サルデス(サルディス) – 世界史用語集

「サルデス(サルディス)」は、小アジア西部のエルムス川(現ゲディズ川)上流域に位置し、古代リュディア王国の首都として栄えた都市です。金を含むパクトロス川の砂金と、山地と平野の結節という地理条件を生かして、交易・軍事・文化の中心となりました。クロイソス王の富と貨幣制度の整備、キュロス2世によるアケメネス朝の征服、ペルシア王道(ロイヤル・ロード)の西端拠点、アレクサンドロス大王の進軍、ローマ帝政期の繁栄と地震からの再建、そして後代には『ヨハネ黙示録』に名が挙がるアジアの七教会の一つとしての宗教史的意義など、多層の歴史が折り重なっています。要するに、サルデスは「金と道が作った首都」であり、金融・軍事・宗教の交差点として古代西アジア・地中海世界のダイナミズムを体現した都市です。以下では、地理と都市構造、リュディア王国と貨幣の誕生、ペルシア・ヘレニズム・ローマ期の展開、宗教・社会と考古学の成果の順に、分かりやすく解説します。

スポンサーリンク

地理・都市構造と戦略的位置

サルデスは、トモルス山(現ボズ山)から流れ出る支流がエルムス川盆地に開く扇状地の縁に位置します。城塞(アクロポリス)は急峻な砂岩・泥岩の台地上に築かれ、南面・西面は切り立った崖に守られていました。城下にはパクトロス川が流れ、その砂金が古来より採取され、冶金・鋳造の拠点が形成されました。山地の鉱物資源から平原の穀物・家畜へ、そして西方のスミュルナ(イズミル)やエフェソスの港へとつながる交通の結節点に位置したことが、都市成長の根本要因です。

街路は山麓から平野へ扇状に延び、職能集住の区画が確認されています。城内外には神殿区・王宮区・市場(アゴラ)が分化し、郊外には大アルテミス神殿、後代の浴場・体育館、スタディアムなどが並びました。脆い地質はしばしば崖崩れを招き、城塞の崩落伝承や包囲戦の弱点としても記憶されましたが、同時に外敵の攻城を難しくする自然の要害でもありました。

周辺の道路網は、後に「ペルシア王道」と呼ばれる幹線に接続しました。サルデスはその西端の起点・終点として機能し、東方のスサ、さらにエクバタナやペルセポリスへと連絡が伸びました。駅逓制(驛伝)や王用の伝令制度は、行政・軍事の速度を飛躍させ、サルデスを「帝国通信の玄関口」としました。これにより、物資・情報・人員が周期的に流入し、商業と金融の発達を後押ししました。

リュディア王国と貨幣の誕生――クロイソスの富と制度の革新

リュディア王国は前7~前6世紀に小アジア西部を支配し、サルデスを首都としました。前7世紀にはキンメリオイの侵入で一時打撃を受けますが、王アリュアッテスの下で再建され、続くクロイソス王の時代に最盛期を迎えます。クロイソスはアナトリア西岸のギリシア都市(イオニア)に対して覇権を確立し、外交と贈与で関係を調整しました。彼の名は「きわめて富むこと」の代名詞となり、サルデスの財政・工芸・貿易の厚みを象徴します。

この時期、サルデスで画期的だったのが貨幣制度の整備です。前7世紀末~前6世紀初頭、エレクトラム(自然金銀合金)の鋳造貨が現れ、重量・品位の標準化が進みました。クロイソス期には金貨・銀貨が分離され、品質の均一化が図られます。これにより、高価な交易や兵士・職人への支払い、神殿への奉納が計量可能な単位で流通するようになり、税の徵収と国家財政が飛躍的に効率化しました。サルデスは文字通り「貨幣の都」となり、アナトリアからエーゲ海世界へと貨幣経済が浸透する起点の一つになりました。

金の供給を支えたのがパクトロス川の砂金です。伝承ではミダス王が河で身を清めたため金が流れるようになったと語られますが、現実には上流の鉱床と流水の淘汰作用が質の高い砂金をもたらしました。製錬技術や精錬施設、度量衡の管理は王権の直轄とされ、貨幣鋳造の権威づけに寄与しました。サルデスの貨幣にはライオンや牡牛などの印章図像が刻まれ、王権と地域アイデンティティが可視化されます。

軍事・外交面では、クロイソスは内陸のフリュギア・カッパドキア方面、エーゲ海岸のギリシア諸都市、さらには東方のメディア・ペルシアと複雑な関係を結びました。神託で名高いデルポイに贈与を行い、宗教的正統性の獲得にも意を用いましたが、東方で台頭したペルシアのキュロス2世との戦争に敗れ、サルデスは前546年頃に陥落します。

ペルシア・ヘレニズム・ローマ期の展開――「帝国の玄関口」としての再生

キュロス2世による征服後、サルデスはアケメネス朝のサトラペイア(州)首府となり、ペルシア王道の西端拠点として再編されました。王の命令は駅逓制で迅速に運ばれ、王都からの監査官・徴税官が常時往来します。498年のイオニア反乱では、アテナイ軍がサルデス郊外に侵入・放火し、市街の大部分が焼失しました。この事件はダレイオス1世の対ギリシア遠征(マラトン)に連なる連鎖の起点の一つとなり、サルデスは地中海史の「引き金」としても記憶されます。

前334年、アレクサンドロス大王が小アジアに上陸すると、サルデスは戦わずして投降し、城砦と財庫が彼に引き渡されました。以後、サルデスはヘレニズム世界の中核都市の一つとして、セレウコス朝、ついでアッタロス朝ペルガモンの支配を経ます。都市の計画・建築はギリシア的な様式が強まり、劇場・体育館・列柱道が整備されました。貨幣鋳造は継続し、地方都市としての自治的機能も維持されました。

前133年、ペルガモン王アッタロス3世の遺詔によりアジア州がローマに遺贈されると、サルデスはローマ属州アシアの有力都市として再編されます。ローマ期には、行政・司法の拠点、交易の中継地として繁栄し、とくに皇帝ティベリウスの治世(西暦17年)に大地震で壊滅的被害を受けた際には、帝国からの免税・援助で迅速な再建が進められました。都市の浴場・体育館複合、広壮なアゴラ、列柱廊はこの時期の繁栄を物語ります。

後期ローマ~ビザンツ期には、サルデスは行政区の中心であり続けましたが、政治地図の変動、地震被害、河川の堆積による地勢の変化などで、徐々に重心を失っていきます。とはいえ、宗教・社会の面では重要な役割を保ち、都市の多層的なアイデンティティが重ね書きされました。

宗教・社会・考古学――七教会の一つと大シナゴーグ、アルテミス神殿

宗教史では、サルデスは『ヨハネ黙示録』に挙げられるアジアの七教会の一つとして知られます。これは都市に早期のキリスト教共同体が存在し、司教区の拠点であったことを示します。同時に、ローマ末期~ビザンツ初期の大規模なシナゴーグ遺構が発見され、ユダヤ人共同体の繁栄が確認されています。シナゴーグは浴場・体育館複合に隣接し、華やかなモザイク・寄進銘・大理石装飾を備え、地中海東部最大級の規模を誇ります。これは、都市の多宗教的共存と、ディアスポラ社会の富とネットワークを物語ります。

異教宗教の中心としては、アルテミス大神殿が挙げられます。ヘレニズム~ローマ期に段階的に建設されたこの巨大神殿は、柱頭の意匠や基壇の規模から、エフェソスのアルテミス神殿と並び賞される壮麗さを示します。完成には至らなかった部分もありますが、都市の宗教的威信と建設技術の高さを伝える象徴的存在です。神殿区からは奉納品や祭祀用具が出土し、都市の宗教経済(神殿財・寄進・祭礼経費)を復元する手がかりになります。

社会史の面では、貨幣鋳造に関わる職人、染色・織物・皮革といった手工業者、交易商人、神殿と行政の書記、農牧の担い手が分業を形成しました。サルデスの名は染色技術や織物にも結びつけられ、地域ブランドとして流通した可能性があります。王道の西端という地の利は、キャラバンと海運をつなぎ、地中海・メソポタミア・イラン世界のモノと人と情報を交差させました。

考古学的には、20世紀後半から継続する発掘・保存事業により、リュディア時代の土木・冶金遺構、城壁、住居跡、ローマ期の浴場・体育館複合、大シナゴーグ、アルテミス神殿、墓域などが体系的に調査されました。冶金の炉壁・るつぼ・スラグの分析は金属精錬の工程を復元し、貨幣の品位管理や王権の工房統制に関する理解を深めています。地震痕跡の層序は災害史の復元に資し、再建の速度と帝国の支援の実態を示します。モザイクや碑文、寄進銘は、寄進者の名前・職能・出身地を明らかにし、都市の社会ネットワークを可視化します。

また、アクロポリスの急斜面からは、前546年のペルシア包囲戦に関連づけられる伝承に響き合う崖際の通路や崩落痕が確認され、地形と軍事史の関係が具体的に検討されています。イオニア反乱に関わる層では焼土と破壊痕が見つかり、文献史料を物質文化で裏づける事例となりました。こうした成果は、サルデスが単なる伝説の舞台ではなく、制度・経済・宗教が交差する生きた都市であったことを実証的に示しています。

サルデスをめぐる論点――貨幣の起源、王道の実像、都市の多層性

研究上の論点としては、第一に「貨幣の起源」の問題があります。エレクトラム貨がリュディアで最初に制度化されたのか、あるいはイオニア諸都市と並行的に発達したのか、品位・重量標準の差異から議論が続いています。クロイソス期の金銀分離(いわゆるクロイセイド貨)の意義についても、税・兵站・外交贈与の比重をどう評価するかで見解が分かれます。

第二に、ペルシア王道の実像です。駅逓制の距離・宿駅の配置・伝令の速度などは、ヘロドトスの叙述と考古学の照合から復元が進みますが、季節・地形・政治状況によるルート変更や複数経路の併存も考慮する必要があります。サルデスが「終点」であると同時に、エーゲ海岸の複数港湾・内陸路と結節する「分岐点」であったことをどうモデル化するかが課題です。

第三に、宗教・社会の多層性の評価です。キリスト教共同体と大シナゴーグ、アルテミス神殿という異なる宗教空間が、どのように時間的・空間的に共存したのか、寄進者ネットワークと職能集住、言語(ギリシア語・ラテン語・ヘブライ語)の併存など、具体的なデータに基づく統合的理解が進んでいます。災害後の再建における帝国援助の配分、地方エリートの役割、移住と帰化の動態も、碑文史料から読み解かれつつあります。

総じて、サルデスは「金」「道」「神」をキーワードに、多文明の力学が凝縮した都市でした。パクトロスの砂金が貨幣と財政を生み、王道が行政と軍事を支え、神殿と会堂と教会が社会的連帯と競合の場を提供しました。発掘と分析の進展により、クロイソスの伝説やヘロドトスの物語は、物質文化のディテールと結びつけて立体化されつつあります。サルデスを学ぶことは、古代の国家運営と都市の持続、貨幣と権力、宗教的共存の条件という普遍的なテーマを具体的に考える入口となるのです。