ウルグアイ・ラウンド – 世界史用語集

ウルグアイ・ラウンドとは、1986年から1994年までGATT(関税及び貿易に関する一般協定)の下で行われた多国間通商交渉で、農産物や工業品の関税引下げだけでなく、サービス貿易、知的財産権、投資関連措置など、従来の枠を超えた新しい分野を交渉対象に広げた大規模な取り組みです。この交渉の合意は、世界貿易機関(WTO)の創設につながり、国際貿易のルール作りをより包括的で強制力の強い仕組みに再編しました。農業補助金の削減、繊維・衣料の一般ルールへの回収、紛争解決手続の強化などが柱で、先進国と新興・途上国の利害調整が難航した末に、1994年のマラケシュで最終合意に達しました。要するに、ウルグアイ・ラウンドは「貿易の中身」を広げ、「守るべきルール」を厳密にし、「それを執行する機関」を生んだ転換点だったと言えます。

1980年代の世界経済は、貿易のサービス化、グローバル企業の台頭、知的財産の重要性の増大など、大きな構造変化に直面していました。従来のGATT体制は主に関税や数量制限に焦点を当てていましたが、国境を越える銀行・保険・通信、ソフトウェアや医薬等の技術集約産業、農業の補助金競争と市場閉鎖など、新たな争点に十分対応できていませんでした。ウルグアイ・ラウンドは、こうした現実に合わせて通商ルールを「総合的に」作り直す試みでした。

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背景と開催経緯

ウルグアイ・ラウンドは1986年9月、ウルグアイのプンタ・デル・エステで開かれたGATT閣僚会議で正式に開始されました。1970年代のオイルショックや景気停滞、1980年代初頭の保護主義的圧力の高まりに対し、先進各国は市場開放と成長の回復をめざして通商ルールの再整備を志向しました。先行する東京ラウンド(1973~1979年)は非関税措置への取り組みを進めましたが、農業問題やサービス、知財といった新領域は手つかずに近く、実務上の「抜け穴」やグレーゾーンが残されていました。

交渉は当初4年程度での妥結を想定していましたが、主要分野での対立が激しく、期限をたびたび延長しました。米国と欧州共同体(EC;のちのEU)は、農業補助金や市場アクセスで深刻に対立し、サード・ワールドと呼ばれた多くの途上国も、知的財産やサービスの自由化が自国の政策余地を狭めると懸念しました。1991年のブリュッセル閣僚会議は不調に終わり、その後も「ブレアハウス合意」(1992年、米EC間の農業合意)などの二者調整を経て、ようやく1993年末に包括パッケージの政治合意にこぎつけ、翌1994年4月、モロッコのマラケシュで最終文書に署名して交渉は終了しました。

この間、交渉は多数の作業部会に分かれ、工業品関税、農業、繊維・衣料、サービス、知的財産、投資関連措置、衛生植物検疫(SPS)や貿易の技術的障害(TBT)などを並行して扱いました。GATTのガット理事会や各種委員会が会期ごとにテキスト案を積み上げ、包摂的な「一括受諾(シングル・アンダーテーキング)」の原則が採られたため、部分拒否が難しく、全体妥結に至れば包括的なルール改定が一気に実現する設計でした。

主要論点—農業・繊維、サービス、知的財産、投資関連

第一の焦点は農業でした。戦後のGATTは農業を例外扱いしがちで、輸入制限や価格支持、輸出補助金などが横行していました。ウルグアイ・ラウンドでは、数量制限を関税に置き換える「関税化」、関税や補助金の段階的削減、国内支持(価格支持や直接支払い)の削減を含む拘束的ルールが導入されました。輸出補助金は上限設定と削減が義務づけられ、国内支持も「最小限度のグリーンボックス」「削減対象のアンバーボックス」などに区分されました。これにより、農業は初めてGATTの一般ルールに本格的に組み込まれました。

第二に、繊維・衣料分野です。多繊維取り決め(MFA)の下で、先進国は開発途上国からの輸入に数量制限を設ける特例を長く利用してきましたが、ウルグアイ・ラウンドではこれを段階的に廃止し、繊維・衣料をGATT/WTOの一般ルールに「回収」することが決まりました。これにより、数量割当から関税中心のルールへ移行し、競争条件の透明性が高まりました。

第三に、サービス貿易のルール化です。銀行、保険、通信、運輸、専門サービスなど国境を越えるサービス取引は1980年代に急拡大しましたが、GATTはモノに特化した協定だったため対応できませんでした。ウルグアイ・ラウンドではサービスに関する一般協定(GATS)が新設され、最恵国待遇や内国民待遇の原則、特定分野における市場アクセスの約束、透明性の確保、認証・資格の相互承認等の枠組みが整えられました。GATSは、越境提供、消費者の移動、商業拠点の設置、自然人の移動という「四つの供給形態」を定義して、サービス取引の現実に合わせたルールを提示しました。

第四に、知的財産権です。模倣品や海賊版の流通が先進国企業の技術やブランドを侵害しているとの問題意識から、知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)が導入されました。TRIPSは、特許、商標、著作権、意匠、地理的表示、半導体回路配置、営業秘密などを包括し、権利の最低保護水準(年限や例外)、実効的な執行手段(民事・刑事・税関差止)を定めました。これにより、知財の国際保護が通商ルールに組み込まれ、WTOの紛争解決で争える分野となりました。

第五に、投資関連措置(TRIMS)です。特定の現地調達比率や輸出義務、貿易収支改善条件の付与といった、貿易を歪める投資関連政策をGATTの整合性に照らして制限する枠組みが整備されました。これにより、国内の産業政策が国際ルールとの整合を求められる度合いが高まりました。

さらに、SPS協定(衛生植物検疫)やTBT協定(貿易の技術的障害)では、健康・安全・環境保護の目的を認めつつ、科学的根拠、透明性、差別の禁止、国際基準との整合といった原則を明確化しました。保護主義的な技術規制を隠れ蓑にしないよう、手続面のルールが細かく設計された点が特徴です。

紛争解決とWTO設立—制度の再編

ウルグアイ・ラウンドのもう一つの柱は、ルールの「執行力」を強めることでした。GATT体制下の紛争解決は、パネル報告書の採択に全会一致が必要など、被告側の拒否で機能不全に陥ることがありました。新たに設けられたWTOでは、紛争解決了解(DSU)により、逆コンセンサス方式(原則自動採択)が導入され、控訴機関(上級委員会)での法的審査も制度化されました。これにより、加盟国は違反是正を迫られ、不履行時には相殺的な報復(関税引上げ等)が認められるなど、法の支配が強化されました。

また、WTO協定は「一括受諾」を原則とし、個別協定を選んで加入する余地を狭めました。モノ(GATT 1994)、サービス(GATS)、知財(TRIPS)を中核に、SPS、TBT、農業、繊維・衣料の統合、反ダンピング、補助金・相殺関税、セーフガード、原産地規則、関税評価、通関手続など、多数の付属協定が束ねられました。組織面でも、閣僚会議—一般理事会—各理事会・委員会という階層が整い、透明性と定期審査(貿易政策審査機構:TPRM)が制度化されました。

WTOの創設は、通商政策を越えて国際経済秩序の枠組みに影響を与えました。サービスや知財のルール化は、金融の自由化、IT産業の発展、グローバル・サプライチェーンの拡大と相まって、企業活動の国際的な最適化を後押ししました。他方で、途上国の医薬アクセス、食料安全保障、産業育成の政策余地などをめぐる新たな論点も浮上しました。

交渉の帰結と各地域への影響

米国とEU(当時はEC)は、農業補助金と市場開放をめぐり激しく対立しましたが、1992年のブレアハウス合意によって輸出補助金や国内支持の削減幅・計算方法に妥協点を見いだしました。これが包括合意の扉を開き、最終段階では知財・サービス・投資関連を含む大パッケージが成立しました。日本にとっては、工業品の関税引下げとともに、農業(とりわけコメ)の扱いが国内政治の焦点となり、ミニマム・アクセスや関税化の設計が大きな争点になりました。韓国や台湾、ASEAN諸国は、繊維・衣料の一般ルール回収とサービス市場の秩序化により、輸出拡大の機会と国内制度整備の課題を同時に抱えることになりました。

中南米やアフリカの途上国にとって、TRIPSの厳格化は医薬品アクセスや植物品種保護をめぐる新たな負担をもたらしましたが、同時に農業市場の透明化と繊維・衣料の割当撤廃は輸出機会を増やしました。インドはソフトウェアやサービスでの潜在力をGATSの枠組みで拡大する一方、医薬特許の移行措置などで国内産業の調整を迫られました。中国は交渉期間中はGATT未加盟でしたが、後にWTO加盟(2001年)を通じて、関税引下げや国有企業改革、知財保護強化など広範な義務を受け入れ、世界貿易構造に大きな波及をもたらしました。

ウルグアイ・ラウンドの成果は、2000年代以降のドーハ・ラウンドに引き継がれ、農業・非農産品市場アクセス(NAMA)、サービス、貿易円滑化などでさらなる自由化・ルール整備が試みられました。しかし、多数国間での合意形成の難しさは増し、電子商取引や投資円滑化など新分野は、WTOの枠内外で「志位国連合(プルリラテラル)」的なアプローチに移行しつつあります。とはいえ、ウルグアイ・ラウンドで築かれた紛争解決や透明性の仕組みは、その後の通商秩序の基盤であり続けています。

総じて、ウルグアイ・ラウンドは、モノ中心のGATTから、モノ・サービス・知財を包含するWTO体制へと国際通商ルールを飛躍的に拡張しました。農業や繊維の特例を一般ルールへ統合し、紛争解決の法的強制力を強化した点は、世界経済の相互依存が深まる中で不可欠な制度革新でした。他方で、それは各国の国内政策に対する国際的な拘束を強め、公共政策の設計に新しい均衡を求める出発点ともなりました。ウルグアイ・ラウンドを理解することは、現代の通商問題—食料、医薬、デジタル、環境—を読み解くうえで、前提となる歴史的文脈を把握することに直結します。