回民 – 世界史用語集

「回民(かいみん)」とは、一般に中国に居住するイスラーム教徒のうち、とくに漢語(主として漢語方言)を日常言語とし、中国各地に分散居住してきた集団を指す呼称です。現代中国の民族分類では「回族(Hui)」という名称で少数民族の一つに数えられますが、歴史上の文献では「回民」「回子」「回回」などの表記が併存し、時代や文脈によって指示範囲が揺れ動きます。たとえば、明清期の文書で「回民」と書かれる場合、内地の漢語話者ムスリムを指すこともあれば、西域(新疆)や中央アジアのテュルク系ムスリム、さらに広くイスラーム教徒全般を指すこともありました。したがって、この語を用いる際には、いつ・どこで・誰が・どの範囲を想定しているのかを確認することが大切です。

現代の社会学的な理解に立てば、回民とは「宗教としてはイスラーム、言語・生活文化としては漢語圏に深く根ざす」集団です。居住は華北・西北・西南から沿海都市に至るまで広く、商業・交通・食文化・手工業・軍事・行政など様々な領域で歴史的役割を果たしてきました。モスク(清真寺)と市場(バザール的空間)、清真飲食(ハラール)を核に共同体が形成され、宗教学習や相互扶助を担うネットワークが地域社会に埋め込まれています。本稿では、定義と語義、形成の歴史、宗教・組織・文化の特徴、近現代の展開という観点から、用語の幅を誤解なく捉えられるよう整理します。

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定義と語義の幅:歴史用語としての「回民」と現代の「回族」

「回民/回回」は、中国語史料におけるイスラーム信徒の伝統的呼称です。唐代以降、海上・陸上ルートを通じて到来したアラブ・ペルシア系の商人や技術者、兵士を含むムスリムは、各地に居住し、モスクと墓地を中心に「坊」「巷」を形成しました。元代には「色目人」制度のもとで西域系住民とともに行政・軍事・財政に動員され、モンゴル帝国の広域秩序の中で回回は顕著な比重を占めました。この時期、「回回」はしばしばムスリム一般の同義語として使われます。

明代以降、内地に定着したムスリム共同体は、漢語化(シノサイズ)を進めつつも、宗教と食・婚礼・葬礼などの実践を通じて固有の境界を保ちました。清代の行政文書では、内地ムスリムを「回民」、新疆方面のテュルク系ムスリムを含む広い範囲を「回人」「回部」「回疆」と呼ぶなど、コンテクストによって使い分けが見られます。ゆえに史料読解では、語が地理・宗教・民族のどの軸を優先しているのかを逐一確かめる必要があります。

20世紀の民族識別(民族識別工作)を経て、中華人民共和国は「回族」を公的な民族名として確立しました。ここでいう回族は言語的には漢語話者が中心で、ウイグル族やカザフ族のようなテュルク語話者とは区別されます。他方、宗教面では同じイスラームに属し、学術上は「シノ=ムスリム(Sino-Muslims)」と呼ばれることもあります。現代日本語で「回民」という語を用いるときは、多くの場合「回族」とほぼ同義に近い理解で用いられますが、歴史叙述では文脈のゆらぎを尊重する必要があります。

形成の歴史:唐宋の交流から明清・近代への連続

回民形成の出発点は、唐代の広州・泉州・揚州などにおける海上交易と、河西・タリムを通るシルクロードに求められます。イスラーム圏の商人は香料・宝石・薬材・絹・陶磁器を扱い、交易拠点にモスクと墓地を設けました。宋代には都市経済の発展に伴い、沿海部と内陸の交通網にムスリム商人のネットワークが深く組み込まれます。泉州の清浄寺に代表される建築や墓誌は、この時期の南海ムスリムの存在を物語ります。

元代、モンゴル帝国の広域支配は、人・物・知識の移動を加速させ、中央アジア・イラン系の工匠・官僚・学者が中国各地に移住しました。彼らは財政(紙幣・塩政・税務)、軍事(騎射・火器)、天文暦算、医薬などで顕著な貢献をし、その子孫が明代の漢語社会に溶け込みつつ宗教を保持していくことで、回民共同体の基層が形成されました。明代には鄭和の大遠征に象徴されるように、ムスリムの航海者・造船者が活躍し、内地では清真寺の建築が各地で整備されます。

清代になると、内地の回民は都市・集鎮・交通の要所に分散し、行商・畜産・皮革・肉類加工・運輸・手工業などに従事しました。宗教組織としてはスーフィー教団の流入・定着が進み、カーディリーヤ、ナクシュバンディーヤ(その亜流である「口唄/顕宗(ジャフリーヤ/ハフィーヤ)」系の区別を含む)、そして改革派のイフワーン(伊赫瓦尼ー、のちの「依赫瓦尼」「依赫瓦尼ー派」などと表記される)が並存・競合しました。これらは地域・指導者(門宦)ごとに教義・儀礼・社会活動のスタイルを異にし、共同体内部のダイナミクスを生み出しました。

19世紀後半、陝甘・雲南などで回民を含む多宗族の衝突や反乱が連鎖し、長期の混乱と人口流動を引き起こしました。これらは単純な宗教戦争ではなく、税・塩・鉱山・交通の利権、地方政権の腐敗、災害と飢饉、民族・宗教間不信が重なった複合的事象でした。多くの共同体が損耗を受けつつも、のちの近代化の中で商業や軍務に再び活路を見出していきます。

民国期(1912–49)には、回民は軍政や地方政権においても存在感を示しました。西北の軍事指導者群(いわゆる回族の軍閥)や、教育・出版を通じた宗教改革運動、ハッジ(巡礼)と留学によるイスラーム学の再導入、清真教育と近代学校の併設などが進みます。都市では清真飲食業の近代化や貿易の活性化が見られ、内陸と沿海、国内と中東・南アジアの間をつなぐ媒介者としての役割が再評価されました。

宗教・組織・文化:清真寺、門宦、言語、生活慣習

回民共同体の中心は清真寺(モスク)です。建築様式は地域差が大きく、中国伝統建築の木造・入母屋屋根・山門と礼拝殿を組み合わせた形式から、近代以降に増えたドームとミナレットを備える形式まで、多様な姿を見せます。寺院には礼拝空間のほか、講学(経堂教育)、浴室(小浄・大浄のため)、厨房、接客空間、墓地が付属することが多く、宗教と社会活動の中心として機能します。

宗教運動は、伝統的学派(格底目=Gedimu、漢語式発音による古来の礼拝慣行を重んじる)と、スーフィー諸教団(門宦、メンフアン)や改革派(依赫瓦尼ー=Yihewani、イスラーム改革主義の影響を受けた)などが重層的に並存します。門宦は師資相承の系譜(シルシラ)と廟会・念誦・慈善を核に共同体を束ね、墓所(拝陵)を中心に巡礼と慰霊の実践が広がります。改革派は迷信排除と教育刷新、近代学校の導入、女性教育の拡充、印刷・出版の活用などを通じて、都市部を中心に影響力を増しました。

言語面では、日常言語は漢語で、地域方言(西北官話・中原官話・西南官話など)が基盤です。宗教用語や人名・料理名にはアラビア語・ペルシア語起源の語彙が多数取り入れられ、音訳・意訳の混交が見られます。文字文化として特筆されるのが「小児経(シアオアルジン、Xiao’erjing)」で、アラビア文字を用いて漢語を表記する慣習です。これはコーラン読誦や講学、私的文書、商業記録などで広く用いられ、地域社会の識字や宗教教育を支えました。

生活文化では、清真飲食(ハラール)の規範が台所と市場の経済を特徴づけます。牛羊肉を中心とする麺食文化(蘭州牛肉麺・泡モー・烤肉・手抓羊・抓飯など)、動物屠宰の手順、酒類の忌避、食器の分別などが共同体の境界を可視化します。婚礼・葬礼・割礼・断食(ラマダーン)・巡礼(ハッジ)などの儀礼は、宗教と親族・近隣関係を結びつけ、相互扶助のネットワーク(互助会・香会)を通じて社会的安全網の役割も果たします。

職能・産業としては、畜産・皮革・運輸・香辛料・医薬・金工・建築・飲食・交易仲介などが伝統的に強く、近代以降は教育、公務、軍務、商社、観光、食産業のブランド化などへの展開も見られます。都市の穆斯林街(ムスリム街)は観光資源であると同時に、宗教生活の実基盤であり、季節ごとの礼拝と市(いち)が都市景観を彩ります。

近現代の位置づけと課題:民族分類、地域差、越境性

現代の行政区分では、回族は全国の多くの省区に分布し、とくに寧夏回族自治区、甘粛・青海・新疆・陝西・河南・雲南・河北などに大きな人口集積が見られます。寧夏は名称のとおり回族の比率が高く、農牧と黄河灌漑、都市産業と清真食品のブランド化が併走しています。雲南の回民は東南アジアとの交易史や茶馬古道の歴史と深く結びつき、昆明・大理・保山などに特徴あるモスク景観を残します。西北の回民は草原—オアシス—都市の複合的な生活圏をもち、新疆のウイグル族・カザフ族との交易・婚姻・宗教交流も重なってきました。

民族分類上の「回族」は宗教で定義された稀有なカテゴリーという側面を持ちます。言語は漢語が中心で、地域差が大きい一方、宗教はイスラームという共通基盤を持つため、宗教政策の影響を受けやすい集団でもあります。宗教施設の登録・教育・巡礼・海外との交流、清真食品の認証などは、国家の宗教管理と市場経済・観光・国際関係の交差点に位置します。海外留学やハッジを通じてアラブ・南アジア・トルコなどとの人的ネットワークが形成され、イスラーム学・慈善・ビジネスの面で越境性が高まっています。

文化保存の課題としては、小児経資料の散逸とデジタル化、地域モスク建築の保存と改修のバランス、清真飲食の衛生・ブランド・地域色の保全、口承史の採録、女性の宗教教育と社会参加の拡充などが挙げられます。学術面では、地域差の細密な記述(西北・華北・西南の比較)、門宦の系譜と近代教育の交錯、都市化と宗教実践の変容、観光化と聖俗の境界、海外ディアスポラ(回民商人の東南アジア展開など)の研究が進んでいます。

歴史叙述上の注意として、「回民」という語はしばしば他者命名であり、内部の自己呼称(例えば穆斯林、清真、各門宦の名称)と食い違うことがあります。過去の衝突や反乱を「宗教対立」と単純化するのではなく、資源・市場・行政・気候・移動といった要因の複合として丁寧に読み解く姿勢が求められます。また、回民とウイグル族など他のムスリム民族を混同しないこと、同じ回民内部でも宗派・地域・世代間で実践や価値観に幅があることを前提にすることが重要です。

総じて、回民は「中国語世界に根ざしたイスラーム」というユニークな歴史的経験を体現する集団です。キャラバンと港湾に端を発した移動と交易の記憶、元代の広域交流、明清の定着と漢語化、近代の教育改革と国際接続、現代の都市化とブランド化。これらが重層し、宗教・言語・生活が交わる場としての共同体を形づくってきました。「回民」という用語を手がかりに、人の移動が文化をどう変えるか、宗教が地域社会でどう生きられてきたかを読み解くことができます。