公孫竜(こうそんりょう/Gōngsūn Lóng、戦国時代・趙の弁士、活躍は紀元前3世紀ころ)は、諸子百家のうち「名家(めいか)」に分類される思想家です。『公孫竜子(こうそんりょうし)』に伝わる論弁、とりわけ「白馬非馬(はくばひば)」や「堅白同異(けんぱくどうい)」は、言葉の意味と対象、属性と言及、集合と区別の関係を鋭く問いただすもので、古代中国における言語哲学・論理学の重要な水脈を示しています。彼は単なる奇弁家ではなく、政治交渉の場で言辞を武器とする弁士でありながら、同時に、語の用法を精密に吟味し、日常言語の曖昧さが判断を誤らせる機構を暴いた思索者でもありました。本稿では、人物と時代背景、『公孫竜子』の構成と真正性の問題、主要論題(白馬・堅白・指物)の中身、先秦—漢の「名と実」論争との関係、そして近現代における解釈史と意義を、分かりやすく整理して解説します。
人物と史的背景――弁士・策士としての公孫竜、趙国のサロン
史書の記載は多くありませんが、公孫竜は趙の名門・平原君の門下に出入りし、弁論で諸侯の歓心を得た人物として描かれます。戦国中期から後期にかけて、諸侯は争覇のために客卿・食客を集め、説客(弁士)は外交や内政の策を献じました。公孫竜の名は、この「策士」の文脈で現れ、論理的詭弁に長けた人物としてもしばしば風刺の的となります。しかし、彼の議論が政治軽視の「机上の空論」だったと速断するのは早計です。戦国の政治は「名分」の操作と密接で、言葉の定義や名目の付け替え(爵位、封号、盟約の文言)が現実を左右しました。名家の論弁は、そうした現実政治の言語的基盤を露わにし、用語の取り扱いを精密化する装置でもあったのです。
同時代には、墨家の『経上・経下』『大取』に象徴される論理・言語・認識の分析が盛んで、名家の議論はこれと相互に刺激を与え合いました。他方で、儒家・法家は、名家の細分化を「名実の離反」を助長する危険として批判し、政治秩序の維持には「正名(名前を正しくする)」が要だと応じます。公孫竜の議論は、この大きな「名—実」論争の中に位置づけられます。
『公孫竜子』の構成と真正性――伝存諸篇の性格
公孫竜の思想は、主として『公孫竜子』に伝わります。伝存本は六篇前後(「白馬論」「指物論」「堅白論」「名実論」「通変論」「詭辞論」など)で構成されますが、成立は一枚岩ではなく、後世の編集・増補を含むと考えられています。言い換えれば、「公孫竜のオリジナルな論弁」と「名家系の後代的展開」が混在しており、文体・語彙・論法の差異から層位を見分ける作業が続いてきました。重要なのは、真正性の揺らぎが議論の価値を減じるわけではない、という点です。むしろ、名家の議題が長く読まれ、批判と再解釈の対象であり続けたこと自体が、古代東アジアにおける「論理への関心」の厚みを物語ります。
編纂の文脈を押さえると、諸篇の狙いが立体的に見えます。たとえば「白馬論」は、語の指示と分類の問題に焦点を当て、「堅白論」は感覚様式と属性の弁別、「指物論」は指示行為(指差し)と指示語の関係をめぐるメタ言語的分析です。これらはバラバラに見えて、いずれも「語の意味は何に依拠して成立するのか」「語と対象の一致はどのように確認されるのか」という共通のテーマを共有します。
主要論題の解説①――「白馬非馬」:名称の内包と外延
最も有名な命題「白馬非馬」は、しばしば「白い馬は馬ではない」という無茶な主張のように誤解されます。しかし、原論争の核心は、語の用法(名称)のレベルをずらして議論している点にあります。議論の骨格を要約すると次の通りです。名「馬」は形状・種の概念(四脚・嘶く等)を示し、色を含意しません。他方、名「白」は色の属性を示します。「白馬」は「白という属性をもつ馬」という複合表現であり、その名称の内包(意味内容)は「馬」よりも狭く、外延(適用範囲)は「馬」の集合の適切な部分集合に当たります。したがって、名称(名義)の同一性という観点から「白馬」と「馬」は同一とは言えず、「白馬は(名としての)馬ではない」という弁が成り立つ、というのです。
この弁の狙いは、(1)名称のレベル(意味の種類)を取り違えると誤謬が生じること、(2)同語反復や包含関係の混同(「白馬も馬に含まれるのだから同じだ」という粗い把握)を戒めることにあります。現代の論理学の語で言えば、intension(内包)とextension(外延)を区別し、また、同一性(=)の主張と包摂(⊂)の主張を混同しないようにする、という作法に相当します。公孫竜は、名称が持つ「区別の力」を最大化し、文脈の中で何を問題にしているのか(色か、種か)をはっきりさせよと促しているのです。
もちろん、この論は反論も呼びます。たとえば「実用上は、白馬も馬に違いない」という常識的反駁に対し、公孫竜は「門番が『馬は入るな』と言ったとき、『白馬は馬に非ず』で白馬を通すのは詭弁だ」といった批判を織り込みつつ、規則の適用は規則文の語義精査に依存するという、今なお有効な注意を逆説的に示しています。すなわち、規則の射程(「馬」とは何を含むのか)を明示しないまま運用すれば、解釈の余地が無限に広がり、社会的混乱を招くというわけです。
主要論題の解説②――「堅白同異」:感覚様式と属性の交差
「堅白論」は、玉石などの対象が「堅(かたい)」と「白い」という二つの属性を同時に持ちうるにもかかわらず、我々がそれを知覚する仕方は異なる、という観点から始まります。触覚は「堅」を、視覚は「白」を与えます。もし「同時に堅白を知る」ことを求めるなら、それは単一の感覚様式に二つの属性を同時搭載することになり不可能である――と公孫竜は挑発的に言います。ここで問題にしているのは、属性の論理的両立と、認識の現象学的同時性のズレです。
この議論の意義は二つあります。第一に、属性のカテゴリー錯誤(色と硬さという性質の型が違う)を抉り出し、異質な性質をめぐる語の併置がどのように誤解を呼ぶかを示します。第二に、認識論的には、対象の性質(実在)と、それを把握する経路(現象)の区別を促します。後代の儒家や法家が、政治・法の判断で「証拠(見る・聞く)」と「推理(考える)」を峻別する実務的知恵を育てますが、名家のこうした分析は、その前提となる感覚—概念の整理に資しています。
また、「堅白」をめぐる詭弁的応酬は、言語の連結(連詞)が意味論的に何をしているのか(単なる集積か、交差か、条件づけか)という問題を露呈させます。白くて硬いという連言は、二つの独立した述語のかけ算であり、集合論的には交差(∩)です。ところが、日常言語では「堅白」を一語として名詞化し、あたかも一つの単純属性のように扱いがちです。公孫竜は、その言語経済の誘惑を逆手に取って、分析の必要を際立たせています。
主要論題の解説③――「指物論」:指示と言及、名の働き
「指物論」は、指差し(指)という行為と言語の指示機能の関係を問う、メタ言語的な小論です。人が「これ」と指すとき、その「これ」は何に向かうのか。対象そのものか、その種類か、その部分か。さらに、指示語は状況に依存する(文脈依存)ため、同じ「これ」でも場面が違えば指すものが違う。公孫竜は、こうした指示の多義性と指示の成功条件を問い、言葉が対象に届くとはどういうことかを分解します。
本篇の肝は、指示・命名・叙述という三つのレベルを区別することにあります。名付け(命名)は語—対象の一対一対応の設定であり、叙述(述定)は対象に性質を帰する操作、指示はその場で注意を向けさせる行為です。たとえば「この白馬」という表現には、指示(この)と叙述(白い、馬である)が重なり、さらに背後には命名(白・馬という語の辞書的意味)が控えています。公孫竜の分析は、この重層性を一枚ずつ剥がし、どの層で間違うと、どの種の誤解が生じるかを見取り図にします。
名—実論争との関係と批判への応答――「正名」「刑名」との交錯
公孫竜の議論は、儒家の「正名」(名分の正しさ)や法家の「刑名」(名称と実績の一致)と頻繁に交差します。儒家は、名が乱れれば礼が崩れると見て、名称の適正化を道徳—政治秩序の根本に置きました。法家は、官僚評価において「名(申告)」と「実(成果)」の合致を厳格に求め、言葉の取り扱いを統治技術に組み込みました。両者はいずれも、名家の詭弁が秩序を乱す危険を警戒します。
これに対し、公孫竜の弁は、名を正しくするための前提作業として位置づけられます。すなわち、名と実を一致させるには、まず名の内包と外延、連言と選言、指示と叙述をきれいに分けなければならない。詭弁と見える操作の多くは、じつは語の用法の取り違えを露呈させる「負の教材」であり、正名や刑名の土台を固める作用をも持つ、と読めるのです。彼は秩序破壊者ではなく、秩序の言語条件を洗い出す「内側の批判者」でした。
近現代の受容と意義――奇弁から言語哲学へ
近代以降、公孫竜は「中国にも論理学があったのか」という問いの中心に置かれ、学術史上の再評価が進みました。ある読みは、公孫竜の議論を集合論・述語論理・意味論(内包/外延、同一性、文脈依存性)へ翻訳し、先駆的な洞察を抽出します。別の読みは、むしろ漢語の語法や当時の法・慣習のコンテクストに即して、彼の言明を「文化固有の言語哲学」と見ます。いずれの立場も、言葉の使い方が社会秩序に直結するという戦国的リアリズムを共有しており、公孫竜はそこで現在に通じる問題意識を提示しました。
教育的にも、「白馬非馬」は論証・定義・分類の授業に適し、「堅白」は感覚と属性の取り扱い、「指物」は指示と文脈の問題を教える格好の教材です。詭弁として笑い飛ばすのではなく、どの前提を動かすと結論が変わるのかを追体験すると、論理的思考の基礎体力が養われます。さらに、規則文の運用(法解釈・行政通知・契約文言)での曖昧さの危険を早くから学べる点で、実務にも直結する「古典の現代性」を持ちます。
総じて、公孫竜は、戦国の策士であると同時に、言葉を鍛える技術者でした。彼のテキストに通底するのは、語の内包・外延の区別、指示行為の分析、属性のカテゴリー整理という、現代の論理学と接点の多い思索です。古代中国思想を「道徳」や「政治」だけで読む見方に、言語の設計という第三の次元を付け加えたこと――それが、公孫竜という名の歴史的意義なのです。

