アメリカ労働総同盟 – 世界史用語集

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概要

アメリカ労働総同盟(American Federation of Labor, AFL)は、1886年に結成され、1955年に産業別組合会議(CIO)と統合するまで、合衆国労働運動の主流を担った全国連合体です。たばこ巻工として出発したサミュエル・ゴンパーズが長期にわたり会長を務め、加盟する全国単一産業・職能別組合(craft unions)の自律を重視しつつ、連邦レベルで交渉・政治行動を調整しました。AFLの特徴は、「純粋即物主義(pure and simple unionism)」と呼ばれる現実主義で、賃金・労働時間・労働条件といった即地的改善に焦点を当て、党派的イデオロギーや社会革命の主張から距離を置いたことにあります。19世紀末の騎士労働団の退潮、20世紀前半の産業別組織化をめぐるCIOとの対立、第二次世界大戦をへた戦後の反共・規制環境の中で、AFLは労働協約・熟練技能・交渉能力を軸に、アメリカ型労使関係の標準を形成しました。

本項では、①成立と理念、②展開と政治・法、③包摂と限界、④統合と歴史的意義、の順に整理します。AFLを理解する鍵は、組織原理(職能別)と政治・法律環境の相互作用、そして包摂と排除の二面性にあります。

成立と理念—職能別組合主義と「純粋即物主義」

19世紀末のアメリカでは、産業化と移民流入が急速に進み、労働市場は熟練・半熟練・未熟練の階層に分化していました。AFLは、1881年に成立した「組織化された職業と労働組合の連合(FOTLU)」を母体として1886年にオハイオ州コロンバスで再編成され、サミュエル・ゴンパーズを会長に戴きました。AFLは、各職種の全国組合(たとえば印刷工、電気工、配管工、鍛冶工、鉄道の機関士・車掌など)を「連盟」的に束ねる構造を取り、地方では都市労働評議会や州連合がハブとなりました。

理念面でAFLは、賃金引上げ・労働時間短縮・安全衛生の改善・団体交渉権の承認という具体的利益を最優先し、ストやボイコット、組合ラベル(union label)などの手段を用いました。ゴンパーズは政党政治に対して「誰が味方かを政策ごとに見極める」現実路線を掲げ、固定的な党派提携よりも、選挙ごと・法案ごとの支持・反対で圧力をかける方式を採用しました。これは、当時のラディカルな革命論に対する距離と、職能熟練の市場価値に基づく交渉力の最大化という計算の産物でした。

同時代に大衆的に台頭した騎士労働団(Knights of Labor)は、産業横断・職種横断の包摂を掲げ、政治・協同組合運動を重視しましたが、1886年のヘイマーケット事件や内部運営の困難から退潮します。AFLは、より分権的で交渉実務に長け、熟練工の利害に合致したことから、1890年代以降に主流へと浮上しました。

展開と政治・法—IWW/CIOとの対立、戦時と立法、戦後の規制環境

20世紀初頭、AFLの組織は拡大しつつも、組織原理をめぐる緊張が高まりました。1905年には、未熟練・季節労働者や鉱山・林業の出稼ぎ労働者などを包摂しようとする世界産業労働者(IWW)が結成され、職能別の閉鎖性と保守性を批判しました。IWWは直接行動と階級対立を前面に出しましたが、国家的弾圧と企業側の抵抗、第一次世界大戦期の反体制視の高まりの中で勢いを失います。他方で、フォーディズムの大量生産部門(自動車・鉄鋼・ゴムなど)での組織化をめぐり、AFL内部から産業別組織化を志向する流れが強まりました。

第一次世界大戦期、AFLは国家動員に協力し、戦時労働委員会との協調のもとで「無スト」原則を受け入れる代償として、団体交渉の承認や労働条件の改善を獲得しました。戦後の1920年代には、企業側の「オープン・ショップ(American Plan)」攻勢と景気変動の打撃、司法の差止命令の多用により組織率が伸び悩みます。ただし、AFLはクレイトン反トラスト法(1914年)が掲げた「労働は商品に非ず」という理念や、ノリス=ラガーディア法(1932年)の差止制限を梃子に、司法環境の改善を働きかけました。

1930年代の大恐慌とニューディールは、労働法制を一変させました。1935年の全国労働関係法(ワグナー法)は、団体交渉権の法的承認と不当労働行為の禁止、全国労働関係委員会(NLRB)の設置を定め、工場一体の産業別組織化に追い風を与えます。AFL内部では、鉱山労組のジョン・L・ルイスらが「産業別組織会議(Committee for Industrial Organization)」を結成し、巨大工場の全従業員を一括して組織化する戦略を推進しました。対立は激化し、1937年にこのグループは独立して「産業別組合会議(Congress of Industrial Organizations)」となります。以後、AFLは熟練職能中心、CIOは大量生産部門中心という分業的な並立が続き、1940年代の組織化の波を二つの陣営が分け合う構図が生じました。

第二次世界大戦では、AFLとCIOはいずれも戦時協調に参加し、賃金統制と無スト方針を受け入れる代わりに組織承認や戦時利得を確保します。戦後、1947年の労働経営関係法(タフト・ハートレー法)は、閉鎖的労働協約の制限、二次的ボイコットの禁止、組合幹部の非共産宣誓などを定め、労働運動に厳しい枠をはめました。AFLは反共姿勢を鮮明にしつつ、政治活動委員会(PAC)やロビー活動を強化し、最低賃金・労働基準・安全衛生の法制整備に取り組みます。

包摂と限界—人種・性別・移民、熟練偏重の影と光

AFLの最大の強みは、熟練技能に立脚した交渉力と、分権的でありながら連帯を調整できる連盟構造でした。しかし同時に、その強みは包摂の限界を生みました。多くの加盟職能組合は、長らく黒人・移民・女性・未熟練労働者の加入に消極的で、職域の独占や徒弟制度の運用が事実上の排除をもたらしました。南部や一部産業では、人種隔離の慣行が組合内部にも反映され、二重組合や差別的賃率が温存された例もありました。

他方で、AFLの傘下または協力関係には、排除に抗して包摂を切り拓いた重要な事例もあります。たとえば、黒人鉄道労働者の組織化を進めたスリーピング・カー・ポーター組合(A.フィリップ・ランドルフの指導)は、長い闘争の末に承認を獲得し、戦時中の「ワシントン大行進」構想を通じて大統領令による人種差別禁止(防衛産業)に影響を与えました。女性労働をめぐっては、婦人労働同盟(WTUL)などと連携して、被服産業や食品産業などで最低基準と安全衛生の改善を後押ししました。こうした包摂の動きは、AFL内部の多様性と変化の可能性を示す一方、制度的・文化的な壁の根深さも照らし出します。

移民政策では、AFLは19世紀末から20世紀前半にかけて、契約移民の禁止やアジア系移民制限など、労働市場保護を名目とする排外的立場をしばしば支持しました。後年、法的平等と差別撤廃を掲げる連邦レベルの公民権法制への支持を強めますが、草の根の現場では地域差・産業差が大きく、包摂の実践には時間を要しました。

統合と歴史的意義—AFL–CIO合併と「アメリカ型労使関係」の骨格

冷戦下の反共環境と、産業構造・居住構造の変化、労働市場の再編は、労働運動の再統合を促しました。1955年、AFLとCIOは合併し、AFL–CIOが発足します。初代会長にはAFL系のジョージ・ミーニー、副会長級にはCIO系のウォルター・ルーサーらが就き、熟練職能と産業別の伝統が一つの中央連合体に統合されました。以後、公共部門の組織化、安全衛生法(OSHA)や公民権法、最低賃金の引上げ、移民・女性・少数派の権利擁護など、政策アジェンダは拡大していきます。

歴史的に見て、AFLがもたらした最も大きな遺産は三つあります。第一に、企業別・職能別の団体交渉と労働協約、仲裁・苦情処理、賃金・福利厚生のパッケージといった「アメリカ型労使関係」の作法を制度化したことです。第二に、労働法制の整備—団体交渉権の承認と司法差止の抑制、NLRBを中心とする紛争処理—に向けた持続的働きかけを担い、国家と労働の関係に安定的な枠を与えたことです。第三に、労働運動の政治行動を、イデオロギー闘争から具体的政策争点(最低賃金、労働時間、社会保障、職安衛生、反差別)へ接続する実務的な回路を開いたことです。

学習上の要点として、①年次と出来事—1886結成/1905IWW結成/1914クレイトン法/1932ノリス=ラガーディア法/1935ワグナー法とCIO分裂/1947タフト・ハートレー法/1955AFL–CIO合併—、②人物—ゴンパーズ、ジョン・L・ルイス、A.フィリップ・ランドルフ、ジョージ・ミーニー、ウォルター・ルーサー—、③概念—職能別組合主義、組合ラベル、オープン・ショップ、NLRB、反共と政治行動委員会—を対応づけると全体像が明瞭になります。あわせて、包摂と排除の両面(黒人・女性・移民、未熟練労働者)を年表の脇に置き、AFLの「現実主義」が誰に何をもたらし、何を置き去りにしたのかを自問しながら読むと、理解はより立体的になります。

総括すれば、アメリカ労働総同盟は、革命や全体的秩序転換を掲げる運動ではなく、交渉と契約、技能と職業倫理、政治と法制度を媒介に、賃金労働者の生活水準と職場統治の条件を積み上げていった連合体でした。その慎重さは時に保守性と排除を生みましたが、同時に実務的な成果と制度的持続性をもたらしました。世界史用語としてAFLを学ぶことは、近代資本主義社会における「改革と保守」「包摂と排除」「組織原理と制度環境」のせめぎ合いを読み解く格好の入口となります。