「塩・鉄・酒の専売」とは、主として前漢の武帝期(前2世紀末)に国家が生活必需品と基幹素材(塩・鉄)および嗜好財であり同時に重要な財源(酒)の生産・流通・販売を公的に統制し、財政収入と価格安定、戦時動員の効率化を図った政策を指します。これに付随して、貨幣鋳造の国営化、均輸・平準といった流通介入を組み合わせる総合パッケージが整えられました。背景には、匈奴との長期戦による軍事費の激増、辺境経営と朝廷運営の恒常的な資金需要、私的豪商・豪族による市場支配への警戒がありました。専売は国家の「財政=軍事国家化」を早め、同時に社会の不満や思想的反発も呼び起こし、前81年の有名な政策論戦『塩鉄論』へとつながります。以後、鉄・酒の扱いは時代により弛緩と復活を繰り返しますが、とりわけ塩の専売は中国史を通じて長期に持続し、王朝財政の柱として位置づけられました。
背景と導入――軍事的圧力、財政赤字、そして国家介入の論理
武帝の治世は、積極的な対外政策と領域拡張が大きな特徴でした。匈奴との戦役、河西・西域経営、南越・朝鮮への遠征、内政では宮殿・陵墓・祭祀の整備など、あらゆる方面で歳出が膨張します。農業税収だけではとても賄えず、財政の新しい基盤を求める中で、産業・流通・金融に対する国家の関与が不可避となりました。ここで鍵となるのが、需要が不況期にも落ち込みにくく、かつ収集・検査・保管が比較的容易な品目です。塩は生存に不可欠、鉄は農具・兵器・交通の基材、酒は都市・軍需・儀礼に恒常的需要があり、いずれも課税の「捕捉効率」が高い分野でした。
武帝のもとで財政・営業の実務を担ったのが、商務に通じた桑弘羊らの官僚です。彼らは、塩・鉄・酒を国家の直接経営ないし厳格な許可制に置くことで、中間利潤の吸い上げと価格の平準化、同時に「敵対的商人」への規制を狙いました。さらに、均輸(地域間の価格差を利用して官が輸送・販売を行い、物価と官需を安定させる)と平準(公的在庫で相場の暴騰・暴落を抑える)を組み合わせ、税外収入と市場安定化を図る一体的な枠組みが設計されます。
当時は豪商・豪族が特定の鉱山・塩池・運輸経路を押さえ、情報優位を背景に価格形成を主導していました。国家はこれを「富が民間に滞留し国家に入らず」と捉え、軍需動員のボトルネックを断つ名目で介入を正当化します。専売は単なる財源確保だけでなく、敵対勢力への資材流出の防止、官工・官営作坊の育成、品質規格の統一といった安全保障上の意味も持っていました。
制度の仕組み――専売の運用、均輸・平準、貨幣国営化の連動
塩は塩池・海浜・井塩(塩井)など産地ごとに技術と組織が異なります。前漢では主要産地を行政区に組み込み、塩官(監・校)を設置して生産量・品質・販売価格を統制しました。運送は嘉量・封緘・伝票で管理し、指定市場での販売を義務付けるほか、特別な許可札(塩引券)を発行して流通経路を可視化します。これにより、密売を抑えつつ、都市への安定供給を確保する狙いがありました。
鉄は鉱山からの採鉱、製錬、鍛造(農具・兵器・車軸など)という長い工程を要し、官営工房(作坊)と監督制度が整備されます。技術者・工人は官籍化され、規格に合わない私鋳・私鍛は没収・罰金の対象となりました。鉄の統制は軍需と直結し、槍・刀・矛・甲冑から、輸送に不可欠な工具に至るまで、品質の管理と供給の優先順位付けが不可欠だったからです。ただし、各地の民間工房の活力を殺ぎ、価格上昇・供給遅延を招く副作用も大きく、後代に向けて運用の難しさが露呈しました。
酒は醸造の許可制・官造・課税(酒税)の組み合わせで運用されます。都市の飲酒需要は景気に左右されがたい一方で、過剰な統制は密造・密売を誘発しやすく、規制と自由のバランスが問われました。儀礼や祭祀に不可欠な酒を過度に国家が独占すれば民心の反発を招くため、他の二専売よりも政治的リスクが高い分野でもありました。
均輸・平準は、専売を補完する「市場操作」の仕組みです。均輸は、各地の特産と需要を官が把握し、余剰地から不足地へ公的輸送を行って価格差を縮小、同時に運送・倉敷の仕事を通じて官収入を得ます。平準は、豊作時に買い上げて不作時に放出する在庫政策で、相場の乱高下を抑え、徴税と軍需調達を安定化させる役割を果たします。さらに、貨幣鋳造の国営化は、私鋳銭の氾濫と偽造を抑え、物価指標の信頼性を確保する基礎でした。こうして、生産(専売)—流通(均輸・平準)—金融(貨幣)の三層が連動する「国家経済運営」の枠組みが構築されたのです。
『塩鉄論』と賛否――国家の富と民の利、統制と自由の境界線
前81年、昭帝の下で霍光らが主導して、専売・均輸・平準の是非をめぐる公開政策審議が開かれました。これが『塩鉄論』です。参集したのは、郡国から選抜された「賢良文学」ら清議の文人官僚と、中央の実務官僚・技術官僚です。前者は、武帝期の過剰介入が民間の営生を圧迫し、豪商を肥やし、農本の道を乱したと批判しました。彼らは、節用と徳治に立ち返り、専売や過度な流通介入を撤回して、農業に安んずる民の生活を整えよと主張します。
これに対し後者は、匈奴との講和が不安定で、辺境維持の費用が継続的に必要である現実を強調しました。民間市場に任せれば独占と投機が横行し、軍需・官需に必要な物資が不足する危険がある、よって国が干渉し、価格の振幅を抑え、一定の利潤をもって国家財源を支えるべきだ――という理屈です。また、技術・規格の統一や品質検査は、官が担ってこそ可能だと論じました。
結論は折衷的でした。直ちに全廃とはならず、酒については統制が弱められ、塩・鉄は形を変えつつ存続しました。以後、王朝の財政事情・戦争状況・地方の実情に応じて、私営と官営、課税と専売の配分は揺れ続けます。『塩鉄論』は、国家が市場にどこまで介入するか、公益と自由の線引きをめぐる古典的論点を提示した文献として、以後の東アジア政治思想に長い影響を与えました。
歴史的展開と比較――塩の長命性、鉄・酒の弛緩、世界史の中の専売
長期の視点から見ると、三専売のうち「塩」が最も持続性の高い制度でした。塩は生活必需品で代替がなく、保管・運送が容易で、取引の単位を標準化しやすいことが、国家財政の「優良担税物」としての地位を高めました。唐代には塩の運上(塩税・塩引券)と販売許可制が緻密化し、専売と課税が併用されます。宋代には塩引(塩を買う権利)と塩運使による流通統制が整い、モンゴル期・明清期には食塩専売がほぼ一貫して王朝財政を下支えしました。清末に至るまで、塩務は地方財政・軍糧輸送と密接に連動し、近代に入っても改革対象の最難所であり続けます。
鉄は、技術革新と市場の広がりに伴って私営生産の比重が増し、王朝により専売の強度が変動しました。官営独占は軍需確保には有効でも、広域に分布する鉱床と多様な製品需要に柔軟に対応しにくく、価格高止まりや品質低下、密造の横行を招きがちです。そのため、ある時期には課税中心へ切り替え、規格検査と関所・市舶での管理に重点を移す施策が選ばれます。酒はさらに弾力的で、禁酒・専売・課税が時代により揺れ、都市文化・財政需要・治安政策の三者の綱引きで制度の形が決まりました。
比較史的に見ると、塩は世界の多くの地域で強力な課税対象でした。フランス旧体制の「ガベル(塩税)」は代表例で、地域差別と過重負担が革命期の不満の一因となります。インドでも植民地期に塩税が社会運動(ガンディーの「塩の行進」)の焦点となり、塩が国家と民衆の関係を映す鏡であることがよく分かります。イスラーム世界やヨーロッパでも鉄・酒への課税は一般的ですが、中国のように大規模な官営専売として長期に制度化された例は比較的まれで、中国国家の行政能力と物流統制の高さを示す一側面です。
経済思想の観点では、専売は「市場の失敗」への対策と「政府の失敗」を同時に孕みます。独占的な豪商や情報の非対称、治安と戦争が引き起こす供給ショックに対し、国家が在庫と信用で緩衝材として機能するのは合理的です。他方、運用が「収奪目的」に傾けば、汚職と非効率が拡大し、生産の活力を殺ぎます。『塩鉄論』で交わされた論点は、現代のエネルギー備蓄や医薬品供給、たばこ・酒の公的規制、国営企業の役割を議論する際にも射程を保ち続けています。
総括すると、塩・鉄・酒の専売は、戦争と国家建設の時代に編まれた「財政・流通・技術」の束でした。塩は長期の持続性を示し、鉄と酒は情勢に応じて弛緩と強化を繰り返し、均輸・平準・貨幣国営化と一体で運用されました。その賛否は単純な自由対統制の対立に還元できず、供給安全保障・公共財の維持・公平課税・産業育成という複数の目標の最適配分を、時代ごとに探った軌跡といえます。だからこそ『塩鉄論』は古典として読み継がれ、塩専売は近世に至るまで王朝財政の「骨格」として息長く残ったのです。専売の歴史をたどることは、国家と市場、富と軍事、日常の食卓と帝国の戦略が一本の線で結ばれている事実を、具体的に学ぶ手がかりになります。

