グティ人 – 世界史用語集

グティ人(Gutians)は、古代メソポタミアにおいて、紀元前3千年紀末に台頭した山岳民族であり、主にザグロス山脈一帯を拠点としていたとされます。彼らはアッカド帝国の崩壊期にメソポタミアに侵入し、一時期にわたってシュメール地方を支配しました。楔形文字の記録によれば、グティ人は遊牧的な生活を送り、戦闘力に優れていた一方、都市文明の維持や行政運営には不向きであったと伝えられます。そのため、彼らの支配はしばしば「暗黒時代」として後世のシュメール王名表に記録されました。

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グティ人の出自と地理的背景

グティ人の正確な起源は不明ですが、多くの研究者は、彼らがザグロス山脈の東側に居住していた高地民族であると考えています。この地域は現在のイラン西部にあたり、険しい山岳地帯と豊富な放牧地が広がっていました。彼らは定住農耕よりも牧畜や狩猟に依存する生活を営み、部族単位で移動する傾向が強かったとみられます。

グティ人がメソポタミアの歴史に登場するのは、アッカド帝国末期(紀元前22世紀頃)のことです。当時のアッカドは内紛や外敵の侵入に苦しんでおり、グティ人はこの混乱に乗じて南下し、シュメールの都市国家群へ進出しました。彼らは特定の王国を築くというより、軍事力を背景に広い地域を支配する形をとったと考えられています。

アッカド帝国の崩壊とグティ人の支配

アッカド帝国の最盛期を築いたナラム・シン王の死後、帝国は反乱や干ばつなどの自然災害により急速に衰退しました。その混乱期にザグロス方面から侵入してきたのがグティ人です。彼らはアッカドの支配機構を崩壊させ、南部のシュメール都市を次々と制圧しました。

シュメール王名表では、グティ人の王たちは「都市を知らぬ者」と評され、文化的・行政的な能力に欠けていたと記録されています。これは、彼らが高度な都市文明を発展させるよりも、軍事的制圧を通じて支配権を維持したことを意味します。そのため、後世のシュメール人はこの時代を文化停滞期とみなし、「暗黒時代」と呼んだのです。

グティ人支配の終焉と歴史的評価

グティ人の支配はおよそ1世紀ほど続いたとされますが、やがてシュメールの都市国家ウルクを中心とした反抗勢力が台頭します。特にウルクのウトゥ・ヘガル王がグティ人を撃退し、メソポタミアから追放したと記録されています。これにより、ウル第三王朝が成立し、シュメール文化は再び隆盛を迎えました。

歴史的評価として、グティ人はしばしば破壊的な侵略者として描かれます。しかし、近年の研究では、彼らの支配が完全な混乱ではなく、一定の政治秩序を保った可能性も指摘されています。また、彼らの侵入はメソポタミアにおける山岳民族と都市国家の関係を象徴する事例でもあり、遊牧民と定住民との相互作用を考えるうえで重要な存在です。

考古学的発見と現代の研究

グティ人に直接関連する遺跡や文字資料は極めて限られています。これは、彼らが自らの文化を楔形文字で記録する伝統を持たなかった可能性が高いためです。そのため、私たちが知るグティ人像の多くは、敵対したシュメール人やアッカド人の記録に基づいています。この点から、史料には偏見が含まれている可能性が高く、慎重な解釈が必要です。

現代の歴史学では、グティ人の存在は単なる「文明の破壊者」というより、メソポタミア世界の政治的変動の中で一時的に台頭した山岳民族と位置づけられています。彼らの事例は、古代オリエント史における遊牧民と定住民のダイナミックな交流を示す貴重な証拠となっています。