近世 – 世界史用語集

「近世(きんせい)」は、古代や中世のあとに位置づけられる時代区分で、世界史ではおおむね15~18世紀を中心とする「近代への橋渡しの時代」を指します。日本史では特に江戸時代を意味することが多く、用語の射程に差がある点が重要です。世界史の近世は、大航海と環大西洋世界の形成、銀と香辛料が動かす国際商業、火器の普及による戦争と国家の再編、宗教改革とその影響、印刷と学知の拡散、そして科学革命や啓蒙の萌芽などが重なり合うダイナミックな時代です。封建的な紐帯と身分秩序がなお強く残る一方、貨幣経済と市場、官僚制、常備軍、海外植民、グローバル貿易の拡大が社会を深く変えていきました。近世をつかむコツは、①国家のかたちが変わる、②世界が結びつく、③知と宗教の秩序が揺れる、という三本柱で流れを見ることです。以下では、時代の定義と地域差、国家と戦争の変容、経済・世界統合の進展、文化・思想・宗教の展開を順に解説します。

スポンサーリンク

用語と時代区分:世界史の近世と日本史の近世

まず「近世」の射程を整理します。世界史(特に欧州中心の時代区分)における近世は、15世紀末のコロンブスの航海やヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓、あるいは1453年のコンスタンティノープル陥落・グーテンベルク活版印刷の普及などを端緒に、18世紀末のアメリカ独立革命(1776)やフランス革命(1789)前後までを含む時代を指すことが多いです。中世的秩序(領主制・身分制・教会権威)がなお有力である一方、王権強化や常備軍、租税・官僚制の整備、国際商業の拡大が進み、近代国家・市民社会・産業革命への準備段階となりました。

これに対して日本史の「近世」は、徳川家康の政権確立(関ヶ原1600/江戸幕府1603)から明治維新(1868)までの約260年、いわゆる江戸時代を指すのが一般的です。参勤交代や藩領支配、石高制、身分秩序、寺請制度などの枠組みの下で、都市(江戸・大坂・京都)や市場、出版・識字、商品作物、生産技術、町人文化が発達し、外交では鎖国政策のもとで限定的な対外交流が続きました。したがって、同じ「近世」という語でも、世界史では「early modern(近代の前段)」、日本史では「江戸の社会秩序」を意味するというズレを前提に読む必要があります。

地域ごとの近世の開始・終了点にも差があります。オスマン帝国では15~16世紀に版図が最大化し、サファヴィー朝やムガル帝国が並立してイスラーム世界の政治・文化を牽引しました。中国では明(14~17世紀)から清(17~19世紀)へ、朝鮮では朝鮮王朝(李氏朝鮮)の時代が続き、海禁と朝貢、倭寇対策、銀の流入と商業化が課題となりました。東南アジアでは香辛料貿易をめぐってポルトガル・スペイン・オランダ・イギリスが進出し、既存の港市国家と結びつきながら植民地化が進行します。アメリカ大陸では先住文明の上にスペイン・ポルトガルの帝国秩序が築かれ、アフリカからの奴隷貿易が大西洋世界の負の基盤となりました。

国家と戦争の変容:常備軍・官僚制・絶対主義と立憲主義

近世の国家は「戦争のしかた」が変わることで生まれ変わりました。火縄銃や火砲の普及、野戦・攻城の戦術変化、要塞の星形化(ヴォーバン式)、兵站の整備は、臨時動員の封建軍では対応しきれず、王権は常備軍と財政基盤の強化を急ぎます。兵士への給与や弾薬・被服の調達は、租税と借入、国債市場の発達を促しました。「軍事革命」論が指摘するように、戦争の規模と持続性が国家の行政能力を拡張させ、徴税・記録・監察の官僚制が整っていきます。

政治体制としては、王権神授説を背景に宮廷と官僚で統治を統合する「絶対主義」がフランスに典型的に現れます。ルイ14世のもとでの常備軍・財政・儀礼の集中は、貴族を宮廷に吸い上げて地方権力を薄める手段でもありました。他方、イングランドでは清教徒革命(1640年代)・名誉革命(1688–89)をへて、国王の権限が議会と法によって制限される立憲体制が確立します。責任内閣制・財政国家・イングランド銀行・国債市場の整備は、海軍力と海外進出を持続させる制度的基盤となりました。オランダは共和制下で商業・金融・海運に卓越し、株式会社(東インド会社VOC・西インド会社WIC)を通じて軍事・行政を民間資本と結びつける先駆的モデルを提示しました。

東アジアでは、明末清初にかけて八旗体制と郷里組織が組み合わさり、清は満洲・モンゴル・チベット・新疆を含む多民族帝国へ拡張しました。朝鮮は壬辰倭乱・丙子胡乱の衝撃を受けつつも儒教的文治を維持し、対清外交と国内再建に注力します。日本では織豊政権が鉄砲・兵糧・検地・刀狩により動員と統治を再設計し、江戸幕府は譜代・親藩・外様のバランス、参勤交代、法度によって軍事・行政・儀礼を制度化しました。イスラーム圏ではオスマンのデウシルメ(官僚・軍事奴隷制)やティマール制の変容、ムガルのマンサブダール制など、多元的社会を統治する仕組みが洗練され、宮廷文化と地方権力の折衝が政治運営の鍵となりました。

宗教と政治の緊張も近世の国家形成に深く関わります。ヨーロッパでは宗教改革と対抗宗教改革の時代に、カルヴァン派・ルター派・カトリックの対立が国家間戦争・内戦と結びつき、アウクスブルクの和議(1555)やヴェストファーレン条約(1648)が「領邦の宗派選択」「国家主権」の新原理を定着させました。宗教儀礼や検閲・訴追は統治技法の一部であり、信仰は同時に統合と分断の資源でもあったのです。

経済と世界統合:大航海、銀の環流、商業・金融の発達

近世経済の心臓部は「海」と「銀」でした。大西洋への航路開拓とインド洋・太平洋への進出は、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ・アジアを結ぶ交易ネットワークを形成します。カリブ・中南米で産出された銀(ポトシ・サカテカスなど)は、スペインを経て欧州の市場に流れ、さらにアジアへの輸入品決済に使われました。とりわけ中国の明・清は銀納税化(単鞭法など)の進行とともに銀需要が高まり、メキシコ銀・日本銀が大量に流入します。銀のグローバルな循環は、価格革命(物価上昇)と商業の拡張を通じて、農村の貨幣化・商品作物化を促し、地主・商人・都市の力を強めました。

企業形態では、特許会社・株式会社・合名会社などが発達し、東インド会社(VOC・EIC)は貿易独占権・軍事権・行政権を併せ持つ「準国家」として機能しました。保険・為替・先物・株式市場が整備され、金融の高度化がリスク分散と大規模投資を可能にします。港湾都市(アムステルダム、ロンドン、リスボン、セビリア、バタヴィア、長崎、広州)や中継地(喜望峰、マラッカ、マカオ、マニラ)は、文化と情報のハブになりました。

ただし、この統合は「万人に利益」というきれいな物語ではありません。アフリカからアメリカ大陸への奴隷貿易は、大西洋三角貿易の収益を支え、砂糖・コーヒー・綿花のプランテーションは残酷な労働に依存しました。先住民社会は疫病・征服・土地収奪で壊滅的打撃を受け、アジアでも沿岸都市の政治経済は欧州勢力の軍事介入で再編されました。日本や朝鮮のように交易を限定し、国内市場の発達に重心を置いた社会もあり、各地域はそれぞれの制約と選択のもとで「世界化」に向き合いました。

農業と手工業でも変化が進みます。三圃制から輪栽式への移行、牧畜と穀作の組み合わせ、囲い込み(エンクロージャ)による土地利用の再編は、農業生産性を押し上げ、織物・金属・造船・火薬・紙・印刷などの工業的生産に余剰労働を供給しました。都市ではギルドと新興の工場制手工業(マニュファクチュア)が併存し、家内工業(出版や紡績の分業)も広がります。これらの積み重ねが18世紀後半の産業革命の前提条件となりました。

日本の近世経済は、年貢米と石高制を軸にしながらも、商品作物(綿・菜種・藍・茶・煙草・砂糖)や流通(五街道・河川運輸・菱垣廻船・樽廻船)が伸び、両替商・掛屋・蔵屋敷を通じた信用取引が発達しました。大坂の天下の台所としての集散機能、江戸の巨大消費市場、京都の工芸・文化生産は、幕藩体制のもとでも市場原理が社会を動かす力を持つことを示します。鎖国は貿易量を絞りましたが、長崎・対馬・薩摩・松前の四口を通じた選択的な外部接続が、銀・銅・人参・砂糖・絹・書物・医薬・学問を流通させました。

文化・知・宗教:印刷・改革・科学・啓蒙と地域の多様性

近世の知的転換は、印刷と宗教改革、科学革命の三角形で説明しやすいです。活版印刷は文字の大量複製を可能にし、宗教論争のパンフレット、説教集、祈祷書、聖書訳、科学論文、新聞が市場に溢れました。宗教改革は信仰と教会権威の関係を問い直し、プロテスタント諸派は説教と聖書読解を重視しました。対抗宗教改革は教育・芸術・修道会の刷新で応じ、イエズス会は学校・宣教・学術を通じてグローバルに展開します。共同体の規範・祝祭・儀礼・婚姻・性道徳も宗派を軸に再編され、魔女裁判や異端審問などの社会的緊張も生じました。

科学革命は、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートンらの成果を通じて、宇宙・自然・運動の理解を幾何学と実験に基づいて再構築しました。学会や王立協会、アカデミーの設立は、学知を共同体の検証と公開性に置き直す制度的前進でした。自然史・医療・地理学・測量・航海術の進歩は、帝国の行政と軍事、交易の拡大に結びつき、知と権力が絡み合う近世的様相を形づくりました。17~18世紀には啓蒙思想が台頭し、理性・寛容・自然権・社会契約・公共性の理念が議論され、百科全書やサロン、コーヒーハウスが新しい公共圏を育てます。

東アジアの知は、宋明理学の受容と批判、考証学、実学、朝鮮の性理学・実学、日本の朱子学・陽明学・国学・蘭学など、多彩な展開を見せました。科挙や郷校、寺子屋や藩校、出版・貸本が識字と議論の基盤を広げ、農政書・兵学書・医学書・儒仏神の習合的信仰など、知と生活が密接に往来します。仏教は地域ごとに再編され、巡礼・寺院経済・説教・版木印刷が社会的ネットワークを形成しました。イスラーム圏ではスーフィー聖者のネットワーク、マドラサの学知伝統が存続しつつ、天文学・数学・薬学の知が帝国行政と結びつきました。

芸術・都市文化も近世の顔です。バロック、ロココ、古典主義、浮世絵、雅楽・能・歌舞伎、ムガル細密画、オスマンの建築と庭園設計など、宮廷と都市の需要が芸術を支え、印刷・版画が複製芸術の市場を作りました。祝祭・カーニバル・芝居・宗教行列は共同体の時間を組織し、都市のコーヒーハウス・居酒屋・サロンは情報と議論のハブとして機能しました。検閲と出版のせめぎ合いは言論空間を鍛え、匿名・筆名・寓話・風刺が公共圏の技法として発達します。

社会構造では、身分秩序がなお堅固である一方、商人・職人・農民・知識人のあいだの移動や分化が進みました。都市の貧困や治安、疫病対策、慈善と救貧、衛生と上下水道、火消と警察など、近世的な「都市のガバナンス」が整えられます。結婚年齢や家族構成、女性の家事労働と商業への参画、教育の機会、宗教共同体内での役割など、地域差の大きい男女の生のあり方も、近世の社会史の重要テーマです。

アメリカ大陸では、先述のように植民地社会が形成され、カトリック的秩序やプロテスタント的秩序がそれぞれ根を下ろし、混血と人種秩序、奴隷制の法体系が成立しました。18世紀半ば以降、啓蒙と重商主義、税制・議会・代表の問題をめぐる対立が深まり、やがて独立革命へ連なります。ヨーロッパでも啓蒙専制の改革や、市民的公共圏の拡充が政治変動を準備しました。

終わりに:近代への接続としての近世の見取り図

近世は「中世の終わり」でも「近代の始まり」でもなく、その両方の性格を併せ持つ重層的な時代です。戦争と財政が国家を鍛え、商業と金融が世界を結び、印刷と宗教改革・科学革命が知の枠組みを変えていきました。地域ごとの制度と文化は多様で、単一の直線的進化では語れません。だからこそ、国家・世界統合・知の再編という三つのレンズを使い分けることで、複雑な近世を立体的に読み取ることができます。日本史の近世(江戸時代)も、この全球的な変化の波と選択のなかで固有の秩序を構築し、明治維新と近代化に向けた人的・制度的・文化的資源を蓄積しました。こうして近世は、古いものと新しいものが緊張と折衝を繰り返しながら、ときに保守的に、ときに革新的に、次の時代へと橋を架けたのです。