陰陽五行説 – 世界史用語集

陰陽五行説とは、世界の出来事や人の身体、社会や政治の動きまでを、二つの相反・相補的な原理〈陰・陽〉と、五つの働き〈木・火・土・金・水〉によって説明し、そこから予測や処方を導く思考法です。自然と人事を一つの地図の上に重ねて理解しようとする点に特徴があり、古代中国で体系化され、中華帝国の暦・天文・医薬・礼制・法制の運営原理として広く用いられ、日本・朝鮮・ベトナムにも伝わりました。今日の科学的世界観とは方法が異なりますが、季節の移ろい、作物の育ち、人の体調の変化、政治の節度などを総合的に捉える枠組みとして、東アジアの文化や制度の深層に長く影響を残しています。

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基本概念:陰陽と五行、そして「対応」の網

陰陽とは、宇宙のあらゆる現象を貫く二つの契機を指します。陽は光・動・上昇・発散・温・外、陰は闇・静・下降・収斂・寒・内の属性を帯び、昼夜・寒暑・乾湿・硬軟・男女などの対立は、固定的な善悪ではなく、時と場に応じて互いに転じ合う関係として捉えられます。陰が極まれば陽に転じ、陽が盛んになればやがて陰が生じる――この循環観が、変化を読む基調です。

五行は、世界の運動様式を五つの相に分けたものです。〈木〉は伸長・曲直・発生、〈火〉は昇騰・熱・拡散、〈土〉は受容・媒介・生成、〈金〉は収斂・硬化・変成、〈水〉は涵養・沈潜・下行とされ、物質そのものというより「はたらきの型」を表します。陰陽と五行は直交的に組み合わされ、春(木)・夏(火)・長夏(土)・秋(金)・冬(水)、東木・南火・中土・西金・北水、青・赤・黄・白・黒、酸・苦・甘・辛・鹹、肝・心・脾・肺・腎……といった配当が広がります。

この配当をつなぐ技法が〈相関(コレスポンデンス)〉です。自然界の徴候(風・雨・雲・星)、身体の徴候(脈・舌・色・声)、社会の徴候(物価・作柄・犯罪・疫病)を、陰陽五行の語彙で読み替え、暦や儀礼、医療や刑罰、農事や建築の判断に結びつけます。相関は万能鍵ではありませんが、領分の違う現象を一体として扱えるため、統治と生活の現場では実用性が高く、制度化されていきました。

相生・相剋・乗侮:変化を読む三つの関係

五行の間には、循環を表す〈相生〉と、抑制・均衡を表す〈相剋〉という二つの基本関係が設定されます。相生は「木→火→土→金→水→木」と生み育てる流れで、木は燃えて火を生み、火は灰(土)を残し、土は鉱(金)を育み、金は冷やして露(水)を得、水は木を育てる、と説かれます。相剋は「木→土→水→火→金→木」と、過剰を抑えて秩序を保つ関係で、木の根は土を割り、土は水を塞き止め、水は火を消し、火は金を融かし、金は木を伐る、と説きます。

実務では、相剋のバランスが崩れて過度の抑圧になる〈乗〉、逆方向からの反発が起きる〈侮〉といった異常経路も想定されました。たとえば、乾燥(火)が続いて作物(木)が弱れば、土の粉塵や疫(湿熱)が覆い、さらに風(金)や寒(水)に対する抵抗が落ちる、といった連鎖を図式化できます。医療では、肝(木)—心(火)—脾(土)—肺(金)—腎(水)の調和をみて、どこに補い・瀉すべきかを判断しました。政治では、刑罰(秋=金)と徳治(春=木)の配分、課税(土)と救済(水)の切り替えを、季節と災異の観察に合わせると説かれます。

成立と展開:戦国の総合学から漢帝国の国家語へ

陰陽五行の語彙は、前5〜3世紀に諸子百家と呼ばれる思想競争の環境で整理されました。中心人物の一人・鄒衍は、宇宙の秩序と王朝交替を結びつけ、「五徳終始説」を提示します。すなわち、〈木・火・土・金・水〉のいずれかの徳を体する王朝が順次交替し、その印(しるし)は色・礼器・儀礼・法制に現れるという歴史観です。これは新王朝の正統化に用いられると同時に、現政権の矯正にも用いうる規範として機能しました。

前漢になると、天人相関・災異感応の言語と組み合わさって〈国家の公式言語〉になります。太史令のもとに天文観測と暦作成が制度化され、日月食・彗星・客星の記録が政治の修辞と結びつきました。董仲舒は儒家の経典解釈に陰陽五行を織り込み、皇帝に仁政と節度、災異への応答を諫めます。武帝期の太初暦は、歳首・閏法・二十四節気の運用を整え、暦=権威という関係を確立しました。以後、陰陽五行は、儒学・道教・方術と相互に作用しながら、官学・祭祀・法制・医療の基層に浸透します。

後漢から唐宋にかけては、予言的解釈(讖緯)や道教の宇宙論、医方の理論(『黄帝内経』系)に深く入り込みます。他方で、荀子や司馬遷、宋代の朱子学者などは、災異の過剰解釈や恣意的配当を批判・節度化し、理気論の枠に再編しました。つまり、陰陽五行は、政治の道具と学術の方法のあいだで、時代ごとに「調整されつつ使われた」知なのです。

暦・天文・医療・建築:現場を支えた運用知

暦法は陰陽五行説の中枢でした。太陽年(季節)と太陰月(朔望)のズレを閏で調整し、二十四節気を指標に、耕作・徴税・儀礼・兵站のタイミングを全国で統一します。暦は皇帝権の象徴であると同時に、地方行政と農民の共同カレンダーでした。

天文占候では、日食・月食・彗星・流星・客星の出現、虹・暈・異常気象が丁寧に記録され、政治と自然の連関が言語化されました。誤りがあれば暦局は修正して信頼を保ち、災異の多発は「政の失」と結びつけられました。こうした観測記録は、後世の科学史から見ても貴重なデータの山です。

医学では、臓腑・経絡・気血津液の運行を陰陽五行でモデル化し、診断(望・聞・問・切)から治療(鍼灸・湯液・按撫)までを体系化しました。体質や季節、地域の風土を踏まえた養生論は、食・睡眠・労逸の配分を具体的に示し、生活技法として継承されます。薬味の五味・五色、鍼の補瀉、時刻と経絡の対応といった配当は、相関の網を実務に落とし込む工夫でした。

建築・都市計画でも、方位(東木・南火・中土・西金・北水)や地勢の読解が重視され、宮殿・都城・陵墓の配置、住居の門向き、水利の取り回しに規範が与えられました。後世の「風水」は、多様な術と地域慣行を含む大きな傘概念になりましたが、背後には陰陽五行の語彙があります。

東アジアへの伝播と地域化:日本・朝鮮・ベトナム

陰陽五行説は、律令国家の形成とともに東アジアへ広がりました。日本では奈良・平安期に陰陽寮が置かれ、天文博士・暦博士・陰陽師が観測・暦作成・占筮・祭祀を管掌しました。宮中儀礼の日取り、遷都・造営、災異への対処、貴族の方違え・物忌みなど、制度と日常の双方で陰陽五行が運用されます。中世以降、陰陽道は神道・仏教・民間信仰と混淆し、物語・芸能・縁起に豊かな痕跡を残しました。近世・近代には、暦学・天文学の近代化が進み、術の多くは科学的知に置き換えられつつも、民俗や生活文化の語彙として生き続けています。

朝鮮では観象監が天文・暦・儀礼を統括し、精密な観測器具と計算術が導入されました。ベトナムでも王朝の暦・儀礼・医薬の基礎語彙として受容され、モンスーン気候と水利・稲作の知恵と結びつきます。各地域は自らの自然・宗教・社会の条件に合わせて、陰陽五行を取捨・再配列し、固有の制度と文化を編み上げました。

長所と限界:相関の力、検証の眼、そして更新

陰陽五行説の長所は、分野横断の〈総合視〉と、生活・統治の現場で使える〈運用性〉にあります。季節・身体・社会の徴候を一つの語彙で語り、政策や医療、祭祀や建築の判断を連動させられるため、前近代の大きな共同体を動かすには適した枠組みでした。また、観測と記録の積み上げを促した点は、後世にとっても価値があります。

一方で、相関の網は恣意と循環論法の危険を孕みます。災異を政治に直結させ過ぎれば、検証可能性が曖昧なまま正当化と弾圧の言語になり得ます。そこで歴代の学者・官僚は、暦の精度向上や観測機器の導入、数学的計算の強化、法度による乱用抑止など、運用の側から更新を続けました。宋以降の理学は、陰陽・太極・気の理論を倫理学・形而上学へと再構成し、明清期にはイスラーム・イエズス会系の暦法が計算精度を高め、近代には自然科学が観測・説明の主役を担います。こうして陰陽五行は、実務の中核から文化の語彙へと、位置を移しながら残りました。

用例でみる陰陽五行:季節・食と養生・政治と儀礼

季節運営では、春(木)は〈生発〉を尊び播種・植林を奨励、刑罰は軽く、租税の催促は慎む。夏(火)は〈長養〉で水利と防疫、秋(金)は〈収斂〉で徴税・検見・裁判、冬(水)は〈蔵〉で備蓄・補修・救貧――といった調整が説かれました。これは理想型で、現実には災害や戦争で逸脱しますが、節度の標尺として機能しました。

食と養生では、春は酸味と青を、夏は苦味と赤を、長夏は甘味と黄を、秋は辛味と白を、冬は鹹味と黒を配し、過不足を避けるとされます。冷え(寒水)には温性の食材、熱(熱火)には涼性の食材、湿(土)には利水、風(木・金)には鎮める処方、という具合に、体質・季節・土地に応じて調整します。これは今日の栄養学と直接は一致しませんが、気候・収穫・保存条件と整合的で、生活の実感に寄り添う設計でした。

政治と儀礼では、郊祀や宗廟の色・器・音階を五行に合わせ、朝服の色や旌旗の配色、都城の方位、刑罰や徳政の強弱を季節の循環と連関づけます。これにより、各部局の仕事が同一のカレンダーと言語で同期され、〈国家の呼吸〉が整えられます。

まとめ:世界を「連動する系」と見なす古い知の枠組み

陰陽五行説は、世界を相反・相補のリズム(陰陽)と、五つのはたらき(五行)が連鎖する〈連動する系〉として描き出す試みでした。自然と人事を同じ地図の上で読むための道具として制度化され、暦・天文・医療・建築・礼制・政治運営に長く用いられました。近代科学の発展に伴い中核の座は退きましたが、季節感や色彩観、身体感覚や行事の設計、物語や芸能の語彙にまで浸み込み、東アジア社会の深い層で今も働き続けています。陰陽五行の理解は、古い知の方法とその運用をとおして、地域の歴史と生活文化の手触りを見通す手がかりを与えてくれます。