アッコン – 世界史用語集

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アッコンの歴史的背景と都市の成立

アッコン(Acre, Akko, 現在のイスラエル領)は、地中海東岸に位置する港湾都市であり、古代から中世を通じて東地中海交易の要衝として重要な役割を果たしました。フェニキア時代から知られ、ヘレニズム、ローマ、ビザンツ、そしてイスラム支配のもとで発展を遂げ、特に十字軍時代には「聖地エルサレムへの玄関口」として中心的な地位を占めました。

都市の歴史は古代に遡り、紀元前2千年紀にはすでに交易拠点として存在していたと考えられています。フェニキア人はアッコンを交易港として利用し、後にアレクサンドロス大王の征服によりヘレニズム世界の一部となりました。ローマ時代には「ピトゥリアス」や「アクレ」と呼ばれ、軍港や商業都市として繁栄しました。

7世紀のイスラム征服後、アッコンはアラブ・イスラム世界の港湾都市の一つとして存続し、交易や造船で栄えました。地理的に重要な位置にあるため、シリア・パレスチナ地域をめぐる争いの中で常に戦略的な要衝とみなされました。

十字軍時代におけるアッコンの役割

アッコンが世界史的に最も有名になるのは、十字軍時代です。第一次十字軍(1096–1099年)によってエルサレム王国が成立すると、アッコンはその主要港湾都市となりました。エルサレムとヨーロッパを結ぶ補給路として、また兵士や巡礼者の上陸地点として機能し、十字軍国家にとって不可欠な拠点となったのです。

しかし、1187年にイスラムの指導者サラーフッディーン(サラディン)がエルサレムを奪回すると、アッコンもイスラム勢力に支配されました。この状況を打破するために行われたのが第三回十字軍(1189–1192年)であり、その中心的戦いが「アッコン包囲戦(1189–1191年)」です。この戦いはヨーロッパからリチャード1世(獅子心王)やフリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世が参戦した大規模なもので、最終的に十字軍がアッコンを奪還しました。

この後、アッコンはエルサレム王国の首都に位置づけられ、聖地巡礼と貿易の中心として繁栄しました。ジェノヴァ、ヴェネツィア、ピサといったイタリア商人たちが拠点を築き、香辛料や絹織物、金銀などの交易が盛んに行われました。さらに、テンプル騎士団やホスピタル騎士団といった騎士修道会も本拠地を置き、軍事的にも宗教的にも重要な都市となりました。

アッコン陥落と十字軍国家の終焉

アッコンの栄光は長く続きませんでした。13世紀に入ると、イスラム勢力が再び力を増し、マムルーク朝(エジプト)が十字軍国家を圧迫しました。十字軍内部でもイタリア商人勢力の対立や宗教騎士団同士の争いが絶えず、都市の統治は不安定でした。

最終的な転機は1291年、マムルーク朝のスルタン・アシュラフ・ハリールによる大攻撃でした。この「アッコン陥落」によって十字軍国家は滅亡し、ヨーロッパ勢力は聖地から完全に駆逐されました。この事件は「十字軍時代の終焉」を象徴する出来事として歴史に刻まれています。アッコンは徹底的に破壊され、多くの住民が殺されるか奴隷として連行されました。

以後、アッコンはマムルーク朝の支配下に入り、かつての繁栄は失われました。その後、16世紀にはオスマン帝国に編入され、地方都市として存続しました。

アッコンの近世・近代史と今日の意義

オスマン帝国時代のアッコンは、地方の行政拠点として一定の役割を果たしました。18世紀にはアッコンの総督ジャッザール・パシャが城塞を強化し、ナポレオンのエジプト遠征(1799年)においては、アッコン攻防戦でフランス軍を撃退しました。この戦いはナポレオンの中東征服計画を挫折させた要因となり、アッコンは再び国際的注目を浴びました。

19世紀以降はオスマン帝国の支配の下で港町として存続しましたが、ベイルートやハイファといった近隣の港湾都市の発展に押され、かつての地位を取り戻すことはありませんでした。第一次世界大戦後はイギリス委任統治領パレスチナの一部となり、ユダヤ人移民やアラブ住民の抗争の舞台の一つとなります。イスラエル建国(1948年)以降はイスラエルの一都市として現在に至ります。

今日のアッコンは、旧市街がユネスコ世界遺産に登録され、観光都市としても知られています。十字軍時代の地下施設やオスマン時代の城塞、イスラム教・キリスト教の宗教施設が混在し、その歴史的多層性を示しています。アッコンは東地中海世界の交差点として、文化と文明の交流・衝突の象徴であり続けています。

アッコンの歴史的意義

アッコンは単なる港湾都市ではなく、世界史的に重要な役割を果たしてきました。第一に、十字軍国家の政治的中心として、ヨーロッパと中東を結ぶ架け橋の役割を担いました。第二に、国際貿易の拠点として東西交易を媒介し、経済史の中で重要な位置を占めました。第三に、アッコン陥落は十字軍運動の終焉を告げ、中世から近世への転換を象徴する出来事となりました。

今日においても、アッコンは中東における多文化的共存と衝突の歴史を物語る都市として、観光と研究の対象となっています。その歴史を振り返ることは、地中海世界における宗教、政治、経済の複雑な関係を理解する上で不可欠であるといえるでしょう。