「海洋自由論(Mare Liberum)」は、17世紀初頭にオランダの法学者フーゴー・グロティウスが唱えた基本理念で、「外洋はだれの独占物でもなく、すべての国民に等しく開かれている」という考え方を指します。もっと身近な言い方をすれば、「海の大通りは通行止めにできない」というルールです。当時、香辛料貿易の利権を守ろうとするスペイン・ポルトガルが自分たちの海域を“私有化”しようとしていたのに対し、オランダは自由航行と自由貿易を正当化するために、この原理を前面に押し出しました。のちに国際法や海洋法の骨組みとなり、今日の国連海洋法条約(UNCLOS)にも「公海自由」の形で受け継がれています。海賊行為の取り締まりや海底ケーブルの敷設、上空飛行の自由など、現代の私たちの暮らしにも静かに影響する発想です。
海洋自由論は、単にオランダの都合の良い主張だったわけではありません。陸地の占有とは違い、海は境界を引きにくく、沿岸から離れた外洋は共同利用が合理的だという現実認識に立っていました。もちろん、沿岸の安全や資源保護と、誰もが自由に使えることのバランスは難しく、歴史の中で何度も議論が揺れています。以下では、海洋自由論の成り立ち、主張の柱、後世への影響、そして現代の論点を、わかりやすく整理します。
定義と歴史的背景:なぜ「海を閉じられない」と言い出したのか
海洋自由論は、1609年に刊行されたグロティウスの小著『Mare Liberum(自由海論)』に由来します。背景には、16世紀末から17世紀初頭の海上覇権争いがありました。スペインとポルトガルは、教皇の勅書やトルデシリャス条約を根拠に、大西洋・インド洋・太平洋の広大な海域で通行権と交易権を独占しようとしました。これに対して、東インド会社(VOC)を擁する新興のオランダは、アジアとの直接貿易を開くために「どの国も外洋を所有できない」という理屈を必要としていたのです。
グロティウスは、ローマ法の「公物(res communis)」の概念や自然法思想を援用し、海は空気や太陽のように誰にも占有できない性質をもつと論じました。そもそも海は無限に広く、一定の境界で囲って独占することができず、他者の利用を妨げずに自分も使える(非競合的・非排除的)資源だと捉えたのです。だから、航行や交易の自由を妨げるのは自然法に反する、と。
この主張は、当時の政治と直結していました。オランダはポルトガル船拿捕(サンタ・カタリナ号事件)を正当化し、アジア交易の「合法性」を理論的に固める必要がありました。海洋自由論は、単なる抽象理論ではなく、外交・裁判・宣伝のための実践的な論拠でもあったのです。他方で、これに対抗してイングランドのジョン・セルデンは『Mare Clausum(閉鎖海論)』(1635)を著し、「海も領有しうる」と反論しました。こうして「開く海」と「閉じる海」をめぐる論戦がしばらく続きます。
論理の中身:自由航行・自由貿易・沿岸権の調和
海洋自由論の核は「自由航行」と「自由交易」です。いずれも、他者の同様の自由を不当に侵さない限り、だれでも外洋を通って取引できるという意味です。ここから派生して、公海ではいかなる国家も主権を主張できず、各国船舶は自国の旗の下で自国の法に従う「旗国主義」が基本となります。これは、異なる国の船が入り混じる外洋で秩序を保つための簡潔なルールでした。
ただし、海は完全な無主地ではありません。沿岸には沿岸国の安全や生活があり、一定の「近海」を守る必要があります。早くから各国は海岸から大砲の届く距離(概ね3カイリ)を「領海」とみなす慣行を育て、沿岸の取締りと課税、漁業保護を認めてきました。つまり、海洋自由論は「外洋は自由、近海は一定の主権」という二層構造を暗黙に前提として発展していきます。
もう一つ大事なのは「通行権」と「無害通航」です。たとえ他国の領海であっても、平和的で安全を害さない航行(無害通航)は認める、という調整です。海峡の通過(海峡通航権)や運河の利用、公海への出入りを許すための一般原則として、自由と主権を両立させる工夫が積み重ねられていきました。
近世から近代へ:理想がルールになっていく道のり
海洋自由論は、17〜18世紀にかけて徐々に国際慣行として広まりました。オランダ、イングランド、フランスなどの海洋国家は、戦時の封鎖や臨検、私掠などでしばしば対立しつつも、平時の外洋における航行自由の原則を手放すことはありませんでした。海賊行為(いかなる国家にも属さない普遍的犯罪)を国際協力で取り締まる、という発想も、公海自由と表裏一体です。
18世紀末から19世紀には、領海の幅を3カイリとする通説(いわゆる「大砲射程説」)が定着し、公海と領海の線引きが分かりやすくなりました。同時に、捕鯨・漁業・海底電信ケーブルなど、新しい利用形態が現れ、自由の原則の上に「保護」「協定」「責任」のルールが重ねられていきます。中立国の権利(武器以外の中立貿易の保護)、封鎖の要件、拿捕審判など、戦時海上法の整備も進みました。
20世紀に入ると、資源開発や安全保障の課題が拡大し、単純な「自由対主権」の図式では足りなくなります。大陸棚の石油・ガス開発、航空の発達、海底ケーブル・パイプライン、漁業資源の乱獲、汚染事故など、現代的なテーマが噴出しました。第二次大戦後、国連の場で包括的な海のルール作りが進み、1982年の国連海洋法条約(UNCLOS)が成立します。UNCLOSは、領海12カイリ、接続水域24カイリ、排他的経済水域(EEZ)200カイリ、大陸棚の法制などを定め、公海自由を維持しつつ、沿岸国に資源主権や環境保護義務を与えました。外洋の「自由」は、無制限の自由から「秩序ある自由」へと成熟したのです。
UNCLOSの下でも、公海では「航行」「上空飛行」「海底ケーブル・パイプラインの敷設」「人工島の建設(ただし主権の根拠にはならない)」「漁業(保存管理の下で)」「科学調査(一定の手続きと配慮)」などの自由が認められます。沿岸のEEZでは、資源の探査・開発は沿岸国の権利ですが、他国の航行や上空飛行、ケーブル敷設の自由は残ります。ここに、自由と主権のバランスの現代版が見て取れます。
現代の論点と誤解:自由は万能ではない、だからこそ設計が要る
第一に、資源・環境の問題です。外洋の自由は、無計画に使えば乱獲や汚染を招きます。漁業の国際管理、海洋プラスチック対策、バンカー油の規制、バラスト水管理、船舶の温室効果ガス削減など、自由に伴う義務が増えています。公海の海洋保護区を設ける動きや、生物多様性条約と連動した「公海生物多様性(BBNJ)」の枠組みづくりは、まさに「自由を持続させる」ための新しい試みです。
第二に、安全保障の摩擦です。EEZにおける軍事活動や情報収集、海峡の通航、無害通航の解釈などをめぐり、各国の見解がぶつかります。海洋自由論は軍事活動を無制限に認めるものではなく、他国の安全を不当に脅かさない配慮が前提です。海賊対処やテロ対策、密輸・人身取引の取り締まりでは、旗国の責任、沿岸国の管轄、共同作戦の法的根拠を丁寧に積み上げる必要があります。
第三に、テクノロジーの更新です。海底ケーブルはインターネットの背骨であり、その保護と修復のために、公海自由と沿岸国の規制の線引きが問われています。無人艇・自律航行船、海洋観測ドローン、深海鉱物資源の探査など、かつて想定されていなかった活動が広がるなかで、自由の中身を具体化する追加ルール(標準・通報・環境影響評価)が不可欠になっています。
第四に、歴史的文脈を踏まえた読み替えです。海洋自由論は、欧州の商業帝国が広げた海の競争の中で生まれた理念で、植民地化や不平等条約の時代と重なります。だからといって直ちに否定されるべきものではありませんが、「誰にとっての自由だったのか」という問いは残ります。現代では、途上国の開発ニーズ、沿岸の生計、先住民の海との結びつき、難民や遭難者の保護、人道支援の通行など、多角的な正義の観点を重ねることが求められます。
最後に、よくある誤解を避けておきます。海洋自由論は「どこでも何をしてもよい」という免罪符ではありません。航行の自由は安全運航・環境配慮・救助義務とセットで語られます。また、沿岸国の権利が拡大した現代においても、公海の自由が不要になったわけではなく、むしろサプライチェーンやデジタル通信、航空の経路選択といった面で、見えない基盤として重要性を増しています。要は、自由を維持するためのルールづくりを怠らないこと、そして自由と主権、利用と保護を丁寧に両立させる知恵が必要だということです。

