「第二次産業革命」とは、19世紀後半から20世紀初頭(おおむね1870年代~1914年)にかけて、電力・化学・石油・鋼鉄・通信・内燃機関といった新しい基幹技術が束になって進んだ変革を指す呼称です。第一次産業革命(蒸気・綿工業・石炭・鉄・鉄道)がつくった工場と市場の地平の上に、研究所と企業、国家と金融が密接に連動し、「組織化された発明」と大量生産・大量消費の回路が整えられました。家庭に電灯がともり、都市に電車が走り、電話や無線が距離を縮め、化学肥料と医薬が農業と健康を支え、自動車と飛行機が移動の概念を塗り替えました。格差や帝国主義の加速、労働と生活の再編、科学と資本の結びつきという影の側面もまた、この時代の重要な顔です。以下では、技術の中核、制度と組織の変化、インフラと市場、各地域の特色、社会・文化・環境への影響、研究上の論点を分かりやすく整理します。
技術の中核――電気・化学・石油・鋼鉄・通信・輸送
第二次産業革命の象徴は電気です。直流/交流の競争を経て発電・送電・電動機のシステムが普及し、工場動力は軸から個別モーターへ、都市はガス灯から白熱灯へと移行しました。動力の柔軟化は工場レイアウトを自由にし、夜間生産や地下作業、エレベーター・トラム(路面電車)・地下鉄など新しい都市機能を可能にしました。
化学工業は合成染料(アニリン染料)に始まり、硫酸・ソーダ灰・窒素肥料(ハーバー=ボッシュ法)、爆薬(ダイナマイト)、医薬(アスピリン・消毒剤)、写真材料、合成樹脂へと広がります。研究室での反応式が工場スケールで再現され、化学者・技師・経営者が一体化しました。農業では化学肥料が収量を押し上げ、食料の季節変動が緩和されます。
石油と内燃機関は移動と戦争を一変させました。ガソリンエンジン(オットー、ダイムラー、ベンツ)とディーゼルエンジンは自動車・トラック・潜水艦・航空機の基盤となり、車体・道路・タイヤ・潤滑油・サービス網の巨大産業を派生させます。石油精製は灯油からガソリン・軽油へ重心を移し、油田開発とパイプライン、タンカーのグローバル・ロジスティクスが組み上がりました。
金属材料では、ベッセマー法を継ぐ平炉・転炉・電炉、合金鋼の開発がレール・橋梁・船舶・兵器・機械の性能を更新しました。リベットと鋼のフレームは高層建築を可能にし、都市のスカイラインを変えます。
通信の革命も決定的でした。海底電信ケーブル網が世界を分単位で結び、のちに電話・無線が加入します。価格情報・軍令・報道が高速に同期し、世界市場と帝国の統治コストが劇的に下がりました。
制度と組織――研究所・大企業・国家の「三位一体」
第一次産業革命が現場の熟練と発明家の工夫に支えられたのに対し、第二次では研究開発(R&D)が企業活動の中枢に据えられます。大学と企業のあいだに研究所が立ち上がり、博士号を持つ化学者・電気技師が常勤で働き、特許・標準化・品質管理を武器に市場を制覇しました。独のバーディッシェ・アニリン、ヘキスト、バイエルなどの化学コンツェルン、米のGE、AT&T、ウェスティングハウス、フォード、USスチールなどは、研究・生産・販売・金融を垂直統合しました。
経営技術も高度化します。分権的工場から多工場連結へ、複式帳簿からコスト会計・標準原価へ、現場ではテイラーの科学的管理法が時間研究と動作分析で生産性を押し上げ、フォードは移動組立ラインと部品の互換性で「T型フォード」の大量生産・低価格化を実現しました。それに呼応して、広告・ブランディング・小売網(百貨店・チェーンストア)が消費を掘り起こします。
国家は規制者であると同時に推進者でした。関税政策・補助金・軍需契約・教育制度で産業を育成し、戦時には統制経済を実験します。労働法の整備、独占禁止法や証券取引規制、標準時と度量衡の統一、電力・通信の公共性をめぐる法制度は、技術と市場の速度に国家を接続する枠でした。
インフラと市場――都市の電化、輸送革命、消費社会の芽生え
都市は電灯・電車・上下水道・電話交換台・ごみ収集のネットワークとして再設計されました。夜間の明るさは工場・劇場・商店を長時間営業へ誘い、冷蔵技術は食品流通の地理を広げます。鉄道は幹線の大動脈として残りつつ、周辺では電気鉄道が通勤圏を拡張し、郊外住宅地と中心商業地を結合させました。港湾ではクレーン・サイロ・冷蔵倉庫が標準化され、海運は定期航路と巨大汽船で信頼性を高めます。
家庭に目を転じると、縫製機械、電気アイロン、掃除機、冷蔵庫(初期は氷式、のち電化)、石鹸・染料・医薬・化粧品など、化学の産物が生活の質を変えました。カタログ通販と分割払いが普及し、広告は欲望とライフスタイルを言語化します。ここに「大量生産—大量販売—大量広告—大量消費」の回路が芽生え、20世紀の消費社会へつながっていきました。
各地域の特色――ドイツ・アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・日本
ドイツは化学・電機で圧倒的でした。大学と工業学校、企業研究所の連携、銀行(ユニバーサルバンク)の長期融資、関税同盟の広域市場が相乗しました。ジーメンスやAEGの電化、バーディッシェ・アニリン等の染料は世界標準を作り、国家は軍需と教育で後押ししました。
アメリカは広域市場と資源、起業金融が強みで、システム化された大量生産と経営管理で先行しました。電話・電力・石油・自動車・農業機械で巨大企業が登場し、標準化とスケールが競争力の源泉となります。広告・メディア・娯楽産業は国内外へ「アメリカ的消費文化」を拡散しました。
イギリスは先発の強み(機械・造船・金融・海運)を保ちつつ、化学・電機では独米に主導権を譲りました。シティの金融、海運・保険・法制度は依然として世界経済の潤滑油であり、帝国市場が産業基盤を支えました。
フランスは電力と化学で独自の集積を形成し、繊維・高級機械・自動車(プジョー、ルノー)で存在感を保ちました。国立工科系教育とエンジニア官僚制が、インフラ整備と産業政策の柱でした。
ロシアは遅れて工業化を加速し、鉄道(シベリア鉄道)と重工業への国家主導投資で急伸しますが、農村の貧困と政治的抑圧が社会の不安定性を高めました。都市労働者は少数ながら集中し、高度に政治化され、のちの革命の素地となりました。
日本は殖産興業の第一段階を経て、日清・日露戦争をはさみ重化学工業へシフトします。紡績・生糸の輸出で稼いだ外貨を、鉄鋼・造船・電力・化学肥料・窒素工業へ再投資し、財閥が金融と生産を統合しました。理工系高等教育と官営試験所が技術自立を後押しし、都市の電化と鉄道網の拡張が内需を支えました。
労働・都市・ジェンダー――科学的管理から社会政策へ
科学的管理法は生産性を高める一方、単調・高密度・監視型の労働を広げ、反発と組合運動を招きました。社会保険(疾病・災害・老齢)、労働時間短縮、最低賃金、児童・女性保護といった制度が段階的に導入され、都市では上下水道・公園・公営住宅・衛生行政が整備されます。家電の普及は家事の労力配分を変え、女性の就労機会と教育水準の上昇は、家族とジェンダー役割の再編を促しました。ただし、中産階級と労働者、都市と農村の格差はむしろ拡大する局面も多く、社会主義運動や進歩主義、キリスト教社会運動が改革を迫りました。
帝国・戦争・環境――成長の裏面
第二次産業革命の成果は帝国主義と軍拡と不可分でした。石油・ゴム・銅・リン鉱石・綿・砂糖の確保は植民地獲得と関税政策を刺激し、電信と蒸気船は帝国の統治を高速化しました。化学は肥料と医薬をもたらすと同時に、毒ガス・爆薬・火薬の巨大生産能力を生み、電気・内燃機関は機械化戦争の前提となりました。環境面では、煤煙や水質汚濁に加え、鉱害・油流出・都市の公害が可視化され、公衆衛生と都市計画、自然保護の思想が台頭します。
文化と知の変容――科学の社会化、標準化と速度の感覚
この時代、人々の時間感覚はさらに速くなりました。電車の時刻、電話の呼び出し、株価電信の速報、雑誌の月刊・週刊化――情報と移動のリズムが生活の拍を刻みます。知の側でも、大学は研究と専門教育の場へ、学会と特許が知識の流通と独占を同時に進めました。標準化(規格・電圧・ネジ・紙寸法)は取引コストを下げ、国際博覧会は最新技術のショーケースとして大衆の想像力を掻き立てました。広告・映画・レコードは新しい感覚世界を提供し、大衆文化の産業化が進みます。
研究上の論点――時期区分、連続と断絶、中心と周辺
学術的には、第二次産業革命を1870年代以降とする通説に対し、もっと早い電信・化学の萌芽を重視する見解や、第一次との連続性を強調して「長い産業革命」とみなす見方があります。また、独米中心の叙述に対し、帝国の周辺・植民地の役割、女性と家事労働・ケア労働の位置づけ、知的財産と独占の倫理、環境負荷の歴史をどう評価するかが論争点です。大量生産は本当に生活水準を上げたのか、誰が何を代償として支払ったのか――統計と生活史の往復が続いています。
まとめ――「組織化された発明」が作った二十世紀
第二次産業革命は、電気・化学・石油・通信・輸送という技術束と、研究所・大企業・国家の連携が織りなす「組織化された発明」の時代でした。都市は電化され、世界は電信で結ばれ、移動は内燃機関で高速化し、化学は肥料と医薬で人口と寿命を押し上げました。他方で、独占と帝国、軍拡と公害、格差と労働の規律という影を落としました。第一次産業革命が工場を生み出したなら、第二次は「システムと社会」を作り替えたと言えます。この骨格は21世紀のデジタル・再生可能エネルギー時代にもなお生きており、私たちは今も、その延長線上で次の転換を構想しているのです。

