。
成立と背景:農民運動と国共内戦の中で
第一次国共合作(1924〜27年)は、ソ連のコミンテルン支援の下で孫文の国民党と中国共産党が提携し、北伐を通じて列強の勢力と軍閥割拠を打破する試みでした。しかし、1927年の上海クーデター(四・一二事件)で蔣介石が共産勢力を弾圧すると、都市の労働者基地を失った共産党は生き残りの道を農村に求めます。南昌起義(1927)や秋収起義(同年)など敗退と撤退を繰り返しつつ、毛沢東と朱徳らは井岡山に根拠地を築き、農民を主体とする武装力の建設に踏み出しました。ここで生まれたのが「中国工農紅軍」です。
成立初期の紅軍は、既存の正規軍の脱走兵や貧農・小作人、地方の秘密結社の成員など多様な出自の兵士から構成されました。彼らは土地革命(没収・再分配)と租税減免、農村の自衛武装を掲げ、村落組織と軍隊を緊密につなぎます。これに対し、国民党政府は「囲剿」(包囲掃討)作戦を重ね、江西や福建などの根拠地に対して継続的な圧力を加えました。こうして、国家権力と地方社会のあいだで、長期消耗戦の構図が形成されます。
組織・軍事・政治工作:游撃戦・根拠地・兵民一致
紅軍の特徴は、軍事・政治・社会の三位一体の構造にあります。編制上は軍・師・団・連・排の階梯を持ち、党組織(党委・政治委員・政治部)が各級に併設されて、軍事指揮と政治工作を併走させました。兵士は読み書き・衛生・規律の教育を受け、指揮官は政治委員と連名で命令を出す二元制が採用されました。これにより、軍事作戦と土地政策・徴発・宣伝が同じ回路で動く体制が整えられます。
戦術面では、「敵進我退・敵駐我擾・敵疲我打・敵退我追」という機動的な游撃戦の原則が掲げられました。包囲の外縁を迂回して兵站を脅かし、地形と住民の支援を活かして消耗を強いるのが基本です。正面決戦を避け、機動・奇襲・分進合撃を重ねる運用は、火力と兵力で優越する国民党軍への有効な対抗策でした。あわせて、地方の保甲・団練組織の切り崩しや、秘密連絡網・情報収集の整備が重視されます。
根拠地運営は、紅軍の生命線でした。ソビエト区(江西省を中心とする中華ソビエト共和国など)では、土地法の制定、赤色政権の樹立、赤色貿易・配給制度、人民裁判・治安組織の整備が進み、学校・識字運動・女性解放策が導入されました。これらはしばしば過激な再分配や政治闘争を伴い、暴力と統合の双方の記憶を地域社会に刻みます。一方で、軍規の整備(「三大規律・八項注意」など)は兵士による略奪・乱暴を抑制し、農民の支持を確保する努力が続けられました。
長征:敗退の撤退ではなく再編の行軍
1933〜34年、蔣介石は鉄道・要塞線・航空支援を組み合わせた第五次囲剿を敢行し、紅軍の主力は江西の中央根拠地を維持できなくなりました。1934年10月、中央紅軍は遵義・四川・陝北を目指して大規模な転進を開始します。これが「長征」と呼ばれる一連の行軍です。長征は単一路線ではなく、紅一方面軍(中央紅軍)に加え、紅二・四方面軍など複数の縦隊が異なる経路をたどり、雪山・草地・峡谷・大河を越えて合流・分散を繰り返しました。
長征の過程で、遵義会議(1935年)は軍事路線と指導体制の転換点になりました。従来の定地防御・都市志向への反省から、機動戦と農村・辺区の重視へ舵が切られ、毛沢東の指導的地位が確立します。長征は甚大な犠牲を伴いましたが、陝北の延安に到達して以後、紅軍は辺区政権を基盤に再建され、抗日戦争の全国的展開を受けて政治的正当性を拡大しました。
長征をめぐる叙述には、英雄的神話化と冷静な実証の両面があります。厳しい自然条件・補給の切迫・地方勢力との関係調整・民族地域の動員など、具体の困難を丁寧に読むことで、軍事行軍であると同時に「再編と生存の政治プロセス」であった実像が見えてきます。
改編と抗日戦争:八路軍・新四軍へ、人民解放軍へ
1937年に日中戦争(抗日戦争)が全面化すると、第二次国共合作が成立し、紅軍は名目上の国民革命軍に編入されて「第八路軍(八路軍)」および「新四軍」へ改編されました。八路軍は華北で山西・河北・山東・チャハルの広域に抗日根拠地を形成し、新四軍は華中で長江以南の游撃・交通遮断・政権工作を展開しました。両軍は正面戦・ゲリラ戦を使い分け、鉄道破壊、治安隊の切り崩し、徴発抑制と減租減息などの政策を併せて住民支持を獲得します。
抗戦末期には、八路軍・新四軍は百万人規模に拡大し、1945年の終戦後、国共内戦が再燃すると、これらの兵力は野戦軍に再編されて人民解放軍の骨格になります。東北での満洲産業基盤の掌握、米ソの国際環境、農地改革の再起動、機動戦術と火力の近代化(砲兵・対戦車兵器の整備)などが重なり、1949年に中華人民共和国が成立しました。紅軍から解放軍への連続は、軍—党—群衆の三層結合が戦時と平時の双方で作動したことを物語ります。
軍事思想の面では、紅軍期の実践が「人民戦争」「持久戦」「游撃戦から正規戦へ」という理論に体系化され、政治工作・宣伝・統一戦線の技法とともに、冷戦期のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの武装運動にも参照されました。これは同時に、農村動員のコストや反対派への暴力をめぐる負の遺産も各地に残す結果となりました。
評価と用語上の注意:ソ連赤軍との区別、神話と史実
日本語の「紅軍」という語は、文脈によって中国の紅軍(工農紅軍)と、ロシア革命期に成立したソ連の「赤軍(Красная армия)」の双方を指し得ます。本項は中国の紅軍について解説しましたが、ロシア語起源の赤軍は起源・組織・役割が別物です。授業や試験では、用語の出所と時代、地域を必ず確認することが大切です。
紅軍の歴史評価は立場により分かれます。農民の土地要求と反帝国主義の旗の下で被支配層の政治参加を拡げたという評価がある一方、内戦と革命の名の下での暴力、異論弾圧、地域社会の分断を指摘する視点も重要です。長征や英雄叙事の神話化は、統合の物語として一定の機能を果たしましたが、被害と犠牲、地域差や少数民族社会の経験も同時に検討されるべきです。紅軍を理解する鍵は、軍事・政治・社会を切り離さずに読むこと、そして国家形成のプロセスにおけるコストと便益の両面を見ることにあります。

