神仙思想(しんせんしそう)とは、主に中国で発達した、「修行によって老いと死を超え、不老長生の仙人となることができる」という考え方、およびそれに結びついた信仰と技術の総称です。ここでいう「神仙」とは、神と人間のあいだに位置する超自然的な存在で、山や海のかなたに住み、長寿や神通力を備えた理想像として描かれました。神仙思想は、道教と深く結びつきつつも、それ以前の方術(まじない・呪術・占い)や、民間の不老不死伝承などを取り込みながら形成されていった、多層的な思想世界です。
神仙思想の根本には、「人間はもともと天と一体であり、正しい方法を身につければ、天と同じように永遠の命を手にできるのではないか」という発想があります。その「正しい方法」として、仙薬・霊薬を服用する外丹術、呼吸法や体操(導引)、性的修行(房中術)、飲食の制限(辟穀)など、さまざまな術が考案されました。これらはいずれも、身体の内に宿る「気」や「精」を整え、腐敗と死をもたらす要素を取り除くことで、肉体そのものを変質させようとする試みでした。
同時に、神仙思想は単なる長寿のテクニックにとどまらず、「仙界」や「山中の桃源境」といった理想世界へのあこがれと結びつきました。仙人はしばしば、俗世の名利や争いから離れ、自然と調和して暮らす存在として描かれます。その姿は、激しい権力闘争や戦乱が続いた中国の歴史において、多くの人びとにとって「もう一つの生き方」「この世ならぬ救い」のイメージとなりました。世界史で神仙思想を学ぶことは、中国道教の理解だけでなく、東アジアの宗教・文学・美術に広がる仙人イメージの源流をたどることにもつながります。
神仙思想の基本イメージと修行法
まず、神仙思想が思い描いた「仙人」とは、どのような存在だったのでしょうか。古代中国の文献や絵画に登場する仙人像を整理すると、いくつかの共通するイメージが見えてきます。
一つは、「不老長生」です。仙人は、白髪や皺こそあっても、いつまでも衰えず、何百年・何千年とも言われる長い寿命を持つ存在として描かれます。彼らは仙薬や霊草(例:不死の桃、霊芝など)を口にし、清浄な気を吸い、穀物を断つことで、普通の人間の身体を蝕む老化と病を避けることができるとされました。
二つ目は、「超自然的な能力」です。仙人は、空を飛ぶ(飛仙)、雲に乗る、瞬時に遠方へ移動する、天候を操る、といった神通力を備えた存在として語られます。これらは文字どおりの能力として信じられた部分もあれば、俗世間の束縛を超えた自由さの象徴として理解される部分もあります。
三つ目は、「自然との一体感」です。仙人はしばしば、名山大川や海中の島(蓬莱・方丈・瀛洲など)に住むとされます。険しい山中の洞窟や、仙境と呼ばれる隠れ里に住み、鶴に乗り、松の下で琴を弾き、仙猿や霊獣とともに暮らす姿は、山水画や仙人図によく見られるモチーフです。ここには、自然そのものを神聖視し、人間社会の雑事から離れた「清浄な場」を理想とする感覚が反映されています。
こうした仙人像に近づくための方法として、神仙思想は多様な修行法を発達させました。その一つが「服食」です。これは、特定の薬草・鉱物・金属を調合して作った仙薬(丹)を服用することで、体質を変えようとする技術で、外丹術とも呼ばれます。「金・銀・水銀・硫黄」などを使って丹を練る錬丹術は、後世の化学・薬学とも関わる重要な実践でしたが、有毒物質を用いるため、中毒や死亡事故も多く、しばしば危険な試みでもありました。
もうひとつの重要な系統が、「導引」「吐納」と呼ばれる呼吸法・体操法です。導引とは、身体を曲げ伸ばししながら気の流れを整える体操、吐納とは、呼吸を意識的に調節し、天地の清浄な気を取り込む技法です。これらは、後の気功や太極拳の源流ともなり、身体内部の「気」の循環を整えることで、長寿だけでなく、心身の健康全般を目指す実践として受け継がれました。
さらに、「房中術」と総称される性的修行も、神仙思想の一部として発展しました。これは、性エネルギー(精)を外に漏らさず、体内で循環させることで長寿と活力を保つ、といった考え方に基づいています。古代の房中術書には、男女の関係を通じて宇宙の陰陽の調和を体現する、といった象徴的な説明も見られますが、そこには同時に、性的実践を通じて健康や不老を得ようとする非常に現実的な関心も含まれていました。
このように、神仙思想の修行法は、薬物・呼吸・運動・飲食・性行為など、人間の身体にかかわるさまざまな要素を統合し、「いかにして身体を変え、死を超えるか」という問いに対する多面的な答えを模索したものだったと言えます。
神仙思想の歴史的展開:中国史の中の位置づけ
神仙思想の起源は、戦国時代〜秦・漢のころに求めることができます。この時期、中国では陰陽家・方士と呼ばれる人びとが活躍し、占星術・風水・呪術・錬丹術などを通じて、王権にさまざまな助言やサービスを提供していました。彼らの多くは、不老不死の薬や仙界への道を知っていると自称し、諸侯や皇帝の信頼を得て旅費や研究費を引き出したとも伝えられます。
とくに有名なのは、秦の始皇帝と漢の武帝のエピソードです。始皇帝は天下統一後、自らの支配を永続させようとして、徐福ら方士の言葉を信じ、蓬莱山をはじめとする東海の仙島を探させました。また、水銀を成分とする不老の薬を服したとも言われます。漢の武帝もまた、方士を重用し、郊祀や封禅といった儀式を通じて、天と通じる皇帝としての権威を演出しました。ここには、「仙人との接触」や「不死の薬の獲得」が、単なる個人の願望にとどまらず、帝国支配の正統性とも結びついていたことがうかがえます。
後漢末〜魏晋南北朝の時代になると、社会不安と戦乱のなかで、儒教の秩序観に代わって、個人の救いや超俗的な生き方を求める傾向が強まります。この時期、道教教団が形成されると同時に、神仙思想はより体系的な思想へと発展しました。代表的な人物が、東晋時代の葛洪(かつこう)です。彼は『抱朴子』という書物の中で、神仙となるための道(道術・丹法・道徳など)を詳細に論じ、「徳と術の双方が備わってこそ、真の仙人に至る」と説きました。このように、神仙思想は単なる方術の集まりから、「修身・修行・宇宙観を含む一つの宗教哲学」へと変化していきます。
また、魏晋の貴族文化の中では、「竹林の七賢」に代表されるような清談文化とともに、山林に隠棲し、酒と詩と哲学を楽しむ隠士・高士のイメージが流行しました。これらのイメージは、必ずしも文字どおりの不老不死を目指してはいませんが、「俗世から離れた自由な生き方」という点で、神仙思想の仙人像と重なり合う部分があります。仙人譚や志怪小説の流行も、この時期の特徴です。
隋・唐の時代になると、道教は国家から正式に保護され、道観や科儀が整備されます。唐の皇帝たちは、自らを老子の子孫と位置づけ、道教を国家の守護宗教の一つとしました。神仙思想は道教の教義の中に組み込まれ、さまざまな神仙譜や仙人伝が編纂されます。西王母や八仙など、今日よく知られる仙人たちのイメージは、この時期以降の文献や絵画を通じて固まっていきました。
宋・元・明以降になると、外丹術の危険性や限界が意識されるようになり、「内丹術」と呼ばれる新たな方向性が生まれます。内丹術では、外部の薬物ではなく、自身の身体と精神を鍛えることで「内なる丹」を作り出し、悟りや神仙境を目指すことが説かれました。これは、仏教や儒教の修養論とも交流しながら、心身一如の修行体系として発展します。ここでは、神仙思想はより象徴的・精神的な方向へと変化し、「仙人になること」が文字どおりの肉体不死というより、「悟りを得た理想的人格の実現」にも重ねて理解されるようになっていきました。
このように、神仙思想は、中国史のさまざまな時期の社会状況や宗教状況と結びつきながら、その姿を変えつつ受け継がれてきました。皇帝の永続支配の願望、戦乱期の個人的救いの追求、貴族文化の遊仙的美学、宋以降の内面的修行といった多様な文脈のなかで、神仙思想は常に新しい意味を付与され続けてきたのです。
神仙思想の広がりと東アジア文化への影響
神仙思想は、中国だけで完結したわけではなく、朝鮮半島や日本など東アジア各地の文化にも大きな影響を与えました。まず、日本での受容例を見てみましょう。日本では、古代から山岳信仰や神祇信仰があり、「山の神」「山の賢者」といったイメージが存在していましたが、中国から伝わった道教・陰陽道・仙人説話などがこれに重なり、独特の神仙観が形成されました。
奈良・平安期には、遣唐使や留学僧を通じて道教・方術・神仙譚が伝えられ、宮廷儀礼や陰陽道の中に取り入れられました。日本の文献にも、蓬莱・方丈・瀛洲といった仙島へのあこがれや、不老不死の薬を求める物語が現れます。『竹取物語』に登場する不老不死の薬や、かぐや姫の昇天のモチーフは、こうした神仙思想の影響を色濃く受けたものとされています。
中世以降、日本独自の山岳修行である修験道の中にも、仙人イメージが取り入れられました。山中で厳しい修行を行い、超自然的な力を得た修験者は、ときに「山の仙人」として語られます。また、絵画の世界でも、仙人を題材とした「仙人図」「蓬莱図」「山水図」が多く描かれ、文人たちは「遊仙」と称して、詩や絵の中で仙境を遊ぶ心境を表現しました。これらは、政治・社会の現実から距離をとり、自然とともにある理想の境地を象徴するものとして受容されたと言えます。
朝鮮半島でも、道教や神仙思想は儒教・仏教と並んで知識人たちの関心を集めました。高句麗・新羅・百済の時代から、中国との交流を通じて道教的儀礼や仙薬の信仰が伝わり、高麗・朝鮮王朝期には、山岳信仰と結びついた仙人譚や、道教的な隠逸思想が発展しました。朝鮮の山水画にも、仙人が山中で琴を弾いたり、酒を酌み交わしたりする情景が描かれ、「仙境としての山」が理想化されています。
中国本土においても、神仙思想は文学と美術に豊かなモチーフを提供しました。六朝以降の志怪小説・伝奇小説では、仙人との出会いや、仙境への旅、奇妙な仙薬の効能などが繰り返し描かれます。唐詩の世界でも、李白のように、自らを「酒と詩で天上に遊ぶ仙人」と重ねる詩人が登場し、仙人は自由奔放で束縛を嫌う人格の象徴ともなりました。
美術の分野では、山水画や仙人図が大きな位置を占めます。山と雲のあいだに小さく描かれた人物が、琴を弾いたり、友と語らったりしている構図は、単なる風景画ではなく、「俗世を離れた高士・仙人の世界」を表現したものです。鑑賞者はその絵を見ることで、自らも一時的に仙境へ心を遊ばせることができると考えられました。
このように、神仙思想は実践的な長寿術としてだけでなく、「俗世間から離れた理想世界へのあこがれ」「自然とともにある自由な生き方の象徴」として、東アジアの文学・芸術・宗教に深く入り込んでいます。その影響は、現代のファンタジー作品やマンガ・アニメの中に登場する「仙人」像にも、形を変えつつ受け継がれていると言えるでしょう。
神仙思想の思想的意味と現代からの見直し
最後に、神仙思想をどのように位置づけて理解すべきかを考えてみます。かつては、神仙思想は「迷信的な不老不死の追求」として軽視されたり、儒教的な合理主義の観点から批判されたりすることも少なくありませんでした。しかし近年では、その背後にある自然観・身体観・生と死に対する感覚に注目し、より豊かな意味を見いだそうとする研究が進んでいます。
第一に、神仙思想は「人間と自然の関係」を考える一つの視点を提供します。仙人は自然から切り離された超越者ではなく、むしろ山・雲・水・風と一体となって生きる存在として描かれます。仙人になるための修行も、天地の気を吸い、自然のリズムに身を合わせることを重視します。ここには、人間が自然を征服し支配する主体ではなく、自然の一部としてその流れに調和しようとする姿勢が見られます。
第二に、神仙思想は人間の身体に対する独特のまなざしを示しています。現代医学とは異なるものの、呼吸・飲食・運動・性・感情など、身体活動のさまざまな側面を統合的にとらえ、「気」「精」「神」といった概念で全体を理解しようとしました。これは、身体と心を切り離さず、「心身一如」として扱う東アジア的な身体論の一つの形です。もちろん、錬丹術のように危険な要素も含みますが、同時に、呼吸法や導引といった健康法として今日にも通じる実践も含まれています。
第三に、神仙思想は「死と老いへの態度」の多様性を示しています。文字どおり不老不死を目指した試みは、現代的な価値観から見ると極端に思えるかもしれませんが、その根底には、「有限な人生をどう生きるか」「死をどう受け止めるか」という普遍的な問いがあります。仙人としての永生は、時に「俗世の名利を超えた精神的自由」のメタファーとしても読まれ、単純な寿命延長以上の意味を帯びました。
現代の私たちが神仙思想に触れるとき、それをそのまま信仰対象とする必要はありませんが、人間が古くから抱いてきた「老いと死への不安」「自然とともに生きたいという願い」「社会の束縛から自由になりたいという憧れ」を映し出す鏡として見ることができます。古代中国の人びとが、どのような想像力と実践を通じてこれらの問題に向き合ってきたのかを知ることで、自分たちの時代の価値観も相対化されて見えてくるはずです。
世界史学習という観点から言えば、神仙思想は、道教・儒教・仏教が複雑に交差する中国文化の一側面であり、東アジア全体に広がる「仙人」「仙境」のイメージの源泉でもあります。歴史の中で時に権力と結びつき、時に反権力的な隠逸思想として働き、また芸術や文学を豊かに彩ってきた神仙思想をたどることは、単なる「不老不死の物語」を超えて、人間の想像力と生き方の多様性に触れることにほかなりません。

