「海洋の自由」とは、海は特定の国が独占して閉ざすものではなく、基本的にすべての国と人々が公平に使える共有の空間である、という国際社会の基本原則を指します。もう少しくだけて言えば、「海の大通りはみんなのもの、勝手に通行止めにはできない」という考え方です。船が安全に行き来し、物資や情報が海の下のケーブルで世界を結び、飛行機が海の上を最短ルートで飛べるのは、この原則が土台にあるからです。他方で、沿岸の暮らしや環境を守るために、近海には沿岸国の権利や責任も設定されています。つまり、海洋の自由は“無制限の自由”ではなく、「自由を守るためのルール」と「沿岸の権利」を賢く組み合わせる発想なのです。
この考えは、17世紀の国際法思想から出発し、20世紀後半に国連海洋法条約(UNCLOS)として成文化されました。そこでは、公海で認められる諸自由(航行、上空飛行、海底ケーブル・パイプライン敷設、漁業、科学調査など)が整理され、同時に領海・接続水域・排他的経済水域(EEZ)・大陸棚といった沿岸国の管轄も明確化されています。以下では、成り立ちと基本構造、具体的な自由と沿岸権の中身、現代的課題と誤解のポイントを、できるだけ平易に解説します。
成り立ちと基本構造:外洋は共有、近海は配慮
海洋の自由という発想は、16〜17世紀の海上交易競争を背景に整えられました。香辛料貿易の独占を主張した大国に対して、オランダなどは「外洋は誰のものでもない」と唱え、航行と貿易の自由を理論化しました。近世・近代を通じて、この考えは慣行として広まり、20世紀後半に国連の場で包括的な「海の憲法」として結実します。今日の国際ルールは、大きく言えば、①外洋=公海の共有、②沿岸から一定の幅=主権・管轄の強い海域、という二層の組み合わせでできています。
具体的には、沿岸から12カイリまでは「領海」で、その国の主権が及びます。ただし通り抜けを可能にするため、平穏無害な他国船の通行(無害通航権)は原則として認められます。領海の外側には「接続水域」(最大24カイリ)として、税関・出入国・衛生などの取り締まりを目的とする限定的な管轄が置かれます。さらに200カイリまでは「排他的経済水域(EEZ)」で、ここでは生物・鉱物などの資源の探査・開発に関して沿岸国の権利が強化されますが、航行・上空飛行・海底ケーブル敷設といった自由は原則維持されます。これより沖は「公海」で、いずれの国も主権を主張できず、各国が平等に自由を享受します。
この二層構造により、世界の物流・通信・エネルギー供給の大動脈を開いたまま、沿岸の安全と生計を守ることが可能になりました。海は無主の空間ではなく、自由と管轄が重なり合う「共有設計の空間」だと捉えると理解しやすいです。
公海で認められる自由:何が「自由」なのか
海洋の自由は、内容に分解するといくつかの柱に整理できます。第一は「航行の自由」です。各国の船舶は、公海では自国の旗を掲げ(旗国主義)、原則として他国の干渉を受けずに行き来できます。軍艦も含めて、平時の公海航行は自由であり、臨検や拿捕といった強制は例外として限定的にしか認められません(海賊行為や奴隷取引などの普遍的犯罪への対処など)。
第二は「上空飛行の自由」です。航空の発達に伴い、海上空域を最短で飛べることが国際航空の前提となりました。飛行は安全・騒音・環境への配慮を伴いますが、海上の広い空域が閉鎖されないことは、旅客と貨物の時間価値を支えます。
第三は「海底ケーブル・パイプラインの敷設の自由」です。海の底を走る通信ケーブルはインターネットの背骨で、国家間のデータと資金の流れを支えています。公海では自由に敷設・維持・修理が認められ、沿岸国のEEZや大陸棚でも、環境配慮やルート調整の手続きを経ながら、他国による敷設が許容されます。これにより、海の下のインフラが世界経済の神経網として機能します。
第四は「漁業の自由」ですが、これは今日では「無制限の自由」ではありません。乱獲を防ぎ資源を回復させるため、地域漁業管理機関(RFMO)や条約で保存・管理措置が定められ、違法・無報告・無規制(IUU)漁業の取り締まりも国際協力で進められます。自由は持続させるためのルールとペアになっているのです。
第五は「科学調査の自由」です。公海では海洋観測・測量・研究が可能ですが、環境影響・安全・他者の活動への配慮が求められます。EEZ内での科学調査は沿岸国の同意が必要など、海域ごとに前提が異なります。
沿岸の権利と通行の権利:自由と主権のすり合わせ
海洋の自由は、沿岸の権利と常にバランスを取ります。領海では沿岸国の主権が働き、治安・税関・環境保護・資源管理などの規制が課されます。それでも海の動脈を切らないために、他国船の「無害通航権」が認められています。無害通航とは、平和で迅速、領国の安全を害さない形で領海を横切る権利で、武器の使用や情報収集、汚染の発生などは許されません。海峡のように、公海やEEZを結ぶ細い通路については「海峡通航権」があり、世界の物流とエネルギーが止まらないよう特別に設計されています。
EEZでは、資源の探査・開発・保存・管理に関して沿岸国が優越的権利を持ちますが、その海域は国際航行と通信の回廊でもあります。従って、他国の航行・上空飛行・ケーブル敷設の自由は原則として確保され、両者の調整は通報・環境影響評価・安全水域の設定などの技術的手段で行われます。海底の鉱物資源については、大陸棚の権利が沿岸国に及びますが、人工島や海洋施設の設置は主権の根拠にはなりません。
安全保障面では、演習や情報収集、艦船の活動がEEZ内でどの程度許容されるかをめぐって各国の見解が分かれる領域もあります。共通して言えるのは、自由は他者の権利を不当に害さない形で行使されなければならず、事故防止・衝突回避・通信慣行の遵守が信頼を支えるという点です。
現代の課題と誤解:自由を持続させるメンテナンス
第一に、環境と資源の問題です。公海は自由だからこそ、誰もが責任を分かち合う必要があります。海洋プラスチックや油濁の防止、バラスト水の管理、船舶の温室効果ガス削減、船底の外来生物付着対策など、国際機関(IMO等)がルールを更新し続けています。深海の生物多様性を守るため、公海に保護区を設ける枠組みづくりも進み、研究と利用の両立が図られています。漁業では、総枠管理・禁漁期・装備規制・監視体制の強化が不可欠です。
第二に、インフラの保護です。海底ケーブルやパイプラインは、損傷・故障・妨害への脆弱性を抱えます。自由に敷設できることと、事故・犯罪から守ることは両立が必要で、通報・標識・海図・安全距離・修理の迅速化といった実務が鍵を握ります。断線事故の経済的影響は甚大で、自由の維持には見えないメンテナンスの積み重ねが欠かせません。
第三に、技術の変化です。自律航行船や無人艇、海洋観測ドローン、深海鉱物の探査、洋上風力や浮体式発電など、新しいプレイヤーが増えています。これらは既存の自由と管轄の線引きを再調整する課題を生み、通報・安全基準・データ共有・環境評価の標準化が求められます。自由の原則は変わらなくても、運用のディテールは常にアップデートされるべきです。
第四に、誤解の回避です。海洋の自由は「どこで何をしても良い」という白紙委任ではありません。航行の自由は、安全運航・救助義務・環境配慮とワンセットです。また、沿岸国の権利が拡大したからといって、公海の自由が後景化したわけでもありません。むしろサプライチェーンの即時性、データ通信の高速化、航空の最短経路化が進むほど、開かれた外洋の価値は増しています。重要なのは、自由と主権、利用と保護、競争と協調のバランスを丁寧に設計し続ける姿勢です。
最後に、海は国境線だけでなく生活と文化の場でもあることを忘れてはなりません。沿岸の漁業や観光、先住的な海の利用慣行、人命救助の伝統など、地域が育んできた知恵を尊重しつつ、グローバルな自由を運用することが、真に持続可能な「海洋の自由」を実現します。海は一国の庭ではなく、みんなで手入れする共有の庭です。自由は放置では育たず、手入れがあるからこそ維持されるのです。

