アパルトヘイトの起源と歴史的背景
アパルトヘイト(Apartheid)とは、20世紀の南アフリカ共和国で制度化された人種隔離政策を指し、アフリカーンス語で「分離」を意味します。この政策は、1948年に国民党政権が成立したのち正式な国家制度として導入され、1990年代初頭に廃止されるまで約半世紀にわたり続きました。アパルトヘイトは世界史において「近代的な人種差別の制度化」として特異な事例であり、国際社会からの強い非難を招いた制度でした。
その起源をさかのぼると、17世紀のオランダ東インド会社によるケープ植民地の建設に端を発します。以後、白人入植者(ボーア人、のちのアフリカーナー)は先住民コイサン人やバントゥー系諸民族を支配下に置き、農場労働や鉱山労働に従事させました。19世紀になるとイギリスがケープを支配し、さらにダイヤモンド(1867年)や金(1886年)が発見されると、多数の黒人労働者が酷使されました。こうした「人種支配の慣行」が20世紀に入り、国家政策として制度化されたのがアパルトヘイトです。
アパルトヘイト政策の内容
アパルトヘイトは単なる社会的差別ではなく、法律に基づいた徹底的な分離政策でした。その柱は以下の通りです。
- 人種分類法(1950年):全国民を「白人」「カラード(混血)」「インド系」「バントゥー(黒人)」に分類し、その所属によって権利が規定された。
- 居住地分離:黒人は「ホームランド(バントゥースタン)」と呼ばれる指定区域に強制移住させられ、都市部には居住できなかった。多くは低賃金労働者として出稼ぎの形でのみ都市に出ることを許された。
- 教育・医療・公共施設の分離:学校・病院・交通機関・公園などすべての公共施設が人種ごとに分離され、黒人の施設は劣悪なものに限定された。
- 婚姻・性的関係の禁止:異人種間の結婚や性的関係を禁じる「混合婚禁止法」「不道徳法」が制定され、人種の交わりを徹底的に排除した。
- 政治的権利の剥奪:黒人は選挙権を剥奪され、国家の意思決定から完全に排除された。白人が人口の少数派であるにもかかわらず、全権を握る体制が維持された。
このようにアパルトヘイトは、人種を基準とした徹底的な社会構造の分断であり、黒人多数派を経済的・政治的に徹底して従属させる仕組みでした。
抵抗運動と国際社会の反応
アパルトヘイトに対して、南アフリカ国内外で強い抵抗が生まれました。国内では、1912年に結成されたアフリカ民族会議(ANC)が中心となり、黒人の権利回復を求めて運動を展開しました。1940年代にはネルソン・マンデラやオリバー・タンボら若手指導者が台頭し、ストライキやデモを組織しました。1955年には「自由の憲章」が採択され、平等な国家の建設が掲げられました。
しかし政府は弾圧を強化し、1960年のシャープビル虐殺事件では平和的デモに対して警察が発砲し、多数の死者を出しました。これを契機にANCは非暴力路線を転換し、地下活動や武装闘争に踏み切りました。ネルソン・マンデラも1962年に逮捕され、以後27年間投獄されることになります。
一方、国際社会もアパルトヘイトを強く非難しました。国連は1962年に経済制裁を勧告し、スポーツ大会や文化交流の場からも南アフリカは排除されました。特に1980年代には欧米諸国の市民運動や企業のボイコットが広がり、経済的にも孤立が深まりました。
アパルトヘイトの崩壊とその意義
1980年代後半になると、国際的孤立と国内の抵抗運動の高まりによってアパルトヘイト体制は持続不可能となりました。1989年に大統領となったフレデリック・デクラークは改革に着手し、1990年にネルソン・マンデラを釈放しました。1991年には主要なアパルトヘイト関連法が撤廃され、1994年には初の全人種参加による選挙が実施されました。この選挙でANCが圧勝し、マンデラが大統領に就任しました。こうして、長く続いたアパルトヘイトはついに終焉を迎えたのです。
アパルトヘイトの廃止は、単なる南アフリカ国内の転換にとどまらず、世界史的にも大きな意味を持ちました。第一に、植民地主義と人種差別の残滓を克服する一歩として、アフリカ大陸全体に影響を与えました。第二に、非暴力的交渉と民主的選挙による体制転換の成功は、冷戦後の新しい政治秩序の象徴ともなりました。第三に、マンデラの「和解と共生」の理念は、民族対立を超えた国家建設の模範として国際社会に深い感銘を与えました。
アパルトヘイトの歴史的評価
アパルトヘイトは、近代世界において国家が公式に人種差別を制度化した最も極端な事例であり、人類史における負の遺産とされています。その一方で、平和的な体制転換の成功は「20世紀末の希望の象徴」として語り継がれています。アパルトヘイトは、差別と不平等に対する闘いがいかに困難であっても克服しうることを示す歴史的経験として、現代の人権思想や多文化共生社会の理念に大きな教訓を与えているのです。

