アラブ連盟(アラブ諸国連盟) – 世界史用語集

アラブ連盟(アラブ諸国連盟、League of Arab States / Arab League)は、アラブ語を共通資源とし歴史的・文化的連帯を有する主権国家間の協議体で、1945年3月22日にカイロで創設されました。創設時の加盟国はエジプト、イラク、トランスヨルダン(のちヨルダン)、レバノン、サウジアラビア、シリア、イエメンの7か国です。本部は原則カイロに置かれます(1979年のエジプト一時停止期にはチュニスへ移転、1990年にカイロへ復帰)。連盟は主権と内政不干渉を尊重しつつ、政治・安全保障・経済・文化の協力を推進することを目的とし、域内の争点に関する協議・調整の舞台として機能してきました。

その基本性格は、EU型の超国家統合ではなく、加盟国の合意ベースで動く「政府間プラットフォーム」です。連盟憲章は、加盟国の独立と主権尊重を明確に掲げ、意思決定も原則として多数決・協議により行う一方、決定の法的拘束力は賛成した国に限られるという慎重な設計になっています(非同調国への一律拘束は原則なし)。このため、連盟は「合意の最大公約数」を積み上げる場としての長所を持つ反面、統合的な強制力には乏しいという限界も抱えます。

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機構と制度:理事会・事務局・専門機関と決定方式

アラブ連盟の最高意思決定機関は、加盟各国の代表(通常は外相級)からなる連盟理事会です。理事会は定期・臨時の会合(「アラブ外相会合」)を開き、域内の政治・安全保障・経済・社会・文化に関する決議や勧告を採択します。国家元首級のアラブ首脳会議(サミット)は1950年代以降に制度化され、重大な域内問題(戦争・和平・経済構想・機構改革など)について政治的方向性を与えます。

常設の執行機関は事務局(総事務局)で、事務総長が統括します。事務総長は慣例的にエジプト出身者が多く(1979–1990年の本部チュニス時代にはチュニジアのシェドリ・クリービが務めた例外があります)、近年もこの慣行が踏襲されています。事務局は各種局(政治、経済、社会、法務、メディアなど)を擁し、決議の実施補助、調査・統計、会議運営、第三者との連携(国連など)を担います。

分野別には、経済・社会協力を所掌する経済社会評議会、防衛・安全保障を調整する枠組みとしての共同防衛・経済協力条約(1950年)に基づく機関、文化・教育・科学の連携を担うアラブ連盟教育文化科学機構(ALECSO, 1970年設立)、開発金融のアラブ基金(Arab Fund for Economic & Social Development, 1968年)アラブ通貨基金(AMF, 1976年)、農業投資機関など、多数の専門機関・関連機関が連盟の傘の下で活動しています。経済統合面では、1997年に大アラブ自由貿易地域(GAFTA)の創設が合意され、2005年に関税撤廃の本格運用が始まりました。

意思決定の特徴は、①理事会の決定は原則として賛成国にのみ拘束、②重大案件は首脳会議の政治的承認を要する、③内政不干渉と主権尊重の原則が強く、軍事介入や制裁は限定的——という点です。これは連盟が「対話と仲介」を重視する設計であることを意味し、紛争調停・停戦監視・選挙監視などのソフトな役割に適しています。

主要活動:政治・安全保障・経済・文化の協調と限界

政治・安全保障の分野で連盟は、域内紛争の仲介や共同声明の調整、国際舞台での協働を担ってきました。1948年の第一次中東戦争では加盟国の対イスラエル戦争協力の政治枠組みを提供し、1960–70年代にはレバノン内戦やイエメン内戦をめぐる調停の試みを行いました。1976年にはアラブ抑止軍の派遣決定を通じてレバノン停戦監視に関与するなど、限定的ながら安全保障分野での共同行動もみられます。2002年のアラブ和平構想(アラブ・ピース・イニシアティブ)は、1967年境界への全面撤退・パレスチナ国家樹立・難民問題の合意に基づく「完全な正常化」を提示し、以後の外交文書の基準点となりました。2011年のリビアでは、飛行禁止空域を求める決議により国連安保理決議の成立を後押しし、国際行動の触媒として機能した事例もあります。

もっとも、主権尊重を大原則とするため、内戦や体制問題での踏み込みには常に限界があります。2011年のシリア情勢では監視団派遣や和平計画を試みつつも、加盟国間の立場の隔たりから実効性に乏しく、やがてシリアの加盟資格は一時停止となりました(のちに復帰)。湾岸戦争(1990–91)ではイラクのクウェート侵攻に対し非難・加盟国の多国籍軍参加容認を調整しましたが、域内の分裂も露呈しました。

経済協力では、関税撤廃・通関簡素化・基準調和を進めるGAFTAが柱です。加えて、アラブ基金やアラブ通貨基金、アラブ産業開発組織などの専門機関が、インフラ・エネルギー・産業多角化・中小企業金融を支えています。経済統合の前進は、産油国と非産油国、湾岸とレバント/マグリブの構造差を前提に、貿易・投資・労働移動の制度整備を段階的に進めるという「漸進主義」が基本です。

文化・教育・社会では、ALECSOが言語政策・遺産保護・教育カリキュラム・科学協力を所掌し、アラビア語の現代用語整備や文化遺産の保全、図書館・博物館のネットワーク化を推進します。スポーツ、メディア、女性と若者のエンパワーメント、難民支援、人道調整なども議題となり、国連機関・地域開発銀行等との連携が一般化しています。

こうした活動は、①域内コンセンサスの形成、②国際社会への共同メッセージ発信、③技術・資金・人材の共有——の三点で成果を挙げる一方、強制力の欠如や政治分断により、危機対応の速度・一貫性には課題が残ります。連盟の実力は、加盟国の政治意思と相関するという点が現実的な理解です。

加盟の変遷・事件と評価:停止と復帰、地域政治の鏡

加盟は独立と同時期に拡大し、リビア(1953)、スーダン(1956)、モロッコ・チュニジア(1958)、クウェート(1961)、アルジェリア(1962)、南イエメン(1970、その後1990年に北イエメンと統一してイエメンに継承)、バーレーン・カタール・オマーン・UAE(1971)、モーリタニア(1973)、ソマリア(1974)、ジブチ(1977)、コモロ(1993)などが加わり、現在は22か国体制です。1976年には「パレスチナ(PLO)」が加盟国として承認され、後に「パレスチナ国」の名称が用いられるようになりました。

象徴的事件として、1979年のエジプト・イスラエル和平(キャンプ・デービッド合意)を受け、連盟はエジプトの加盟資格を一時停止し、本部をチュニスへ移しました。1989年にエジプトが復帰し、1990年に本部はカイロへ戻ります。2011年の「アラブの春」の波の中で、連盟はリビアでの民間人保護を国際社会に要請し、シリアに対しては監視団派遣・和平案提示・加盟停止などの措置を講じました。シリアはその後、地域再接近の流れの中で連盟に復帰し、席が回復しています。

このような停止・復帰の事例は、連盟が「域内規範をめぐる政治的シグナル」を発する能力を持つ一方、最終的な解決は各国の二国間外交・国連安保理・他の地域枠組みとの連動に依存することを示しています。評価は二分されがちですが、①調停と合意形成の場、②文化・経済協力の母体、③国際多国間主義とアラブ公共圏の橋渡し——としての存在意義は持続的です。

現代的課題としては、内戦と国家脆弱性(シリア、イエメン、リビア、スーダン等)、難民と移民、経済多角化と若年雇用、エネルギー転換と気候変動、食料・水安全保障、越境保健(パンデミック対応)など、国境を越えるアジェンダが山積しています。連盟は、国連やアフリカ連合、湾岸協力会議(GCC)など近隣枠組みとリレーションを強化し、観察・データ・政策対話・資金動員の各面で実務的な役割を拡張することが求められます。

総括すれば、アラブ連盟は、主権尊重と合意重視の設計のもとで「アラブ世界の意思」を可視化するプラットフォームとして機能してきました。強制力に限界はあるものの、合意の形成・国際社会への発信・文化と経済の協働という三つの経路を通じて、域内の相互依存と公共圏を下支えしてきたことは確かです。学習の要点としては、1945年カイロ創設、機構(理事会・事務局・専門機関)、1950年共同防衛・経済協力条約、GAFTA(1997合意/2005運用)、1979–90年の本部移転とエジプトの停止・復帰、シリアの停止と復帰、2002年アラブ和平構想を押さえ、「政府間協議体としての強みと限界」を軸に叙述すると理解が深まります。