サウード家 – 世界史用語集

サウード家(House of Saud/Āl Saʿūd)は、サウジアラビア王国の王家であり、18世紀に中央アラビアのナジュド地方で台頭して以来、宗教運動(いわゆるワッハーブ派)との同盟、部族連合の統御、資源国家化(石油)の波に乗って半島の政治秩序を作り替えてきた家門です。単に「王族の集合」ではなく、王権・宗教権威・部族社会・官僚制・安全保障を束ねる〈政治的ネットワーク〉として機能してきた点に特徴があります。王位継承は長らく建国者アブドゥルアズィーズ(イブン・サウード)の兄弟間で横に移り、その後は世代交代へ移行しました。王家内部の合議(王族評議)と国王・皇太子の主導、宗教機関(ウラマー)との協働、国家投資や治安機構の掌握が、統治の中枢です。21世紀には「ビジョン2030」の下で経済多角化と社会規範の緩和が進み、王家は国家投資ファンド(PIF)や国営企業、軍・内務の再編を通じて、資源依存以後の体制づくりを急いでいます。他方で、表現の自由や法手続、人権をめぐる国際的議論も続き、王家の権力運用は常に国内外の注視を受けています。

スポンサーリンク

起源と形成:ディルイーヤの同盟から三つの「サウード国家」へ

サウード家の物語は、18世紀半ばのディルイーヤ(現リヤド近郊)に遡ります。当地の首長ムハンマド・イブン・サウードと、宗教改革者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブが結んだ同盟は、信仰の純化と政治統合を結びつけ、第一次サウード国家を生み出しました。ナジュドを超えて東部・北部・ヒジャーズへ勢力を伸ばしますが、メッカ・メディナの掌握はオスマン帝国の逆襲を招き、19世紀初頭にエジプト総督ムハンマド・アリーの遠征で首都は陥落、国家は瓦解します。

その後に成立した第二次サウード国家は、内紛と周辺勢力との抗争で不安定でしたが、家門の求心力と宗教同盟という枠組みを繋ぎ止めました。決定的転回は20世紀初頭、若きアブドゥルアズィーズ(イブン・サウード)が1902年にリヤドを奪還し、ベドウィン戦士集団イクワーンを糾合して半島の再統合に乗り出したことです。婚姻・盟約・戦闘・恩顧の組み合わせでナジュドの諸部族を結びつけ、1924〜25年にはヒジャーズを掌握、1932年に「サウジアラビア王国」を創建しました。これが第三のサウード国家であり、現王国の始まりです。

建国者は、多妻制の婚姻を政治同盟の手段として用い、部族・地域の回路を家門の内側に取り込みました。この「婚姻ネットワーク」は、のちの州知事や閣僚、軍・治安の要職に広がり、王家の統治基盤を支える人的資本となります。同時に、宗教機関(ウラマー)に司法・教育・宗教行政の権威を委ね、王権の正統性を宗教に裏打ちさせる設計を確立しました。

統治の仕組み:王位継承、家門内合議、宗教・軍・官僚の接続

サウード家の統治は、王位継承と家門内合議の設計に核心があります。王位は長らく建国者アブドゥルアズィーズの息子たちの間で横に移る「兄弟相続」が続きましたが、世代交代の不可避性が高まるにつれ、家門内の評議と国王の指名を組み合わせる方式に移行しました。王位継承の予見可能性を高めるため、王家の長老や有力王子が合議する枠組み(たとえば忠誠評議会に相当する組織)が整えられ、皇太子の任命・交代はこの合議と国王の裁量の交点で決まります。

家門内には複数の主要ラインがあり、なかでも〈スダイリー・セブン〉と呼ばれた同母の七王子のラインは、20世紀後半に防衛・内務・州知事職を分有して大きな影響力を持ちました。州知事はしばしば王族が務め、各州の名望家・部族と中央をつなぐ媒介となります。内務(治安)・防衛(国軍)・国家親衛隊(ナショナルガード)という三つの安全保障機構は、王家内部で分担・牽制されてきました。国家親衛隊は、もともと部族戦士の流れをくむ組織で、王家の防衛と地域統合の役割を担います。

宗教との関係は、王権とウラマーの相互依存です。王家は宗教法学者に教育・司法・宗教警察の権限を与え、宗教は王権に正統性を付与してきました。近年は宗教警察権限の縮減や娯楽・文化の解禁など、運用面の柔軟化が進む一方、家族法や刑事手続、表現の自由をめぐる線引きは、宗教的価値と統治の実利の折衝領域であり続けています。

官僚制と王族の関係も独特です。主要省庁のトップや国有企業の議長、投資ファンドの総裁には王族や近親が就き、テクノクラートが実務を担う二層構造が一般的です。王宮(ロイヤル・コート)は、人事・予算・儀礼・対外関係をさばく中枢で、家門内外の利害調整を行います。国家投資ファンド(PIF)や石油会社アラムコ、主要銀行・通信・防衛産業に対する統制は、経済・安全保障の両輪を王家の手中に置く装置です。

財政・経済と王家:資源国家の配分、企業統治、慈善と威信

石油収入は、王家と国家の結合を支える財政的基盤です。国営アラムコが生む収益は、国家予算と投資ファンドに流れ、インフラ・教育・医療・住宅・公務雇用・補助金に配分されます。この配分は、部族・地域・都市階層の利害を調停する手段であり、〈社会契約〉として機能してきました。価格変動期には、王家は財政の安定化と国民への再分配のバランスを取りつつ、外貨準備・債券発行・資産売却・投資ポートフォリオの調整で対応します。

王家はまた、企業統治の頂点に位置します。アラムコやPIF傘下の企業群、主要銀行・通信・鉱業・軍需の理事会・最高評議会には王族・近臣が入り、企業の戦略と国家政策が連結されます。近年は、国有資産の一部上場や外資誘致、資本市場の高度化を通じて、企業統治の透明性と民間の役割を拡大する方向にかじを切っていますが、国家戦略との一体運用は維持されています。

慈善活動と威信の政治も重要です。宗教施設・学校・病院への寄進、災害支援、奨学金基金、文化・スポーツ後援は、王家の社会的正統性を強化し、地域との紐帯を深める機能を持ちます。王族個人の基金や王妃・王子が主宰する慈善団体は多数存在し、国際的な人道支援や文化外交にも活用されます。他方で、利益相反や説明責任、腐敗の統制は常に課題で、監査・法執行・公開の仕組みをどう整えるかが統治能力の試金石です。

現代の展開と評価:世代交代、ビジョン2030、改革と論点

21世紀のサウード家は、世代交代と体制再編のただ中にあります。皇太子の下で、治安・防衛・経済官庁の権限配置が再整理され、国家投資ファンド(PIF)を軸に内外投資を加速、観光・エンターテインメント・スポーツ・ハイテク・宇宙・水素・再エネなど新分野への進出が進みました。映画館やコンサートの復活、女性の運転解禁・就業機会拡大、観光ビザ制度の整備、大規模開発(紅海沿岸のリゾート、スマートシティ構想)など、生活風景は一変しつつあります。

安全保障面では、ミサイル・ドローン対策、国境の安定、湾岸協力会議(GCC)内の調整、地域紛争の仲介や緊張緩和、対米を柱にしつつ多極化する大国関係のバランス運用が続きます。軍の国産化やサイバー・宇宙領域の整備は、産業政策とも直結しています。エネルギーでは、OPEC+での生産調整主導とともに、石化・金属・物流との一体運用、メタン削減・CCUS・再エネ導入など移行戦略を進めています。

評価と論点は両義的です。改革は都市の活力と投資機会を生み、若者と女性の活躍の場を広げていますが、政治的自由・表現・市民社会・刑事司法の透明性、人権活動家の扱いなどには厳しい目が注がれています。宗教・部族・地方の多様性を包摂しながら、経済の効率性と法の支配、説明責任をどう両立させるか—この課題にどう応えるかが、サウード家体制の持続可能性を左右します。

歴史的に見れば、サウード家は〈峠とオアシス〉の地域権力から出発し、宗教的正統性と武力、婚姻と配分を組み合わせて半島規模の国家を築きました。石油時代には、資源配分を通じて社会契約を形成し、冷戦後・テロ対策・アラブの変動の時代を、制度と投資の更新で乗り切ろうとしてきました。いまや焦点は「脱資源依存の時代に、王家はどのような制度・価値・経済を提示できるか」にあります。家門の柔軟性と制度化、開放と統制のバランスが、その答えを形づくるでしょう。