ザカフカース(露:Закавказье、英:Transcaucasia/South Caucasus)は、黒海とカスピ海に挟まれた大コーカサス山脈の南側一帯を指す歴史地理用語です。今日の国名で言えば、アゼルバイジャン共和国、アルメニア共和国、ジョージア(グルジア)共和国の三国を中心に、その周辺の山間・盆地・沿岸地域を含む広がりをもちます。ロシア語由来の呼称が示す通り、この語には「ロシアから見て〈コーカサスの向こう側〉」という視線が埋め込まれており、帝政ロシアとソ連期の行政・軍政の語彙として広く用いられました。近年の国際研究や現地では、より中立的な「南コーカサス(South Caucasus)」の呼称が好まれます。本稿では、地理と社会の輪郭、近代国境の形成、帝政期・革命期・ソ連期の制度、独立後の政治と紛争、エネルギー回廊と交通、文化の多様性、用語上の留意点を、歴史の流れに沿って整理します。
名称・範囲・地理:山脈に切られた回廊と盆地
ザカフカースは、北を連なる大コーカサス山脈、西を黒海、東をカスピ海、南をアナトリア高原とイラン高原に縁取られた「閉じたが通い合う」地域です。気候は黒海側の湿潤沿岸から、山間の寒冷帯、アララト平原やクライ(クラク)低地の乾燥地まで多彩で、標高差が短距離で劇的に変化します。コリジ平原(ジョージア西部)やカラバフ高地、アララト平原(アルメニア)などの農耕地は古代以来の定住核であり、カフカース門(ダリエル峡谷)やスラミ峠、リヒ山脈越えなどの峠は、人や物資の回廊でした。
民族と言語は極めて多様です。南コーカサス固有のカルトヴェリ語族(ジョージア語・メグレル語・スワン語)に、インド・ヨーロッパ語派のアルメニア語、テュルク語派のアゼルバイジャン語(アゼル語)が並び、北東山地や国境付近にはレズギ人・タリシュ人・アヴァール人などコーカサス諸語・イラン系諸語を話す集団が点在します。宗教も、東方正教(主にジョージア)、使徒教会(アルメニア使徒教会)、イスラーム(アゼルバイジャンのシーア派多数・スンナ派少数)を中心に、ユダヤ教・ヤズディ教・カトリック・プロテスタントなどが複層的に共存してきました。
帝国と国境:ロシア・ペルシア・オスマンの三角関係
近代的な国境線の多くは、19世紀の帝国間戦争によって引かれました。18世紀後半から帝政ロシアは黒海・カスピ海へ勢力を伸ばし、南コーカサスのハン国(バクー、シェキ、カラバフ、エリヴァン等)や公国(イメレティ、グリア、ミングレリア等)に保護・併合を進めます。ペルシア(カージャール朝)との戦争は、講和条約によって段階的に北境を押し上げました。一般に、1813年のグリスタン条約で東部の多数のハン国がロシアに割譲され、1828年のトルコマンチャーイ条約でエリヴァン・ナヒチェヴァンがロシア領となります。オスマン帝国との戦争では、1829年のアドリアノープル条約、1878年のベルリン体制のもとで、バトゥミ・カルスやアジャリア沿岸などが争奪の対象となりました。
この過程で、ロシアはザカフカース総督区やコーカサス総督区を設け、チフリス(現トビリシ)を行政中心に据えます。ガバルナ(知事管区)やウエズド(郡)といった行政区分が整備され、鉄道・軍道の建設、軍事植民と都市化、鉱工業(特にバクー油田、チアトゥラのマンガン)が進みました。宗教共同体ごとの法的地位(ミッレト)や自治の慣行は帝国内で一定の枠組みに収められ、民族・宗教・身分の諸境界が固定化されていきます。一方、戦争と条約に伴う住民移動—アルメニア人の移住、ムスリム(トルコ語話者やアジャール人など)の移出—が地域の人口構成を大きく揺さぶりました。
19世紀末から20世紀初頭には、石油都市バクーの労働運動や民族間暴力(1905年前後のアルメニア人とアゼル人の衝突)も発生し、産業化と民族政治の緊張が噴出します。第一次世界大戦・ロシア革命の激動は、既存の秩序を根底から揺るがしました。
革命・短命連邦・ソ連化:1917–1936の再編
1917年の帝政崩壊後、ザカフカースではチフリスに設けられた委員会・セイムが統治を試み、1918年春には「ザカフカース民主連邦共和国」が一時的に成立します。これはジョージア・アルメニア・アゼルバイジャンの連合国家でしたが、対外関係(オスマン帝国との講和や独自の利害)と国内政治の相違から、わずか数か月で瓦解し、三国はそれぞれ独立共和国を宣言しました。
しかし、第一次大戦終結と内戦の余波のなかで、三国はいずれも赤軍の進出とボリシェヴィキの政権掌握を受け、1920–21年にかけてソヴィエト共和国へと再編されます。1922年にはロシア・ウクライナ・ベラルーシとともに「ソ連(USSR)」が結成され、南コーカサスの三共和国は「ザカフカース連邦ソヴィエト社会主義共和国(ZSFSR)」として連邦内の一単位にまとめられました。この連邦は1936年の憲法改正で廃止され、ジョージアSSR・アルメニアSSR・アゼルバイジャンSSRの三加盟共和国がそれぞれ直接ソ連に編入される形に改められます。
国境線の内側には、自治共和国・自治州・自治管区が設定され、ナゴルノ・カラバフ自治州(アゼルバイジャン内)、アジャリア自治共和国(ジョージア内)、南オセティア自治州(ジョージア内)などが制度化されました。これは民族・宗教・歴史の複雑性を行政的に織り込む試みでしたが、同時に後世の紛争の火種となる「境界の線引き」でもありました。
ソ連期の社会経済:油田・合金・ワイン—相互依存の分業
ソ連期のザカフカースは、計画経済のもとで明確な地域分業を担いました。アゼルバイジャンはバクー油田と石油精製、石化・機械製造の拠点として、アルメニアは機械・電子・化学、発電と工学研究、ジョージアはマンガン・合金・電力、茶・柑橘・ブドウ栽培とワイン醸造、観光(黒海沿岸の保養・温泉)などに特化しました。教育・医療・住宅の社会的インフラが拡充され、都市化率は大きく上昇します。
一方で、計画配分に依存した産業構造、環境汚染(油田・鉱山・河川)、移動と就労の行政管理は、独立後の市場化と国境管理の転換で大きなストレスに晒されます。民族間の接触は統合的な側面も持ちましたが、表現されない不満や歴史認識の差異は、政治的開放の時期に噴出する素地を秘めていました。
独立後の政治と紛争:境界・帰属・安全保障
1991年のソ連解体により、三共和国は独立国家となりました。同時に、ソ連期の自治境界をめぐる紛争が顕在化します。アゼルバイジャンとアルメニアの間ではナゴルノ・カラバフを焦点とする武力紛争が発生し、停戦と対立の循環が続きました。ジョージアではアブハジアと南オセティアをめぐって武力衝突・分離の既成事実化が進み、国家の領土保全と地域の自決の間で困難な政治状況が続きます。これらの問題は、域内の安全保障配置(ロシア、トルコ、イラン、欧米の関与)や国際法、難民・避難民の扱い、復興と和解プロセスの設計など、多層の課題を孕みます。
政治制度の面では、三国はいずれも議会制と大統領制の組み合わせを模索しつつ、政党システム・選挙管理・司法の独立・メディア環境などで独自の歩みを示しました。経済改革は、国営企業の民営化、通貨の導入、外資の誘致、ディアスポラからの送金・投資などを通じて進みますが、内戦・封鎖・国境摩擦はしばしば成長の足かせとなりました。
エネルギーと回廊:黒海・カスピ海を結ぶ新しいシルクロード
南コーカサスは21世紀、ユーラシア交通の「橋」として再注目されています。カスピ海東岸の中央アジアと欧州を結ぶ「中間回廊(トランス・カスピ・ルート)」の要衝として、鉄道・道路・港湾の近代化が進み、バクー—トビリシ—カルス(BTK)鉄道、黒海・カスピ海のフェリー網、自由経済区・物流ハブの整備が加速しました。エネルギー面では、カスピ海沿岸の油・ガスを地中海・欧州へ送るパイプライン網(代表例として、バクー—トビリシ—ジェイハン〈BTC〉原油パイプライン、南コーカサス・パイプライン〈SCP〉、さらにその西方延伸と接続)が、地域経済に輸送収入と投資をもたらし、地政学的な重みを高めました。
これらの回廊は、単なるインフラではありません。関税・検疫・通関の調和、投資のガバナンス、環境・文化遺産への配慮、国境を跨ぐ安全保障(破壊行為対策・サイバー防衛)など、制度的協調を要する「政治的インフラ」でもあります。成功は、近隣大国(ロシア・トルコ・イラン)とEU・米国・中央アジアの利害調整に左右されます。
社会文化の多様性:文字・音楽・食・ディアスポラ
ザカフカースの文化は、文字と宗教、音楽と食の層で見ると輪郭が鮮明になります。アルメニアは独自のアルファベットと使徒教会の伝統が民族共同体の骨格を成し、写本文化と石造十字架(ハチュカル)が景観を形づくります。ジョージアは多文字体(アソムタヴルリ/ムフフルリ/ムヘドルリ)と東方正教、山岳の多声合唱、ワインのクヴェヴリ醸造が有名です。アゼルバイジャンはテュルク系の言語と音楽(ムガーム)、絨毯織りと都市バクーの石造建築、シーア派の宗教儀礼などが織り合わさります。共通の食文化として、ハチャプリ(チーズパン)、ハルバ、シャシリク(串焼き)、ドルマ(詰め物)、ハーブ豊かなスープやピラフ、葡萄とナッツの菓子チュルチヘラなどが広く親しまれます。
ディアスポラは、地域の政治経済に大きな影響を与えてきました。アルメニア人・アゼルバイジャン人・ジョージア人の移民共同体は、送金・投資・ロビー活動・文化活動を通じて母国と深く結びつき、戦争・自然災害・経済危機のときには支援のネットワークとして機能します。文学・映画・現代アートは、記憶と移動、境界とアイデンティティのテーマを通じて、ザカフカースの複雑さを世界に発信しています。
用語と視点の注意:誰の地図か、どの時間軸か
「ザカフカース」という語の便利さと同時に、視点のバイアスにも注意が必要です。これはあくまでロシア帝国・ソ連の行政語彙に根ざした呼称で、地域自身の自己理解(アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアの固有史)を一括するラベルになりがちです。国際関係や歴史叙述では、中立的に「南コーカサス」と呼ぶことで、誰の地図から語っているのかを自覚する助けになります。また、19世紀の戦争と条約で引かれた国境は、古代中世の文化圏とは一致しません。古代のコルキス・イベリア・アルメニア王国、サーサーン朝やビザンツ、アラブ・セルジューク・モンゴルの時代を経て、現代の国境が形作られたことを、時間軸の重なりとして理解することが重要です。
さらに、紛争や歴史認識の争いに触れる際は、各当事者の法的主張・歴史資料・人口移動の事実・人道的帰結を分けて検討し、単純な善悪や民族本質主義に回収しない姿勢が求められます。ザカフカースは、境界と共存、移動と定住の折り重なる場であり、その複雑さこそが地域の力でもあります。
小括:山脈が隔て、回廊がつなぐ—南コーカサスを読み解く鍵
ザカフカース/南コーカサスは、山岳が生む隔たりと峠・海峡が開く通路、その二つがせめぎ合う場所です。帝国の境界が動くたびに国境線と住民構成が変わり、石油と金属、葡萄と羊、修道院とモスク、絨毯と写本が同じ地平に並びます。19世紀の帝国競合が国境を定め、20世紀の革命と計画経済が社会を再編し、21世紀の回廊とエネルギーが新しい地政学を生みました。用語の背景に潜む視線を意識しつつ、この地域を〈閉じたが通い合う世界〉として眺めると、ニュースの断片—パイプラインの新線、関係正常化、観光地の登録、和平交渉の難航—が立体的につながって見えてきます。山脈が隔て、回廊がつなぐ。ザカフカースを理解するとは、その力学を手触りのある具体で追うことなのです。

