市場(スーク、バザール)は、イスラーム世界から西・南アジア一帯に広がった伝統的な商業空間の総称で、都市の中心にのびる屋根付きの通りや、専門店が集まる小路、隊商宿(キャラバンサライ)とつながる広場などから成り立つ場を指します。アラビア語で市場を意味する「スーク(sūq)」と、ペルシア語系の「バザール(bāzār)」は、地域と言語の違いこそあれ、多くの場合で同じタイプの空間を指して用いられます。日用品から高級品までが並び、行商人・職人・金融仲介人が行き交い、統治当局の規制や宗教施設の保護とも結びつく、都市の心臓部のような場所です。値段交渉(値切り)を前提にした売買、職能別に細かく分かれた通り、計量の検査や公定価格の告示、慈善基金(ワクフ)による維持などが典型的な特徴です。さらに、この市場は地中海・インド洋・中央アジアをつなぐ交易網と直結し、スパイスや絹、綿布、陶磁器、金銀、奴隷、書物、そしてニュースや技術といった「情報」までが、ここを通じて行き来しました。つまりスーク/バザールは、物と人と情報が重なり合い、都市社会を動かすエンジンとして働いた空間なのです。
以下では、用語の由来と広がり、空間のかたちと運営の仕組み、広域交易と金融のネットワーク、そして生活文化と近現代の変容という四つの切り口から、スーク/バザールを具体的に見ていきます。概要だけでも大枠はつかめますが、詳しく知りたい方は続く各セクションをご参照ください。
用語の由来と広がり――スークとバザールは何が違い、どこで用いられたか
「スーク」はアラビア語の市場一般を指す語で、イスラーム成立以前からアラビア半島やシリア・イラクで定期市や都市市を表す言葉として用いられてきました。イスラームの拡大とともに語も広がり、マグリブ(北西アフリカ)からイエメン、シリア、イラク、アラビア湾岸に至るアラビア語圏の都市や村で、今日まで生きた言葉として使われています。大都市には常設のスークがあり、農村部には週に一度ひらかれる「金曜市(スーク・アル=ジュムア)」などの定期市が並存しました。
「バザール」はペルシア語系の語で、イラン高原から中央アジア、アフガニスタン、インド北部(ムガル帝国期)、コーカサス、そしてオスマン帝国のトルコ語圏にも広く定着した呼び名です。オスマン語ではチャルシュ(çarşı)という語も用いられますが、国際的には「バザール」の語が通用しました。イランのイスファハーンにのびる大バザール、トルコのイスタンブルにあるカパル・チャルシュ(グランド・バザール)、シリアのダマスカスのハミーディーイェ・スーク、エジプトのカイロのハーン・ハリーリなどは、その代表例としてよく挙げられます。中央アジアではサマルカンドやブハラのバザールがキャラバンの交差点として栄え、インドではデリーやラホール、カシミールの市がペルシア語文化との結びつきの中で発達しました。
両者の違いは、基本的には言語と地域の差にとどまり、運営や構造の面では多くの共通点があります。いずれも都市計画の中核に位置し、金曜モスク(主モスク)や城塞(シタデル)、政庁と結びついて配置されました。イスラーム都市の典型的な骨格は、「モスク—スーク—ハマーム(公衆浴場)」の連関で、礼拝・商い・社交が互いを補完していました。巡礼や祝祭の時期には人が集まり、地方からの農産物や遊牧の産品が流れ込み、周辺世界との接点として機能しました。
空間と運営のしくみ――屋根付きの通り、専門小路、監察と慈善の制度
典型的なスーク/バザールは、屋根やヴォールトで覆われた長い通りが幹となり、そこから職能別の小路が枝分かれする構造をとります。鍛冶屋通り、香料通り、織物通り、金銀細工通り、革製品通り、書籍通りといった具合に、似通った商品や工房が近接して並ぶため、買い手は比較と交渉がしやすく、売り手は仕入れや情報交換を密に行うことができました。通りはしばしば格子で夜間に閉じられ、要所には門が設けられて治安が保たれました。
通りの中枢には「ベデステン(bedesten)」と呼ばれる堅牢な宝飾・高級織物の市場や、各所に「アラスタ(arasta)」と呼ばれる直線状の商店群が配され、さらに通りに面して隊商宿(キャラバンサライ/ハーン、中央アジアではティムやタキー)が組み合わされます。キャラバンサライは広い中庭と倉庫、厩舎、宿泊室を備え、遠来の商人が荷駄を保管し、商談や決済を行う拠点でした。港市ではこれに相当する「フンドゥク(funduq)」が海商の倉庫兼宿舎として機能しました。
運営において重要なのが、計量・価格・秩序を監督する「ヒスバ(hisba)」の制度です。市場監察官であるムフタシブ(muhtasib)は、はかりや升の適正、商品の品質や衛生、占拠や通行妨害、欺瞞的な表示などを取り締まりました。オスマン帝国では公定価格(ナール)が告示され、必需品の暴騰を抑える仕組みが整えられました。違反者には罰金や営業停止などの処分が科され、秩序ある取引が維持されました。これと並行して、税(関税・市税)の徴収や警備、火災対策といった日常管理が行われています。
スーク/バザールは宗教的なたすけ合いの制度とも深く結びつきました。多くの店舗やキャラバンサライ、浴場、給水施設は、個人や支配者が設立した寄進財産「ワクフ(オスマン語ではヴァクフ)」に組み込まれ、そこからの賃料収入がモスクやマドラサ(学院)、病院、施療院などの公共施設の運営資金に充てられました。商業空間の維持が教育・福祉と直結していたことは、スーク/バザールの社会的役割をよく示しています。店舗の賃貸や修理、通路の清掃、水路の管理といった経費も、しばしばワクフ収益や同業者の負担で賄われました。
職人社会は同業組織(オスマン語でエスナーフ、アラブ圏でも行徳的結社や同業団体)が商道徳や徒弟制、品質基準を共有しました。原料の配分や価格、熟練の認定などを内部規約で定め、紛争が生じれば仲裁や評議を行います。こうした規範は、宗教的倫理(正直・適正利潤・独占の忌避)とも結びつき、社会的信頼を担保しました。
交易と金融のネットワーク――キャラバン、海の道、そして信用の技術
スーク/バザールは、地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・中央アジアのオアシスを貫く交易路の結節点でした。陸路ではラクダ隊商がサハラ縦断やシリア砂漠、イラン高原、トランスオクシアナを横断し、海路ではダウ船がモンスーンに乗って東アフリカ、アラビア半島、インド西岸、東南アジアを結びました。荷は、胡椒・クローブ・ナツメグなどの香辛料、インド綿布やヤズドの絹織物、ペルシア絨毯、中国の生糸・絹織物・陶磁器、イエメンのコーヒー(モカ)、砂糖、色材、金銀、毛皮、皮革、武具、書籍や写本など多岐にわたりました。奴隷や傭兵、巡礼者もまた、人の移動という形で市場と結びついていました。
広域にまたがる取引を支えたのは、信用と決済の技術です。現金や地金を持ち歩けば盗難や劣化の危険が高まるため、為替手形にあたる「スフタジャ(suftaja)」や、遠隔地送金の仕組みである「ハワーラ(hawāla)」が用いられました。投資と商業活動の分担には、資本を出す者と働く者が利益を分け合うムダーラバ(mudaraba/キラードとも)と呼ばれる契約が発達し、リスクを分散しながら長距離貿易を可能にしました。こうした金融慣行は、宗教法の枠内で利息や不確実性(ガラル)をどう扱うかという議論を呼び、地域や時代に応じて柔軟に運用されました。
バザールの実務では、仲買人(ダッラール)や鑑定人、計量師、書記、翻訳・通辞が活躍し、価格形成や品質保証に欠かせない役割を担いました。都市には両替商(サッラーフ)がいて各地の貨幣や銀品位の差を埋め、為替相場を掲示しました。度量衡は地域差が大きかったため、ムフタシブの監督下で統一器具が備えられ、商人は検査済みのはかりを用いました。こうした制度的な裏付けが、複数言語・複数宗教にまたがる商いを可能にしました。
人の側面では、アラブ、ペルシア、トルコ、アルメニア、ユダヤ、ギリシア、ヒンドゥー、ジャイナ、華人など多様なディアスポラ商人が、各都市のバザールに定着しました。彼らは婚姻・宗教共同体・書記言語・資金援助のネットワークを通じ、遠隔地にまたがる信用を維持しました。地中海側ではヴェネツィア商人やジェノヴァ商人、近世以降はフランスやイギリスの商館も加わり、バザールの一角に自前の倉庫や宿泊施設(フンドゥク、カラワンサライ)を構えました。大航海時代以後、喜望峰回りの航路や紅海航路の再編、インド洋におけるポルトガル・オランダ・イギリス勢力の進出は、商品の流れを変えましたが、バザール自体は形を変えつつも仲介拠点として生き残りました。
生活文化と変容――交渉の作法、祝祭のリズム、近代以後の行方
スーク/バザールは単なる売買の場にとどまらず、日常生活と都市文化の舞台でした。通り沿いにはコーヒーハウスや菓子屋、文具店、床屋が並び、語り部や吟遊詩人が物語を聞かせ、法学者やスーフィーの説話が人を惹きつけました。礼拝の時間になると店主は店先に布をかけ、近くのモスクへ向かいます。ラマダーン期には夜市がにぎわい、犠牲祭や新年の前後には贈答品や衣服の需要が高まりました。農村や遊牧地域では週市や季節市が開かれ、都市のバザールと結びついて地域経済のリズムを刻みました。
取引は原則として対面の交渉で進みます。売り手は最初に高めの値を示し、買い手は品質と相場を確かめながら段階的に値を詰め、双方が「適正利潤」を確信したところで手を打つのが通例でした。これは単なる駆け引きではなく、商品の鑑識眼や人間関係、信頼の蓄積が問われる行為でした。常連客には「店の顔」がつき、謝礼や贈り物、相互扶助の関係が育ちます。こうした商慣行は、職能組織の倫理や宗教的価値と響き合い、長期的な信用を重視する文化を育てました。
ジェンダーの側面では、男性中心に見える空間でも、女性が織物・香料・装身具の取引や縫製の受注、食料品の小売に活発に関わる例が各地で見られました。都市によっては女性向けの市日や区画が設けられ、婚礼・出産・祝祭に関連する需要が女性商人の活動領域を広げました。慈善や冠婚葬祭と商いが結びつくことで、バザールは家族と地域のライフイベントを支える場にもなりました。
近代以後、蒸気船・鉄道・電信の普及、植民地支配の行政改革、西洋式のブールバール整備や百貨店・アーケードの登場は、都市の商業地図を塗り替えました。関税制度の統一や紙幣経済の拡大、銀行業の発達は、従来の現金・現物中心の決済スタイルに変化をもたらしました。それでも多くの都市で、伝統的なバザールは卸売や専門品、修理・加工の拠点として存続し、観光化の波にさらされながらも、日常の必需品を供給する生活の基盤であり続けました。国家や自治体、国際機関による歴史的景観の保全や耐震・防火の改修が進められ、文化遺産としての価値と生きた市場としての機能を両立させる試みも広がっています。
現代では、バザールはしばしば比喩としても使われます。ネットワーク型で分散的、顔の見える取引と評判の蓄積によって秩序が生まれる経済を「バザール型」と呼ぶことがあります。大量陳列と固定価格を前提とする近代的モールとは対照的に、バザールは小規模事業者が密に集まる集合体として、柔軟な価格と多様な選択肢、対面の信頼関係を強みとします。オンラインのレビューや個人間取引の広がりは、別の形でこの論理を受け継いでいるとも言えます。もちろん、伝統的な市場が抱える衛生・安全・独占・不正計量といった課題も残り、行政・商人・市民の協働による改善が試みられています。
このように、市場(スーク、バザール)は、言葉の違いを超えて、都市の空間構造・統治・宗教・金融・生活文化を束ねる結節点として機能してきました。屋根の下の細い小路に、世界の遠い地域を結ぶ道筋が折りたたまれている――その重層性こそが、スーク/バザールを歴史の中で特別な存在にしてきたのです。

