司教(主教)制 – 世界史用語集

司教(主教)制とは、キリスト教において地域共同体(教会)の監督と司牧を担う高位聖職者である司教(ギリシア語 episkopos:監督)を単位として組み上げる教会統治の仕組みのことです。司教は使徒伝承(使徒継承)に立つと理解され、按手(任職)によって聖別されます。司教を頂点とする位階制は、典礼と秘跡の正統性を担保し、教義・規律・財務・人事の最終責任を負います。司教が常駐する都市は「司教座都市」、その管轄領域は「司教区(教区)」と呼ばれ、複数の司教区を束ねる大司教・府主教、さらに広域の総主教・総大司教・総主教座が置かれる場合があります。東方正教会系では日本語で「主教」と表記する慣習が強く、カトリック・聖公会系では一般に「司教」と記すなど、用語の差も見られます。要するに司教(主教)制は、教会の一体性と地域性を同時に成り立たせるための骨格であり、古代以来の歴史を背景に、宗派ごとに多様な形で存続してきた制度なのです。

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起源と基本構造――使徒継承、司教区、司教座都市

司教(episkopos)という語は、新約の時代から共同体の「見張り・監督」を意味して用いられました。1〜2世紀の教会では、長老(司祭=presbyteros)と監督(司教)が区別されつつも役割の重なりがあり、地域により運用が異なりましたが、やがて単一司教が司祭・助祭を統率する「単一司教制(モナーカル・エピスコパシー)」が普及していきます。これにより、一つの都市とその周辺を一人の司教が司牧するという基本形が整い、主日の主礼、洗礼・堅信、聖職叙階の執行、教義と規律の最終決定など、共同体の可視的統一が担保されました。

司教の務めは、(1)秘跡執行の頂点(叙階・堅信など司教に固有の秘跡)、(2)教義の保持と教導(異端審査・公会議への参加)、(3)規律と裁治(聖職者任免・教会裁判・財産管理)、(4)司牧と福祉(貧民救済・学校・病院)、に大別されます。司教区は共同体の地理的単位で、中心の大聖堂に司教座(カテドラ)が置かれ、ここから「カテドラル(司教座聖堂)」の語が生まれました。司教が座す都市は行政・商業の結節点であることが多く、都市史・建築史とも深く関わります。

隣接する司教どうしは、地方会議(シノドス)を通じて連帯し、その上位に広域の首位(メトロポリタン=府主教/大司教)や総主教が置かれます。古代のローマ、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープルなどの「首座」は、教義決定や叙任承認で特権を持ち、後のカトリックの教皇首位や、正教会の総主教制へと継承されました。こうした上下関係は、単なる権威の階段ではなく、教会の一致(カトリシティ)と地域の多様性(ローカリティ)を調停するための通信網でもあったのです。

中世の展開――国家と司教、叙任権闘争、司教領の統治

キリスト教が公認・国教化されると、司教は行政・司法・福祉の中心人物となりました。西ローマ末期から中世にかけて、都市を守る責務、慈善の管理、学校・写本工房の維持など、公共的役割が増していきます。フランク王国・神聖ローマ帝国圏では、国王が司教・大司教の任命と叙任に深く関与し、聖俗の権力が結び付いて「帝国教会体制」と呼ばれる仕組みが形成されました。多くの司教は修道院や広大な土地を管理し、場合によっては領主として課税・裁判権を行使する「司教侯(司教領主)」ともなります。マインツ、ケルン、トリーアなどの大司教は選帝侯を兼ね、ヨーロッパ政治の最前線に立ちました。

この密接はやがて摩擦を生み、「叙任権闘争」(11〜12世紀)として噴出します。教皇派は聖職の叙任(牧杖と指輪の授与)を俗権から切り離し、聖別の純粋性と教会の自由を主張し、皇帝は伝統的な保護権・推薦権の維持を求めました。妥協の産物であるヴォルムス協約(1122)は、聖職叙階は教会の手に、封土の授与は世俗君主の手に、という二分を確認し、以後、司教任命は教会法手続(選挙・教皇承認)と世俗の承認の二つの回路で調整されていきます。

都市社会の成熟は、司教座都市と市民共同体の関係にも緊張をもたらしました。司教の裁治・関税・市場権に対して市民は自治特許を獲得し、司教権力と都市自治の対抗・妥協が各地で進みます。文化面では、司教区の学校が大学(司教座学校からの発展)へと成長し、神学・法学・医学の学問体系を支えました。中世の司教は、宗教指導者であると同時に、地域国家の枢要なガバナーでもあったのです。

宗派ごとの司教(主教)制――カトリック、正教会、聖公会、宗教改革後の多様化

カトリックでは、司教は「使徒たちの後継者」とされ、教皇との交わり(交一致)を通じて普遍教会に結び付くと理解されます。司教会議(公会議)とともに、第二バチカン公会議は「主教団の合議性(コレギアリティ)」を強調し、各国・地域の司教協議会(主教協議会/司教団会議)が設けられました。叙階は既に叙階された複数の司教の按手により行われ、教区司教・補佐司教・名義司教などの区分があります。司教は教区の典礼・宣教・教育・財政の最終責任者であり、司祭と助祭の配置・養成を統括します。

東方正教会では、日本語の伝統で「主教」と表記されることが多く、主教は各自の教区における完全な司牧権を持つと同時に、各教会(コンスタンティノープル、ロシア、セルビア、ルーマニアなどの自立教会)の主教会議(シノド)に参加して合議的に全体を導きます。司祭(既婚可)とは異なり、主教は原則として修道士(独身)から選ばれます。総主教・大主教・府主教などの称号は各教会の伝統と規定によって異なりますが、いずれも「首位の栄誉」は認めつつ、ローマ教皇のような普遍的管轄権は想定しません。

聖公会(アングリカン・コミュニオン)は、宗教改革後も司教制を保持し、主教の按手による継承を重視します。各国教会は自治(自律)で、カンタベリー大主教は「名誉上の首位」にすぎません。主教は教区議会・主教会議とともに教会を統治し、典礼・教義・按手の連続性を確保します。近年は女性主教や同性婚をめぐる判断などで各国教会間の見解差が生じ、交わりの枠組み(ランベス会議・主教会議)の機能が問われています。

プロテスタント諸派では、司教制の継承はまちまちです。ルター派は地域により主教制を保持する教会もあり、監督(ビショップ)に相当する職を置く例があります。他方、改革派(カルヴァン派)は長老制(プレズビテリアン)を採り、教会は長老会と会議体によって統治されます。会衆派(コングリゲーショナル)は各教会の自治を重んじ、監督的職は置きません。宗派比較では、司教制=秘跡と教会の可視的一致の担保、長老・会衆制=合議と自治の徹底、という長所の差し合いとして理解すると整理しやすいです。

近現代の展開と課題――選出・任命、合議性、社会との接点

近代国家の成立は、司教選出の方法にも影響しました。古くは大聖堂参事会(聖職者団)が選挙し、教皇が承認する形が多かったのに対し、近代では国家と教会の協約(コンコルダート)で、政府の同意権・推薦権が組み込まれる例が生じました。正教会でも、国家の影響力が強まった地域(帝政ロシアなど)では、主教会議と国家機構の協調・緊張が繰り返されています。聖公会では、王権や首相の助言により指名される伝統が残る国もあります。現代は総じて、信徒・司祭・修道者・専門家の意見聴取を行い、候補者の司牧経験・神学的識見・清廉性・対話力を重視する方向が広がっています。

第二バチカン公会議以後のカトリックは、司教の合議性と地域協議機能が強調され、司教協議会は典礼翻訳、司祭養成、社会問題への声明などで大きな役割を果たすようになりました。正教会では、各自立教会の主教会議が対話・一致の場として機能し、全体会議(パン・オルソドクス会議)への期待と課題が続きます。聖公会は世界的ネットワークを保ちながら、地域文化・法制度との対話で多様な判断が並立する状況です。

司教(主教)制はまた、社会的課題に対する教会の応答の窓口です。貧困・移民・紛争・人権・ジェンダー・環境といった分野で、司教団は声明や行動指針を発し、学校・病院・福祉・NGOと連携して現場を支えます。他方、教会内部のガバナンス、聖職者の不祥事対応、透明性の確保、被害者支援など、制度の信頼回復が問われています。司教(主教)は教会の顔であると同時に、説明責任の担い手でもあるため、監督機能と相互評価(訪問調査・監査)の仕組みが強化されています。

近年の論点としては、女性に対する叙階の可否、独身制・既婚聖職の扱い、司教の定年と継承計画、デジタル時代の司牧(オンライン典礼・SNSでの教導)などがあります。正教会は主教は独身修道者から選ぶ伝統を維持し、カトリックは司祭は原則独身ですが、東方典礼カトリックの多くで既婚司祭が認められ、主教は独身という規範が一般的です。聖公会では女性主教を任職する教会が増え、教会間の相互承認の在り方が議論されています。

こうした変化にもかかわらず、司教(主教)制の中核は一貫しています。すなわち、共同体が顔の見える責任主体を持ち、秘跡・教導・規律・司牧が統合されるという原理です。この原理が、都市・国家・国際社会のレベルでどう実装されるかが、歴史の舞台ごとに異なってきたと言えるでしょう。司教座都市の聖堂と広場、司教館と学校、病院と救貧院——その配置は、司教(主教)制が「信仰の制度」であると同時に「都市の制度」であったことを今も物語っています。