サンディカリズムは、19世紀末から20世紀前半にかけてヨーロッパを中心に展開した労働運動思想で、国家や政党よりも労働組合(フランス語 syndicat=組合)を社会変革の主体に据える立場です。議会を通じた漸進改革より、職場の力関係を直接変える「直接行動」、とりわけゼネラル・ストライキ(総同盟罷業)を核心手段とみなし、生産の現場で獲得した自律と連帯を将来の社会組織の基礎にしようとする点に独自性があります。社会民主主義の議会主義や、前衛党による権力掌握(レーニン主義)とも異なり、労働者の協同と連邦主義を通じて、下からの民主主義と自主管理(オートジェスティオン)を実現しようとする志向を持ちます。思想としては単独の体系というより、革命的サンディカリズム、アナーコ・サンディカリズム、コーポラティズム批判的潮流など、複数の流れの総称として理解するのが適切です。
起源と思想的輪郭—フランス労働運動の母胎とソレルの刺激
サンディカリズムの出発点は、第三共和政期フランスの労働運動にあります。産業化の進展とともに、職能ごとの組合(サンディカ)が各地に生まれ、1895年には全国労働総同盟(CGT)が結成されました。CGTは早くから政党依存に慎重で、「生産の現場に根差した闘争」が労働者の自治能力を育てるという発想を重視しました。週休・一日八時間・同盟罷業の権利などの要求は、議会請願だけでなく、ストライキ、ボイコット、怠業(グース)のような実地の圧力でもぎ取るべきだとされたのです。
思想的な刺激としてしばしば言及されるのがジョルジュ・ソレルです。ソレルは議会主義や進歩史観への懐疑から、労働者の倫理的自己改革を促す「神話(ミュト)」としてのゼネストを称揚しました。ここでいう神話とは虚構ではなく、人びとの行為を統合する強力なイメージのことです。彼の議論は時に矛盾や過激さをはらみますが、サンディカリストたちに、労働者の誇りと自立、日常の規律、連帯の倫理を重ね合わせる思想的言語を与えました。これにより、サンディカリズムは単なる「賃上げの道具」ではなく、社会全体を組み替える構想と接続していきます。
同時に、サンディカリズムは一枚岩ではありませんでした。議会を全面否定せず補助的に活用する現実派、アナーキズムと緊密に結びつく潮流、産業別組織(産業ユニオニズム)を志向する潮流などが併存します。共通するのは、国家や政党の上からの統合よりも、下からの組合の連邦—工場・業種・地域の連なり—を重視する姿勢でした。
手段と組織原理—直接行動、ゼネスト、職能―産業連邦主義、自主管理
サンディカリズムの手段の中心は直接行動です。直接行動とは、請願や議会陳情を介さず、労働者がみずからの力で労働条件や生産の統制を変える行為の総称で、ストライキ、職場占拠、サボタージュ(妨害・遅延)、ボイコット、ピケッティングなどが含まれます。これらは一過性の圧力であると同時に、労働者が交渉・意思決定・規律維持を学ぶ訓練の場として位置づけられました。
その延長に置かれるのがゼネラル・ストライキです。個別企業や業種を越えて、地域・全国規模で同時に仕事を止めることで、資本と国家の神経を直撃し、同時に新しい社会の暫定的秩序—食糧供給、交通、治安、保健—を労働者の側で回してみせる実験でもあります。サンディカリストにとって、ゼネストは単なる「最後の手段」ではなく、日常的な小さな直接行動の蓄積が到達する臨界として理解されました。
組織原理の面では、サンディカは職能別・産業別の連邦制を重んじます。現場の組合(ローカル)が基礎であり、そこから地域連合・全国連合へとボトムアップで意思が積み上がります。委任は特定案件・一定期間に限定され、指導部は回転させるのが良いとされました。資金・情報・訓練の共有は連邦を通じて行い、争議や交渉では互恵的な援助(連帯拠出、共同ピケ)が価値とされます。こうした連邦主義は、将来社会のモデル—政府による統制ではなく、各産業の組合が生産・流通を調整する—とも重ねられました。
さらに、サンディカリズムは自主管理(オートジェスティオン)の観念を早くから育みました。工場委員会や職場評議会による生産の共同管理、賃率や労働時間の内的決定、危険業務の拒否権など、現場のルールを「共同で作る力」を重視します。ここでは、専門家や管理者の知識も否定されず、現場の経験知と結び付けて透明化・可視化する努力が評価されました。
世界への展開と事例—CGT、IWW、CNT、USI、ラテンアメリカ、日本
フランスのCGTは20世紀初頭に革命的サンディカリズムの拠点として影響力を広げましたが、第一次世界大戦や共産党の成立を経て路線は揺れ動きます。それでも、争議実務、職場委員会、合同交渉の技法など、サンディカ的遺産は長く残りました。
アメリカ合衆国では、1905年に結成された世界産業労働者(IWW)が、移民労働者・非熟練工・季節労働者など周辺化された人びとを組織し、「一つの大きな組合(One Big Union)」を掲げました。IWWは直接行動、スト、ソング、新聞を駆使し、銅山・製材・港湾・農業などで大胆な闘争を展開しました。国家・企業から激しい弾圧を受け、第一次大戦期に壊滅的打撃を受けますが、その文化は後の組合民主主義や新左翼にも影響を与えます。
スペインでは、1910年に全国労働連合(CNT)が結成され、アナーコ・サンディカリズムが大衆的基盤を得ました。1936年の内戦期には、カタルーニャやアラゴンなどで工場や交通・農業の集産・自主管理が広範に実験され、組合連合が生産・配給・社会サービスを担う体制が数か月にわたり稼働しました。最終的には内戦の敗北とフランコ独裁で弾圧されますが、現場民主主義の実践は、サンディカリズム史の最重要事例とみなされています。
イタリアでは、USI(イタリア・シンディカリスト連合)が20世紀初頭に影響力を持ち、工場占拠(1920年「赤い二年」)では自主管理の萌芽が見られました。その後、ファシズムが国家的コーポラティズムを制度化して組合を吸収・統制し、独立したサンディカリズムは地下化します。ここで重要なのは、国家コーポラティズムとサンディカリズムは別物だという点です。前者は上からの調停・統制、後者は下からの連邦・自主管理を旨とします。
ラテンアメリカでは、アルゼンチンのFORA(地域労働者連盟)やメキシコの初期労働運動に、アナーコ・サンディカリズムが強い影響を与えました。移民による国際的ネットワーク、印刷・鉄道といった技能職の拠点性、都市の市場構造が、直接行動の文化を支えました。国家のポピュリズム(ペロン主義など)や共産党系組織との競合・協調を経て、多様な形で受け継がれています。
日本でも、大正期にアナーコ・サンディカリズムの流れが形成され、自由連合・全日本労働総同盟、のちに日本労働評議会(労評)などの運動が現場民主主義と直接行動を掲げました。全国労働組合自由連合会(全労自由)や全日本自由労働組合連合会(全自労)、さらにアナ・サン寄りの「日本労働組合評議会(全協)」などが、政党―議会中心ではない戦術を模索します。戦後には企業別組合体制の定着と冷戦構造の中で主流とはなりませんでしたが、職場委員会、現場自治、反管理主義の言語は、その後も局所的に息づきました。
20世紀の変容と評価—国家と資本の吸収圧力、戦後の自主管理、今日の示唆
20世紀を通じ、サンディカリズムは二重の圧力に晒されました。第一は、社会民主主義の議会路線の成功です。選挙・交渉・社会保障立法は、労働者の生活を実際に改善し、直接行動のリスクと費用を相対化しました。第二は、国家と資本によるコーポラティズムの制度化です。企業別組合や産業別労使協議会の制度は、労働者代表を交渉テーブルに組み込み、対立を調整可能にする一方、上からの統制や分断を生みやすくしました。ファシズムはその極端な形で、戦後の協調主義は穏やかな形で、サンディカの先鋭性を吸収・希釈したと評価されます。
それでも、サンディカリズム的な発想は消えませんでした。フランスのCFDTが1960年代に掲げた自主管理(オートジェスティオン)の綱領、ユーゴスラヴィアの自主管理社会主義、1968年前後の職場占拠(工場・大学)や、イタリアの工場委員会運動は、下からの管理・協同をめぐる言語を新生させました。近年でも、スペインのモンドラゴン協同組合グループ、アルゼンチンやブラジルの「労働者による企業再建(被占拠企業の協同組合化)」、フランスのSCOP(労働者協同組合)などは、サンディカ的伝統に通じる実践です。
評価の面では、サンディカリズムはしばしば「反国家・反政党ゆえに持続的な権力形成ができない」と批判されます。確かに、広域の再分配やマクロ経済の管理、社会保障の普遍化といった課題には、国家的な枠組みが不可欠で、連邦的な調整だけでは届きにくい領域があります。他方、サンディカリズムは、職場と地域の民主主義、非官僚的な意思決定、連帯の倫理、利害調整の熟議といった、民主主義の基礎体力を鍛える装置として有効でした。中央集権と市場の二元に偏りがちな近代社会に、第三の回路—協同と連帯による調整—を持ち込んだ意義は小さくありません。
今日的な示唆としては、プラットフォーム労働やフリーランス拡大のもとで、伝統的な企業別組織に収まらない働き手が増えています。地域横断のネットワーク、職能横断の互助、オンラインでの意思決定、共同交渉の設計などに、サンディカリズムの原理—ボトムアップの連邦・直接行動・自主管理—は応用可能です。気候危機やケア労働の再評価でも、職場から公共性を再構築する視点は重要で、労働と生活を切り離さないサンディカ的発想は有効な参照枠になります。
総じて、サンディカリズムは、国家と市場のはざまで、労働者が自らの生活世界を防衛・再設計しようとした運動の総体です。議会や前衛党に頼らず、現場の自律と連帯を足場に社会を変えるという構想は、歴史の特定局面だけでなく、今もなお多様な領域で反復的に現れています。賃金・時間・安全といった即物的要求を超え、働くことの意味と社会の設計を結び直す視線が、サンディカリズムの魅力であり、難しさでもあるのです。

