アパルトヘイト政策 – 世界史用語集

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アパルトヘイト政策の成立と背景

アパルトヘイト政策とは、1948年に南アフリカ共和国で国民党が政権を掌握した後、公式に制度化された人種隔離政策を指します。アフリカーンス語の「アパルトヘイト(Apartheid)」は「分離」を意味し、白人少数支配を維持するために黒人をはじめとする非白人住民を徹底的に差別・抑圧する体制が築かれました。この政策は1990年代初頭に廃止されるまで約半世紀続き、世界史の中でも近代国家が法制度として人種差別を貫いた稀有な事例とされています。

その背景には、17世紀以来の植民地支配と白人入植の歴史がありました。オランダ東インド会社のケープ植民地建設以降、白人入植者(ボーア人/アフリカーナー)は先住民を従属させ、19世紀に英国が進出するとダイヤモンドや金鉱開発のため黒人労働者が酷使されました。この「人種支配の慣行」が20世紀に入り、体系的な政策として国家に組み込まれたのがアパルトヘイト政策です。

アパルトヘイト政策の具体的内容

アパルトヘイト政策は、単なる社会的慣習ではなく法律として体系化されました。その主要な内容は以下のように整理できます。

  • 人種登録法(1950年):全国民を「白人」「カラード(混血)」「インド系」「バントゥー(黒人)」に分類し、その所属によって居住・教育・職業・権利が規定された。
  • 集団地域法(1950年):人種ごとに居住区を定め、黒人は都市部から強制的に追放され、「ホームランド(バントゥースタン)」と呼ばれる僻地に押し込められた。
  • パス法:黒人は「通行証(パス)」を常に携帯する義務を負い、都市に滞在するためには雇用主や当局の許可が必要とされた。
  • 教育・医療・公共施設の分離:学校や病院、公園、交通機関などあらゆる公共サービスが人種別に分離され、非白人の施設は劣悪であった。
  • 混合婚禁止法・不道徳法:異人種間の婚姻や性的関係を禁止し、人種の混合を制度的に否定した。
  • 政治的権利の剥奪:黒人は選挙権を奪われ、国家の意思決定から完全に排除された。白人が人口の1割未満であるにもかかわらず、すべての権力を独占した。

これらの法制度は互いに補完しあい、社会のあらゆる領域で人種差別を固定化しました。アパルトヘイト政策のもとで、黒人多数派は事実上「二級市民」として扱われ、経済的搾取と社会的排除を強いられました。

抵抗運動と国際社会の反発

アパルトヘイト政策に対して、国内外で強い抵抗が生まれました。国内ではアフリカ民族会議(ANC)が中心となり、非暴力運動やストライキを展開しました。ネルソン・マンデラやオリバー・タンボらが活動を主導し、1955年には「自由の憲章」が採択され、すべての人種の平等を求める理念が示されました。

しかし政府はこれを徹底的に弾圧しました。1960年のシャープビル虐殺事件では、パス法反対の平和的デモに対して警察が発砲し、69人が死亡しました。これを契機にANCは武装闘争へと転換し、マンデラも逮捕されて27年間投獄されました。

国際社会の反発も強まりました。国連は1962年に南アフリカへの経済制裁を勧告し、国際スポーツ大会や文化交流からも南アフリカは排除されました。1980年代には経済制裁や企業の投資撤退(ディベストメント運動)が拡大し、アパルトヘイト体制は国際的孤立に追い込まれていきました。

アパルトヘイト政策の崩壊と歴史的意義

1989年に大統領に就任したフレデリック・デクラークは、国際的圧力と国内対立の激化を背景に改革に踏み切りました。1990年にはネルソン・マンデラが釈放され、ANCが合法化されました。その後、アパルトヘイト関連法が次々に撤廃され、1994年には初の全人種参加による民主選挙が実施されました。この選挙でANCが勝利し、マンデラが大統領に就任することで、正式にアパルトヘイト政策は終焉を迎えました。

アパルトヘイト政策の歴史的意義は、第一に「人種差別を法制度として徹底した国家体制」の典型として、20世紀人権史における反面教師となった点にあります。第二に、その廃止過程が「暴力による内戦」ではなく「交渉と選挙」によって達成されたことは、冷戦後世界の民主化の象徴的事例となりました。第三に、和解と共存を掲げたマンデラの指導力は、人種対立を超えた国家建設の理念を世界に示しました。

まとめ

アパルトヘイト政策は、南アフリカにおける白人少数支配を維持するために生み出された差別体制でしたが、長期にわたる国内外の抵抗運動によって最終的に崩壊しました。その歴史は、人類がいかに差別を制度化しうるか、そしてまたそれを克服するためにいかなる努力が必要かを教える重要な事例です。今日でも世界各地で人種・民族差別の問題が存在する中、アパルトヘイト政策の歴史は普遍的な教訓を提供し続けています。