「アジアの三角貿易」とは、近世から近代初頭にかけてインド洋・南シナ海・東アジアを舞台に、三つの地域(しばしば「生産地A—中継地B—需要地C」)を結ぶ形で商品・貨幣・人・情報が循環した取引モデルの総称です。大西洋の三角貿易(欧—アフリカ—アメリカ)のように単一の標準型があるわけではなく、時代・国・商品ごとに複数の三角が重なっていました。代表例として、(1)インド綿布—東南アジア香料—中国銀・茶のトライアングル、(2)清の茶・絹—インドの阿片—英国の銀(のち金)・工業製品という「英・印・清」三角、(3)日本—中国—東南アジアの長崎・広州・バタヴィア(ジャカルタ)を結ぶ唐物・金銀銅の三角、(4)アラブ・インド・東アフリカを結ぶインド洋西域の三角、などが挙げられます。要点は、異なる貨幣体系と需要構造をつなぎ合わせるために、三辺の不等価交換を組み合わせ、全体として利潤が出るように設計されていたことです。以下では、概念の整理と基本構造、主要な三角モデル、制度と金融の仕掛け、社会・国家への影響と論点を、できるだけ分かりやすく解説します。
概念と基本構造――「三角」は地理だけでなく機能を示す
アジアの三角貿易は、しばしば「地図上の三角形」として描かれますが、本質は機能の三角形にあります。すなわち、〈換金性の高い一次商品〉、〈加工や再輸出で利幅を生む結節港〉、〈最終消費市場〉が役割分担をし、それぞれに異なる通貨・度量衡・課税・需要季節をもつため、直接双方向では決済が難しい取引を第三点を介して清算する仕組みです。モンスーン(季節風)に従った航海暦、複数の貨幣(銀・銅銭・金・貝貨・手形)、複合的な担い手(ムスリム商人・ヴェネツィア商人の後裔・インド商人(バニヤ、チェッティ)、華僑(福建・潮州・客家)・日本の町人・オランダ東インド会社(VOC)・英東インド会社(EIC)・在地王権の徴税人)がつくるネットワークは、同じ「三角」でも中身を大きく変えました。
三角の成立には、価格差・貨幣の流動性・輸送コストのバランスが決定的です。たとえばインド綿布は東南アジア・アフリカで高く売れ、中国茶は欧州で高値、銀は明清中国で強い購買力を持つ――といった「価格の地理的非対称性」を、海運と金融が橋渡しします。さらに、三角は固定ではなく、戦争・政権交代・関税・独占特許・海賊取締り・疫病・新作物の普及などによって常に再編されました。したがって「アジアの三角貿易」は、複数の三角が時代ごとに現れては消える「動的な群像」と理解するのが適切です。
主要モデルの具体像――いくつもの三角が重なり合う
① インド綿布—東南アジア香料—中国銀・茶の三角
16~18世紀、インドのグジャラート・コロマンデル・ベンガルで織られた綿布(キャリコ、モスリン、チンツ)は、耐久性と染色の鮮やかさで東南アジア・アフリカ市場で圧倒的な人気を誇りました。オランダVOCやインド商人は、この綿布を持ってモルッカ・バンダ・マルク諸島などの香料諸島へ赴き、ナツメグ・メース・クローブ(丁子)と交換しました。香料は欧州に高値で売れますが、同時に中国でも需要があり、綿布と香料の複合貨物を携えて中国港(明末清初の泉州・厦門、のち広州)へ向かい、そこで生糸・絹織物・茶と交換、代金決済にはメキシコ・ペルーの銀(スペイン・ドル)や日本銀も流入しました。こうして〈インド織物→香料→中国の絹・茶→銀〉という「価値の階段」を上る三角が機能しました。
② 英・印・清の三角――茶と阿片と工業製品
18世紀末~19世紀前半、英国は中国茶の輸入により銀が流出する赤字に悩みました。解決策として、英東インド会社はインド(ベンガル・ビハール)で栽培加工した阿片を広東沿海で密輸し、阿片売上げを広州の茶・絹・磁器の決済に充当する三角を構築します。すなわち、〈英国の工業製品・インドの統治収入→インドの阿片→中国での販売→茶を購入→英国へ〉という流れです。これは中国社会に深刻な影響を与え、清朝は禁煙令と摘発を強化、1839年の林則徐による阿片押収を契機にアヘン戦争(1840–42)へと至ります。戦後は条約港・協定関税・最恵国待遇の体制が組み込まれ、香港・上海などを節点に三角は制度化されました。
③ 日本—中国—東南アジアの三角――長崎・広州・バタヴィアをむすぶ唐物と金銀銅
江戸前期、日本は良質の銀(石見銀山など)と銅を産し、絹・生糸・砂糖・薬種・唐物雑貨を入れるために長崎から中国・東南アジア交易に参加しました。対中は明末の海禁緩和後、清の広東体制で公行商を介した取引へ移り、対蘭は出島経由でVOCが日本銅を大量に集荷し、バタヴィアでの地域間取引に転用しました。具体的には、〈日本の銀・銅→バタヴィアでのインド綿布・スパイス購入→広州・長崎での唐物・生糸と交換→日本で販売〉、あるいは〈日本銅→東南アジアの銅銭需要(交易銭)→米・砂糖・胡椒→中国での再販売〉といった多様な三角が重なりました。金銀の輸出規制や正徳新令などの政策は、三角のバランスに敏感に反応しました。
④ インド洋西域の三角――アラブ・インド・東アフリカ
紅海・ペルシア湾・東アフリカ沿岸(スワヒリ都市)では、より古い時代から三角的な循環が見られます。アラブ商人はインドの綿布・香辛料・ガラス玉を東アフリカにもたらし、代わりに象牙・金・香木(没薬・乳香)・奴隷を積み、紅海・中東へ回送しました。ここで得た銀・銅・織物は再びインドに向かいます。ポルトガルが航路を制圧した16世紀以降も、在地商人のネットワークはしたたかに生き延び、オマーンのザンジバル政権期にはクローブ・サトウキビのプランテーションと結びついて、〈インド布→アフリカ人・象牙→アラブ経由の中東・インド〉という三角が持続しました。
制度・金融・物流の仕掛け――会社・特許・倉庫証券・手形
アジアの三角を動かしたのは、船とモンスーンだけではありません。第一に、国家の独占特許(チャーター)と特許会社(VOC・EIC・デンマーク東インド会社など)が、拠点港(バタヴィア、マドラス、カルカッタ、広州のファクトリー、長崎出島)に商館・倉庫・裁判権を整え、関税・通行税・停泊料を制度化しました。第二に、在地政権(ムガル、マラータ、トンキン・コーチシナ、アユタヤ、呉広東総督)との「二重主権」の交渉が、許認可と保護、徴税請負のネットワークを形づくりました。第三に、金融上は為替手形(ビル・オブ・エクスチェンジ)、海上保険、共同出資の会計、貨物担保(ボトムリー)、倉庫証券(ウォーラント)などが駆使され、港をまたぐ清算を可能にしました。
貨幣の面では、銀(特にメキシコ銀のドル=本洋銀・西洋銀)が広域の通用貨として強い力を持ち、中国・日本・東南アジアでは銅銭・秤量銀・銀貨が併存しました。中国の茶・絹・陶磁は銀価格を引き上げ、日本の金銀比価は欧亜間の裁定取引(アービトラージ)を誘発しました。華僑・インド商人・アルメニア商人・ユダヤ商人は、親族・同郷ネットワークを信用の担保に使い、難解な複式帳簿、互助・仲裁、貨物の分散投資でリスクを管理しました。
物流は、モンスーン航海術(往路・復路の季節窓)、外洋帆船(ガレオン、フルーク、インドのダウ)、沿岸船の接続、補給港(マスカット、ホルムズ、ゴア、セイロン、ペナン、マラッカ、バタヴィア、マカオ、厦門、広州、長崎)、食料と水の積み替え、疫病と検疫、海賊・私掠対策(護送船団、砲門の装備)といった層で運用されました。三角は、航海暦・港湾インフラ・保管設備・裁判手続・言語仲介(通詞)という見えない装置と一体でした。
影響と論点――価格革命から帝国の拡大、地域社会の変容まで
アジアの三角貿易は、世界経済と地域社会の双方に長い影響を与えました。第一に、銀の大循環は東アジアの貨幣経済を加速し、地租の銀納化や商品作物の拡大(茶・桑蚕・砂糖・綿)が農村社会を変えました。第二に、香料・砂糖・茶・陶磁のブームは、欧州の消費革命を押し上げ、都市の喫茶文化や陶磁器産業(デルフト、マイセン、日本の伊万里・柿右衛門)に火をつけました。第三に、会社勢力の軍事化(VOCのバンダ島住民移送、EICのベンガル支配)は、三角の結節が植民地支配の足場へ転化する過程を示し、19世紀の帝国拡張を準備しました。
地域社会への影響も多層です。東南アジアでは、胡椒・砂糖・錫・鳥の巣・海産物などの採取・栽培が輸出向けに再編され、移住(中国南部からの商人・労働者、インドの契約移民)が民族構成と都市空間を変えました。日本では、銅の輸出と絹・砂糖の輸入が国内の産業構造と消費文化(甘味、薬種、唐物)を再設計し、貨幣・両替・手形の技術進化を促しました。中国では、対外銀流入—対内阿片流入—対外茶輸出という非対称が、財政・治安・公衆衛生・外交を長期に圧迫しました。
研究上の論点としては、(1)「三角」という図式化が実態の多角ネットワークを単純化しすぎる危険(実務は四角形・星形・環状が普通)、(2)在地商人の主体性の評価(会社史中心史観の修正)、(3)暴力・強制・独占の度合い(香料諸島での移住・強制労働、阿片貿易の倫理性、銅・銀の採掘と環境負荷)、(4)貨幣・価格の連鎖(東西の金銀比価、銀荒の波及)、(5)文化の創造(クレオール料理・茶文化・陶磁意匠の移植)などが挙げられます。とくに阿片を含む「英・印・清」三角の評価は、国際法・倫理・経済の交差点として議論が続いています。
最後に、「三角貿易(アジア)」を学ぶ意義は、歴史のなかのグローバル・サプライチェーンの構造を可視化することにあります。為替と保険、倉庫と検疫、通詞と仲介、港湾と課税――これらの地味な装置が、距離と制度の差を埋め、価格差の裁定で利潤が生まれるメカニズムを支えました。現代の物流・通貨・FTA・港湾投資を理解する際にも、アジアの三角が提供する「結節と回廊」の視点は有効です。単純な三角形の図よりも、時系列と空間スケールを伸縮させながら、幾つもの三角が重ね書きされたネットワークとして捉える――それが、このテーマを深く理解する近道です。

